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喋れない私を見捨てた幼馴染はもう要らない

喋れない私を見捨てた幼馴染はもう要らない

By:  ピリ辛巾着Completed
Language: Japanese
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幼馴染の想い人は、私が「声を出せないこと」をよく嘲笑っていた。 ある日、彼女は私のコップに激苦の薬草をすり潰して入れ、お腹を抱えて笑い転げた。 「声が出せない人って、どんなに苦くても悲鳴ひとつ上げられないんでしょ?私、それをどうしても見てみたくて」 彼女のエスカレートする嫌がらせは止まらず、今度は私に「舌を出せ」と強要した。 声を出せない人間の舌が、普通の人とどう違うのか。 それを皆の前で見世物にしようとしたのだ。 私は縋るように、傍らにいる幼馴染の森永樹(もりなが いつき)を見た。 「俺がいる限り、誰にもお前を苛めさせない」 かつて彼がくれた、その約束だけを信じて。 しかし、彼は冷ややかな目で私を一瞥しただけだった。 「ちょっと見せるくらい、別にいいだろ。大した事じゃないんだから」 その瞬間、私の中で何かが完全に冷え切った。 込み上げる涙をぐっと飲み込み、カバンの中にある『転校届』をそっと隠す。 ――ええ、そうね。私があなたの前から消えることも。 決して大した事じゃないから、わざわざ教える必要もないわよね。

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Chapter 1

第1話

教室の中。

ざわめく生徒たちの声に混じって、ドンッ、と私の机に新しいマイボトルが置かれた。

「ほら、お前の母親が煎じた薬。熱いうちに飲めよ」

樹の顔には、酷く冷たい表情が張り付いていた。

私は少し戸惑いながらもそれを受け取り、ボトルの蓋を開けて中身を一気に飲み干した。

――だけど、今日の薬はいつもと違った。

舌を刺すような、異常な苦み。

顔がぐしゃりと歪み、生理的な涙がポロポロとこぼれ落ちるのにも気づかないほどだった。

それでも私は、いつもの癖で、無表情な樹に向かってふわりと微笑み、そっと両手を差し出した。

だって、これまで彼が薬を飲ませてくれる時は、必ず後に甘いドライフルーツや飴玉を準備してくれていたから。

けれど今回、彼から返ってきたのは、汚い物でも見るかのような嫌悪の眼差しだった。

「飴なんてねぇよ。

いい歳して、薬を飲むのにご褒美が必要なのか? ガキじゃあるまいし、みっともない」

その冷酷な言葉が落ちた瞬間。

私たちのすぐ隣で面白そうに見ていた夕奈が、突然お腹を抱えて吹き出した。

「あはははっ! 無理、お腹痛いっ。

ねぇ、本当に声が出せない人って、あんなに苦いものを飲まされても悲鳴ひとつ上げられないんだね!」

彼女はひとしきり笑い転げた後、ニヤニヤと悪意に満ちた笑みを浮かべたまま私を覗き込んだ。

「言葉ちゃんって、ほんと騙されやすいよねぇ。

樹くんの言うことなら、なんでも信じちゃうんだ?」

夕奈の唇が、三日月のように吊り上がる。

「そのボトルの中身、ただの薬じゃないよ。罰ゲーム用の激苦草(げきにがそう)のすり下ろし」

えっ……?

一瞬、頭が真っ白になった。

口内に残る酷い苦みよりも、胸の奥からじわじわと広がる苦しさに息が詰まりそうになる。

私は震える手で手話を紡ぎ、樹に問いかけた。

『彼女の言っていること、本当なの?』

樹はふいっと顔を逸らし、窓の外へ視線を投げた。

何も、答えない。

……彼が答えに窮した時、いつもこうやって沈黙して逃げることを、私は誰よりも知っていた。

それが『答え』だ。

私は手元のマイボトルを力強く握りしめ、ゴミ箱へ捨てようと立ち上がった。

しかし、夕奈がわざとらしく私の行く手を遮り、隣の樹の腕に甘ったるい声で擦り寄った。

「ねぇ樹くぅん。あんなに苦いのに、なんで彼女は声も出さないのかなぁ?

