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第5話

Author: 姫様参上
離れの物置には、暖房がなかった。

晩秋の夜風が、割れた窓から吹き込んでくる。

私は熱を出していた。高熱で目の前が真っ暗になり、右の手首は腫れ上がって動かすたびに痛んだ。

優磨は蒼一郎の部下に外で足止めされていた。

私はカビ臭い壁にもたれかかった。

雪の中で跪いてのプロポーズ、病床での重い誓い。そんな記憶が、次々と脳裏をよぎっていく。

真夜中、物置の扉が外から押し開けられた。

蒼一郎が入ってきて、私の前に立った。

「……少しは考え直したか」

彼は打ち身用の塗り薬を私の足元に投げた。

「お前が大人しく折れるなら、これを使ってもいい」

私はそれを拾いもせず、目だけを上げて彼を見た。

「鮎美さんのお腹の子は、助かったの?」

蒼一郎は冷たく鼻を鳴らした。

「お前のせいで不正出血を起こした。だが医者は、ちゃんと安静にしていれば問題ないと言っている。

歌音、俺の我慢にも限度がある」

彼は2通の書類を取り出し、テーブルに投げた。

「ひとつは離婚届、もうひとつは株式譲渡契約書だ。

祖父からお前に譲られた15%の株式を、鮎美のお腹の子への償いとして譲れ。

そうすれば、お前とボディーガードの間には雇用関係しかなかったと、外に対して説明してやる。

離婚届は俺が預かっておく。お前は引き続き緑川の妻の肩書を保ったまま、邸宅に住み続けていい。

これが、お前に残してやれる最後の体面だ」

私はテーブルの上の書類を見つめた。

なるほど、これが彼の本当の狙いだったのか。

私の評判を貶め、罪を認めるよう追い詰めたのも、全部この15%の株式のためだった。

彼の隠し子が将来困らないよう、今から道を整えるために……

熱のせいで視界がぼやけていた。

朦朧とする意識の中で、雪の夜に跪いてプロポーズしてきた、あの男の姿がまた見えた気がした。

あの時彼は言った。

「歌音、俺と結婚してくれ。俺の世界のすべてを、お前に捧げる」

今、彼は私に株式譲渡契約書への署名を迫り、自らの手で私に残された最後のものまで奪い取り、別の女と築く未来のために使おうとしている。

私は笑い出した。

蒼一郎が眉をひそめた。

「何がおかしい」

「社長も、ずいぶんご苦労なさったものね。おかしくて笑えてきたわ」

私は息を切らしながら、かすれた声で続けた。

「たった15%の株式のために、自分の妻の潔白すら踏みにじって陥れようとするなんてね」

蒼一郎の顔色が変わった。しゃがみ込み、私の額に手を伸ばそうとする。

「歌音、もう意地を張るな。

お前が大人しく言うことを聞けば、俺もまた前みたいに優しくしてやる。

鮎美とのことは、ほんの出来心だった。子供が生まれたら、金を渡して出て行ってもらう。

お前は、やっぱり俺の唯一の妻だ」

彼の指先が私に触れる寸前、私は顔を背けてそれを避けた。

「触らないで。汚らわしい」

蒼一郎の手が宙で止まった。眼差しが暗く沈んだ。

ちょうどその時、彼のスマホが鳴った。

病院の看護師からだった。

「緑川社長、安井さんがずっと泣いていて、雷が怖いとおっしゃっています。

早く戻っていただけますか」

蒼一郎はすぐに立ち上がった。

「すぐ行く」

彼は冷たい一瞥を私に向けた。

「せっかく俺が顔を立ててやろうとしてるのに、それを無駄にするなら、ここで凍えていればいい。

明日の朝、署名した書類を取りに来る。

署名しないなら、その得体の知れない男を連れて、一文無しでこの街から出て行け」

扉が、再び重く閉まった。

物置は、静けさに包まれた。

私は這うようにしてテーブルへ近づき、ペンを手に取った。

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