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last update publish date: 2025-12-14 21:41:14

 トラブルの報告を聞いた瞬間、隼人の口元に冷ややかな笑みが浮かんだ。

(……これだ)

 トラブル、反発、敵意。それこそが彼の得意とするフィールドだ。生っちょろい温もりから抜け出し、冷徹な「再生屋」としての自分を取り戻す、絶好の機会。

「すぐに車を用意しろ。現地へ行く」

「はっ。……お一人で向かわれますか?」

 隼人は一瞬考え、意地悪な思いつきを口にした。

「いや。妻も連れて行く」

「奥様を、ですか? しかし現場は殺気立っておりますが……」

「構わん。家に置いておくよりマシだ」

 あの女に俺の本当の仕事を見せてやる。温かいご飯や整ったネクタイなど通用しない、冷酷なリストラの現場を。

 彼女を「お飾りの妻」として厳しい現実に連れ出し、その無力さを露呈させれば、この奇妙な浮ついた気分も消えるはずだ。

(いい思いつきだ)

 隼人はジャケットをひ

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     実加は嬉しそうに大根やナスを手で撫でた。 収穫したばかりの野菜は、スーパーの店頭に並ぶものと比べ物にならないほどの張りがある。「これならきっと、美味い料理が作れるな」 実加はぱっと笑った。その笑顔は屈託なく、愛嬌がある。 くるくると立ち働く彼女に、農家の人々も心を開いてくれた。「ウチ、生後6ヶ月の赤ん坊がいるんスよ。もう離乳食が始まっていて。もう少ししたら、ここの野菜も食わせてやりたいなあ」 実加が言うと、農家の女性が声を上げた。「あら、そうなの! 6か月なら野菜ペーストもいいわね。ニンジンなんておすすめよ。ここの畑のニンジンは甘いから、きっと赤ちゃんも気に入るわ」「わあ、いいっすね! じゃあチビ用に買っていこうかな……」「こら、実加。今日は仕事で来たのを忘れるな」 番頭に釘を刺され、実加は頭を掻いた。「あ、そうだった。野菜があんまり美味そうで、つい。すんません。また来ますんで、その時によろしく」「ええ、待ってるわ」 こうして番頭と実加は、農家から様々な野菜類を仕入れることができた。◇ 夕方、軽トラックがせせらぎ亭の裏口に戻ってきた時、その荷台は文字通り『宝の山』になっていた。「板長! 持ってきたぜ!」 実加が大きな段ボール箱を抱えて厨房に入ってくる。 箱の中を見た板前は、目を大きく見開いた。「こ、こいつは……」 大根は泥付きで、丸太のように太い。 紫色のカブは鮮やかな色合いで、皮が弾けそうなほどの張り。 さらには大人の手のひらほどもある、肉厚で香り高い原木椎茸もある。 形は不揃いで、スーパーに並ぶような見栄えではない。 けれど土の豊かな香りと生命力に満ち溢れたツヤは、どんな高級食材にも劣らない存在感を放っていた。「どうだ板長、これで料理できそうか?」 実加が

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  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   282:兵糧攻め