もしかして、本当は喋れるのに、ただ喋りたくないだけだったりして?」

樹は、私には見せたこともないような甘く優しい手つきで、夕奈の髪をぽんぽんと撫でた。

「さあね。そんなこと、俺にはどうでもいい」

――どうでもいい。

その冷たい響きに、心臓が大きく跳ね、そしてドクンと嫌な音を立てた。

胸の奥からせり上がってくる絶望感は、先ほどの薬草の何倍も、何十倍も苦くて、息をするのすら辛かった。

だが、夕奈はその答えでは満足できなかったらしい。

彼女はわざとらしく頬を膨らませ、床をドンッと足で叩いて拗ねてみせた。

「むー。本当は、幼馴染の言葉ちゃんが可哀想だなって思ってるんじゃないの?

実はこっそり、ただの苦くない薬にすり替えてたりして。……だめ、私がこの舌で確かめてみる!」

言うが早いか、彼女は私の手から強引にマイボトルを奪い取り、底に残っていた残骸を勢いよく口に含んだ。

しかし次の瞬間。

「――っ、ペッ! げほっ、にがっ!?」

彼女は顔をしかめ、あろうことか私の机のすぐ横に、口に含んだものを吐き出したのだ。

「自分から痛い目を見にいくとか、馬鹿だろ」

樹は呆れたようにため息をつくと、ポケットからティッシュを取り出し、彼女の口元を拭ってやろうとした。

「ティッシュじゃダメ」

夕奈はそれを避けるように首を振り、そのまま彼の手をぐいっと引いた。

そして、樹の胸元にすっぽりと収まるように身を寄せると、背伸びをして――

そのまま、彼の唇に自らの唇を重ねたのだ。

「ほんとに苦いんだから。樹くんも味わってみて?」

触れるだけの、甘いキス。

唇を離した夕奈は、ほんのりと頬を染めながら彼を見上げた。

「テスト合格。おめでとう、私の『彼氏』さん」

彼女は樹の小指に自分の小指を絡ませると、こちらを振り返り、これ以上ないほど勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「ね、見ての通り。樹くんは今日から私の彼氏になったの。だからもう、彼に甘えてお菓子をねだるなんて図々しい真似、二度としないでよね。

