Masuk航空自衛隊訓練教官・真壁百合緒(32)は、誰もが恐れる〝鬼教官〟である。 感情を殺し、背筋をピンと伸ばし、誰にも心を開かない。 「教官は、感情を抑えすぎです。まるで、自分自身を罰してるみたいだ」 ある夜、そう言って迫ってきた訓練生の白鳥貴雄(23)に押し切られ、真壁は一線を越えてしまう。 過去に、恋人と死別している真壁は、白鳥を受け入れつつも気持ちまで向けることはできずにいた。 応じてくれるが、気持ちがないことに気付いた白鳥は真壁を責め、真壁との付き合いを一度は諦める。 熱血訓練生×鬼教官の、理性と感情がぶつかるラブストーリー。 表紙:Len様
Lihat lebih banyak 資料の山に囲まれて、
室内には、スチール製の本棚が並び、そこには資料がびっしりと置かれている。
周囲に音はなく、ただ真壁が操るキーボードとマウスの音だけが響いていた。 元は教官の宿直室であったが、現在は〝資料閲覧室〟として使われている場所。 ──だが、ここは真壁の部屋でもあった。部屋に戻ったところで、深夜まで資料をめくり、ノートパソコンの画面を眺め、訓練生の成長や次なるカリキュラムを考える。
ならば、いちいち往復する手間を掛ける必要はない。そう考えた真壁は、現在使われていない教官の宿直室を、資料閲覧室に作り変え、そこで起居していた。
教官である真壁の立場であれば、単身者用の官舎で暮らすのが当然なのだが──。
真壁の非常識な合理性を前に、誰も真っ向から反対はできなかった。その静けさに、控えめなノックの音が響く。
こんな時間に、来訪があることなど、めったにないことだ。 だが──自分以外の教官が、深夜に訓練性からの身の上相談を受けている話を聞いたことがある。「入れ」
発した声音は、平素と同じ愛想も容赦もない硬質なものだ。
だが入ってきた候補生・「夜分に失礼します、教官。報告があります」
真壁は画面から目を離さないまま、静かに告げた。
「報告なら、午後に済ませていたはずだが」
「ええ。でも……これは、〝個人的な〟報告です」カタリと、真壁の指が止まる。
視線を上げた先にいた白鳥は、どこか挑発的な笑みを浮かべていた。「個人的……?」
「教官は、感情を抑えすぎです。まるで、自分自身を罰してるみたいだ」 「何の話だ……」その時、白鳥の瞳に、ふいに熱を帯びた光が灯る。
「見たんですよ。あの日……教官が、一人で共用の風呂場でしてたこと」
言葉が凍り、真壁は返事ができなかった。
しかし、眉をわずかに動かしただけで、それ以上の動揺は表に出さない。 一拍の間に動揺を抑え込み、口を開く。「──見た、だと?」
「はい。教官が……自分で慰めているのを。あの、張り詰めた背中が震えるのを、じっと見てました」胸の奥が、冷たい指でなぞられたようにざわつく。
忘れ去りたかった、己の弱さ。 寂しさに耐えきれずに崩れた、あの夜。「何が目的だ、白鳥」
「知りたいんです。どうしてあんな顔をするのか。……あんな、綺麗な顔で喘ぐのか」白鳥が一歩踏み込む。
真壁は椅子から立ち上がるよりも早く、肩を押さえられ、机の縁に背中を預けさせられる。「やめろ、白鳥……」
抵抗の言葉は出たが、抗う動きは取れなかった。
理由は──真壁にもわからない。 立ち上がれば背は勝っている。 けれど、白鳥の手の重さが、迷いをすべて封じた。 体より先に、心が動けなくなった。「本気で嫌なら、俺を突き飛ばして」
肩に置かれた白鳥の手に、グッと力が込められる。
その手にも、真壁を見つめる瞳にも、奇妙な──一種の祈りにも似た──切実な感情が滲んでいた。 拒絶されることを覚悟していながら、それでも自分の気持を決して諦めないような……熱意。「知ってるだろう……、候補生に暴力を振るったら、処分されるのはこっちだ」
「鬼教官殿が、そんな言い訳しても様になりませんよ」白鳥は顔を寄せ、ジッと真壁の目を見つめたまま、ゆっくりと唇を重ねる。
拒もうとした意思は、熱を持つ舌に溶かされるように、じわりと崩れていった。警告のアラートがけたたましく鳴り響く。 高度計が目まぐるしく数値を告げ、急速に機体が落ちる。「教官! エンジン再起動、無反応! 再点火しません!」「こっちも駄目だ……。スロットル無反応、推力ゼロ!!」──守……さん? そういえば、なんであの日、自分は複座にいたのだろう? ふと、そんなことを考えて。 それから、改めて俯瞰するように見えている機体に目をやると、真壁は自分が主座に座っていることに気付いた。──記憶……違い……? だが、それは普通に考えれば当然だった。 訓練生は主座に座り操縦をして、教官は複座でその指導に当たる。──なんで今まで、思い出さなかったんだろう……? 機体から、真壁が射出される。 後部シートの若桐は、バイザーとマスクに覆われているにもかかわらず、不敵にニヤリと笑っているのがわかった。──強張りきっていた僕とは、大違いだな……。守さんは、自信満々に機体を海まで運んで……、生きて帰るつもりだったに違いない。「そんなこと、あるか。阿呆」 背後から声がして、真壁はびっくりして振り返った。 教育棟の廊下。 そこに、フライトスーツの若桐が立っている。「守さんっ!」「訓練生だった百合緒から見りゃ、自信満々に見えただろうさ」 そういって、若桐は眉尻を下げた。「だけどそれはいつだって、カッコつけてただけだって」 スッと、若桐が指を差す。 廊下の床の下に、炎上したエンジンから煙をたなびかせて飛ぶ、機体が見えた。「ほら、見てみろ。おまえだってちゃんと、機体を海まで運んだぞ」「それは……、守さんの指導が徹底していたからですよ」「いや、おまえの矜持が、本物なんだよ。
