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夫が私を愛した頃、私は死後二年だった

夫が私を愛した頃、私は死後二年だった

By:  匿名Completed
Language: Japanese
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私が死んで2年後、夫の神崎怜司(かんざき れいじ)は幼なじみの榊原紗季(さかきばら さき)のために角膜を提供しろと私に迫った。 角膜を自発的に提供する旨の同意書まで持って家に来たのに、そこには誰もいなかった。 仕方なく、夫はマンションの管理人に私の行方を尋ねた。すると、返ってきたのは思いもよらない言葉だった。 「神崎結衣(かんざき ゆい)さんですか?もう亡くなっていますよ。臓器提供の手術を受けたあと、薬を買うお金がなくて、全身に感染が広がり、助からなかったそうです」 夫は信じなかった。私が彼の幼なじみを見殺しにするためについた嘘に違いないと思ったのだ。管理人を指さし、怒鳴りつけた。 「結衣にいくらもらって、あいつと一緒に俺をだましてる!前は肝臓を少し提供させただけだろう。あんな簡単な手術で、死んだふりまでするのか! 3日以内に顔を出さなければ、足の不自由な父親の治療は打ち切る。そう伝えろ!」 そう言い捨て、ドアを乱暴に閉めて出ていった。 怒りに肩をいからせた後ろ姿を見送り、管理人はため息をついた。 「でも、お父様も娘さんの死を受け入れられず、とっくに川に身を投げて亡くなっているんですが……」

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Chapter 1

第1話

私が死んで3年目、怜司がまた私を捜しに来た。紗季のために、私に角膜を提供させようというのだ。

屈強なボディーガードたちが、家の中を手当たり次第に捜し回る。床を剥がしてでも見つけ出そうという勢いだった。それでも結局、彼に向かって首を横に振るしかなかった。

「社長、ひと通り捜しましたが、どこにもいません」

リビングの真ん中に立つ怜司は、深く眉間にしわを寄せた。

「そんなはずがない!体の不自由なあいつが、どこへ行けるっていうんだ。絶対に隠れてる!」

すぐにスマホを取り出し、私の番号を呼び出す。けれど、聞こえてくるのは冷たい自動音声だけだった。

「おかけになった電話は、現在、電源が入っていないため……」

私はため息をついた。つながるわけがない。だって、私は3年前のあの手術で、もう死んでいるのだから。彼は私を気にかけたことも、見舞いに来たこともなかった。だから、死んだことさえ知らずにいた。

「結衣、ずいぶん偉くなったもんだな」

何度かけてもつながらず、怜司の我慢もとうとう限界に達した。鼻で笑うと、ボディーガードたちに命じた。

「管理事務所で防犯映像を確認しろ。どこまで逃げられるか、見てやる」

私は宙に浮かび、慌ただしく飛び出していく一団を見ていた。ただ、悲しかった。紗季のことが絡まなければ、彼がこんなに必死に私を捜すことなんてないのだろう。

私も彼らについて家を出た。

管理事務所に入るなり、怜司は机を平手でたたいた。当番の若い男性職員がびくりと肩を震わせる。

「神崎結衣の出入りの記録を出せ!」

職員は慌ててパソコンを操作し、やがて顔を上げた。どこか戸惑ったような表情だった。

「神崎さん、奥様は……もう長いこと、こちらに戻られていません」

「戻ってない?」

怜司は一瞬きょとんとしたが、何か思い当たったのか、みるみる顔に怒りが浮かんだ。

「ああ、そういうことか。外で男でも囲ってるから帰らないんだな!見つけたら、ただじゃおかない!」

そのまま高圧的な口調で、私が最後にどこへ行ったのか調べろと命じた。

けれど職員は、つばをのみ込んでから、おそるおそる口を開いた。

「実は、奥様は……3年前に亡くなっています」

その場の空気が凍りついた。怜司は面食らったような顔でつぶやいた。

「死んだ?いつの話だ?」

「3年前です」職員が記録を取り出した。「臓器提供の手術のあとに感染症を起こして、助からなかったんです……当時、ご家族にも連絡したそうですが、電話に出てもらえなかったと」

それまでは私の死を疑っていた怜司が、書類を目にした途端、ふっとせせら笑った。目をむき、またあの威圧的な顔に戻る。

「嘘をつくなら、もう少しましな嘘をつけ。結衣にいくらもらって、俺をだましてる!肝臓を少し提供させただけだろう。あんな簡単な手術で、死んだふりまでするのか!