この、口無し女!」

私を嘲笑う夕奈の声に重なるように、樹が、氷のように冷たい視線を私に向けて言い放った。

「いつまで突っ立ってんだよ。さっさと行け。

それとも、まだ俺たちのこと見足りないのか?」

私は弾かれたように背を向け、逃げるようにその場を後にした。

誰もいない階段の踊り場まで駆け抜け、ようやく目尻から溢れ落ちる涙を手の甲で拭う。

ああ、終わったんだ。

私の長くて、惨めな初恋は――今日、完全に終わった。

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ひとみ
ひとみ
わたしは結構主人公の方が酷いと思ってしまった… 家庭に問題ありやし、クズ女ホンマにヤバかったやん 思いは本物やったと思うで…
2026-09-24 17:59:30
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松坂 美枝
松坂 美枝
最後は爽やかに終わった マジで転校出来て良かったし、最後に一矢報いるのもざまあだった クズ男の家庭環境に同情すべき点はなくはないけど主人公へのいじめに加担した時点で取り返しがつかんのよね
2026-09-24 10:25:25
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12 Chapters
第1話
教室の中。ざわめく生徒たちの声に混じって、ドンッ、と私の机に新しいマイボトルが置かれた。「ほら、お前の母親が煎じた薬。熱いうちに飲めよ」樹の顔には、酷く冷たい表情が張り付いていた。私は少し戸惑いながらもそれを受け取り、ボトルの蓋を開けて中身を一気に飲み干した。――だけど、今日の薬はいつもと違った。舌を刺すような、異常な苦み。顔がぐしゃりと歪み、生理的な涙がポロポロとこぼれ落ちるのにも気づかないほどだった。それでも私は、いつもの癖で、無表情な樹に向かってふわりと微笑み、そっと両手を差し出した。だって、これまで彼が薬を飲ませてくれる時は、必ず後に甘いドライフルーツや飴玉を準備してくれていたから。けれど今回、彼から返ってきたのは、汚い物でも見るかのような嫌悪の眼差しだった。「飴なんてねぇよ。いい歳して、薬を飲むのにご褒美が必要なのか? ガキじゃあるまいし、みっともない」その冷酷な言葉が落ちた瞬間。私たちのすぐ隣で面白そうに見ていた夕奈が、突然お腹を抱えて吹き出した。「あはははっ! 無理、お腹痛いっ。ねぇ、本当に声が出せない人って、あんなに苦いものを飲まされても悲鳴ひとつ上げられないんだね!」彼女はひとしきり笑い転げた後、ニヤニヤと悪意に満ちた笑みを浮かべたまま私を覗き込んだ。「言葉ちゃんって、ほんと騙されやすいよねぇ。樹くんの言うことなら、なんでも信じちゃうんだ?」夕奈の唇が、三日月のように吊り上がる。「そのボトルの中身、ただの薬じゃないよ。罰ゲーム用の激苦草(げきにがそう)のすり下ろし」えっ……?一瞬、頭が真っ白になった。口内に残る酷い苦みよりも、胸の奥からじわじわと広がる苦しさに息が詰まりそうになる。私は震える手で手話を紡ぎ、樹に問いかけた。『彼女の言っていること、本当なの?』樹はふいっと顔を逸らし、窓の外へ視線を投げた。何も、答えない。……彼が答えに窮した時、いつもこうやって沈黙して逃げることを、私は誰よりも知っていた。それが『答え』だ。私は手元のマイボトルを力強く握りしめ、ゴミ箱へ捨てようと立ち上がった。しかし、夕奈がわざとらしく私の行く手を遮り、隣の樹の腕に甘ったるい声で擦り寄った。「ねぇ樹くぅん。あんなに苦いのに、なんで彼女は声も
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第2話
