彼の舌打ちが聞こえる。腕が解かれる。体温が離れる。息も出来ない抱擁は、痛みの余韻を残して終わる。
勇人は恐怖を味わったからか、緊張が解けたせいか、膝ががくがくと笑うのを止められない。立っていられなくて、床に膝をついた。 「おい、どこか痛いのか?!」 「いえ、どこも……貴方が守ってくれたじゃないですか……だから……貴方こそ、怪我したんじゃないんですか……」 「……頭は打たずに済んだ。背中は単なる打ち身で済むだろ、骨に異常は感じない」 「……そうですか……ありがとうございます……」 ──良かった、出逢って早々に永劫の別れとかじゃなくて良かった、けど。……痛い思いさせた。僕が子どもだから、守らなきゃいけなくて。本当に怖いのは、この人の本性がどうとかじゃない、自分の弱さだ。我が身を守る力もなかった。 「……ごめんなさい……」 「……謝んな、ガキが。俺は当然の事しかしてねえ」 「……ありがとうございます……」 「それはもう聞いた。繰り返すな。分かったか?」 「はい……」 「よし、なら場所を変えて改めて説明しろ。ここはまだ危ないからな。……あー……久しぶりに言葉が荒くなった、怖かったろ。怯えさせようって気はなかったが、つい感情的になって悪かった」 「いえ、守ってもらったので……」 ありがとうございますと言いそうになり、唇を噛む。──繰り返したらいけない。 ──もしかすると運命の人だからとか、まだ子どもだからとかで、守られるだけなんて、繰り返したらいけないんだよ。 「……場所、出来れば他の人に聞かれない所がいいです」 「分かった。建物の壁にヒビも入ってないんだ、多分道路は大丈夫だろうし、車を呼ぶから休んでな」 「……はい」 彼がスマホを出して手短に話し、「じゃあ外に出るぞ」と勇人に声をかける。 「分かりました」 言葉に従ってついて行くと、建物から出た時には既に高級そうな車が控えていた。 車体が大きいし長い。しかもお決まりの黒だ。 「どうした?早く乗れ」 「あ、……はい」 彼が先に後部座席の奥に座り、勇人にも乗るように言ってくる。 恐る恐る乗り込むと、明らかに普通の車ではない。シートの柔らかい高級感だけでなく、車内で飲み物を飲めるように小型の冷蔵庫まで備わっている。 ──この車、一台で田舎の家族向け中古マンション買えそうな感じだな……。 勇人はそう予測したが、実際にはもっと高い。 車内を遠慮がちに見回していると、彼は運転手に「いつもの店へ」と命じた。 「はい、かしこまりました」 緩やかに走り始める車は、振動など感じさせない。 「──何か飲むか?クーラーは酒がほとんどだが、レモネードくらいならある」 「え、でも……」 「いいから、俺に付き合え」 遠慮すると、強引そうでいてスマートに決められた。冷えたグラスにレモネードがそそがれて手渡される。彼は手慣れた様子でウイスキーのロックを用意した。 「じゃあ、お言葉に甘えて頂きます」 「ああ、蜂蜜が使われてるから疲労回復にも良いだろ」 「そうなんですね。……美味しいです」 レモンの爽やかな酸味に、まろやかな蜂蜜の甘さが控えめに効いている。空腹の胃に沁みて、勇人は小さく息をついた。 それから、車内は静寂に包まれていて会話もなく目的地まで走り続けた。 時間にして二十分くらいだろうか?閑静な所に着いて、車から降りて店に入ると、どうやらイタリアンレストランらしかった。 「いらっしゃいませ、二名様で承っております」 「フルコースを二人分。──おい、メインは肉と魚から選べ」 急に言われても、こういうレストランなんて勇人には経験がない。まごついていると、どうやら察したようだ。 「選べないなら、俺が肉でお前が魚にしておけ。シェアすればいいだろ」 「──では、個室にご案内致します」 「ああ、頼む」 ──他の人に聞かれない場所を頼んだのは僕だけど、だからってレストランの個室?フルコースとか訳が分からない。 