あのとき紗季は、手術は何の問題もなく終わったと言っていた。結衣の回復も順調で、すぐ退院したって、はっきり言ったんだ。それを今さら、死んだって?誰が信じるか!」

怜司が机を何度もたたく。その剣幕に、職員も必死になった。

「嘘ではありません!ご遺骨は今も斎場に預けられたままで、引き取りに来る方もいないんです……」

「黙れ!」怜司は鋭い目で職員をにらみ、言葉を遮った。

「前に提供させたときも、今にも死にそうなふりをしてたじゃないか。それがどうだ。ぴんぴんしてたくせに!お前ら、そろってあいつの味方か。紗季が失明するのを黙って見てるつもりなんだな。そうはさせない!」

これ以上話す気はないとばかりに、怜司は捨てぜりふを残して背を向けた。

「3日以内に顔を出さなければ、足の不自由な父親の治療は打ち切る。そう伝えろ!」

若い職員は何か言いかけたが、結局、ため息をついただけだった。

「でも、お父様も娘さんの死を受け入れられず、とっくに川に身を投げて亡くなっているんですが……」

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松坂 美枝
松坂 美枝
自分の妻が死んだのを3年知らない男 不倫相手の角膜提供時になってようやく思い出す程度の愛 妻の義父の死も知らない 身勝手すぎる人生だった 不倫相手も病気放置して悪化とか体弱いのに命張りすぎ
2026-10-19 09:46:29
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8 Chapters
第1話
私が死んで3年目、怜司がまた私を捜しに来た。紗季のために、私に角膜を提供させようというのだ。屈強なボディーガードたちが、家の中を手当たり次第に捜し回る。床を剥がしてでも見つけ出そうという勢いだった。それでも結局、彼に向かって首を横に振るしかなかった。「社長、ひと通り捜しましたが、どこにもいません」リビングの真ん中に立つ怜司は、深く眉間にしわを寄せた。「そんなはずがない!体の不自由なあいつが、どこへ行けるっていうんだ。絶対に隠れてる!」すぐにスマホを取り出し、私の番号を呼び出す。けれど、聞こえてくるのは冷たい自動音声だけだった。「おかけになった電話は、現在、電源が入っていないため……」私はため息をついた。つながるわけがない。だって、私は3年前のあの手術で、もう死んでいるのだから。彼は私を気にかけたことも、見舞いに来たこともなかった。だから、死んだことさえ知らずにいた。「結衣、ずいぶん偉くなったもんだな」何度かけてもつながらず、怜司の我慢もとうとう限界に達した。鼻で笑うと、ボディーガードたちに命じた。「管理事務所で防犯映像を確認しろ。どこまで逃げられるか、見てやる」私は宙に浮かび、慌ただしく飛び出していく一団を見ていた。ただ、悲しかった。紗季のことが絡まなければ、彼がこんなに必死に私を捜すことなんてないのだろう。私も彼らについて家を出た。管理事務所に入るなり、怜司は机を平手でたたいた。当番の若い男性職員がびくりと肩を震わせる。「神崎結衣の出入りの記録を出せ!」職員は慌ててパソコンを操作し、やがて顔を上げた。どこか戸惑ったような表情だった。「神崎さん、奥様は……もう長いこと、こちらに戻られていません」「戻ってない?」怜司は一瞬きょとんとしたが、何か思い当たったのか、みるみる顔に怒りが浮かんだ。「ああ、そういうことか。外で男でも囲ってるから帰らないんだな!見つけたら、ただじゃおかない!」そのまま高圧的な口調で、私が最後にどこへ行ったのか調べろと命じた。けれど職員は、つばをのみ込んでから、おそるおそる口を開いた。「実は、奥様は……3年前に亡くなっています」その場の空気が凍りついた。怜司は面食らったような顔でつぶやいた。「死んだ?いつの話だ?」「3年前です」職員が記録を取り出した
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第2話
