姉を奪われた俺は、快楽と復讐を同時に味わった~復讐か、共依存か…堕ちた先で見つけたもの

姉を奪われた俺は、快楽と復讐を同時に味わった~復讐か、共依存か…堕ちた先で見つけたもの

last updateLast Updated : 2025-08-18
By:  中岡 始Updated just now
Language: Japanese
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姉は死んだ。 上司の女に追い詰められ、パワハラによって自ら命を絶った。 佐山悠人はその日から、復讐だけを目的に生きてきた。 加害者である女と、その夫。 ふたりの心と身体を壊すため、佐山は綿密な計画を立てた。 女には年下の部下として接近し、男には禁忌の扉を開かせる。 「抱かれているのは、どちらだ?」 「支配しているつもりが、支配されている」 復讐と快楽は、いつも隣り合っている。 壊しているはずが、壊されていく。 ふたりを堕とすたび、佐山の心も少しずつ蝕まれていく。 これは愛じゃない。赦しでもない。 背徳と快楽、復讐と依存が交錯する、濃密な心理官能ドラマ。 あなたはどこまで堕ちる覚悟がありますか?

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Chapter 1

またね、の最後

部屋の時計が午後十一時を告げると、佐山悠人は箸を置いた。

テーブルの上には、開きかけたコンビニ弁当が中途半端に残っている。白米が少し、から揚げが二つ、ぬるくなったポテトサラダが端に寄っていた。

口の中には、まだ油の味が残っているのに、もう何も食べたくなかった。

仕事帰り、無意識に寄ったコンビニで手に取った弁当だったが、いま思えば別に腹が減っていたわけでもなかった。食べることも、眠ることも、どこか惰性でやっている。

手元のスマホが、ふと光った。画面にはSNSの通知が並んでいる。佐山はそれを無視して、LINEを開いた。

履歴をスクロールすると、数日前の姉・梓からのメッセージが目に入った。

「仕事、大丈夫?無理しないでね」

その下に、もう一つ。

「またね」

たったそれだけだった。

でも、その「またね」が、妙に胸に引っかかる。

「またね」と言われると、普通は「また近いうちに会おう」という意味だと受け取る。

けれど、あのときの梓の「またね」には、どこか終わりの予感があった。

わかるはずがないのに、そんな気がした。

佐山はスマホの画面を消し、天井を見上げた。

雨は、もう止んでいた。

窓の外では、街灯の光が濡れたアスファルトに滲んでいる。

雨上がりの湿った匂いが、窓の隙間から微かに流れ込んできた。

「またね、か」

小さく呟く。

梓の言葉が、頭の奥で反響していた。

思い返せば、最近、姉の声をちゃんと聞いていなかった。

電話ではなく、LINEばかりだった。

顔を見たのも、もう一ヶ月前だ。

「忙しいから」と自分から会うのを先延ばしにしていた。

あの日、梓は少し疲れた顔をしていた。

でも、いつものように笑って、「悠人は元気そうだね」と言った。

食事の途中で、佐山の皿にサラダを移しながら、「ちゃんと野菜も食べなさいよ」と笑っていた。

その顔が、今もはっきり思い出せる。

けれど、それはもう「過去」になってしまったのかもしれない。

「またね」と言われたのに、次があるとは限らない。

佐山はソファに身体を沈めた。

背中が沈み込む感触が、やけに冷たく感じた。

目を閉じると、姉の声が耳の奥で揺れる。

「悠人、ちゃんと食べてる?」

「無理しすぎないでよ」

「またね」

その「またね」が、心に張り付いて離れなかった。

不安が喉の奥を締めつけるように広がる。

けれど、佐山はその感覚を、ゆっくりと呼吸することで押し殺した。

「今度、飯でも行こう」

ぽつりと呟いた。

自分に言い聞かせるように、未来の約束をすることで安心したかった。

次に会えば、もっとちゃんと話そう。