個室の席についても、どうにも落ち着かない。すると、彼は何でもないように気遣いを見せた。 「どうせ狸爺の所で仕事してたなら、夕飯もまだだろ。時間も時間だし、ここで食ってから帰れ」 「……良いんですか?」 「悪ければ連れて来ない。成長期の子どもが食事を抜いて働くなんて、そんなもの見たら気分が良くない。遠慮するなよ」 「あの、ではありがたくご馳走になります」 応えると、微かに目つきが満足そうになったのが見えた。 前菜から、タイミングを見計らって料理が運ばれてくる。パスタもメインもガーリックとオリーブオイルが使われているのが分かるが、それだけではない複雑で美味しい味つけになっている。 「美味しいです」 「なら、良い。デザートも食えるだろ?」 「はい、大丈夫です」 「──話はしっかり食ってからだ。良いな?」 「あ……はい」 「食後の飲み物は……この時間にコーヒーはまずいか。ノンアルコールのカクテルかカフェインレスのものを出させる」 ──あれ、この人何かと気遣いが上手いような。これなら女性の人にももてるのも納得いく。 そもそも地震の時に、迷いなく勇人を庇ったような人だ。 勇人もはじめのうちこそ慣れない環境の食事に緊張していたが、デザートが済んで温かいお茶が出される頃には、だいぶリラックス出来るようになっていた。 ──でも、これから問題の説明しないといけないんだよな。 当然ながら不安もある。しかし優しくされてきて、気持ちは穏やかになっていた。 「──さて、本題に入るか」 「はい。──金色に見えた事ですが、これは母から聞いていた事で……」 「思考や感情で色が変わるんだよな?ああいう場所じゃ、どうせろくな色の魂もなかっただろ」 「慣れていますから……」 「こんな年齢の奴が諦念してるなんて、世の中にむかつく」 「いえ、大丈夫ですから。──それで、母が経験した金色の魂が見えた事についてですが……父の魂が金色に輝いていたそうです」 「お前の父親は、そんな崇高な人物なのか?」 「優しいですが、普通の人間です。……それで、父が初めて母と触れ合った時に、異能のない父でも母が金色に輝いて見えたと聞きました」 「──そこに何の意味があるんだ?」 話が核心に迫って、勇人は息を呑んだ。まだ言いにくいが、ここで言うしかない。 「運命の人──魂が見い出す運命の人こそが、魂を金色に見せるそうです」 「……運命の人?」 「……はい」 ──ついに打ち明けてしまった。ここからは後戻り出来ない。 彼は少し考え込む様子を見せてから、ウイスキーを口に含んで問いかけてきた。 「──俺もお前も男なのは分かってるよな?」 「……はい。だから、僕は自分の目を疑いました」 「……俺も別の意味で自分の目を疑ったが。金色に見えたのは確かだった。あれは錯覚だったなんて言えない」 そう言って、グラスに残るウイスキーを飲み干す。 「運命の人──まるでおとぎ話だ。金色に見えたのには、他の意味はないんだな?」 真っ直ぐに見つめられて、緊張がぶり返すものの、彼は見えたものも勇人の説明も全否定しなかった。 だからこそ、ここで思い切って提案する。 「運命の人、と母は確かに言いました。──だけど簡単に信じてもらえない事も分かっています。目で見たものがまだ信じられないなら、……あの、出来たら友達から始めて欲しいんです。僕たちはお互いを知らなすぎるから」 「友達か──そんな子どもじみた提案なんて小学生の頃以来だ」 「駄目……でしょうか?」 「……いや、おかしくは思うが……あの金色に見えたものの正体は何だろうと考えれば、それも面白いかもしれない。──良いだろう、友達から初めてやる」 「──ありがとうございます!」 勇人は思わず繰り返してしまったが、これは全く意味合いが異なる。それは彼も理解してくれているのが面持ちから分かる。 「スマホ持ってきてるよな?連絡先を交換しておこう」 「──はい!