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1-3

Author: 琉斗六
last update publish date: 2026-06-10 14:43:37

 草案がまとまったところで、陽翔は一つ息をついた。

「あ〜、もうこんな時間かぁ……」

 チラと、パソコン画面の端にある時計に目をやる。

 周囲を見回すと、神谷のデスクのパソコンが稼働しているモーター音がしているだけで、人影はない。

(アルファのくせに、こんな時間まで残業してるとか……。フィットネスにでも行って、体でも鍛えとけよ……)

 椅子の背もたれに体を預けて、筋を伸ばすように仰け反る。

 その瞬間、背中をぞくりといやな感覚が駆け抜けた。

「え……、うそ……?」

 前回のヒートは一ヶ月前。

 あと二ヶ月は、来るはずのない予兆だった。

(まずい……、残業続きで体調下がってた?)

 慌てて鞄を漁り、緊急用の抑制剤を探す。

 その間にも、体がどんどん熱くなる。

 喉が乾き、それが更に陽翔の焦りに拍車を掛けた。

(ない……、ない、ない、ない!)

 指先が震え、目が霞み、ポーチの中に入ってるはずの薬剤が見つけられない。

(まさか入れ忘れてる?! いや、毎晩ちゃんと確認してるし! 落ち着け……!)

 しかし焦れば焦るほど、手の震えは酷くなり、視界が潤み、思考が鈍る。

 自分の吐く荒い息遣いが耳に響き、じわりと染み出る汗が甘く香りはじめている。

「くそっ!」

 陽翔は鞄をひっくり返し、中身を全て床にぶちまけた。

 床に這いつくばって、散らかった鞄の中身を見る。

 ポーチのファスナーからはみ出した薬剤のシートが目に入った。

「あった!」

 ブルブル震える手でPTPシートを掴むが、指先が上手く動かず、なかなか中身を取り出すことが出来ない。

「あああ、もう!」

 ようやく一粒押し出したものの、糖衣錠がつるりと滑って指から取り落とす。

「しまった! 待って! どこいった?」

 再び這いつくばり、床を手で攫いながら、血眼になって薬を求めた。

「おい! なんだこの匂いは!」

 扉が開いて、神谷の声がした。

「薬……、くそっ! どこだ……」

「莫迦! こんな場所でヒートするやつがあるか!」

「うるさい! こっちだって好きでヒートしてるわけじゃ……」

 ぶわっと鼻を突くアルファのフェロモンに、陽翔の意識はたちまちヒートに引っ張られた。

(良い匂い……、違う、よせ! 抱いて……)

 理性と本能がせめぎ合う中で、陽翔の視界にちらとボールペンが映った。

 考えるより先に、陽翔はそのボールペンを握り、力いっぱい自分の左腕に突き立てた。

「よせ! なにしてる!」

 陽翔の唐突な自傷行為に、驚き慌てた神谷がその手を掴んだ。

「放せ! っていうか、離れろよ! 傍に来んな!」

 叫ぶ声ほどの力は出ず、弱々しく神谷の手を振り払い、痛みで戻った理性でもう一度、取り落とした薬を探す。

「なんかあったんですか……?」

 警備員が騒ぎを聞きつけて、様子を見に来たらしい。

「ちょうどいい! セーフエリアを用意してくれ!」

「うわ! わかりました!」

 警備員はベータだが、その彼ですらが分かるほどの匂いが部屋に満ちていた。

 鼻を押さえ、慌ただしく廊下に飛び出す音が響く。

「おい! 見つからないなら新しい薬を使ったらどうだ?!」

「高いんだよ、この薬!」

 デスクの下、埃にまみれた足元に錠剤を見つけ、陽翔は歓喜の声を上げた。

「あった!」

「莫迦、そんな汚いものを口にするな!」

 神谷は陽翔の手から薬を取り上げ、ゴミ箱に捨てた。

「なにすんだよ!」

 デスクに置かれていたPTPシートから新しい薬を押し出し、神谷は陽翔の口にそれを入れる。

 そして、そこにあったペットボトルをグイと押し付けてきた。

 薬を飲み下すのを確認してから、神谷は陽翔を抱き上げる。

「やめ……!」

「警備員がセーフエリアを用意してる」

「自分で歩ける!」

「うるさい、抵抗するな!」

 アルファのフェロモンに、脳がグラグラする。

(早く、効いてくれ!)

 両手で口を押さえ、陽翔は歯を食いしばった。

 横抱きされて、更に近くなったフェロモンの匂いに、どんどん理性が本能に侵食されていく。

「ん……、んん……あ……」

「そんな声を出すな」

「なら、揺するな……」

「急いでるんだ、我慢しろ!」

 警備員が用意したセーフエリアに駆け込み、神谷は陽翔を簡易ベッドの上に下ろした。

「無茶な残業なんかするから、こんなことになるんだ!」

 神谷の声が遠い。

(欲しい……、欲しい……。……莫迦、違う! ……抱いて……、くそっ!)

 薬を飲んだ安心感から気が抜けたのか、理性が遠のき本能が勝る。

(このまま抱いて……)

 神谷の袖に、左手の指が絡みついている。

(駄目だ……、袖、放さなきゃ……)

 頭の芯がぼんやりしていて、右手は左手に掛からずスルッと前腕に落ちた。

(痛っ! あ、さっきの……)

 ボールペンでえぐった傷に指先が触れて、少し理性が戻る。

 陽翔は、その傷を掻きむしった。

「止めろ!」

 自傷行為に気付き、神谷が鋭い声を上げる。

(うるさい! ……声が良い……。……莫迦! よせっ!)

 絡まる指を引き剥がそうとする意志と、掴んで離したくない意思がぐちゃぐちゃになって、右手は意味も無く空を掻いていた。

「はあ……、ああっ! 熱い! あっ! くそっ!」

 その手を握られ、間近に神谷の吐息を感じ、思わずそれに応じそうになる。

「莫迦! そんな顔をするな!」

 どっと突き放されて、陽翔はベッドに倒れ込んだ。

 バタバタと部屋から神谷が出ていく気配がする。

 それきり、陽翔の意識は途切れた。

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