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第14話

Author: 青山米子
彼の真剣な表情と言葉に、一葉は思わず信じてしまいそうになった。

飴と鞭を絶妙なタイミングで使い分ける手練手管。そうか、これが以前の自分を縛り付けていた術なのか、と一葉は気づいた。

でも、もう遅い。記憶を失った今の一葉には、彼の巧みな手綱さばきは効かない。

言葉が場内に響き渡った後、死んだような静寂が広がった。

参列者たちの表情には複雑な感情が浮かんでいた。言吾が自分の妻を軽んじ、心に決めた女性を大切にしているのは明白なのに。彼らはただその流れに乗って助け舟を出そうとしただけ。

それなのに、どちらの立場も取れなくなるような発言をされ、おまけに、あからさまな警告まで突きつけられて。

まったく......

会場の空気は妙な重みを帯び、誰もが言葉を失っていた。

優花の顔が一瞬にして恐ろしいほど暗い表情に変わった。その険しさは言葉では言い表せないほどだった。

だがそれは一瞬の出来事で、すぐさま優花は穏やかな笑顔を取り戻した。

「お姉さん、これで分かっていただけましたよね?私と言吾さんの間には何もないって。

お姉さんったら、考えすぎですよ」

また自分を、妄想する精神異常者のレッテルを貼ろうとする優花。

でも、もう以前の自分ではない。こんな言葉に翻弄されることはない。一葉は微笑みを浮かべながら切り返した。「考えすぎなんかじゃありませんわ。結婚記念日に主人とオーロラを見に行き、私の誕生日には桜都でお花見を楽しみ、バレンタインにはバラの花とダイヤの指輪をもらう。

そのたびに、二人の幸せそうな写真を送ってくださるんですものね。

ここにいらっしゃる皆様に伺いましょうか?こんな状況で誤解しない方がいらっしゃるかしら?

誤解を解くのは言葉じゃなく、行動です。こんなにも境界線を踏み越えておいて、私の誤解が悪いだなんて。ほんと、よくおっしゃいますわ」

かつての一葉は言吾への愛ゆえに、この痛みから目を背け、口にすることさえ避けていた。でも今の一葉には、彼が誰であろうと何の意味も持たない。これらの事実は、彼らの見せかけの潔白を打ち砕く鞭となる。

潔白?何もない関係?まともな家の人間が、恋人同士でもないのに、こんなことをするでしょうか?

会場の奥様方や令嬢たちは言葉を失った。

誤解どころか、この「純真な優花」を殺してやりたい気分だった。

清らかな関係?引き裂か
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