お願いします」 「じゃあ、今後は奇妙だが友達だ。お前、俺を貴方とか言うのも変えろよ」 「え……そしたら、機織さん?」 「群がる女ならまだしも、友達から家の名前で呼ばれるのは面白くない。──優和だ」 呼び方が一足飛びだ。ずっと歳上の大人に気安く呼んで良いものか躊躇う。 だが、彼はここで譲歩はしないだろうと、少し話し合っただけの関係でも分かってしまう。 「そうしたら……優和さん?」 「まあ、及第点だな。お前の事はあいにく名前も知らん。どう呼べばいい?」 「あの、では……勇人と呼び捨てにして下さい」 「分かった。──勇人、時間も遅いから親御さんが心配する。そろそろ店を出て、家まで送る」 「はい、お世話になります」 「……まあ、人の厚意を素直に受け取れるのは悪くない。おそらくお前を育てた親が良かったんだろう」 「そう言ってもらえると嬉しいです」 そしてレストランを出て、例の黒塗りの車に乗り込んだ。再びレモネードを渡される。彼──優和は呑み足りないのか、ウイスキーをグラスにそそいだ。 「ほら、──友達の記念に乾杯だ」 「え?──あ、はい!」 最初の頃と態度も印象も違う。優和の気持ちが単なる興味でも、心が軽い。 「まだ疑問は残るが、つまらないパーティーで女に囲まれるよりは、お前の方が楽しませてくれそうだからな。誰かに興味を持てたのも久々だから、せいぜい仲良くしてくれよ?」 「……ええと、努力します」 かちん、と軽くグラスを合わせる。優和は機嫌も良さそうにウイスキーをあおった。 帰りは行きと打って変わって──緊張はしていても、胃がきりきりするような固くてひりついた感じはしなかった。しかし、その考えは優和も予想していたらしい。「安心しろ、俺は少年趣味なんてないし、第一、未成年に手を出す程飢えてない」「そう、ですか……」 ──そこは安心、したけど……つまりは恋愛対象として全く見られてないって事でもあるわけで……。 勇人自身も今はまだ優和に対して明確な感情は芽生えていないが、歯芽にもかけられていないのは、何となく遣る瀬なくなる。 しかし、それを置いても二人で一つのベッドで眠るのは、急速に距離を縮めすぎにも思う。「──あの、緊張して寝つけなくなるかとも思うんですけど……」「慣れろ。美人は三日で飽きるとも言うだろ。見慣れれば大した事はない」 優和はさらっと言うが、そんなに簡単な話ではない。「同じ寝室はともかく、せめて僕には別に布団を敷いて……」「寝室が手狭になるから断る」「や、この部屋十分広いじゃないですか……」「俺はこの広さが当たり前になってるから、布団なんて敷いたらむさ苦しくてかなわん」 ──駄目だ。説得しようにも優和さんが頑固すぎる。僕には慣れろって言うくせに、こっちの意見に対しては譲る気配が皆無だ。 もはや諦めるしかないのか。肩を落とす勇人に、優和が話題を変えてきた。「──それで?相変わらず俺の事が金色に見えてるのか?」 魂の色を言っているのだろう。「はい、うるさいくらい金色です。遮光カーテンで簀巻きにしても透けて見えそうです」「簀巻きってお前……」 どうやら、意図せずして意趣返しになったらしい。 だが、そこで溜飲を下げた勇人に、優和は黙ってやられてはいなかった。「まあいい。お前、金色がうるさくても寝ろよ?これから毎晩同じベッドで寝るんだからな」「う……」 ──さすがはドSスパダリ、僕より遥かにうわてだ。 ドSが復活した。「一応聞くが、寝つけば魂の色も見えなくなるよな?」「それは意識がない状態なので、視力も働きませんし……」「ならいい。──お前が眠った頃に俺も寝る」 突然の譲歩だ。ありがたい話かもしれないが、それはそれで心配になる。「そしたら、優和さんが寝不足になりませんか?」「どうせ晩酌してから寝るのがルーティンだ。それに俺の睡眠時間は基本的に短いんだよ」 ショートスリーパーというものだろうか?「健康寿命が短くなりませんか?」「まだ二十代半ばに向かって言うことじゃないぞ」
