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3.使い捨ての賞味期限、狭い世界からの飛び出し

last update Last Updated: 2025-10-09 12:08:20

婚約が決まってから、私は陸の会社で働くこととなった。彼の下で働き、雑用から書類作成、取引先の対応まで任された。しかし、表向きは全て陸がやっていることになっている。私は、いいようにこき使われる影武者だ。

「今どこにいる。取引先の会長にお前を紹介する。今すぐ来い」

電話がかかってきたら、すぐに言い渡された場所に来るように命令される。

「遠藤取締役の婚約者ですか―――お綺麗ですね。美人な婚約者を手に入れたと噂には聞いていましたが、本当に綺麗だ。ミスコンの優勝者なんですって」

「いや、それほどでも。縁があって一緒になることしました」

(『婚約者を手に入れた』そう、その通りよ。)

相手に悪意がないことは分かっているが、心の中で毒づいて反論する。陸は、有名私立大学のミスコンで優勝した私を、昼夜問わず呼び出しては周囲の人間へ自慢をしていた。

「先日、多額の結納金を送ったからな。お前は俺に見合う妻になるため、俺の指示に従ってろ」

遠藤家から一千万円の結納金をもらい、父の会社は、その資金で窮地を脱し遠藤製薬からの受注も無事に再開した。

陸の態度は日を追うごとにエスカレートし、彼の秘書を通じて私への『教育』と称して過度なスケジュールが組まれるようになった。最高級のエステ、料理教室、マナー研修、そして陸の顧客との食事会。顧客の前では私に対して優しく振る舞うが、二人きりになった途端、陸の態度は豹変した。

「マナーがなってないぞ。お前の父親の会社が小さな下請けだから、お前も所詮その程度の品位なんだ。恥をかかせるな」

陸の罵倒を聞くたびに、心の奥底で怒りの炎が燃え上がるのを感じていた。

(偉そうにするしか能がないあなたに言われたくない。いつか、この男に全てが自分の思い通りにはならないと分からせてやりたい……)

しかし、そう思ったところで私の自由は利かない。私には、父の会社の五百人以上の社員の命運が掛かっているのだ。

陸の会社に勤めてから二か月後のことだった。終業時間が終わってから陸に呼ばれて出向くと、休憩室から聞こえる雑談の中に陸の笑い声があった。

「遠藤取締役の相手が美人だって社内でも有名になっていますよ」

「ああ、あれな。あんなのただの使い捨てだ。顔がいいから選んだだけで、飽きたら次に行くだけだ」

「そんなこと言って。奥さんが美人だと産まれてくる子も可愛いんだろうな」

「何を言っているんだ。俺が求めているのは若くて綺麗な女だけだ。妊娠なんかしたら太って醜くなるだろう。賞味期限切れの女に用はない。俺以外もそう思っている男もいる」

陸は吐き捨てるように言って、馬鹿にしたように小さく笑っている。

(……使い捨て?妊娠したら醜い?)

その言葉を聞いて、今まで抑え込んでいたものがプツリと音を立てて切れた。陸は、私と結婚しても『使い捨ての道具』として扱おうとしていること。そして、私は、彼の人生における一時の飾りであり、賞味期限が過ぎたら容赦なく捨てられる――。

政略結婚に感情が介入しないことは覚悟はしていた。それでも、実際にそれを本人から笑い話のように聞かされるのは、あまりにも耐えがたい屈辱だった。

陸のために流れる涙なんかなく、代わりに全身の血が凍るような静かな絶望と、どうしようもないほどの激しい怒りが私を支配した。

(このまま彼の言いなりになって生き続けるなんて嫌だ―――今夜だけは、陸の言いなりになりたくない)

私は来た道を引き返し、人通りの多い夜の繁華街へと飛び出した。行き先などない。ただ、今は陸の飾りになりたくなかった。

ビル群の光が眩しく騒がしい雑踏が耳に響く。私は、賑やかな場所を避け、裏通りにひっそりと佇む小さな店へと足を向けた。

カウンター席に座り、ビールを頼む。

「ちょっと名が知れているからって偉そうに。父のことも会社のことも馬鹿にされるのは許せない。遠藤製薬からしたら小さな会社でも、父も従業員も誠実で真っ直ぐに生きているんだから。なじられる覚えはない!」

陸への罵倒を心の中で叫びながら、運ばれてきたビールを一気に飲み干し、焼き鳥を串のまま豪快に口に入れた。マナーなんてくそくらいだ。

「いい食べっぷりですね」

隣から、低く、落ち着いた声が聞こえた。男性は小さく笑っているが、馬鹿にする様子はなく、私の荒れた姿を愉快に楽しんでいるようだった。

柳 世羅――――

彼は、私の人生を一夜にして変えることになる男性だった。

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