その日は、実機での訓練が組まれていた。 PTSDを発症した直後は、機体のエンジン音を聞いただけで身が竦み、座席に座ると吐いたが──。 今はもう、複座で指導を行える。 もっとも、完全に心の整理がついたわけでもなく……。 思うところはあれど、仕事と割り切って座れるようになっただけだ。「反応が早すぎる。もうちょっと落ち着いて対応しろ」「はい、教官」 訓練生の返事は落ち着いている。──西條は、少し慎重すぎるが、優秀だな。 指導方法を考えながら、方向を指示したところで、真壁はハッとした。「西條。バード群、左前方低空。気をつけろ」「えっ?」 一瞬、西條の反応が遅れた。 鈍く大きな音が聞こえた……と同時に。 機体が右に煽られ、計器の針が乱れた。「うわっ! うわあっ!」 前座席で、西條は悲鳴を上げパニックに陥っている。「バード! バード! バード!」 真壁は通信機に向かって、機体がバードストライクしたことを基地に通信した。──くそっ! 操縦権を後席に切り替え、スティックを握る手に力を込める。──落ち着け。……落ち着け! 脳裏にフラッシュバックする、あの日の記憶。 しかし今は、自分が訓練生を守る立場になっている。──守さん。西條を助けてください! 心で祈り。「西條! イジェクト準備しろ!」「は……はい、教官!」 真壁の声と、機体が水平を取り戻したことで、西條は少し落ち着きを取り戻したようだ。 はっきりとした答えが返ってくる。「よしっ! 出ろ!」 爆裂音と共に、主座の風防が飛ぶ。 一気に襲い掛かる、時速800kmの暴風。 バイザーとマスクで辛うじて頭部の安全は守られているが、西條の座席が射出された
白鳥が三沢に赴任してから、数ヶ月。 深夜、真壁はいつもの悪夢で目が覚めた。──また、あの夢だ。 AIよりも感情のない男。 そんなことを訓練生に囁かれる程度に、厳しい指導を行っているが。 むしろその所為で、指導をする教官を侮りがちな生徒が回されている傾向もある。 そんな鬼教官の真壁の、人に言えない弱み。 自分では、割り切っているつもりだ。 もう、若桐の命を取り戻すことは出来ない。 生き残った自分は、若桐の意思を継ぐ覚悟もした。 真壁はベッドから起き上がって、洗面所で顔を洗った。 ふと見ると、スマホにメールが届いている。『来週、時間取れそうです!』 白鳥からの、メッセージだった。「スクランブル要員だったのか? こんな時間にメッセージ送ってきやがって……」 ブツブツ呟きながら、『了解』の返信を送る。 即座に、ポンッと音がしてメッセージが来た。『教官殿、こんな時間に起きてるの? また、悪夢見た?』『やかましい。寝ろ』『心配してるのに!』 クスッと笑って、真壁はベッドに潜り込む。 三沢に行く前に会った時、白鳥の空気が変わったと感じた。 それよりもずっと以前から、自分は白鳥との付き合いを、受け入れていたことは認める。 ただ、真壁には恋愛の経験値がまるでない。 唯一、恋人と呼べるような存在は若桐だけで──。 若桐と付き合う以前は、性知識は保健体育の授業で指導されるレベルのものしか持っていなかった。 触れ合いで感じるということ。 愛される快感も、愛する情熱も、若桐に教えてもらった。 ある意味、それは恋愛ではなく依存だったかもしれない。 そんな真壁にとって、一回りも年下の白鳥との色恋は、手探りを通り越して五里霧中ともいえた。 年上の自分が、白鳥に甘えるのもおかしいような気がして……。 悪夢
ビジネスホテルの一室。 真壁と隣り合って、コンビニ飯をつまみながら他愛のない会話を交わす。「それで教官殿、どう返事したんですか?」「どうもこうもない。校庭20周を追加した」「相変わらず、厳しいなぁ!」 あははは……と笑った白鳥の肩に、真壁が頭を預けてくる。「……えっ……? 教官殿、どうしたんです?」「別に。……寄り掛かりたくなっただけだ」 今までに、真壁がこんな風に〝甘えて〟くれたことはない。 心臓が跳ね上がり、緊張のあまり動きは少しカクカクしていたが──。 それでも、真壁の肩に腕を回した。 探るように視線を向けると、真壁もこちらを見ている。 慌てて顔をそむけたが、肩に回した腕は外さなかった。「……貴雄」「はいっ! ……えっ? 今、名前……」 ベッドの中で、熱に浮かされた時以外に、名を呼ばれたことはない。「きょ……教官殿?」 狼狽える白鳥に返事をせず、真壁は身を乗り出すと、そっと白鳥の唇を吸った。 ドクンっと、更に心臓が跳ねる。 けれど──。 胸に添えられた真壁の手を握り、体を引き寄せてキスを返す。 真壁は、そのまま白鳥の腕に身を任せてきた。「急に、大人びた……」「いや、俺は出会った時から大人ですよ?」 真顔で返すと、真壁がクスクス笑う。「粋がってる子供だった」「ひどいなぁ」 もう一度キスをねだると、真壁は素直に応じてくれた。 確かに通い合う体温と呼吸。 唇が離れたところで、真壁は再び白鳥の肩に頭を預けた。「三沢は、遠いな」「F-15なら、30分くらいですよ」