LOGIN結婚式を翌日に控えた夜の食事会。何気なく眺めていたSNSで、カップル向けの質問企画が目に留まった。 【もし相手が私じゃなかったら、誰と結婚したい?】 私、瀬尾紗英(せお さえ)は笑いながら、婚約者の早瀬拓真(はやせ たくま)に訊いてみた。 彼はためらう素振りすら見せなかった。 「莉緒かな」 瀬尾莉緒(せお りお)。私の、実の妹だ。 すかさず親友が話に乗ってきた。 「でもさ、拓真くんのこと一番わかってるのって、正直莉緒ちゃんだよね。あんたたちが喧嘩するたびに、朝まで拓真くんの話に付き合ってあげてるのも莉緒ちゃんだし」 莉緒は身を乗り出し、じゃれつくように彼の胸を軽く叩いた。 「お姉ちゃん、自分の婚約者くらいしっかり捕まえといてよね。いつまでもあたしに気があるんじゃ困っちゃう」 テーブルがどっと沸いた。 母の瀬尾真由美(せお まゆみ)も、呆れ半分におかしそうに笑った。 「ただの冗談じゃないの。それに莉緒は、あんたみたいに文句ばっかり言わないしね。拓真くんが莉緒を気に入るのも無理ないわ」 拓真がちらりとこちらを見た。 「冗談だって。なんだよ、また冗談も通じないのか?」 私は何も言わなかった。視線を落とし、ウェディングプランナーから届いたばかりの最終確認書を見つめる。 ドレスも、ブーケも、BGMも、料理も。何ひとつ例外なく、莉緒の好みで選ばれていた。 この結婚式で、最初から最後まで私のものだったのは、新婦の欄に書かれた名前だけ。 花嫁が誰でもいいのなら、こんな式を挙げる意味なんて、どこにもない。
View More2年後、湊南支社はエリア統括本部に格上げされた。私も支社長から、エリア統括部長へと昇進した。両親が最後の返済を終えた日、母から電話がかかってきた。その声は、何歳も老け込んだように聞こえた。「お父さん、体の具合がよくないのよ。莉緒も遠くへ引っ越しちゃって、家には話し相手もいなくてね。お正月くらい、帰ってきてご飯食べていきなさい。あんたの好きなもの、作っておくから」私は、はっきりとは断らなかった。「考えておく。時間が取れるかわからないけど」母はしばらく黙っていた。「紗英。お母さんね、あんたは何でもひとりでできる子だから、構ってあげる必要なんてないって、ずっと思ってたの。文句を言わない子だって、ちゃんと傷ついてるんだって、あとになってやっと気づいたのよ」今さら気づいたところで、過去は変えられない。けれど私はもう、恨みを支えにして距離を取る必要もなくなっていた。「体に気をつけてね」電話を切ってから、私は母の番号の着信拒否を解除した。ただ、自分からかけることはしなかった。そのあと、父が一度入院した。母は病院の住所だけを送ってきて、来いとは言わなかった。【お父さんも年だから、体を壊しやすくてね。莉緒は忙しいみたいだし。都合がついたら、顔を見せてあげて】私は医療費を振り込み、ちょうど出張でそちらへ行く機会に、病院へ立ち寄った。病床の父は長いこと黙り込んでいたが、やがてぽつりと言った。「……すまなかった」私は水の入ったコップを、ベッド脇の台に置いた。「今は、治すことだけ考えて」父の謝罪は受け取った。けれど、謝罪を受け取ることは、忘れることでも、元通りになることでもない。両親という後ろ盾を失った莉緒は、職を転々としているらしい。一度だけ、そんな彼女から手紙が届いた。そこには、言い訳めいた言葉はひとつもなかった。【小さい頃から、泣けばみんなが真っ先にあたしを見てくれるって、わかってた。初めてお姉ちゃんのおもちゃを取ったときは、ドキドキして楽しかった。2度目にお姉ちゃんのチャンスを横取りしたときは、あたしが手に入れて当然だと思った。それからは、お姉ちゃんからどれだけ奪えるのか、試してみたくなっただけ。お姉ちゃんがいなくなって、やっと気づいたの。あたしが勝
「紗英」拓真が、小さなジュエリーポーチを差し出した。中には、婚約指輪が入っていた。「あの日、お前が玄関脇の棚に置いていったものだ。ずっと触る気になれなかった。今、お前に返すよ。売ってもいいし、捨ててもいい」私はポーチを受け取った。「ほかには?」彼は首を横に振った。私は階段を下りた。背後からは、長いこと何の物音もしなかった。ようやく振り返ると、彼はまだ同じ場所に立っていた。目の縁を赤くしながらも、追いかけてはこなかった。彼は、私が離れていくことを尊重できるようになったのだ。ただ、それはあまりにも遅すぎた。湊南では、冬を待たずに初雪が降った。私は指輪を売り、そのお金で家具デザインのスクールに申し込んだ。誰かを思い出すためではない。あれは、もともと私のお金だった。だから、自分のために使いたかったのだ。スクールの修了制作展で、私の作品は最優秀賞を受賞した。展示が終わって外に出ると、入口の前に拓真の姿があった。彼は会場の中には入らず、階段の下に立っていた。「通りがかったの?」私は尋ねた。「いや」彼は正直に答えた。「協賛企業から届いた受賞者一覧でお前の名前を見つけて、入場券を予約したんだ」彼は、古いアルバムを1冊差し出した。中に収められていたのは、私たちが一緒に過ごした6年間の写真だった。その1枚1枚の裏に、彼が1行ずつ言葉を書き添えていた。【初めて友達に紹介してくれた日。俺はお前に、莉緒に席を譲らせた】【お前の誕生日。莉緒が熱を出したからって、俺は途中で帰った】【お前が昇進した日。仕事のことなんて祝うほどじゃないって言った。そのくせ、黒木さんのギャラリーのスタッフに奢って、莉緒の歓迎会を開いてやった】私がこれまで飲み込んできた悔しさを、彼はひとつひとつ書き記していた。最後のページには、写真が貼られていなかった。ただ1行だけ、言葉が書かれていた。【お前が何も言わないから、傷ついてないんだと思い込んでた】ページに舞い落ちた雪が、すぐに溶けて小さな染みになった。「どうして、これを私に見せるの?」「許してほしいからじゃない」彼は1歩下がった。「ただ、時間が経つうちに、俺自身が自分に言い訳を始めるのが怖いんだ。お前を失ったの
