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第5話

Author: あむ
穂乃香はよろめきながら後ずさった。

世界がぐるぐると回っている。

腰が硬い墓石にぶつかり、膝を石段に強く打ちつけた。

鋭い痛みが、全身に弾けるように広がる。

けれど、そんな痛みなど、胸の痛みに比べれば何でもなかった。

心を生きたまま二つに引き裂かれるような苦しさに、息が詰まりそうだった。

それでも悠真は、彼女に一瞥もくれなかった。

ただ寧々に顔を寄せ、指先で彼女の頬を伝う雨を拭った。

「少しは気が済んだ?」

寧々が涙声で「はい」と答えるのを聞いて、悠真はようやく安堵したように息をついた。

そして自分の上着を脱いで寧々を包むと、そのまま彼女を横抱きにしたた。

踵を返したとき、彼の革靴が地面に散らばった遺灰を踏みつけた。

そこには、目を背けたくなるような足跡が残った。

穂乃香は雨の中に座り込んだまま、全身が千切れるような痛みの中で、ただ震えていた。

震える手を伸ばし、灰白色の粉をすくい上げようとする。

けれど雨の流れはあまりにも速かった。

まるで、彼女と悠真が重ねてきた年月のように。

どれほど必死に手を伸ばしても、もうつかむことはできなかった。

「お母さん……私が間違ってた……」

嗚咽まじりの声が、雨音にかき消されていく。

「結婚する相手を間違えたの。あの人と結婚するべきじゃなかった……」

残された遺灰をどうにか集め終えると、穂乃香はバッグの中から九十七通目のラブレターを取り出した。

震える手で火をつける。

炎が紙をのみ込んでいくのを見つめながら、彼女は思い出していた。

あの年、病床の母に向かって、悠真が約束した言葉を。

「ご安心ください。俺は命に代えても穂乃香を守ります。誰にも彼女を傷つけさせません」

悠真――ほかの女の手を取って私を殴らせることが、あなたの言う守る行為だったの?

もう、悔やんでも悔やみきれない。

あなたを愛してしまったことを、私は心の底から後悔している。

その夜、穂乃香は高熱にうなされた。

夢の中で、彼女は冷たい海の底に沈んでいた。

母の遺灰が雪のように周囲へ舞い散っている。穂乃香はそれを必死につかもうとするのに、指の間をすり抜けて、どうしてもつかめなかった。

「穂乃香……穂乃香……」

誰かが彼女を呼んでいる。

穂乃香は苦しげに目を開けた。

しかし、そこはベッドの上ではなかった。

彼女は猛スピードで走る車の中にいた。

車窓の外では景色が飛ぶように後ろへ流れていく。運転席の悠真はハンドルをきつく握りしめ、ひどく険しい顔をしていた。

「悠真……」

穂乃香の声は、ひどくかすれていた。

「どこへ連れていくの?」

悠真は彼女を見ないまま、冷たく言った。

「寧々が拉致された」

穂乃香は一瞬、言葉を失った。

混濁していた頭が、少しずつ現実に引き戻されていく。

「……それで?」

「相手は、君をご指名だ」

悠真はようやく横目で彼女を見た。

「菅原勝(すがわら まさる)だ」

菅原勝――その名前は、刃物のように穂乃香の胸へ突き刺さった。

かつて穂乃香にしつこく付きまとい、最後には悠真によって街から追い出された、あの危険な男だ。

「あなた……私を白石さんと引き換えにするつもりなの?」

穂乃香の声が震えた。

悠真はハンドルを握る手に力を込める。

「菅原は昔、君のことが好きだった。君にひどいことはしない」

穂乃香は、全身が氷の底へ沈んでいくような感覚に襲われた。

必死にドアを開けようとしたが、両手がシートベルトで縛りつけられていた。

「悠真!」

彼女は叫んだ。

「正気なの?菅原がどういう人間か、あなたが一番よく知っているでしょう!」

「穂乃香、落ち着け」

悠真の声は、恐ろしいほど平静だった。

「寧々を無事に送り届けたら、すぐ君を助けに戻る」

車は、廃倉庫の前で止まった。

「連れてきた」

悠真は穂乃香の背を押し、前に突き出した。

「寧々はどこだ」

勝が指を鳴らすと、部下らしき男二人に押さえられた寧々が姿を現した。

髪は乱れ、頬には涙の跡が残っている。

悠真を見た瞬間、寧々の目がぱっと輝いた。

「久瀬さん!」

悠真はすぐさま穂乃香を手放し、早足で寧々のもとへ向かった。

そして彼女を抱き寄せた。

「もう大丈夫だ。怖がらなくていい。俺が来た」

穂乃香はその場に立ち尽くし、全身が冷えきっていくのを感じていた。

悠真が寧々に怪我はないか確かめるのを見ていた。

彼女の涙を優しく拭うのを見ていた。

そして、自分には一瞥さえもくれないことを、ただ黙って見つめていた。

「悠真!」

穂乃香はついに耐えきれず、喉が裂けそうな声で叫んだ。

その声で、悠真はようやく振り返った。

そしてまた、同じことを言った。

「怖がるな。すぐに迎えに来る」

そう言い残すと、彼は寧々を抱き寄せたまま背を向けた。

その後ろ姿には、迷いなど少しもなかった。

穂乃香は追いかけようとした。

しかし穂乃香の腕を、勝が乱暴に掴んだ。

「久しぶりだな、青柳」

彼の吐息が耳元に吹きかかり、穂乃香は体を震わせた。

勝は彼女を車に押し込み、そのままホテルへ向かった。

部屋の扉が閉まった瞬間、彼は穂乃香をベッドへ突き倒した。

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