当然、最後のひと言は怜司の耳に届かなかった。私は彼の背後を漂いながら、彼が車に乗り込み、ドアを力任せに閉めるのを見ていた。助手席にいたのは、紗季だった。両目には厚くガーゼが巻かれ、唇は不自然なほど血の気を失っていた。「どうしたの、怜司。結衣さん、見つからなかった?」「あいつの話はするな!どこで覚えたんだか、人とぐるになって、死んだなんて嘘までついてるんだぞ!」怜司は怒りをぶちまけた。だが紗季を不安にさせたと思ったのか、急に声を和らげてなだめた。「でも、心配しなくていい。必ず見つける。絶対に何とかするから、安心してくれ」病院へ戻る間、彼は何度そう約束しただろう。紗季を支えて病室に戻るときまで、信じられないほど優しい声だった。「先に休んでてくれ。先生に話を聞いてくる」紗季はうなずき、弱々しくほほえんだ。「怜司、いろいろありがとう」怜司は笑いながら、彼女の布団を掛け直した。「何を言ってるんだ。紗季のためなら、当たり前だろう?」寄り添う二人をそばで見ていると、胸が苦しいほど痛んだ。彼が私にあんなふうに接してくれなくなって、どれくらいになるだろう。紗季が戻ってきたころからだった気がする。私が死んで丸3年。彼の心には、いつだって紗季しかいなかった。そんなことを考えていると病室のドアが開き、カルテを持った主治医が怜司を外へ呼び出した。「神崎さん、榊原さんの状態がよくありません」医師は眉をひそめ、手元の検査結果を指し示した。「角膜潰瘍が予想よりも速く広がっています。このまま適合するドナーが見つからなければ……」怜司の顔から、さっと血の気が引いた。「先生、まだ待てるって話じゃなかったんですか?」「以前は楽観的に見ていましたが、今は炎症を抑えられません。できるだけ早く、遅くともあさっての午前中には手術が必要です。これ以上遅れると、適合する角膜が見つかっても視力が戻らないおそれがあります。早急にドナーと連絡を取ってください」突然の知らせに、怜司はその場で立ち尽くした。慌ててスマホを取り出し、秘書の瀬川律(せがわ りつ)に電話をかける。「瀬川、神崎結衣の居場所はつかめたか?まだだと?役立たずが……早く捜せ!街中ひっくり返してでも見つけ出せ!」医師の背後に浮かんでいた私は、医師が「神崎結衣」という
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第3話
紗季を寝かしつけたあと、怜司は静かにドアを閉め、廊下のベンチに腰を下ろした。窓から入る夕風に消毒液の匂いが混じり、彼の周りを流れていく。スマホを取り出し、しばらく画面を指でなぞっていた彼が、ふいに私とのトーク画面を開いた。背後から見慣れた画面をのぞいた瞬間、心臓をぎゅっとつかまれたような気がした。やり取りは3年前で止まっていた。最後は、私からのメッセージだった。【わかった。提供する。紗季には安心してって伝えて。手術はきっとうまくいくから】さかのぼっても、果てしなく続くのは私ばかりが送った言葉だった。【怜司、今夜は家で食べる?ミネストローネ、作ったよ】【明日は雨だって。傘、忘れないでね】【今日もお父さんがあなたのことを聞いてた。あなたが作る魚料理が食べたいんだって】【仕事の契約が取れたの。それで、あなたにブレスレットを買ったよ。帰ってきたら、つけてあげるね】何通送っても、返事はひと言もなかった。すべて、深い海の底に沈んでしまったみたいに。怜司の指が画面の上で止まり、長い間動かなかった。廊下の明かりが顔を照らし、その口の端がほんの少し下がるのが見えた。その目はうっすらと潤み、言葉にできない懐かしさと、寂しさを帯びているようだった。胸に、かすかな期待がともった。私のことを……思い出してくれたの?ほんの少しでも。けれど、浮かんだばかりの期待を消したのは、ほかでもない彼だった。突然トーク画面を閉じ、顔を上げたときには、もう冷たい焦りしか残っていなかった。怜司はそのままスマホを操作し、秘書にメッセージを送った。【結衣の居場所はわかったか。あと1日だけだ】私は苦く笑った。やっぱり、勝手に期待しただけだった。そのとき、廊下の向こうから、澄んだ落ち着いた男の声がした。「神崎?」顔を上げた怜司は、相手を見るなり眉を寄せた。「三枝?どうしてここにいる」三枝悠真(さえぐさ ゆうま)が歩み寄ってくる。足取りに合わせて、白衣の裾が小さく揺れた。今はこの病院で眼科医をしている。大学時代、怜司が誰より嫌っていた人だった。悠真は、私のことが好きだったから。でも当時の私は怜司しか見ていなくて、悠真の想いをずっと受け入れなかった。こんな形でまた会うことになるとは、思ってもみなかった。「当直だ」悠真の視線が、怜