私と樹は、幼馴染として一緒に育った。しかし、私たちの身分は天と地ほど離れていた。私の父は森永家のお抱え運転手で、母は住み込みの家政婦だったからだ。あれは、樹が十歳の時のこと。彼は母親への誕生日サプライズを準備するため、こっそり家を抜け出した。運転手である父が車を出し、樹の強い希望で、私もそれに同行することになった。その日は、前が見えないほどの豪雨だった。悪天候で車が立ち往生してしまったところを運悪く、森永家の財産を狙う拉致犯の集団に襲われたのだ。父は私たち子供を必死に庇い、犯人たちに何度も鉄パイプで殴られ、両足を粉砕骨折した。森永家は父の命を救った恩義から、莫大な費用を出して最高の医療を受けさせてくれた。……それでも、父の足には生涯治らない重い障害が残ってしまった。そして私も――その事件の凄惨なトラウマから、二度と声を出すことができなくなった。事の発端となった樹はひどく自分を責め、私のそばを片時も離れようとしなかった。「言葉が喋れるようになるまで、治療費はすべて森永家が負担するから」彼はそう言い張り、そして私にひとつの約束をくれた。「言葉が喋れなくたって、俺がいる限り、誰にもお前を苛めさせない。お前がまた、自分から声を出してくれるまで……俺はずっと待ってるから」その言葉に嘘はなかったと思う。ここ数年、彼は本当に私を守ってくれていた。私の声が出せないことをからかったり、少しでも悪意を向けたりする者がいれば、彼が必ず前に立って反撃してくれた。でも、彼には「見えていないこと」がたくさんあった。たとえば、私の治療費のこと。表向きはすべて森永家が負担していることになっていたが、現実は違った。樹の母親が毎月渡してくれるのは、最低限の診察代だけ。高額な薬代や精密検査の費用といった負担の大きい出費は、結局すべて両親の細々とした給料から支払われていたのだ。そしてもう一つ、彼が知らないこと。最近になって、私の失声症に少しだけ回復の兆しが見え始めた。両親は私をさらに設備の整った専門病院へ通わせたいと願ったが、雇われの身の微々たる収入では、到底そんな余裕はない。悩みに悩んだ末、両親は今年の年末で森永家を退職し、地元である田舎の高校へ私を転校させる決断を下したのだ。樹と離れ離れ
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第3話
言い訳ばかりが並ぶその言葉を、私はただ静かに聞き流し、手話で短く返した。『次は、もうやめてね』私の無表情な反応を見て、彼の中で「私がまだ機嫌を損ねている」と変換されたらしい。背を向けようとした私の腕を、樹は慌ててガシッと掴んだ。「俺が本当に好きなのはあいつじゃない! 今あいつと一緒にいるのは、会社を救うためのただの時間稼ぎなんだよ。言葉、俺を待っててくれないか?」私を見つめるその眼差しは、吐き気がするほど真摯で、甘ったるい期待に満ちていた。あまりの寒さに、私は思わず小さく鼻をすすった。すると彼は眉をひそめ、自分の首に巻いていたマフラーを外して、私の肩にふわりと掛けた。その瞬間――月明かりと雪の反射が、彼の首元をくっきりと照らし出した。そこには、生々しく赤い、いくつもの痕が刻まれていた。……キスマークだ。私は声が出せないだけで、何も知らないわけじゃない。それが、どういう行為の果てに付けられる痕跡なのかくらい、嫌でも分かった。肌が粟立つような嫌悪感を覚え、私はサッと視線を逸らし、彼のアピールには一切応えずに首を横に振った。「おい、ダンマリ」樹が焦ったように私を追いかけてくる。彼は余裕がなくなった時だけ、私のことをこうやって意地悪く呼ぶのだ。「お前、首を横に振ったのはどういう意味だよ?別に気にしてないってことか? それとも、俺を許さないって意味かよ?」私が唇を強く噛み締め、黙って歩き続けると、彼はしつこく食い下がってきた。「言葉、もしかして母さんに何か言われたのか? だから俺を無視してるのか?」私は小さくため息をつき、彼に向けて素早く手話を切った。『ううん。ただ寒いから、早く帰りたいだけ』『苦い薬を飲むのにはもう慣れたから、お菓子は必要ないの』私は、彼から押し付けられた高級菓子の箱を、その胸にドンッと押し返した。『そのお菓子は、彼女にあげて』それだけ伝えると、私はさらに足早に歩き出した。箱を抱えたまま、樹が呆然と雪の中に立ち尽くしていることなど、振り返らなくても分かっていた。やがて、私の背中に向かって彼が声を張り上げるのが聞こえた。「言葉、信じてくれ! 須賀家の融資さえ引き出せたら、俺はすぐにまたお前のそばに戻って、お前を守るから! 絶対に待っててく