* * * 引っ越しの準備は進んで、勇人が優和の家に行く日が来た。 この日は幸い優和の仕事が休みで、荷物は引っ越し業者が運ぶが勇人の事は優和が車で連れて行ってくれるという。 それにしても、勇人には一流企業の御曹司が住まう家というのが想像もつかない。 ──ご両親と同居してるとしたら、まず挨拶して、それから……。 慌ただしい中だが、心も忙しない。 ──家を出る日は、もっとずっと先の話だと思ってた。いつか異能者として一人前になって、大人になって誰かと出逢って結婚して……そんな未来の話で。 そう考えているうちにも、引っ越し業者がてきぱきと荷物をトラックに積んでゆく。 優和が迎えに訪れたのは、それが一段落ついたところだった。「優和さん、おはようございます」「おはよう、本当はもっと早めに来たかったんだが、朝イチで目を通さないといけない書類を渡された。待たせたろ」「いえ、心の準備をする時間が持てました」「……かなり緊張してるな」「それは、よそのお宅で暮らす事になりますし……僕は優和さんの家族構成も知らないですから」「なるほど。そう言えば話してなかったな。──家族構成については、俺の家族と無理に親しくなろうとしなくていい。マンションで一人暮らししてる身だしな」 ──え?て事は優和さんと二人きりで生活する? 余計に緊張してきた。 その勇人の狼狽を見て取った優和が、からかいがちに笑う。「良かったな、邪魔者なしで二人の絆を深められるぞ?運命かどうかも、その分早くに分かるだろ」「え、その……絆って……」「おい、初対面の時と態度が違いすぎるぞ。あんなに必死に縋りついてきたくせに」「それは、必死でしたけど!今と状況が違うと言うか、あの」 ──この人実はドSスパダリとかなんじゃ……。 思わず疑惑を抱いてしまう。優和は余裕の笑みだ。「──さて、ひとしきり遊んだ事だし行くか。お前の父親にも挨拶しておきたかったが、仕事で出てるんだろ?」「あ、はい。よろしくお伝えして欲しいと言ってました」「分かった。──ほら、乗れよ」「はい」 言われた通り助手席に座り、シートベルトを着ける。優和はそれを確認してから走り出した。 下手なフレグランスで車内を誤魔化さないし、加速は緩やかで、スピードもそんなに出さない運転は乗っていて勇人の心に落ち着きをもたらす。
* * * 寿司屋の個室と言えば、和室に座布団に正座だとばかり思っていたが、予想に反してテーブルと椅子のある洋室だった。 窓からは手入れされた庭木が美しく見える。 店にメニュー表はなく、どうやら当日の仕入れに合わせて職人が握るらしい。 ──この人、外食では毎回昨日や今日みたいなお店で食べてるのかな。エンゲル係数が庶民の僕には見当もつかない。「──おい、苦手な魚はあるか?」 控えめに個室の様子を見ていると、不意に訊かれた。「いえ、魚は何でも好きです」 ──こういうお店で出される魚は、回転寿司で注文する魚とは全然違うんだろうけど。多分美味しいだろうし……問題は緊張で味が分からないかもしれない事だよ。「好き嫌いがないのは良い事だ。──そんなガチガチに固まるな、美味いものは美味いって楽しまないと、店も出し甲斐がないしお前も面白くないだろ。デートなんだから楽しめ」「……デート……って……」「運命の二人が個室で食事するのを、デートだと思ってなかったか?」「いえ、あの、……素敵なお店で嬉しいです。その、デート……とか初めてですし」 思わず顔を赤らめながら言うと、優和が直球を投げてきた。「ん?もしかしてお前、初恋もまだなのか?」「……はい……」 こんな異能を持って生まれれば、魂の色を見て躊躇する。しかも親からは金色の魂について聞かされていたのだ。勇人なりに思うことも憧れもあったのだから、気楽に誰かを好きにもなれない。 優和もそれを察したらしい。