ANMELDEN◎あらすじ◎ キッチン用品メーカーに勤めるオメガの小泉陽翔は、三年間一度も企画を通してもらえないまま、スーパーバイザーの神谷に振り回され続けていた。 才能を認めているとも知らず、意地悪と搾取にしか見えない神谷の態度に限界を迎えた陽翔は、ある日静かに退職を決意する。 ◎その他◎ 物語の内容はすべてフィクションです。 実在の人物・団体・事件・場所とは一切関係ありません。
Mehr anzeigen小泉陽翔(こいずみはると)は、キッチン用品メーカー〝マドカ〟に勤めて三年目になる。
今日も、陽翔の企画は通してもらえなかった。否──
陽翔の企画は、企画会議の議題にすら上がらなかった。
「神谷さん! なんで僕の企画、通してくれなかったんですか? 今回は、まあまあ良いって言ってくれたのに!」
会議室を出たところで、陽翔は上司の神谷悠真(かみやゆうま)に声を掛ける。
「まあまあ良いとは言ったが、通すとは言ってないだろう」
しれっと躱される。
「でも先日、良いと言ったら通してやるって……」
「そうだ。良いと言ったら通してやると言った。〝まあまあ〟じゃ駄目だ」そう言い置いて、神谷はオフィスに戻っていってしまった。
(くそ! 騙された!)
だがこれは、いつものことだ。
アルファの中でも〝より優れたアルファ〟と評される神谷は、陽翔と同期なのに既にスーパーバイザーとなっている。 勤続三年目。 オメガの陽翔は、未だ一度も企画が通ったことがない。 廊下を、オフィスへと戻っていく同僚たちが、陽翔をクスクス笑いながら去っていく。 それもまた、いつものことだ。(これが、アルファとオメガの差……か)
そんなことは考えたくない。
(雇用均等とか、オメガの社会進出とか、政府は言うけど……)
周りの同僚や社員が囁く陰口で、その〝差〟は常に話題に上る。
「神谷さんに敵うわけないのに」
「季節毎に一週間、特別休暇もらってる〝オメガ様〟が、一端に仕事出来るんですかね?」色濃いオメガ差別の前に、苛立ちが募った。
(それにしても、ムカつくっ!)
負けん気の強い陽翔は、ガッつと壁面を蹴った。
休みが明けて、陽翔はいつも通りに出社した。「小泉、俺の顔になにかついているか?」 目が合った神谷に、そう問われる。「いえ、別に……」「そうか? さっきから俺のほうばかり見て、仕事をしてないように見えるが?」「そんな……、つもりは……」 オフィスの中に、クスクス笑いが広がる。「イケメンに見惚れてんの?」「オメガが発情して、秋波送ってんのか? みっともねぇ……」 かあっと、頭に血が上り、顔が熱くなる。(くそ……。転職のことを考えて、ついクソアルファを見てた) 顔を伏せ、いつものように陰口をやり過ごそうとしたが……。 手の甲に、雫が落ちた。(嘘! 泣きやめ! 泣きやめ!) 必死に鼓舞をするが、肩が震えて嗚咽がこみ上げてきそうになる。 陽翔は慌てて、椅子から立ち上がった。「顔洗ってきます」 と言ったつもりだが、言葉がどれほど形をなしていたかはわからない。 閉じかけの扉から、囁きですらなくなった陰口が聞こえたが、振り払うように洗面所に走る。(そうだ。どうせこの会社にいたって、僕の企画は全部神谷に潰される。相談相手も居ない) 叫びだしそうな気持ちを飲み込み、洗面所で顔を洗う。 そうして顔を上げると、正面に鏡があった。「ひどい顔……」 不健康な顔色の自分に、このままではまた職場で突発ヒートを起こしかねないと考える。(でも……、僕が辞めると言ったら、きっと神谷は〝逃げるな卑怯者〟とか言うんだろうな……) 自分の性格を考えると、挑発されたら辞表を撤回しかねない。(同僚も、嘲笑ったり、嫌味を言ったりするだろう。……もう、そ
陽翔が残業をしなくなったのは、単に社外持ち出し禁止の極秘事項以外を、クラウドとノートパソコンで共有し、自宅に持ち帰るようになったからだ。(絶対、あのクソアルファを見返してやる!) と、最初は息巻いていたものの。 自室での作業は、集中を欠いてどうにも締まりのない時間になる。 追い打ちを掛けているのが、休憩スペースで囁かれていた陰口だ。(長野さんも、本当は僕のこと、厄介だって思ってるんだろうなぁ……) 一人、真っ向から否定的なことを言わなかった長野だが、強く庇ってくれたわけでもない。(いや、いや! なに言ってんの? 長野さんに庇ってもらおうとか! そんなんだから、オメガは甘えてるとか言われちゃうわけでしょ!) 自分を鼓舞するものの。 凹んだ気持ちは、思考までもマイナス方向へと引っ張る。