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第4話
彼の肩にはうっすらと雪が積もっており、その手には大きな紙袋が握られていた。「おじさん、おばさん。実家へ戻られると聞いたので、餞別を持ってきたんです」両親は遠慮して断ろうとしたが、彼の強い押しに負けて結局それを受け取ることになった。出発の直前、母は赤く腫れた目で樹に向かって頭を下げた。「私たちがいない間、もし言葉に何か困ったことがあったら……少しでいいから、あの子の力になってやってくれないかしら」樹は快く「もちろんです」と頷いた。――しかし、振り返った彼の笑顔が、ピシリと凍りついた。少し離れた場所から、夕奈がジッとこちらを睨んでいたのだ。彼女はひどく不機嫌そうな顔をして、無言のまま踵を返して歩き去ってしまった。その日一日中、私の胸の奥ではずっと嫌な予感が渦巻いていた。なんとかやり過ごし、迎えた午後の体育の授業。不運なことに、私は体育倉庫への用具の片付け当番に当たってしまった。一人で重い用具を時間をかけて定位置に戻し、ようやく外に出ようとした――その瞬間。バタンッ!目の前で、勢いよく扉が閉められた。ビクッと肩を揺らす私の耳に、扉の向こうから夕奈と樹の話し声が聞こえてきた。「お姫様、今度は何がお気に召さないんですか? 昨日からずっと俺を無視してるじゃないか」樹の口調は文句を言っているようだが、その声には彼女を甘やかすような笑みが滲んでいた。「幼馴染のあの子とはもう線引きをするって言ってたのに。じゃあなんで今朝、一緒に登校してたのよ!」夕奈が怒ったように床をドンッと踏み鳴らす音がする。「今日あいつの両親が地元に帰るから、俺も見送りに行って、そのついでに車で一緒に学校へ乗せてきただけだろ」樹は宥めるように説明した。「前にも言ったけど、あいつの親父さんは俺の命の恩人なんだ。どうしても関わりをゼロにすることはできないんだよ」夕奈の機嫌が少し直ったのか、声がワントーン明るくなった。「ふーん。まぁ、そういうことなら許してあげる。でもさ、樹くんって今まで何人も女の子と付き合ってきた、有名なプレイボーイでしょ? なんで、あんな身近にいる幼馴染のことは彼女にしなかったの?もしかして……本命すぎて、大事に大事に取っておきたいから?」夕奈の意地悪な問いかけに、樹はすぐには答えなかった。体
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第5話
紙の端の文字が読まれそうになった、その時。「ねぇ、樹くーん! 何してるの?」背後から、夕奈の甲高い声が飛んできた。樹はチッと舌を打ち、「うざいな……くそっ」と低く吐き捨てる。彼はもう私の書類を見るのを諦め、作り笑いを浮かべて夕奈の方へと振り返った。私は彼らの茶番劇になど、一切巻き込まれたくなかった。手元にあった転校届を素早く制服のポケットにねじ込み、その場を立ち去ろうとする。しかし、夕奈がわざとらしく私の行く手を塞いだ。「ねぇ言葉ちゃん。さっきの生物の授業で、すごく面白いことを習ったんだけど知ってる?先生が言ってたの。『人間の器官は、長い間使われないとどんどん退化して萎縮していく』って」夕奈の顔に、底意地の悪い笑みが張り付く。「ねぇ、喋れないあんたの舌も、退化して気持ち悪いことになっちゃってるのかなぁ? ほら、舌を出して私によく見せてよ」私は彼女と争う気など微塵もなく、無言のまま彼女の横を通り抜けて教室へと向かった。しかし彼女は執拗に追いかけてきて、私の席までしつこくついて来たのだ。「いい加減にしろ、夕奈」たまらず、樹が彼女の腕を掴んで制止した。「もうあいつの邪魔はしないって、さっき俺に約束しただろ」夕奈は鼻でふんと笑った。「ええ、約束したわよ。でも、樹くんはどうなの? 私に『あの子に関わるな』って言っておきながら、自分はさっき何してたの?いちゃいちゃと、痴話喧嘩のつもり?」樹は不快そうに眉をひそめる。「……そんなわけないだろ」夕奈はパンッと手を叩いた。「あっそ。じゃあ、この女が一方的に樹くんを誘惑したってことね。私がこの泥棒猫に躾をしてあげるんだから、樹くんは絶対に手を出さないで。もし今日、私の気が済むようにさせてくれないなら……私たち、今すぐ別れるから」樹は苛立ち紛れに、近くにあった空き机をガンッと強く蹴り飛ばした。「……勝手にしろ」夕奈は一度教室を出ると、すぐにまた戻ってきた。その背後には、教師すら手を焼くような素行の悪い不良女子たちを数人引き連れている。私はノートの切れ端を破り、素早くペンを走らせた。【私は樹を誘惑なんてしていません】【二人が付き合い始めてからは、彼と距離を置いています】【あなたたちが愛し合おうと憎み合おうと、私