最近どうなのか、仕事はどうか、身体は大丈夫か。

そんなこと、もっと早く聞いておけばよかったのに、いつも後回しだった。

佐山はスマホを握りしめた。

通知をすべて消して、画面を伏せた。

それでも、心のどこかで、またすぐに姉から連絡が来るような気がしていた。

いつもの「悠人、元気?」というスタンプ。

いつもの「またね」の文字。

そんなやりとりが、これからもずっと続くと思っていた。

当然のように。

何の根拠もなく。

部屋の中は、静かだった。

雨が上がったあとの夜は、やけに冷える。

外の車の音も、人の声も遠く、時計の秒針だけが、コツコツとリズムを刻んでいた。

佐山は目を閉じ、深く息を吸った。

肺の奥まで、冷たい空気が入り込む。

それが少しだけ、心を落ち着かせる気がした。

「今度、ちゃんと会おう」

もう一度、口の中で呟いた。

ただ、それが「最後になるかもしれない」ということだけは、

まだ考えたくなかった。

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またね、の最後
部屋の時計が午後十一時を告げると、佐山悠人は箸を置いた。テーブルの上には、開きかけたコンビニ弁当が中途半端に残っている。白米が少し、から揚げが二つ、ぬるくなったポテトサラダが端に寄っていた。口の中には、まだ油の味が残っているのに、もう何も食べたくなかった。仕事帰り、無意識に寄ったコンビニで手に取った弁当だったが、いま思えば別に腹が減っていたわけでもなかった。食べることも、眠ることも、どこか惰性でやっている。手元のスマホが、ふと光った。画面にはSNSの通知が並んでいる。佐山はそれを無視して、LINEを開いた。履歴をスクロールすると、数日前の姉・梓からのメッセージが目に入った。「仕事、大丈夫?無理しないでね」その下に、もう一つ。「またね」たったそれだけだった。でも、その「またね」が、妙に胸に引っかかる。「またね」と言われると、普通は「また近いうちに会おう」という意味だと受け取る。けれど、あのときの梓の「またね」には、どこか終わりの予感があった。わかるはずがないのに、そんな気がした。佐山はスマホの画面を消し、天井を見上げた。雨は、もう止んでいた。窓の外では、街灯の光が濡れたアスファルトに滲んでいる。雨上がりの湿った匂いが、窓の隙間から微かに流れ込んできた。「またね、か」小さく呟く。梓の言葉が、頭の奥で反響していた。思い返せば、最近、姉の声をちゃんと聞いていなかった。電話ではなく、LINEばかりだった。顔を見たのも、もう一ヶ月前だ。「忙しいから」と自分から会うのを先延ばしにしていた。あの日、梓は少し疲れた顔をしていた。でも、いつものように笑って、「悠人は元気そうだね」と言った。食事の途中で、佐山の皿にサラダを移しながら、「ちゃんと野菜も食べなさいよ」と笑っていた。その顔が、今もはっきり思い出せる。けれど、それはもう「過去」になってしまったのかもしれない。「またね」と言
last updateLast Updated : 2025-08-01
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深夜の着信
スマホが震えた。枕元のテーブルに置きっぱなしにしていた携帯が、静かに、けれど確かに鳴っている。時計を見ると、もう午前零時を過ぎていた。深夜の着信は、それだけで心臓に小さな鈍い痛みをもたらす。佐山は、画面を覗いた。「母親」の文字が浮かんでいた。母から電話が来るなんて、滅多にない。普段はLINEで済むやりとりばかりだ。「元気?」とか「風邪引いてない?」とか、スタンプを添えて短く送られてくるだけで、それに「大丈夫だよ」と返せば、会話は終わる。電話は、何かが起きたときのものだ。悪い予感が、体の奥を冷たく這い上がってくる。指先が勝手に震えた。それでも佐山は、通話ボタンを押した。「もしもし」声がかすれている。自分でも、こんな声が出るのかと思うほどだった。電話の向こうからは、しばらくの間、息を呑むような気配しか聞こえなかった。