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第11話

Auteur: べつに
この春から高校生になる。成績は悪くないが、うっかりミスが多かった。

私が本棚からノートの束を運び出すと、目を輝かせた。

「お姉ちゃん、それ全部、勉強のノート?」

「うん」

ノートの束を理沙の前に置いた。

「使う?」

理沙は驚いた。

「全部もらっていいの?」

私は頷いた。

「高校のものは、もう使わないから。要点と間違えた問題をまとめてあるし、必要なところだけ見ればいいよ」

理沙は飛びつきそうな勢いで喜んだ。

「お姉ちゃん、神!」

私は笑った。

かつて、そのノートを何より大切にしていた。

とりわけ数冊には、どの問題にも、どの印にも、朔との記憶が染み込んでいた。

それでも今は、一冊ずつ段ボール箱へ入れていった。

あの片想いまで、一緒に封をするように。

翌日、東嶺大学の入学式に出席し、晴れて大学生になった。

大学生活は忙しかった。

講義、サークル、図書館、アルバイト。

新しい友人ができ、大勢の優秀な人たちにも出会った。

高校時代に心を埋め尽くしていた人や出来事は、時間に押し流され、少しずつ遠くなった。

千紘からは、ときどきメッセージが届いた。

千紘
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  • 君だけのノートを閉じたあの日から   第14話

    それでも頷いた。「分かってる」「それに、今も黒瀬くんが好きかどうか、自分でも分からない」朔の喉が動いた。「うん」その顔を見ていると、胸の中で絡まり続けていたわだかまりが、少しずつほどけていった。朔は無関心だったのではない。ただ、驚くほど不器用だった。それでも、私が傷ついた事実まで消えるわけではなかった。だから、簡単には許したくなかった。遅れて届いた一言だけで、朔のためにすべてを差し出していた頃の自分へ戻りたくもなかった。「黒瀬くん、私にはもう自分の生活がある。新しい授業も、友達も、目標もある。前みたいに、椅子を一度蹴られるだけで、ずっと振り向いて待つことはしない」朔はしばらく黙った。それから低い声で答えた。「分かった。もう蹴らない」私は一瞬、言葉を失った。朔は私を見たまま、真剣に付け加えた。「ちゃんと言葉にする。篠宮、好きだ。ずっと前から好きだった。勉強を始めたのも玲花のためじゃない。少しでも篠宮に近づきたかったからだ。玲花を好きだったことなんて、一度もない」一言ずつ、ゆっくりと話した。どの言葉も、胸の奥から無理に掘り出しているようだった。私は目を伏せた。足元に桜の花びらが落ちていた。この街の春は短い。風が吹けば、辺り一面が桜色に染まった。長い沈黙のあと、小さく言った。「黒瀬くん、私、企画書を書きかけなの」朔は頷いた。「アパートまで送る」私は朔を見た。「ここがもうアパートだけど」朔は黙った。それから、ごく小さく「ああ」と言った。とうとう我慢できず、笑ってしまった。朔は私を見て、目を見開いた。その瞬間、眉間に残っていた冷たさも緊張も、風にほどかれたようだった。私は青いノートと瓶を抱え、アパートへ戻ろうとした。入口まで行ったところで足を止めた。振り返らずに呼んだ。「黒瀬くん」すぐに返事があった。「うん。次に来るときは、先に連絡して」しばらく沈黙した。「篠宮の連絡先、知らない」ドアノブにかけた手が止まった。背後の朔は緊張しているようだった。それでも、ぶっきらぼうに言葉を足した。「教えてくれる?」私は振り返った。朔は桜の木の下に立ち、肩にはまだ一枚の花びらが乗っていた。相変わらず冷たく