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第6話
どれくらいの時間が経っただろうか。膠着状態が長く続いた。やがて痺れを切らした夕奈が、忌々しそうに舌打ちをして、卑劣な脅迫を始めた。「言葉ちゃん。樹くんから聞いたんだけど、あんたの両親って森永家の『飼い犬』なんですって?」彼女はわざと『飼い犬』という言葉を強調し、嘲笑うように口端を吊り上げた。「お父さん、昔、樹くんを庇って片足をダメにしたんだって? 本当、忠実な良い犬よねぇ!でもね、私の家には権力もお金も腐るほどあるの。あの足引きずってるおじさんの、もう片方の無事な足をへし折るくらい、簡単なことなのよ?」私を庇って人生を奪われた父を、これ以上ないほど侮辱された。――ブチッと、私の中で何かが切れる音がした。私は拘束を力任せに振り解き、渾身の力を込めて夕奈の頬を平手打ちした。パーンッ! と乾いた音が響き、夕奈のスマホが床に滑り落ちる。しかし彼女は怒るどころか、赤く腫れた頬を押さえながらクスクスと笑い出したのだ。「ふふっ……あんたの抵抗なんて、たかが知れてるわね。ねぇ。もし私が、あんたが今こうして惨めに苛められてる動画をお父さんに送ったら……」夕奈は言葉を区切り、まるで極上の娯楽を楽しむような顔で私を覗き込んだ。「雇い主の彼女が、自分の大事な娘をいたぶってるって知ったら、あの飼い犬はどうするかしら?見なかったことにして、今まで通り森永家の立派な『奴隷』を続けるのかしら。それとも、お仕事を捨てて娘を守る『立派な父親』になろうとするのかな?」頭の中が真っ白になった。ボロボロと大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちる。私は再び不良たちに床へと押さえつけられ、身動き一つとれないまま、ただ首を激しく横に振って『やめて』と懇願することしかできなかった。その惨めな私の姿を見て、夕奈はさらに勝ち誇ったように見下ろしてきた。「送られたくないなら、大人しく口を開けて動画を撮らせなさいよ。私って、何事も自分の目で確かめないと気が済まないタチなの。さっさと口を開けないと、手が滑って本当にお父さんに動画を送っちゃうかもしれないわよ?お父さんの電話番号って、090の……これで合ってるわよね?」彼女は床からスマホを拾い上げると、画面に表示された見慣れた電話番号を私に見せつけた。「さっき、樹くんが教えてくれ
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第7話
私は拘束から解放された腕で、震えながら彼女に感謝の手話を切った。久子は優しく首を横に振った。「気にしないで。私は委員長だし、クラスメイトがいじめられてるのを放っておけないわ」そう言って、彼女はポケットからティッシュを取り出し、私に差し出してくれた。「ほら、唇が切れて血が出てる。拭いて。それにしても、あの転校生は本当に度を越してるわね。でも……あなたが機転を利かせてくれてよかったわ。帰り道にあなたからSOSのメッセージが届いたから、慌てて引き返してきたのよ」ティッシュを受け取ろうとした私の手が、空中でピタリと止まった。私は目を見開き、信じられない思いで手話を紡ぐ。『SOSのメッセージ?』『……私じゃない。私のスマホはずっと鞄の中だし、誰かにメッセージを送る隙なんて、一度もなかった』私の手話を見た久子は、訝しげに眉をひそめた。「じゃあ、一体誰が……? きっとあの場にいた誰かね。詳しい場所を指定してきただけじゃなくて、あなたがターゲットにされてることも知っていたんだから。しかも、あなたのフリをして私に助けを求めてきたのよ」久子は少し呆れたようにため息をついた。