空白の時間。次に何を言われるのか、分かりきっているのに、それを待つことしかできなかった。やがて、母親のかすれた声が漏れた。「悠人……」かすれた呼びかけだけで、心臓がぎゅっと縮む。「どうしたの」そう聞き返すと、母はさらに震えた声で続けた。「悠人……あ、あずさが……あずさが……死んだのよ……」一瞬、言葉の意味が理解できなかった。「は?」短い疑問の声が、口をついて出た。意味が分からなかった。分かるわけがなかった。「……あずさが、死んだのよ……」母は、絞り出すように繰り返した。涙声で、呼吸が乱れている。それでも、「死んだ」という言葉だけは、はっきりと聞こえた。佐山の頭の中が、真っ白になった。時間が
last updateLast Updated : 2025-08-01
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止まった時計
佐山は、シャワーも浴びずに玄関へと歩いた。足取りは重かった。それなのに、体は勝手に動いている。寒くもないのに、肩が小さく震えていた。服は、さっきまで着ていたままのスーツ。ネクタイも緩めたままだった。ワイシャツの襟が、少しだけ湿っているのは、きっと汗のせいだろう。だが、そんなことを気にする余裕もなかった。洗面所の前に立つと、鏡が曇っていないことに気づいた。曇るはずがない。シャワーを浴びていないのだから。鏡の中には、自分が映っていた。けれど、それは自分ではないように見えた。どこか遠くから、誰か他人の顔を見ているような気分だった。目の下にうっすらとクマがある。髪は少し乱れている。いつもの佐山悠人だ。でも、もう「いつもの自分」はどこにもいなかった。口元が、勝手に動いた。「……何してんだよ」自分に向かって言った言葉だった。だけど、その声も、どこか他人事だった。姉さんが死んだ。それは、もう変わらない事実だった。頭では理解しているはずなのに、心はまだ追いついていなかった。「飛び降りたんだってさ」もう一度、口の中で繰り返してみた。声に出せば、現実になると思った。でも、言葉にしても実感は湧かなかった。鏡の中の自分が、静かに瞬きをした。その動きすら、妙にぎこちなく感じた。時計が、コツコツと秒を刻んでいる。リビングの壁に掛けた安物の時計だ。二秒に一回、わずかに針が動く音が聞こえた。心は止まっているのに、時間だけは進んでいく。そんな感覚が、じわじわと胸の奥に広がっていく。「おかしいな」自分に向かって呟いた。「姉さんが死んだのに、なんで世界は普通に動いてるんだよ」口を動かすたび、喉の奥が締めつけられるようだった。唾を飲み
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姉と俺の距離
タクシーの後部座席で、佐山は額を窓ガラスに軽く押し付けた。深夜の街が、ぼんやりと流れていく。雨に濡れた路面が、ヘッドライトの光を反射していた。ワイパーの音が規則的に耳に届く。車内は妙に暖かくて、その温度が逆に息苦しかった。目を閉じれば、嫌でも思い出す。姉と過ごした時間。遠くなった記憶が、ゆっくりと浮かび上がる。両親が離婚したのは、佐山が中学二年のときだった。母と父の言い争いは日常で、もう慣れているはずだった。けれど、ある日突然、父が荷物をまとめて出て行った。母も泣きながら「もういい」とだけ言って、家から父の痕跡をすべて消した。離婚が正式に決まったとき、佐山は父親に引き取られた。姉は母親と一緒に残った。二人とも、泣かなかった。泣けば余計に惨めになると分かっていたからだ。それでも、姉の梓は別れ際に、そっと佐山の頭を撫でてくれた。高校生だった梓の手は、少し冷たかった。「悠人は大丈夫だよね。お父さんとちゃんとやっていけるよね」そう言われて、佐山は「うん」と頷いた。本当は不安でいっぱいだった。でも、姉の前で弱音を吐きたくなかった。それから、姉と自分は別々の家で暮らすようになった。物理的な距離はできたけれど、心の距離は離れなかった。毎晩のようにLINEをしていた。「今日は何してたの?」「ごはん食べた?」「ちゃんと宿題やってる?」姉はいつも気にかけてくれた。父親は仕事で忙しく、ほとんど家にいなかった。だから、佐山にとって梓は唯一の「家族」だった。本当の意味での家族。「姉さんは、俺の帰る場所だった」そう思っていた。何があっても、あの人がいれば大丈夫だと、勝手に思い込んでいた。たまに会うと、梓はいつも同じことを言った。「悠人は頭いいね」「ちゃんと食べてる?」その言葉に、どれだけ救
