Se connecter翌日の朝、私は大事な話があると言われ会議室に向かった。
コンコンッ―――――
ドアをノックして扉を開けると、社長である父と副社長、そして専務が座っている。中に入ると同時に三人は立ち上がり、一斉に深々と頭を下げた。
「美月、本当に申し訳ない―――――――」
「なに、一体どうしたというの?」
三人は、昨日の遠藤製薬で陸から言われた話を私に伝えた。
「つまり、結婚を断った腹いせに取引額を減少し、このまま拒否を続けるなら完全に取引停止も辞さない、そう脅されたということですか?」
父は顔を上げず、苦痛に歪んだ声で答えた。
「……会社の都合で、美月の人生を指示するようなことはしたくなかった。だが、昨日の訪問後に収支と資金の余力を調べたんだが、遠藤製薬の受注がなければ、このままいくとあと半年でこの会社は倒産するしかなくなってしまう」
「そんな……」
「社員五百人以上の生活がかかっているんだ。美月には本当に申し訳ないと思っている。しかし、他に手立てがないんだ本当に申し訳ない……。」
「美月さんにこんなお願いをするのはおかしいが、遠藤製薬との取引を停止されるわけにはいかないんだ。謝罪をしてもしきれない。でも、社員を守るためなんだ。」
副社長、専務にも頭を下げられ、私は言葉を失った。
遠藤陸に興味がないどころか、苛立ちと憎しみしか持たない。しかし、あと半年でこの事態を解決する手段を私は持ち合わせていない。この話を受け入れるしかないことだけは理解し、私は深く大きくため息をついた。
「分かりました。婚姻の話、受けさせていただきます」
(結婚する予定だった彼には別れを告げられ、今度は会社のために知らない男に嫁ぐ……私の人生って、いったいなんだろう)
そんなことを思いながら、帰り道、私は空を見上げた。
季節は秋から冬に変わろうとしていて、枝に一枚の葉っぱがひらひらと揺らめいている。鮮やかだったはずのその葉は、すっかり茶色になり、ところどころ穴があいている。
枯れ果ててボロボロになりながらも、それでも必死に枝にしがみついている葉は、遠藤陸の思い通りになりたくないと必死に抵抗を試みる自分自身のように見えた。冬を告げる乾いた風が頬に冷たくあたり、風当たりの強いこの状況は、孤独で逃げ場がなかった。
――――
「酒井美月です。この度は、婚姻のお話ありがとうございます」
駅のすぐ横にあるシティホテルの最上階にあるレストランの個室。この日、私は陸と初めて二人きりで食事をした。
「堅苦しい挨拶は好まない。お前は俺が聞いたことだけ笑顔で応えていればいいんだ」
会社の取引で圧力をかけてまで婚姻を迫ってきたとは思えないほど、陸の態度は冷めきっていて、会話と言う会話もない。
聞いたことだけ答えればいいという割には、彼は何も尋ねてこなかった。まるで、私と会話することに意味がないと言わんばかりに料理にばかり集中している。
松茸やキャビア、フォアグラなど高級食材を使った料理が次々と運ばれてくるが、この重苦しい空気の中で食べる料理はどれも味がせず、ただ静かに口の中へ入っていくだけだった。
「食べ終わったことだし、下の客室に部屋を取ってある。行くぞ――――」
「え……ちょっと待ってください」
自分がデザートを食べ終わると、陸はさっさと席を立ち、入口に向かって歩き出した。私のお皿には食べかけの和栗のタルトがまだ残っている。芳醇な香り漂うコーヒーもまだ温かいままだが、陸は気にかける様子も振り向くこともしなかった。
慌てて席を立ち、食べかけのタルトをもう一度見てから小走りで陸を追いかけた。
「遅い!何していたんだ。子どもでもあるまいし、まさか食事食べてそのまま帰るとでも思ったのか?食事を食べさせてもらっただけありがたいと思うんだな。黙ってついてこい」
エレベーターに入ると二人きりになったことをいいことに陸は怒号を上げた。一つ下の階で止まると、強引に私の腕を引き降りるように指示をする。陸は胸ポケットからルームキーを出してかざすと、何も言わずに中に入っていった。
私がその場に立ち止まり、中に入るのを躊躇していると、苛立った表情で私の手を引いてくる。扉が閉まるのと同時に舌を絡めるキスをしてきた。
「ん……、待って。いや」
「いや?誰に向かって口をきいているんだ。お前に嫌なんていう権利があるわけないだろう」
「そんな……」
「お前の父親もお前も何も分かっていないようだな。お前が俺に意見など出来ると思うな。分からないようなら、取引の件をまた見直してもいいんだぞ」
陸は私をベッドに連れていき押し倒すと、乱暴に服を脱がし床に投げ捨てていく。
「ほお。顔だけはいいと思って選んでやったが、身体もそれなりだったか。いい買い物をした」
(買い物?この人にとって、私はただの『物』だと言うの?)
