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第315話

Author: 青山米子
考えうる限りの手を尽くしても、自らの潔白を証明する有効な手立ては何一つ見つからない。これ以上ないほどの絶望的な状況、八方塞がりの袋小路。最悪の事態は、まさに今この瞬間なのだ。

そう悟った途端、不思議と一葉は冷静になっていった。

先ほどまでの、抑えきれなかった動悸が嘘のように収まっていたのだ。

弁護士が面会に来た時、一葉はある連絡先を渡し、そこに連絡を取るよう依頼した。

万策尽き、他に道がなくなったのなら……たとえそれが、最も選びたくない道であろうと、進むしかない。

翌朝早く、一葉に面会者が訪れた。

てっきり言吾だと思っていた。

だが、現れたのは意外な人物――桐生慎也だった。

慎也という男は、あまりにも人の心を見透かすのに長けている。彼が入室してきてから、一葉は何も言わず、ただじっとその顔を見上げただけだというのに、それだけで彼は彼女の心中をすべて察したようだった。

「どうした?まさか、この俺が来るとは思わなかったか。愛しの元旦那様じゃなくて、がっかりしたか?」

「……」

慎也は、一葉が身にまとった留置場の服を上から下まで値踏みするように眺めると、ちっと舌打ちをした。「獅子堂家の連中には気をつけろとあれほど言っておいたのに、一体何を警戒していたんだ?」

「元旦那の脚を治してやった途端にこれか。見事に用済みってわけだ。しかも、こんな屈辱的なやり方でな」

「……」

「研究者としては確かに優秀だ。天才と言ってもいい。だがな……こと陰謀策略に関しては、あんたはあの紫苑って女に遠く及ばない」

紫苑の底知れない策略家ぶりは、目の前のこの男さえもが認めるところなのだ。

一葉は、やはり返す言葉も見つからなかった。

陰謀や策略など、自分には全く向いていない。

優花にさえ敵わなかった自分が、さらに格上の紫苑に太刀打ちできるはずもなかった。

慎也はなおも何か言いたげだったが、血の気を失った一葉の青白い顔に視線を落とすと、それ以上言葉を続けるのをやめた。

「事情はすべて聞いた。高柳家の防犯カメラの映像もな。正直に言うが、あの状況で、あんたの潔白を証明できる証拠はどこにもない。

だから、紫苑を突き飛ばしていない証拠を見つけて無実を証明し、警察に釈放してもらおうなんて考えは……まあ、万に一つも可能性はないと思え!」

高柳家の映像を繰り返し確認した慎也は
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