  • 君だけのノートを閉じたあの日から   第13話

    朔は私を見ながら、低い声で続けた。「連絡しようと思った。でも、連絡先を知らなかった。人に聞く勇気もなかった」私は言葉を失った。3年間同じクラスだったのに、私と朔は個人的な連絡先を交換していなかった。一番近かったときでさえ、前後の席でノートを渡し合っただけだった。個人的に連絡を取るきっかけさえ、二人は持っていなかった。朔はさらに言った。「こっちの大学に進んだ」「え?」「東嶺大から近い大学」少し決まり悪そうに間を置いた。「東嶺大には届かなかった。でも、篠宮の近くには来られた」胸の奥が、急にきゅっと痛んだ。「南陵大を目指してたんじゃなかったの?」朔は眉を寄せた。「誰が言った?」私は黙った。何かを思い出したらしく、朔の顔がさらに険しくなった。「掲示板?」私は答えなかった。少し黙ってから、朔は言った。「南陵大を調べたのは、あの頃、篠宮がずっと南陵大の資料をまとめてたから。篠宮が受けるんだと思った」私は目を見開いた。朔は続けた。「あとから玲花が南陵大へ行きたいって話した。それで周りが勝手に結びつけた。説明しなかった。必要ないと思ってた」声がさらに低くなった。「ごめん」また、ごめんという言葉だった。けれど今度は、滑稽だとは思わなかった。高校3年間、ずっと見落としていた、いくつもの出来事を思い出した。夜更かししてノートをまとめ、翌日机に突っ伏して眠ったことがある。目を覚ますと、机の端にホットココアが置かれていた。雨の日に傘を忘れ、昇降口まで行くと、私の下駄箱に黒い折り畳み傘が入っていたこともあった。模試の物理で失敗し、一人で階段の踊り場に隠れて泣いたこともある。あとで「学年トップも大したことない」と笑った生徒たちは、朔に廊下の隅へ呼び止められていた。それ以来、私の前でひどいことを言う人はいなくなった。私は、朔がたまたま通りかかっただけだと思っていた。気まぐれに手を貸しただけ。朔のような人でも、たまには人助けをするのだと。けれど今振り返れば、どの「たまたま」にも理由があった。喉が詰まりそうになりながら、朔を見た。「黒瀬くん、いつから……」最後まで言えなかった。それでも朔には伝わった。「1年のとき。校舎裏で会った

  • 君だけのノートを閉じたあの日から   第12話

    もし「好きだ」という言葉が本当だったとしても……それで何が変わるのだろう。すれ違ってしまった事実は、消えない。ぼんやりしていると、となりの部屋に住む友達が私の部屋に飛び込んできた。「澄香!」私は顔を上げた。「どうしたの?」友達は意味ありげに笑った。「下に、すごく格好いい人が来てる。ちょっと近寄りがたい感じの人」胸が大きく鳴った。スマホを握ったまま、ゆっくり階段を下りた。アパートの前には、並木道が静かに延びていた。芽吹いたばかりの若葉が春風に揺れ、柔らかな光が道いっぱいにこぼれていた。一人の青年が、木の下に立っていた。黒い上着を着て、背筋を伸ばしていた。髪は高校時代より少し短くなっていたが、冷たく見える目元は変わっていなかった。ただ、私を見つけた瞬間、張り詰めていた表情がふっと緩んだ。朔だった。私は階段の上で立ち止まり、すぐには近づかなかった。朔も動かなかった。数歩を隔てて、互いを見つめた。長い沈黙のあと、先に口を開いたのは朔だった。「篠宮」やはり低い声で、私の名前しか言わなかった。最後の一段を下り、朔の前に立った。「どうしてここに?」朔は体の脇で一度、手を握っては開いた。「会いに来た」私は朔を見た。「何か用?」しばらく黙ったあと、朔はポケットから古びたノートを取り出した。青い表紙。私が南陵大学の入試情報をまとめた、あのノートだった。私は息を呑んだ。「高峰さんから返してもらったの?」朔は私を見て、小さく答えた。「うん。玲花がうちに来たとき、机の上に南陵大の資料と一緒に置いてあった。自分用にまとめたものだと思って、持って帰ったらしい。俺は、なくしたと思ってた。あの日、初めて玲花が持ってたって知った」そこで一度言葉を切った。自分でも説明が足りないと思ったのか、もう一言付け加えた。「ごめん」声は小さかったが、真剣だった。胸の奥に、何かにそっと触れられた気がした。朔は目を伏せ、手の中のノートを見た。「あの頃は、どう言えばいいか分からなかった。篠宮が怒ってても、説明の仕方が分からなかった」自嘲するように口元を少し歪め、今度は別のものを差し出した。ガラス瓶だった。中には色とりどりの小さな紙の星が、隙