「最初は誰かのイタズラかとも思ったんだけどね。あなた、普段からクラスでも大人しすぎて、何をされても言い返せないタイプじゃない? もし本当に苛められてるのに見過ごしちゃったら、後味が悪いなと思って。そうだ、その人の電話番号……」久子はスマホの画面を操作し、私に見せてきた。「この番号、見覚えある?」私はその画面を見て――ハッと息を呑んだ。……知っている。嫌というほど、見慣れた番号だったから。けれど私は、すぐに静かに首を横に振った。【誰か分からない。でも、深くは探らないでおこうと思う。下手に詮索して、助けてくれた人に迷惑をかけたくないから】【今日は本当に、助けてくれてありがとう】私は手帳を破り、ペンでそう書き記して彼女に見せた。私一人にするのは危ないからと、久子は教室に荷物を取りに戻るまで付き添ってくれた。私が鞄に荷物を詰め終わるのを静かに待ち、彼女は私の腕を軽く引いた。「ねぇ。もし先生に報告したいなら、私も一緒に職員室に行ってあげるわよ」私は首を振り、再びノートの切れ端にペンを走らせる。【夕奈のお父さんは、
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第8話
樹は教卓に寄りかかり、苛立たしげに深いため息を吐き出していた。まるで自分はこの件に一切関係がない、興味すらないといった冷めた傍観者を気取っている。――でも、私は知っている。先日、委員長の久子が私に見せてくれた、あの日SOSを送ってきた見知らぬ電話番号。あれは間違いなく、樹の番号だった。これまで百回以上、彼に暗唱させられた番号。チラッと見ただけで、一瞬で識別できるほどに私の脳裏に焼き付いている番号。まだ私たちが幼かった頃。彼は私の三つ編みを引っ張りながら、この番号を絶対に覚えろと強要してきた。逆からでもスラスラ言えるようになるまで、何度も何度もテストされたのだ。「もし何か危ない目に遭ったら、手段を選ばず絶対にこの番号にかけろ」……そうやって、口酸っぱく言い聞かせてきたくせに。あの時、自分で助ける勇気もなくて、こっそり委員長に助けを求めた卑怯者。私は過去の甘い記憶を切り捨て、冷ややかに視線を戻した。目の前では、夕奈が自分のスマホをこれ見よがしに振りかざして喚いている。「この前は委員長のおかげで運良く逃げられたみたいだけど。あんた、忘れてないわよね?私の手元には、あんたが這いつくばってる最高の動画が残ってるってこと」夕奈の勝ち誇ったような言葉を聞いて、私は逆に、久子から送られてきた『あの動画』の存在を思い出していた。私には、あのいじめ動画という決定的な『保険』がある。もし彼女が私の動画をばら撒くなら、私も道連れにしてやるだけだ。そう思えば、もう何も怖くなかった。明日にはもう、私はこの学校を去る。これが彼らと会う最後の日だ。なら――最後くらい、少し遊んであげてもいいかもしれない。大人しい羊が、永遠に牙を剥かないなんて誰が決めたの?そんな私の冷ややかな決意など露知らず、夕奈は自分のスマホをチラつかせたまま、不敵な笑みを浮かべて要求を突きつけてきた。「そんなに怯えないでよ。あんたにやらせたいのは、すごく簡単なことだから。ただ……私たちがここで『大人の時間』を過ごす間、ドアの外で見張り番をしてほしいだけ」夕奈はニヤニヤと笑いながら、私をドアの外へと押し出した。そして、耳元で毒を吐くように囁いた。「絶対に逃げちゃダメよ? もし途中でいなくなったりしたら、あの動画をあんたの
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第9話