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第4話
悠真の言葉が、まだ怜司の頭から離れないのだろう。逃げ出しても行くあてがないらしく、あてもなく車を走らせた末、結局また病院に戻ってきた。車を降りたところへ、ちょうど秘書から電話が入った。「社長、確認が取れました。奥様は3年前に亡くなられています。死因は……手術後、全身に広がった感染症です」怜司の顔が、一瞬で険しくなった。「嘘だ……嘘だ!あいつは生きてる。お前ら、そろいもそろって俺をだますつもりか!」秘書は怯え、何も言えなくなった。私は彼の前へ漂い、頬に触れようとした。けれど、伸ばした手は、その体をすり抜けるだけだった。(怜司、いつになったら、私が本当に死んだって認めてくれるの?)残念ながら、私の声はもう彼には聞こえない。秘書との電話がつながったままのところへ、主治医が茶封筒を持って歩いてきた。怜司に気づき、足を止める。「神崎さん、ちょうどよかった。わかりましたよ。おっしゃっていた神崎結衣さんは、3年前、危篤の状態でこちらへ転院されています。ただ、容体があまりにも悪いうえ、手術後に必要な薬を買うお金もなくて、最後は……」医師は言い切らなかった。けれど、その先は誰にでもわかった。ため息とともに、茶封筒を差し出した。「結衣さんの死亡に関する記録です。今、書庫から取り寄せました。必要な書類もすべてそろっています。お気の毒でした。まだお若かったのに」その拍子に、茶封筒から死亡診断書と一枚の写真が滑り落ちた。写真は、彼が病室に残された私物の中から見つけ、診断書と一緒にしまっていたものだった。写真の中の私は入院着姿で、顔色は黄色くくすんでいた。それでも、目にはまだ消えきらない光が残っていた。怜司の手が震え始めた。診断書と写真を食い入るように見つめ、何度も唇を動かしてから、ようやく声を絞り出した。「違う……そんなはずは……」一人の言葉なら、嘘かもしれない。けれど、誰も彼も同じことを言うのなら、それが事実なのだ。怜司にも、それはよくわかっているはずだった。怜司は震える手で茶封筒を受け取った。喉に何かが詰まったようで、声ひとつ出せずにいた。廊下の消毒液の匂いが急にきつくなり、怜司はむせそうになった。思わず後ずさると、背中が冷たい壁にぶつかった。その冷たさが、背筋を伝ってせり上がる。彼の目の奥で、固く閉ざされていた何か
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第5話
電話の向こうの声がまだ耳に残るうちに、怜司の目から不意に涙がこぼれた。一滴、また一滴と死亡診断書に落ち、紙の端の文字をにじませていく。怜司も、悠真の言葉を思い出しているのだろう。「あのとき君を捨てたのは、紗季のほうだ。学外の金持ちの男に乗り換えたんだよ。結衣は何も言わず、ただ一途に君に尽くした」怜司は深く息を吸い、袖で涙を拭った。床に落としたスマホを拾い上げ、言葉を続けた。「瀬川、もうひとつ調べてくれ……紗季の大学時代のことだ。ほかの男と付き合っていなかったか、特にそこを詳しく。わかることは全部だ」電話を切ってからも、長い間その場に立ち尽くしていた。やがて、病室から紗季の声が聞こえてきた。「怜司?そこにいるの?」彼ははっと我に返り、深呼吸してからドアを開けた。紗季は目を覚ましていた。腕で体を支えて起き上がり、両目にガーゼを巻いたまま、入口のほうへ顔を向けた。「さっき、あなたの声が聞こえた気がして。何かあったの?」怜司は歩み寄り、紗季の青白い顔を見つめた。その表情は、ひどく複雑だった。彼がわざと目をそらしてきた疑問が、今になって次々と浮かんでいるのだろう。少し間を置き、彼は静かに言った。「紗季、聞きたいことがある」「なあに?」「あのとき……どうして急に別れようと言った?