     週末の活気から数日が経過した、水曜日の朝。 せせらぎ亭のロビーには、柔らかな春の陽射しが差し込んでいた。 黒崎翔吾はフロントカウンターの定位置に立ち、タブレット端末の画面をスクロールしていた。 視線の先にあるのは、今後の予約状況を示すカレンダーだ。週末だけでなく、平日のマス目にも次々と『予約完了』の文字が埋まり始めている。(SNSのバズ効果は、一過性のものでは終わらなかった。宿泊した顧客の口コミが新たな顧客を呼ぶ、理想的な好循環サイクルに入っている) 翔吾は無意識のうちに眼鏡を押し上げ、小さく息を吐き出した。 胸の奥に確かな達成感が広がっていく。自分たちの提供したサービスが、明確な数字となって表れているのだ。「フンフフーン、フフーン」 軽やかな鼻歌が聞こえてきた。 山内実加が、上機嫌でモップをかけている。金髪のメッシュを揺らし、ステップを踏むように床を磨く姿は、見ているこちらまで明るい気分にさせる。「ずいぶんと楽しそうですね、実加さん」 翔吾が声をかけると、実加はパッと顔を上げて満面の笑みを見せた。「おう、インテリ! 当たり前だろ! 今度の休みの日にな、チビがここへ遊びに来るんだよ!」 実加はモップの柄に体重をかけて、嬉しそうに目尻を下げる。「小夜子師匠が手配してくれたんだ。シッターさんが車で連れてきてくれるって。アタシがピカピカにしたこの宿を見たら、チビのやつ、絶対喜ぶぜ!」 小さな理玖が喜ぶ姿を想像し、翔吾も思わず微笑んだ。「それは良かったですね。ですが、よだれで床を汚されないように注意してくださいよ」「なんだと! ウチのチビのよだれはマイナスイオンが出てるんだよ!」 翔吾の冗談めかした言葉に、実加が口をとがらせて言い返した。 平和なやり取りだ。数日前の、あの重く沈んだ空気が嘘のように、せせらぎ亭には穏やかな時間が流れていた。 だがその平穏は、突如として破られた。「どうなってんだ! ふざけるな!」 厨房の方角から、板前の

  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   38

     小夜子は冷静に分析した。 この山道でパソコンの画面に目を凝らせば、誰でもそうなる。このまま無理を続ければ、あと数キロもしないうちに身体的な限界を迎えてしまうだろう。そして、月影への到着はまだ先だ。「お飾りの妻」として連れてこられた以上、余計な口出しは無用だ。空気のように気配を消し、彼の仕事の邪魔をしないことが契約上の義務である。 けれど目の前の人の不調を放置するのは、小夜子の性分に合わなかった。実家での過酷な労働の中、自分自身のコンディションを維持するために培った知恵が、脳内の引き出しから飛び出してくる。 小夜子は音を立てずにバッ

    last updateLast Updated : 2026-03-19
  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   39

     かき乱されていた平衡感覚が、香りによって繋ぎ止められる感覚。 隼人の呼吸が次第に深くなり、整っていった。強張っていた肩の力が抜け、シートの背もたれに深く体を預けた。 小夜子はその様子を見届けると、すぐに視線を窓の外に戻した。「私は空気ですので。どうぞ、お気になさらず」 恩着せがましさは少しもない。ただそこに不具合があったから、修繕しただけだと言わんばかりの態度だった。 隼人はハンカチで顔を覆ったまま、複雑な思いを噛み締めていた。(……またか) 朝食の味噌汁

    last updateLast Updated : 2026-03-19
  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   34

    (最初の朝、あの茶漬けを食ったのが間違いだった) 隼人はそう思うが、もう一度あの場に戻れたとてまた口をつけてしまうだろうとも思っていた。 彼が人生でほとんど初めて味わう、家庭的で温かな味。認めたくないが、それは少しずつ彼の心に入り込んでいる。 そして今、小夜子は隼人のネクタイに手を掛けた。 彼は幼子のようにされるがまま。 苛立つ。人に触れられるのは嫌いだ。 だがそれ以上に、彼は完璧であらねばならない。もう二度と過去のみじめな自分に戻りたくない。 小夜子の手つきは鮮やかだった。 

    last updateLast Updated : 2026-03-19
  • 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く   30:夜明けの鯛茶漬け

     小夜子は広大なシステムキッチンに立つ。  巨大な冷蔵庫の扉を開けると、中身はひどいものだった。棚にはミネラルウォーターと酒のボトルが整然と並んでいるだけで、生活の匂いがしない。  小夜子がさらに確かめると、野菜室の奥に場違いな桐箱が押し込まれているのを見つけた。(これは……) 蓋を開ける。中には、立派な尾頭付きの真鯛が入っていた。(だぶん、どなたかからの贈答品ね。箱のまま冷蔵庫に入れてしまったのね) ラップに包まれているが、目が白濁し始めている。パッケージの日付を見る。消費期限は今日の午前中まで。  隣にはしなびかけた三つ葉の束と、使いかけの生ワサビが転がっていた。(もったい

    last updateLast Updated : 2026-03-19
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