窓の外で吹き荒れる雪の音を聞くたび、胸が張り裂けそうになる。こんな猛吹雪の中、冷たい廊下に立たされている言葉は、今頃凍えるような寒さに震えているのではないか。こんな『森永家の御曹司』という重苦しい肩書きなど、今すぐ投げ捨ててしまいたい。しかし、俺は森永家の人間だ。生まれてからずっと、一族の莫大な恩恵を受けて生きてきた。会社が倒産の危機に瀕している今、自分だけ逃げ出して見捨てることなんてできるはずがない。それに――もし森永家が没落すれば、言葉の治療費はどうなる?昔のあいつはあんなにおしゃべりで、銀の鈴を転がすような、透き通った愛らしい声で笑っていたのに。俺は何としてでも、あいつに声を取り戻させ、もう一度笑顔で生きていけるようにしてやらなければならないのだ。夕奈が再び、俺の膝の上にねっとりとまたがってきた。吐き気がするほど不快だった。だが、あと少しの辛抱だ、と必死に自分に言い聞かせる。明日になれば、須賀家からの莫大な融資がうちの口座に振り込まれる。会社の資金繰りさえなんとかなれば、その瞬間にこんな女とは縁を切り、堂々とあの扉を開けて、愛する言葉を抱きしめることができるのだ。俺はギュッと強く目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、言葉の顔だけ。ふと、俺の中にひどく歪んだ、ある思考が芽生えた。――どうせこの地獄のような苦痛を耐え抜かなければならないのなら、せめて自分にとって一番『幸せな錯覚』に縋ればいい。俺は頑なに目を開けることなく、今自分の上に乗っている女を、朝から晩まで恋い焦がれている『あいつ』なのだと思い込むことにした。「……言葉」心の中でそう甘く呼びかけながら、感覚だけを頼りに、自ら夕奈の唇を塞ぐ。それを皮切りに、俺の中で抑え込んでいた何かが弾け飛び、理性が狂ったように焼き切れていくのを感じていた…………夕奈の要求通りに、私が大人しく外で見張り番をするなどと本気で思っていたのだろうか?そんなわけがない。中で二人が盛り上がり始めた隙を突き、私は足音を殺してその場を離れた。そして――生活指導の主任を連れて、堂々と戻ってきたのだ。主任が勢いよく空き教室のドアを蹴り開けた時、外はすでに完全に暗くなっていた。薄暗い室内には、窓から差し込むわずかな月明かりしかない。突然の侵入者
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第10話
『お前への約束、一度だって忘れたことないから!』『なぁ、どこにいるんだ? 頼む、会いたい』私は無表情のまま、スマートフォンの画面をタップした。彼からの言い訳がましい音声メッセージを一つ、また一つと削除していく。それに伴って、私の心の中にこびりついていた彼への感情も、跡形もなく消え去っていった。すべてを消去し、着信拒否の設定を終えた私は、未練など微塵もなく帰郷する特急列車に乗り込んだ。彼にどんな『やむを得ない事情』があったとしても。だからといって、私が彼から受けた仕打ちを、無条件で受け入れて許さなければならないとでも言うのだろうか?そんなの、あまりにも不公平だ。……実家に戻り、父と母と一緒に新しい生活が始まった。それは、今までとは全く違う日々だった。他人の顔色を常に窺うこともなく、ご機嫌取りのために神経をすり減らす必要もない。生まれて初めて、『自由』という言葉の本当の温かさを肌で感じていた。転校先のクラスメイトたちもみんな優しくて、私がまだ少しつっかえながら話すことを馬鹿にする人なんて一人もいなかった。誰もがごく普通に接してくれて、困ったときは自然に助け合える。私はここで、高校生活の中で最も穏やかで、満たされた半年間を過ごすことができたのだ。心が軽くなったおかげか、私の声も目に見えて良くなっていった。お医者様からも、「このままリハビリを続ければ、完全に元の話し方に戻れるよ」と太鼓判を押されている。すべてが、驚くほど良い方向へ進んでいた。――大学の合格発表も終わり、春からの進学先が確定したある日のこと。家の前に、長旅のせいか酷くやつれ、ボロボロになった樹の姿があった。聞くところによると、私が転校してからというもの、彼は必死で私の行方を探し回っていたらしい。ついには食事を絶ってハンストを起こし、母親である雅恵奥様から私の居場所を聞き出そうとまでしたそうだ。雅恵奥様からすれば、やっとの思いで私という『厄介者』を追い出したのだ。すぐに連れ戻させるはずがない。だが、受験が終わっても一向に私を諦めようとしない息子の執念に根負けし、とうとう私の実家の住所を教えたらしい。――もっとも、彼がここへやって来る前日の夜。私のスマホには、雅恵奥様から一本の電話がかかってきていたのだけれ
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