結衣が俺たちの間で話をねじ曲げて、わざと仲を裂こうとしたんだって、お前は言ったよな。本当なのか?」紗季の手が、見逃しそうなほどかすかに震えた。すぐに眉を寄せ、傷ついたような声を出す。「怜司、急にどうしたの?あのときのことは、もう話したでしょう。結衣さんのせいよ!あの人はずっとあなたが好きで、私たちが仲よくしているのが嫌だったの。だから、嘘をついたのよ。あなたが私とは釣り合わないと思っていて、もう付き合いたくないって……私は頭に血が上って、それで別れようって言ったの」切実な語り口だった。まるで、あのころ受けた傷を今も抱えているかのように。「あとになって後悔して、あなたに説明したかった。でも、そのときにはもう、あなたはあの人と付き合っていて……二人を見ていることしかできなくて、胸が張り裂けそうだった」怜司は何も言わず、ただ彼女を見つめていた。長い沈黙に居心地が悪くなったのか、紗季はさらに言葉を足した。「大学2年の、あの夏
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第6話
紗季の嘘をまだ受け止めきれずにいる怜司に、さらに残酷な事実が突きつけられた。「あのとき、奥様のお父様は自殺したのではありません。調査の結果、当時の目撃者と、鮮明ではありませんが犯行の様子を捉えた防犯映像が見つかりました。……榊原さんです。あの方が、奥様のお父様と激しく言い争い、手を下したんです」私は怜司のそばを漂い、みるみる血の気が引いていく顔を見ていた。何かに心臓を握り潰されるようだった。隠されていたあの日の出来事が、ようやく明かされる。秘書は、痛ましそうな声で話を続けた。「目撃者の話では、お父様は奥様が肝臓を提供して亡くなったことを知り、榊原さんのもとへ抗議に行ったそうです。自分の娘を死なせた、と。ですが榊原さんは悪びれもせず、奥様を役立たずだとあざ笑ったそうです。『私のドナーになれただけでも、ありがたく思うべきだ』とまで……お父様は激怒し、つかみかかりました。そのもみ合いの中で榊原さんに突き飛ばされ、足元がふらついて、川に落ちてしまったんです……榊原さんは、そのまま逃げています。あとからご遺体が発見されたのですが、周囲には、お父様が娘さんを亡くした衝撃に耐えられず、川に身を投げたと話していたそうです……」そのひと言ひと言が、怜司の胸を重く打った。彼は真っ青になり、秘書が呼びかける声さえ耳に入らなくなった。私は彼を見ながら、父のことを思い出していた。一生を実直に生きた父。足が悪いのに、いつも私に温かいご飯を作ってやると言っていた。私が「家のご飯が食べたい」と言っただけで、杖をつき、停留所3つ分の道のりを歩いて会社まで届けてくれた。私が死んだあと、写真を抱え、気を失いそうになるほど泣いていた父……父はただ、私のために責任を問おうとしただけなのに。あんな最期を迎えるなんて。その父を死なせた女を、怜司は宝物のように大切に守っていた。怜司は勢いよく顔を上げ、取りつかれたように病室へ走った。私もあとを追った。彼は病室のドアを一気に押し開けた。紗季はまだベッドの背もたれに体を預けていた。物音に、不思議そうに顔を向ける。「怜司?どうしたの?」怜司はベッドに駆け寄り、彼女を指さして叫んだ。「お前だ!結衣を死なせたのは、お前だ!結衣の父親を殺したのもお前だろう!この嘘つき!人殺し!」紗季の顔色
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第7話
怜司は長い間、床に座り込んで泣いていた。声も出なくなり、涙も枯れてから、ようやくゆっくり顔を上げた。目はひどく赤く腫れ、頬には涙の跡が残っていた。けれど、そのまなざしは少しずつ変わっていた。氷のように冷たく、鋭い憎しみを帯びた目に。そばに浮かんで見ていた私は、なぜか胸がきゅっと縮んだ。怜司はベッドに手をついて立ち上がった。少しよろめいたが、その動きに迷いはなかった。紗季はまだ言い訳を続けていた。「怜司、聞いて。あなたが思ってるような話じゃないの……」怜司は答えず、決して許せない仇でも見るように、ただ彼女をにらみつけた。スマホを取り出し、すぐに電話をかけた。