  • 君だけのノートを閉じたあの日から   第11話

    この春から高校生になる。成績は悪くないが、うっかりミスが多かった。私が本棚からノートの束を運び出すと、目を輝かせた。「お姉ちゃん、それ全部、勉強のノート?」「うん」ノートの束を理沙の前に置いた。「使う?」理沙は驚いた。「全部もらっていいの?」私は頷いた。「高校のものは、もう使わないから。要点と間違えた問題をまとめてあるし、必要なところだけ見ればいいよ」理沙は飛びつきそうな勢いで喜んだ。「お姉ちゃん、神!」私は笑った。かつて、そのノートを何より大切にしていた。とりわけ数冊には、どの問題にも、どの印にも、朔との記憶が染み込んでいた。それでも今は、一冊ずつ段ボール箱へ入れていった。あの片想いまで、一緒に封をするように。翌日、東嶺大学の入学式に出席し、晴れて大学生になった。大学生活は忙しかった。講義、サークル、図書館、アルバイト。新しい友人ができ、大勢の優秀な人たちにも出会った。高校時代に心を埋め尽くしていた人や出来事は、時間に押し流され、少しずつ遠くなった。千紘からは、ときどきメッセージが届いた。千紘は地元の教育大学へ進学していた。1限が早すぎるとか、学食が混みすぎるとか、互いに愚痴を言い合った。千紘が朔の話をすることはほとんどなかった。私から尋ねることもなかった。このまま、すべて過去になるのだと思っていた。ところが数か月後、アパートでサークルの企画書を書いていたとき、理沙から突然、画像が送られてきた。【お姉ちゃん、高校のとき付き合ってた人いたの?】指が止まった。続けて写真が届いた。ノートの中の一ページだった。使い込まれたページは、端が少し丸まっていた。その一番下に、黒い字で一行だけ書かれていた。角ばっていて、決して上手とはいえない。けれど、よく知っている字だった。【篠宮、好きだ】息が止まった。廊下を行き交う人たちの笑い声が、遠くなった。その一行しか見えなかった。——篠宮、好きだ。朔の字だった。3年間、朔は私の付箋に短い返事を残した。——うん。——分かった。——細かい。けれど、こんなにはっきりした言葉は一度もなかった。理沙から、またメッセージが届いた。【ノートを見てたら、このページが

