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第13話

Author: ゴシップ好き
悠はぎこちなく身体を回転させた。

そこに立っていたのは――

見覚えのある、あまりにも見覚えのある顔だった。

神崎啓介。

あの日から、何度も夢に見た男。

けれど、啓介は彼女の異変に気づくこともなく、どこか疲れたような顔で、軽く微笑んだ。

「すみません、朝霧さん。ちょっと予定が早まってしまって……お手数かけてしまって」

「……いえ、大丈夫です」

悠は軽く首を振った。

マスク越しの声は、沈んだ響きを帯びていた。

このときほど、自分が名前を変えておいて良かったと思った瞬間はなかった。

もし「朝霧悠」の名のままだったら――

啓介はきっと、すぐに彼女の正体に気づいていただろう。

世界は広い。

もう二度と彼に会うことはないと、どこかで思っていた。

……それなのに、彼が、目の前にいた。

多くの依頼者がプライバシーを重視しているため、悠たちのアトリエでは、カーテンで画家と顧客を仕切る方式をとっていた。

相手はカーテン越しに語り、画家はその言葉をもとに絵を描く。

悠は呼吸を整え、できるだけ平静を装って筆を握る。

「それでは、始めてもよろしいですか。神崎さん。描きたい方の特徴をお話しください」

その声に、啓介はほんの一瞬、眉をひそめた。

どこかで――聞き覚えがある。

けれど次の瞬間、自分の考えを笑って否定した。

悠が、生きているはずがない。

彼女の骨壷は、この手で墓に収めたのだから。

そう言い聞かせながら、啓介は静かに語り始めた。

「細くて優しい眉。笑うと目が細くなる大きな瞳……とにかく、笑顔がすごく綺麗な人で……」

声が震えていた。

けれど、その描写には温かさがあふれていた。

彼の言葉のひとつひとつが、まるで大切な宝物のようだった。

悠は、彼の語る声をじっと聞いていた。

そして、そのたびに、胸の奥がじんわりと熱くなる。

今、啓介の口から語られている「彼女」は――

まるで、本当に彼に愛されていたような、そんな錯覚すら覚えるほどに。

――でも、そんなの、ありえない。

あのとき、自分を地獄に突き落としたのは――

他でもない、彼自身だったのだから。

「この女性って、神崎さんの……?」

気づけば、筆を持つ悠の口から言葉が漏れていた。

どうしても、聞かずにはいられなかった。

「俺の妻です」

即答。

あまりに迷いのな
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