(でも実際、一週間休んで、企画は次に移ってて……。僕が居なくたって、仕事は進んじゃうんだよなぁ……) 休日、部屋ではどうにも誘惑が多いからと、ノートパソコンを持ち出して、街のカフェに場所を移してみる。 が、それでもやっぱり集中出来なかった。「陽翔?」 ぼんやりと道行く人を眺めていると、声を掛けられる。「えっ、……碧(あおい)?」 そこに居たのは、学生時代の同級生、笠原碧だった。 大学のオメガコミュニティで知り合い、良く愚痴をこぼしあった仲だ。 連絡先は交換しているが、卒業後は距離が離れたこともあって疎遠になっていた。「久しぶり! 偶然こんなとこで会えるなんて、どうしてた〜?」 笠原は、陽翔の向かい側に腰を下ろす。「どうも、こうも、しがない勤め人やってるよ。碧は?」「僕だって同じだよ。陽翔はマドカだったっけ?」「うん、そう。よく覚えてるなぁ」「いや……。陽翔はインテリアとか、住空間デザインを専攻してたのに
あれ以来、陽翔は残業をしなくなった。(少しは、危機感を持ったようで、良かった……) 本人がどれほど頑張りたいと思っていても、オメガの体は無理やストレスですぐにも崩れる。 神谷は胸の内で安堵の息をつきつつも、日中の陽翔の様子をそれとなく気に掛けていた。「おい、そろそろ休憩を入れろ」 十時と三時に、声を掛ける。 陽翔が根を詰めやすいことも、集中すると時間が見えなくなることも知っていたから、時報のようなつもりだった。「………はい」 不満そうな顔で、陽翔は画面から顔を上げる。「小泉〜、休憩入れるならコーヒー買ってきてくれよ〜」 誰かが言った。「自分で行けよっ! 自販機あんの、廊下じゃないか!」「立ってる者は親でも使えって言うだろ。ついでだ、ついで」「あ、なら、俺も!」「俺は、無糖の紅茶、お願いしまーす!」 小銭を出す者や、電子決済で送金する者もいる。「くそっ! そう勝手に言われちゃわかんねぇよ! 誰がなんだって?!」「山田でーす! コーヒー!」「淀原は無糖の紅茶!」 陽翔はブツブツ文句を言いつつも、それらを引き受けて廊下に出て行く。 神谷はさり気なく立ち上がると、陽翔の後を追った。「貸せ、持ってやる」「別に缶コーヒーの五〜六本、一人で運べるって」「頼まれたのは、全部で十二本だろう」 自販機の前で屈んでいた陽翔は、チラと神谷を見上げてから、購入した缶をぽいと渡してきた。「あまり、こういう雑用を引き受けるな」「別にこれぐらいで、倒れたりしないし」「課内のバランスが崩れる」「ああ、神谷の評価に響くって? 済まないね、救急車騒ぎなんか起こして」 チクチク嫌味を織り交ぜつつも、ポンポン言い返してくる陽翔の負けん気が心地良い。「そんな話はしてない。こういうことが積もり積もって、社内のいじめ
手の中の封筒を、陽翔はぽいとデスクの引き出しの中に放り込んだ。(自分のほうが給料がいいからって、弁償しますってか?) 立ち上がったパソコンの画面を見ると、あの晩にたたき台の形になった草案が表示された。(休んでる間に、この企画は進んじゃったんだよな。くそ、また一から考え直しか……) 陽翔はファイルをゴミ箱に入れた。 なにもかもがリセットされてしまったが、ここでくじけては神谷どころか、周囲の同僚からの蔑みは消えないのだ。 心の中の雑念を払い、新たなファイルを作る。(なんでオメガには、ヒートなんて面倒なものがあるんだろう) 病院のベッドで、理性が戻ったのは二日も経ったあとだった。 のぼせてはいてもなんとか家に帰れる程度になったところで、退院の手続きをした。 ヒート中のオメガは、否応なしに個室にされるから、入院費用が必要以上に嵩む。(休めていいねなんて言われる筋合い、こっちには毛の筋ほどもないんだぞ……) 神谷のデスクから自席に戻った時から、ヒソヒソと後ろ指をさされているのは知っている。 差し出された封筒を受け取ったことを揶揄する声や、拒否した態度が失礼だと批難する声。(全部、聞こえてるつーの。てか、当てこすりかよ……) 同僚たちを無視して、陽翔は画面に集中した。「おい、小泉」 声を掛けられ、陽翔は振り返った。 そこには、帰り支度を済ませた神谷が立っている。(えっ、もうそんな時間?) ぎょっとなったが、時計を見るまでもなく、窓の外は夕暮れだ。「なんですか?」「今日も残業か?」「そちらはお帰りですか。お疲れ様」 陽翔は視線をパソコン画面に戻した。 背後で、ふうっと聞こえよがしの溜息が聞こえる。「さっさと帰れ」「ちゃんと就業規則内に収めてますが、なにか?」「また突発ヒート起こすなよ」