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第4話

Author: 三重秋
菜奈が私を引き寄せ、デスクに腰を下ろしてお喋りを始めた。「明里、見た?さっきの人が副社長の婚約者よ!

首にかけているダイヤのネックレス、あれ、副社長が昨日贈ったものらしいわ。価値は千万円台だって!

でもさ、これはあからさま過ぎじゃない?明里は会社に五年もいて、仕事ぶりは皆が認めてるのに、そのポジションをこんな軽い形で他人に渡すなんて!」

私は上の空でうなずいた。もともと辞職するつもりだったし、今日の遥香の件は、ただ自分が凌也の心の中でどんな位置にいるのか、よりはっきりと見せつけられただけだ。

書類と辞表を手に、私は凌也のオフィスのドアをノックした。

「入れ」と、凌也の声は冷たかった。

私は、辞職後に引き継ぐべき書類も含め、すべての物を彼の机に置いた。

凌也は書類をめくり、見るほどに顔色を曇らせ、最後にふっと口の端を歪め、冷笑混じりの視線を私に向けた。

「明里、昨日はもう直ったかと思っていたが、またすぐに小さな癇癪を起こす本性が出たな?」

言い終えると、彼はその書類を私に向かって叩きつけてきた。

私は身をひねってかわし、うつむきながら床に散らばった書類を一枚ずつ拾い集めた。

彼はなおも言った。「昇進の機会を奪われたぐらいで何だ?遥香は俺と専攻が同じだ。彼女の実力を信じているからこそ技術部長の職を与えたんだ。君に何の権利があって怒るんだ?」

私は書類を揃えて彼の前に置き、冷静に告げた。「怒ってなんかいないわ。ただ辞めたいだけ」

遥香とは同じ専攻で、彼女の実力を知っている?では私はどうなの?

私は大学でジュエリーデザインを学びながら、凌也のために別専攻で二重学位を取得した。この何年も、凌也に追いつくために昼夜を問わず努力してきたのに、彼の目には、その努力がこんなにも無価値に映っていたのか。

凌也は高みから私を見下ろし、冷ややかに言った。「君の実力なんて、自分でも分かってるだろう?君を遥香の部下に回したんだ。これからは彼女のそばでしっかり学べ」

私は笑った。「私の時間も貴重だ。好きでもないことは結構だ」

「いいだろう!じゃあ出て行け!今後どこの会社がそんな君を雇うか見ものだ!」と、凌也はそう言いながら、椅子から立ち上がった。その目は、まるで人を食らわんとする鬼のようだった。

私は振り返らず、そのままオフィスを後にした。

凌也と過ごした六年間は、時間の無駄遣いと思えばいい。ただし、もう二度と彼の周りを回ることはない。ましてや、その輪の中に遥香まで入っているなら、なおさらだ。
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