「……まあ、せっかくの思春期に、仕事のせいでろくな魂も見られてなかっただろうしな。学校でも魂の色がちらついてたろ」「そうなんです、仕事は母から引き継いだものなので、やっぱり大切なんですけど」 ──不思議だ。踏み込んだ事言われてるのに、答えにくいと思わない。優和さんに対してネガティブな感情も湧いてこないし。 それはきっと、優和が遠慮なしに言っていても、心には思いやりがあるからだと感じる。 ──優和さんが大人で視野が広いから?いや、大人でも視野が狭くて身勝手な人は嫌って程見てきた。 考えていると、綺麗な寿司が運ばれてきた。まるで海の宝石みたいに艶々していて、どれも美味しそうだ。「すごい、こんな綺麗なお寿司初めて見ました」 思わず感嘆すると、優和の表情が満足そうにやわらいだ。「よし、そういう素
* * * 優和からスマホにメッセージが届いたのは、翌日の昼休みだった。 内容は至って簡潔で「お前、部活動はしてるか?」の一言のみ。脈絡も何もあったものではない。 取り急ぎ勇人が「仕事があるので部活には入ってません」と返事を返すと、すぐに「なら、放課後迎えに行くから校門で待ってろ」と来た。 今日は幸いと言うべきか、放課後に仕事は入っていない。しかし優和は一流企業の跡取りなのだから仕事が忙しいはずだ。 ──大丈夫なのかな。 友達から始めようと約束はした。だけど、高校生と社会人の生活は全く違う。優和のような立場の人ならば、尚さらだ。 ──友達からって、お互いの休日に会うものだと思ってたけど。 優和が積極的に自分を知ろうとしてくれているのだとしたら、それは嬉しいものの、そこに無理をされるのは本意ではない。 ──「お仕事は大丈夫ですか?」 そう送ると、即レスで「二人で会うとしたら、仕事の都合で今週は今日しかない」と返された。 ──やっぱり忙しいんだ。 普通では考えられないような事を言ったのは勇人本人なだけに、にもかかわらず、それと向き合おうとしてくれる優和に対しては嬉しいとも思う。 その反面、負担をかける事は申し訳ない。 それに、レストランへ連れて行ってもらった時の車──あの車で学校に来られたら悪目立ち不可避だ。 ──「お会いするなら、休日では駄目なんですか?」 とりあえずそう送ってみる。 すると、「土日は朝から接待で時間が取れない。悪いが休憩時間が終わるから、とにかく放課後待ってろ。あと、お前の親御さんにも挨拶しておきたいから、その旨伝えておいてくれ」と返事を寄越されてしまい、そうなるともう抵抗も出来なくなった。 ──あの黒塗りの車じゃありませんように。 もう、そう祈るしかない。 おかげで、午後の授業は集中するどころではなく、気持ちが落ち着かなかった。 会ってもらえるのは嬉しいような、学校で騒ぎになるのは避けたいような、だけど優和は「運命の人」に関心を持ってくれたんだと実感出来て、やはり嬉しくもあり──なのに、二人きりで会うのは緊張して心臓がきゅっとする。 我ながら不可思議な感覚だ。 優和の魂が金色だったから意識してしまうのだろうか。 ──「運命の人」って、こんなに心を掻き乱すものなのかな。 穏やかに仲睦まじく寄り添っ
「──送って下さってありがとうございました」「ああ、今夜はもう風呂に入って寝ろよ。本来なら親御さんに息子の帰りを遅くした事も詫びたいし挨拶くらいはするべきだろうが、時間が遅いからな。相手がパジャマとかに着替えてたら却って気まずいし気を遣わせるから、謝罪と挨拶は後日改めてする」「はい」 仕事の疲労感と、優和と話した緊張から解放された勇人は、空腹が満たされた事もあり、──金色の魂との出逢いさえなければ、ベッドですぐに寝つけただろう。 心が昂揚している。ゆっくり湯船に浸かって落ち着かせなければ、とても寝つけそうにない。「──ただいま。父さん、まだ起きてたの?」 リビングに行くと、ソファに座って読書をしている父親がこちらに顔を向けた。