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遺体安置所
地下の冷たい空気が、皮膚の上を這うようだった。佐山は、母の後ろを歩きながら、地下への階段を降りていく。警察署の建物の中は、深夜だというのに無機質な蛍光灯の明かりが眩しかった。足音がコツコツと響くたび、胸の奥に鈍い痛みが広がる。遺体安置所までの廊下は、異様なほど静かだった。誰も何も話さなかった。母は佐山のすぐ前を歩きながら、肩を震わせている。小さな背中が、頼りなく揺れていた。「こちらです」案内係の警察官が、無表情で扉を開けた。金属のドアが、きい、と重たく開く。その音だけで、背筋が粟立つ。部屋の中は、ひんやりとしていた。壁際には銀色の保冷庫が並び、その一つが静かに引き出される。佐山は無意識に息を止めた。母が小さく呻く声が聞こえた。「ご確認ください」警察官の声は淡々としていた。その冷たさが、逆に胸に突き刺さる。シーツをめくると、姉がそこにいた。白い布の中から、静かに現れた顔。梓だった。間違いなく、梓だった。でも、そこにいるのは、もう「姉さん」ではなかった。化粧をされているせいか、顔色はやけに白かった。頬のあたりが少しだけこわばっている。唇は薄く、何かを言いかけたような形で止まっていた。佐山は、息ができなかった。心臓が喉の奥までせり上がる。手が勝手に震える。母が、かすれた声で呼んだ。「梓……」その声は、部屋の中で消えていった。誰も返事をする人はいなかった。佐山は、姉の顔を見つめた。何度も見た顔だ。笑っているときも、怒っているときも、いつも近くにあった顔。でも今、目の前にあるのは、「ただの顔」だった。そこには、もう魂はなかった。目の端で、手元が動いたのが見えた。姉の手。小さな手の甲に、うっすらと傷
last updateLast Updated : 2025-08-02
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なぜ、だけが残る
夜の街は、驚くほど普通だった。佐山は、警察署からの帰り道、歩道を歩きながらそれを思い知らされていた。車が交差点で止まり、信号が変わると再び走り出す。コンビニの前では、酔っ払ったサラリーマンが笑い声を上げている。遠くでパトカーのサイレンが鳴っているが、それはもう日常の騒音の一部だった。誰も、何も変わっていなかった。だけど、自分の中だけが、確実に変わってしまった。いや、変わったというより、止まってしまった。足元を見れば、アスファルトが濡れて光っている。さっきまで降っていた雨が、まだ地面に残っている。靴の裏が、時折小さな水たまりを踏んで、じゅっと音を立てる。その音だけが、やけに鮮明に聞こえた。目の前を歩く人たちは、誰も自分のことを気にしていない。当たり前だ。みんな、自分の生活に忙しい。帰る場所があり、待っている人がいて、明日の予定がある。自分には、もうそんなものはなかった。姉がいなくなった瞬間、世界は色を失った。それなのに、街は普通に動き続けている。佐山は、ポケットの中でスマホを握りしめた。LINEの画面を開く。そこには、まだ姉のメッセージが残っていた。「またね」その文字が、夜の闇に浮かぶように光って見えた。何度も見返しているのに、消せなかった。消すことなんて、できるはずがなかった。どうして。どうして、死んだんだ。理由がわからない。何があった?誰が何をした?俺は、知らなかった。それが一番、怖い。姉は、最後まで「大丈夫」と言っていた。それが嘘だとは思わなかった。むしろ、安心していた。姉なら大丈夫だと、勝手に思い込んでいた。けれど、本当は違った。姉は助けを求めることもせず、一人で全部抱え込んで、そして死んだ。「俺は、何してたんだよ」小さく呟いた声は、誰