怒りでシーツに皺が出来るほど強く握る。陸は新しいおもちゃでも買い与えてもらった子どものように、私を隅から隅まで見まわした後、独りよがりに私を抱いた。
何の愛情も感情の欠片もない行為に、心が泣いている。この先の生活を思うと、この部屋と同じように何も見えない暗闇で、希望を見いだせなかった。
美月side私がメールを送った相手は、他でもない父だった。終業後、私は会社の応接室で父と向かい合っていた。「お時間を取らせてすみません」「いや、構わないよ。それで話というのはなんだ」父は私の真剣な顔を見て、既にただ事ではないと察しているようだった。私は深く呼吸し、胸に秘めていた決意を告げた。「はい、この会社を辞めようと思います。退職させてください」「辞める……? 一体どうしたんだ?」驚いて言葉に詰まっている父を見て、私は小さく息を吐いてから何度も頭の中でシミュレーションしていた言葉を口にした。「私は、今までお父さんの会社が遠藤製薬に依存していることに強い危機感を感じていました。遠藤製薬ありきの会社から脱却したかった。だけど、従業員の多くはそのように感じていません。主要取引先との契約条件が改善されて、みんなこの関係の維持を望んでいる」「それが不満だから辞めたい、ということか?」「いいえ。遠藤製薬とこの関係が続けば会社の財務もかなり改善されて余裕が出るし、会社だって安泰だと思う。陸が後継者になることが決定していないうちから、焦ったりリスクを取るのは杞憂
美月side涼真には未来を見ると言ったが、実際は何をしたら本当に前に進めるか分からずにいた。(社員の反対を押し切って話しを進めるのは、陸のような独裁者で横暴なのかもしれない)そんな思いが邪魔をして、私の行動を躊躇させている。しかし、このまま立ち止まることは、私にとって『自由を捨てること』と同義だった。「もっと具体的に、ちゃんと形にして周りが納得してもらえる状態になるまでは、提案や周りを巻き込むことはやめて一人で進めていこう」終業後や休日、誰にも相談することなく、私は黙々と殻に閉じこもるように調べ事や見積りなどを取り次の一手を模索した。周りに理解されなくても、孤独でも、私は現状のままでいるのは嫌だった。誰かに社運や自分の人生を握られている状態にはなりたくなかった。表面上は恵まれていると思ったり、第三者からそのように見えるかもしれないが、実際に会社や自分の意思で動けないようなら、それは恵まれているのではなく、魅せ方だけをよくしているだけで実際には縛られているのと変わらない。いくら鳥籠の広さが大きく、餌が豪華になろうと、籠の中にいることに変わりがないのなら、私はその籠自体から飛び出したかった。今、その籠に安心感を覚え、安らげる人がいるのなら彼らはそのままでもいい。私は、籠の中で羽をばたつかせるだけでなく、いつか外に出て羽を伸ばしたかった。本当の自由を手に入れたかった
美月side「もうやめて……。私もこのままじゃ良くないと思って、遠藤製薬がいなくても自走できるように今、会社を立て直そうとしているの。だから今は騒ぐよりも、うちの会社の将来を考えることに集中したい」「そんなんじゃ俺が納得できないよ。俺は、あのことさえなければ美月と結婚していた。それに、俺と別れていた間、美月があの男に色々なことをされていたかと思うと憎くて……」「もうやめてって言っているでしょ!」私の声に周りの人が気づいて、こちらをチラチラと覗き込んでいる。居たたまれなくなり、残っていたコーヒーを一気に飲み干し、伝票を持って店を出た。「美月、待って。待ってくれ」慌てて追いかけてきたので、店の前で立ち止まり涼真にはっきりと告げた。「ごめん、やっぱり涼真とやり直せない」「今のは言い過ぎた。だからもう一度チャンスをくれ」「ごめんね。涼真には、『涼真も騙されていたんだから仕方がない』って言ったけれど、本当は、お金を受け取って、別れを告げられたことが引っかかっていたの。」「でもそれは、俺の状況も理解してくれよ…&hel