  • 君だけのノートを閉じたあの日から   第10話

    スマホが鳴った。担任からだった。電話を取ると、無意識に手に力が入った。「先生」電話の向こうの声は、私以上に興奮していた。「篠宮、発表を見た?合格だよ。東嶺大に受かっているの!」庭から吹き込んだ風に、草木と昼食の匂いが混じっていた。私はスマホを握ったまま、しばらく声が出なかった。祖母が隣で尋ねた。「どうしたの、澄香?」顔を上げると、急に目の奥が熱くなった。「おばあちゃん、東嶺大に受かった」祖母は一瞬目を丸くし、すぐに目尻に皺を寄せて笑った。「そうかい、よかったねえ」「澄香は、本当によく頑張ったね」その夜、電話の向こうで母が泣いた。私に悟られまいと、声を抑えていた。それでも分かった。「澄香、お母さん、本当に誇らしいよ」私も泣いた。悲しかったからではない。これまで歩いてきた道が、無駄ではなかったとようやく思えたからだ。翌日、学級委員だった湊がクラスのグループチャットで皆に呼びかけた。【明日、卒業祝いで集まるぞ。来られる人は全員来て。高校最後の集まりだから欠席禁止!】チャットはすぐに賑やかになった。千紘から個別にメッセージが届いた。【澄香、帰ってくる?】私は返した。【無理そう。おばあちゃんの家にいるの】千紘は泣き顔のスタンプを送ってきた。【じゃあ、写真いっぱい送るね!】クラスのチャットは何日も賑わっていた。合格報告をする人、進学先を話す人、旅行の約束をする人。私は時折、画面を開いて眺めた。千紘は集まりの写真を何枚も送ってくれた。みんな楽しそうに笑っていた。一枚ずつ見ていき、最後の写真で指が止まった。どこにも朔が写っていなかった。どこへ行ったのか分からなかった。どの大学を受け、結果がどうだったのかも、誰も知らなかった。グループチャットでは、また噂話が始まった。【黒瀬くんって結局どこに進学するの?】【知らない。今日も来なかったし】【高峰さんは南陵大の推薦に受かったんだよね】【じゃあ黒瀬も南陵大?】【さあ。でも卒業式の日、黒瀬くんが校門でずっと誰かを待ってたのは見た】その言葉に、胸が小さく揺れた。校門で。ずっと待っていた。その一行を長く見つめてから、スマホの画面を閉じた。窓の外には、まだ

  • 君だけのノートを閉じたあの日から   第9話

    高い位置で束ねた髪と、きちんと着た制服がよく似合い、ひときわ目を引いた。周囲から囃す声が上がった。「高峰さんが来た」「黒瀬くんを呼びに来たんじゃない?」「卒業前の記念撮影?」私は俯き、袖口を整えた。玲花は男子の列にいた朔の前で止まった。声は大きくなかったが、周囲が静かになったので私にも聞こえた。「朔、クラス写真が終わったら、一緒に写真撮らない?」誰かが口笛を吹いた。朔は男子の列に立ち、表情を変えなかった。玲花を一度見てから答えた。「撮らない」短い一言だった。取りつく島もなかった。玲花の笑顔がこわばった。周囲の囃し声も、すぐに消えた。大勢の前で断られるとは思っていなかったのだろう。数秒後、無理に笑顔を作った。「どうして?」朔は目を伏せ、冷たく答えた。「撮る理由がない」玲花の顔から血の気が引いた。しばらくそこに立っていたが、最後にはカメラを抱え、背を向けた。千紘が息を呑み、こちらを振り返って囁いた。「うわ……黒瀬くん、容赦なさすぎない?高峰さんが好きなんじゃなかったの?」私は答えず、正面を向いた。撮影担当の教師がカメラを構えた。「全員、レンズを見て。3、2、1」シャッターが切られた瞬間、校庭を冷たい風が吹き抜けた。私の高校生活は、終わりへ近づいていた。……共通テストまでの最後の1か月は、驚くほど早く過ぎていった。問題を解いて、解説を聞いて、覚えて、また模試を受ける。そんな毎日の繰り返しだった。黒板の隅に書かれた「共通テストまであと○日」の数字も、30から20へ、20から10へと減っていき、ついに「あと1日」になった。そして、共通テスト当日。試験会場の前は、受験生で混み合っていた。少し離れたところには、見送りに来た保護者の姿もあった。母は小さなお守りを私の手に握らせた。目は少し赤かったのに、私を安心させるように明るく笑っていた。「澄香なら大丈夫」私は母をぎゅっと抱きしめた。「うん。行ってくるね」それから2日間、私は自分が選択した科目の試験を一つずつ受けていった。最後の科目が終わり、解答用紙が回収されたとき、教室のあちこちから小さな息が漏れた。けれど入試は、それで終わりではなかった。翌日、学校で自己採

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