last updateLast Updated : 2025-08-03
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残されたデバイス
部屋の空気は、湿り気を帯びたまま動かなかった。佐山は静かにドアを閉め、梓の部屋に足を踏み入れた。時計を見ると、午前三時半を回っている。家の中は、どこもかしこも寝静まっていた。母はきっと、隣の部屋で泣き疲れて眠っているだろう。それでも佐山は、どうしても目を閉じることができなかった。外は、雨上がりの曇り空。カーテンの隙間から、ぼんやりとした夜明け前の光が差し込んでいる。でも、その光は弱く、部屋の中には届かない。机の上にあるデスクライトだけが、静かに机を照らしていた。視線を落とすと、そこに梓のノートパソコンとスマホが並んでいる。母が遺品を整理しようとしたのだろう。それでも、手をつけられずにそのまま置いてあった。佐山は、しばらくそれを見つめていた。触れたらいけないものに手を出すような、そんな背徳感があった。けれど、手は勝手に動いていた。理由を知りたかった。なぜ姉は死んだのか。何があったのか。どうして、俺には何も言ってくれなかったのか。指先で、そっとスマホを持ち上げる。手の中で、ひどく軽いと感じた。こんな小さなものの中に、姉の全部が詰まっているのかと思うと、胸が締めつけられた。電源を入れると、画面が明るくなった。顔を青白く照らすその光に、佐山の表情は変わらなかった。けれど、目だけが異様に乾いている。瞬きすることすら忘れたまま、画面を見つめていた。ロック解除の画面が現れた。パスコードは、簡単に予想がついた。姉の誕生日だ。四桁の数字を打ち込むと、あっさりとロックは外れた。「こんな簡単なパスで」小さく呟いた。でも、その言葉には怒りも苛立ちもなかった。むしろ、そんなところにも姉の人柄が滲んでいる気がして、胸が苦しくなった。スマホの中には、姉の日常がそのまま残っていた。カレンダーアプリには、仕事のスケジュールが細かく書き
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ログの裏側
佐山は、ノートパソコンのタッチパッドをなぞる指を止めた。呼吸が浅い。けれど、それを意識することもなかった。ディスプレイの光が、静かに顔を照らしている。画面の中では、コマンドラインが次々と動いていた。ログ解析ツール。バックアップデータの復元。本来なら業者でも簡単には触れない領域を、佐山は冷静に操作していた。姉のパソコンに残っていたデータを、片っ端から復元している。削除されたファイルも、履歴も、ゴミ箱すら完全に復元した。姉が自分で消したものか、誰かに強制されたものか、それはまだ分からない。だが、それを知る必要はなかった。全部、見ればいい。全部、確かめればいい。佐山は、プログラムを打ちながら、何も考えないようにしていた。感情は邪魔だ。ただ、目の前の作業を淡々と進める。それだけに集中する方が、余計なことを考えなくて済む。画面の中で、解析が進んでいく。チャットツールのデータも、バックアップフォルダから復元できた。姉が使っていた社内ツール。本来なら社内のログは管理者権限がなければ見られない。だが、梓は自分用にコピーを保存していた。おそらく、証拠を残すためだろう。「……」佐山は無言のまま、解析が終わるのを待った。目はディスプレイに釘付けだが、顔の筋肉は微動だにしない。まぶたすら、ほとんど動かなかった。解析が終わり、フォルダが開く。チャットログのファイルが並ぶ。日付ごとに保存されたデータは、数ヶ月分にも及んでいた。佐山は、その中の一つをクリックした。テキストファイルが開く。目を走らせると、すぐに異常なやり取りが見つかった。「またあの女、営業失敗してたな」「枕営業してるくせに、使えねーな」「部長、なんで庇うんだろ。抱いてんじゃね?」その文章を見た瞬間、佐山の目が細くなった。