美月side「そんなやつ、弁護士でもなんでも使って叩きのめせばいい。あいつは美月の人生を、そして俺と美月の将来を踏みにじったやつなんだ」「……ありがとう。怒ってくれるのは嬉しいけれど、うちの会社が遠藤製薬に依存しているのは事実なの。だから、今訴えたら会社の経営に支障が出るわ。それに、あの人の悪事を伝えて取引条件の見直しをしてもらって、今は他社よりもいい条件で取引出来ているわ。それにあの人も地方に異動になって、もうしばらくは関わることはないはずだし……」「そんなんじゃ甘いよ。裁判にして賠償金や慰謝料を貰えばいい。そのお金を資金にすれば会社だって大丈夫だろう」その瞬間、私の中で何かが大きく音を立てて崩れていった。会社と社員のためを思って婚約をして、陸の横暴さに必死に一人耐えてきた。その中で、なんとかして会社を守りつつも婚約破棄をするために、会社の立て直し策を考え、実績を出したことで、少しずつだが自走できるように変わっていった。それは簡単に出来たことではなく、長い歳月をかけてやっと実現したことで、何も知らない涼真に「慰謝料を資金にしろ」と指摘されたことは、今まで走ってきたことを全否定されたような気分だった。涼真の言っていることは、正義感としては全うかもしれない。だけど、現実はそんなに綺麗でも甘くもない。慰謝料が
美月side「社長はあの人の父親だけど、取引の決定権はあの人が持っていて逆らえなかった。父や役員も強引な要求に怒っていたけれど、断ったらうちの会社はあと半年で倒産するしかないことが分かって。あの人がなんて言ったか知らないけど、これが真実よ」私がテーブルの下で両手を固く握りしめていると、涼真は大きく目を見開いて言葉を失っていた。「それじゃ、美月が本当はあの男と結婚したいけど俺が邪魔だと言ったのも……」「すべてあの人の嘘よ」「そんな……」「私は、最初涼真がいるから断った。だけど、その話があってからしばらくして、涼真は理由も言わずに別れを告げたよね?連絡もブロックして、共通の友人からの連絡もすべて無視して話も出来なかった。もう涼真もいなくて、会社と社員を守るためには婚約するしか方法はない、そう思ったの」一年半前の絶望が蘇り、重苦しい空気が流れていた。「なんでそんなことを。なんであの男は平気でそんな嘘がつけるんだ……」涼真は、陸の非道さに信じられないというように怒りで拳をプルプルと震わせていた。「あの
美月side土曜日、涼真と食事に行くことになり私は駅に向かっていた。名古屋から郊外に離れていくこの路線は、涼真と会う時だけに使っていて乗るのは久々だった。電車に揺られながら窓の景色を見ていると、あの時の気持ちが蘇ってきた。学生時代は、毎日のように大学で会っているというのに休みの日に二人で出掛ける時はデートだといつもよりメイクを張り切っていた。普段はカジュアルな格好が多かったが、ワンピースが好きな涼真に合わせてデートの時はいつもワンピース。そして今日も、ワンピースを着ている。(今日、涼真に会ったらどんな雰囲気になるんだろう。涼真はやり直したいと言って、彼女とも別れたみたいだし、あとは私がどうしたいかだ……)自分の気持ちが分からず宙ぶらりんなまま、涼真の元へと向かっていった。駅に着くと、涼真は少し緊張した面持ちで立っている。「お待たせ」「美月、来てくれてありがとう。行こうか」「……うん」一緒に居た時間の方が長いのに、一年半という時間は私たちに物理的な距離をもたらしていて、会話もどこかよそよそしく、過去のような親密な空気はまだ戻ってこない。涼真が選んだ、落ち着いた雰囲気のカフェで飲み物を注文し、しばし沈黙が流れた後、涼