「もしもし、俺だ。一番腕のいい弁護士を探してくれ。そうだ、今すぐだ。それから」ひと呼吸置き、感情の読めない声で続けた。「紗季の後ろ暗いことを、全部洗い出せ。できる限り詳しくな。警察にも連絡しろ。3年前に結衣の父親が溺死した件で……重要な手掛かりがある、と」紗季の顔が真っ青になった。必死に手を伸ばし、スマホを奪おうとする。「怜司!正気なの?私たち、こんなに長く愛し合ってきたじゃない……」怜司は乱暴に突き放した。紗季は危うく床に倒れそうになった。「紗季、お前が愛情を語れるのか?俺をだました年月も、利用したことも、結衣とその父親を死なせたことも。今日からひとつ残らず、けじめをつけてもらう」紗季は完全に取り乱した。その声は恐怖に染まっていた。「怜司、そんなことしないで!まだ目が見えないのよ!刑務所になんて行けない!一生守るって言ってくれたじゃない。忘れたの?」「守る?」怜司は笑った。目には、少しも笑みがなかった。「俺の目が節穴だった。こんなひどい女を宝物のように大事にしてたんだからな。だが、もう目は覚めた。お前とは、ここできっぱり縁を切る」背を向け、外へ歩き出した。一歩ごとに痛みをこらえるようでいて、その足取りは揺るがなかった。ドアの前で立ち止まり、振り返らずにひと言だけ残した。「覚えておけ。結衣と父親の無念は、法の場で晴らす。俺の手で、お前にも必ず償わせる」ドアが大きな音を立てて閉まり、紗季の泣き声も罵声も向こう側へ遮られた。廊下に出た怜司は、壁にもたれ、深く息を吸った。茶封筒から、私の写真を取り出した。写真の中の私の頬を、指先でそっとな
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第8話
結局、紗季は殺人罪と詐欺罪に問われ、両方の罪を併せて無期刑を言い渡された。収監の日、パトカーに乗せられようとした紗季が、突然取り乱して暴れた。怜司のいるほうに向かって叫ぶ。「怜司!私にこんなこと、しないで!私は目が見えないのよ!何も見えないの!私に言ってくれたこと、忘れたの!」怜司は立入規制線の外に立っていた。全身黒ずくめで、顔には何の表情もなかった。パトカーがサイレンを響かせて走り去ってから、ようやくゆっくり目を閉じた。一滴の涙が黒いカフスボタンに落ち、小さく弾けた。私は彼のそばに浮かび、彼が背を向けて斎場へ向かうのを見ていた。3年間預けられていた骨壺を渡しながら、職員が気の毒そうに言った。「結衣さんのご遺骨は、ずっと引き取りにいらっしゃる方がなくて。私どもは、てっきり……」怜司は骨壺を受け取った。手に伝わるのは、冷たさだった。きつく胸に抱き、表面に記された私の名を指先でなぞる。その手つきは、壊れやすい宝物に触れるように優しかった。「結衣、迎えに来たよ。家に帰ろう」埋葬先に選んだのは、郊外の霊園だった。背後には緑の山があり、目の前には湖が広がっていた。私が生きていたころ、静かな湖を見たいといつも話していたのだと、怜司は言った。彼は自分で墓石を選んだ。その墓石には、私の名前と生没年月が刻まれていた。それから、小さな一行。【二人の心を、一つに結んで】付き合い始めたころ、私が彼に読んで聞かせた言葉だった。とっくに忘れてしまったと思っていた。埋葬の日、親戚も友人もいなかった。彼ひとりだけだった。墓の前にしゃがみ、骨壺をそっと納める。土をかけながら低い声で話しかける様子は、昔、何度も一緒に過ごした、何でもない夜のようだった。「結衣、ごめんな。こんなに長く待たせて。お前が作るミネストローネ、いつも味が薄いって文句を言ってたよな。今は飲みたくてたまらないのに、もう飲めないんだな。お義父さんのお墓も移したよ。すぐ隣だ。これで二人とも、寂しくないだろう。俺が間違ってた。本当に、わかったんだ……お前がまだ生きていたら……もう一度だけ、やり直す機会をくれたかな」とりとめもなく話し続けたが、やがて声が詰まり、墓石にすがって泣き崩れた。私は背後から抱きしめようとした。けれど、そのたびに手は彼の体をすり抜けた。死んだ私には、慰めてあ
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