last updateLast Updated : 2025-08-05
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沈む証拠
佐山は、モニターに映る数字の羅列を眺めていた。時計の針は、すでに四時を回っている。外はまだ夜のままで、窓の外には曇った空が続いていた。雨は止んでいるが、湿り気を含んだ空気が部屋にじっとりと漂っている。デスクライトの光だけが、部屋の中で孤立していた。画面には、姉が保存していたスクリーンショットがずらりと並んでいる。日付と時刻が、すべて記録されていた。佐山は、手元のコマンドラインを操作しながら、それらの書き込み時間とサーバーログを照合していた。匿名掲示板の投稿は、基本的には身元が分からないようになっている。だが、裏を返せば、完璧な匿名性なんて存在しない。姉のパソコンに保存されていたスクリーンショットには、IPアドレスが残されていた。それは、掲示板の運営側がたまたま開示ミスをしていた瞬間を、梓が巧妙に保存していたのだ。誰かに見せるつもりだったのか、それともただの自衛だったのかは分からない。けれど、そのミスが、今となっては唯一の糸口だった。佐山は指先で、キーボードを叩いた。ブラウザのウィンドウと、独自の解析ツールを行き来しながら、IPアドレスの履歴を確認する。時間はかかったが、一つだけ「決定的なログ」が見つかった。「220.149.XX.XXX」佐山は、画面に表示されたその数字を見つめた。誰も知らない夜の部屋で、たった一人だけ、数字を睨んでいる。手は止まらなかった。裏ルートを使い、固定回線の契約者情報を追跡する。もちろん、これは正規の方法ではない。違法か合法かなど、考えている暇はなかった。姉が死んだ今、そんな区別はどうでもよかった。数分後、照合結果が画面に表示された。プロバイダ名。契約者情報。住所。川上美咲。その名前が、確かにそこにあった。「……」佐山は、唇を動かした。乾いた声で、その名前を口にする。「川上、美咲」
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目を閉じて、誓う
佐山は、静かにノートパソコンの蓋を閉じた。画面が消えると、部屋は一瞬で暗くなった。蛍光灯は点けていなかった。机の上に置いたデスクライトのスイッチにも、手を伸ばさなかった。ただ、夜明け前の窓から差し込む、わずかな光だけが部屋を照らしていた。梓の部屋は、そのままだった。机の上には、まだ開かれたままの手帳と、使いかけのリップクリームが転がっている。壁には、彼女が好きだったポストカードが何枚か貼られていた。ベッドの上には、畳まれたままの部屋着。すべてが、そこに暮らしていた人間の痕跡だった。佐山は、椅子に深く背を預けた。背中にあたる椅子の背もたれが、冷たい。肩の力を抜いたつもりだったのに、体は妙にこわばっていた。握りしめた手のひらには、微かな汗が滲んでいる。目を閉じた。暗闇が瞼の裏に広がる。呼吸は浅かったが、心は妙に静かだった。もう、後戻りはできない。そう思った。証拠は見つけた。誰が姉を追い詰めたのか、誰が殺したのか。それはもう、疑う余地がなかった。川上美咲。その名前を思い浮かべると、胸の奥が冷たくなる。ただ憎い、という感情ではなかった。もっと深く、もっと静かな感情だった。怒りとも違う。悲しみでもない。それは、行動への欲望に近かった。「奪われたら、奪い返すしかない」心の中で、そう繰り返した。「壊されたら、壊し返すしかない」それ以外に、やるべきことなんてない。これから自分がすることは、正しいかどうかなんて問題じゃなかった。善悪の話でもない。道徳や倫理なんて、最初から意味がなかった。「それだけだ」佐山は、静かに呟いた。声には、微かな笑いが混じっていた。笑っているつもりはなかったのに、自然と口角が上がっていた。涙は一滴も流れなかった。目の奥は乾い
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