案の定、両親は期日を過ぎても一銭も振り込んでこなかった。弁護士が正式な督促状を送ると、母から何十件ものLINEの音声メッセージが届いた。「薄情な娘だ」「家の恥を外に晒すなんて」「莉緒はあんたのせいで寝込んでしまった」と、身勝手な非難ばかりだった。私は、そのどれにも返事をしなかった。1か月後、簡易裁判所で民事調停が始まった。私は振込記録と、両親とのメッセージのやり取りを印刷した資料を持って調停に臨んだ。父はまだ納得がいかない様子で、席に着くなり不満を口にした。「親子のことなのに、わざわざ裁判所にまで持ち込むのか!」調停委員は双方の話を聞いたあと、手元の資料に目を通し、静かに父へ確認した。「こちらのお金については、紗英さんのマンションの頭金に充てるため、紗英さんから借りたものだった、というご説明ですね」父がうなずく。調停委員は振込記録を示した。「ただ、提出された資料を見ると、このうち300万円は莉緒さんの口座へ振り込まれ、その後、留学関係の費用に使われたようです。当初お話しされていた使い道とは異なるようですが、この点についてはどうお考えですか?」私は凍りついた。莉緒は、留学なんてしていない。どこかの学校に出願したという話さえ、私は1度も聞いたことがなかった。「そのお金は、どこに行ったの?」莉緒は私と目を合わせようとしなかった。長い沈黙のあと、ようやく口を開く。「合格しなかったの。残りは、画材とか海外旅行に使っちゃった」あの300万円は、新卒からの3年間、私が切り詰めて必死に貯めたお金だった。マンションの頭金に必要だから少し立て替えてほしい、と母に頼まれたのだ。私はコンビニの特売弁当で食事を済ませ、冬になっても暖房をつけるのをためらった。その一方で莉緒は、そのお金で十数か国もバックパッカーで旅して回っていた。SNSに上がる写真に、私はひとつ残らず「いいね」を押していた。彼女の自由が、羨ましいとさえ思っていた。今ならわかる。莉緒の自由は、私の暮らしを削って支えられていたのだ。「残りの500万円は?」父がうなだれた。「……莉緒のマンションの頭金に使った」私は母のほうを向いた。「莉緒のマンションの頭金を出してあげてたのに、それでも私の家に住まわせたの?
湊南支社の開設日、両親が莉緒を連れてやってきた。母は何事もなかったかのように、菓子折りを抱えている。「莉緒がね、わざわざ謝りに来たのよ」莉緒はずっとうつむいていた。「ごめんね、お姉ちゃん……マンションに住むべきじゃなかったし、お姉ちゃんのウェディングドレスを着ようとするべきじゃなかった。拓真くんにも、あんなに頼っちゃいけなかった。あたし、ずっとお姉ちゃんが羨ましかったの。成績もよくて、仕事もできて、みんなからしっかり者扱いされて。あたしは自分が出来損ないだと思われるのが怖くて、みんなに寄りかかるのをやめられなかった」同僚たちが脇を通り過ぎていく。母が私の手を取った。「ほら、莉緒もこうして謝ってるじゃない。家族なんだから、いつまでも根に持つもんじゃないわ」私はその手を引き抜いた。「その謝罪は、何のため?」「決まってるでしょう。あんたを連れて帰るためよ」「帰らないわ」父の顔が険しくなった。「わざわざ新幹線で3時間もかけて会いに来たんだぞ。これ以上どうしろって言うんだ!マンションは売れたし、拓真くんから金も受け取ったんだろう。お前は何ひとつ損してないじゃないか!莉緒は仕事をなくして、縁談まで破談になったんだ。こいつがこの件で何を得したっていうんだ」私は父を見た。「……縁談が破談になったって、どういうこと?」莉緒の顔が真っ青になった。母が慌てて取り繕う。「向こうのおうちがね、あんたと拓真くんが婚約破棄したって聞いたのよ。ネットでもいろいろ噂されてたし、それで話を進められないって……」莉緒に婚約者がいたなんて、私は知りもしなかった。拓真の愛情も献身も余すところなく受け取りながら、その裏で別の男性との結婚話を進めていたなんて、想像もしていなかった。「みんな、知ってたの?」父が咳払いをした。「まだ両家の顔合わせをした程度だ。正式に決まったわけじゃない」「拓真は?」莉緒は上着の裾をぎゅっと握りしめた。「……拓真くんは、知らないの」その馬鹿馬鹿しさに、一気に笑いが込み上げそうになった。拓真は、莉緒が自分をわかってくれると信じていた。両親は、莉緒は何も持っていないと信じていた。誰もが莉緒を一番に考えていた。それなのに莉緒は、その誰にも、本当の心