「勇人が未成年なのに仕事をしていて、お父さんが先に寝るわけがないだろ?お疲れ様」「うん、ありがとう」「それにしても帰りが遅かったけど、何かあったのか?」「うん、……ちょっとしたハプニングが起きて。でも、五体満足だよ」「地震があったけど怪我もないみたいで安心したよ」「それは、会場で会った人が庇ってくれたから……」 あの抱擁を思い出すと、今さらになって頬に熱が集まってくる。 それを気取られまいと、勇人は「ホットミルクでも作ろうかな」と、キッチンに向かった。 ──勘違いしたらいけない。優和さんが受けとめてくれたのは、今夜の出来事への、僕の話への、疑問と興味からだ。 ミルクパンに牛乳をそそいで、コンロに乗せる。見つめていると、やがて熱を帯びてくつくつと音が聞こえてくる。「勇人、風呂は追い炊きしておいたから、それを飲んだら入りなさい」「うん、分かった」 日常を装って返事をしながらも、怒涛の一夜が脳裡を駆け巡っている。 ──優和さん、か。友達なんて、相手は大人の人なのに、上手くいくのかな。もしかして、運命の人だなんて言ったから、いつか恋愛的な関係とか求められたら……。 そう思うと、煩悶や不安も生まれる。 ──僕、初恋さえ知らないんだけど。それがいきなり運命の人と。いや、考えたじゃないか。運命の人が結婚や恋愛には捕らわれない存在かもって。 出来上がったホットミルクをマグカップに移す。和三盆糖を加えて、良くかき混ぜてからそっと口に運ぶ。コクのあるまろやかな甘さと味わいに息をついた。 ──とにかく、明日も平日で学
彼の舌打ちが聞こえる。腕が解かれる。体温が離れる。息も出来ない抱擁は、痛みの余韻を残して終わる。 勇人は恐怖を味わったからか、緊張が解けたせいか、膝ががくがくと笑うのを止められない。立っていられなくて、床に膝をついた。「おい、どこか痛いのか?!」「いえ、どこも……貴方が守ってくれたじゃないですか……だから……貴方こそ、怪我したんじゃないんですか……」「……頭は打たずに済んだ。背中は単なる打ち身で済むだろ、骨に異常は感じない」「……そうですか……ありがとうございます……」 ──良かった、出逢って早々に永劫の別れとかじゃなくて良かった、けど。……痛い思いさせた。僕が子どもだから、守らなきゃいけなくて。本当に怖いのは、この人の本性がどうとかじゃない、自分の弱さだ。我が身を守る力もなかった。「……ごめんなさい……」「……謝んな、ガキが。俺は当然の事しかしてねえ」「……ありがとうございます……」「それはもう聞いた。繰り返すな。分かったか?」「はい……」「よし、なら場所を変えて改めて説明しろ。ここはまだ危ないからな。……あー……久しぶりに言葉が荒くなった、怖かったろ。怯えさせようって気はなかったが、つい感情的になって悪かった」「いえ、守ってもらったので……」 ありがとうございますと言いそうになり、唇を噛む。──繰り返したらいけない。 ──もしかすると運命の人だからとか、まだ子どもだからとかで、守られるだけなんて、繰り返したらいけないんだよ。「……場所、出来れば他の人に聞かれない所がいいです」「分かった。建物の壁にヒビも入ってないんだ、多分道路は大丈夫だろうし、車を呼ぶから休んでな」「……はい」 彼がスマホを出して手短に話し、「じゃあ外に出るぞ」と勇人に声をかける。「分かりました」 言葉に従ってついて行くと、建物から出た時には既に高級そうな車が控えていた。 車体が大きいし長い。しかもお決まりの黒だ。「どうした?早く乗れ」「あ、……はい」 彼が先に後部座席の奥に座り、勇人にも乗るように言ってくる。 恐る恐る乗り込むと、明らかに普通の車ではない。シートの柔らかい高級感だけでなく、車内で飲み物を飲めるように小型の冷蔵庫まで備わっている。 ──この車、一台で田舎の家族向け中古マンション買えそうな感じだな……。 勇人はそう予測した