Compartir

第 2 話

Autor: 江上開花
亜夕美は黙って階段を上がり、主寝室のドアノブに手をかけた。扉を押しを開けた瞬間、彼女の足が足を止まった。

背後で執事の顔色が変わり、慌てて彼女を制しようと駆け寄ったが、もう遅かった。

部屋の中は一目で見渡せる。ベッドには女性用のシルクのキャミソールと男性用の白いシャツが無造作に放り出されていた。

執事はおそるおそる口を開いた。「旦那様が……この部屋は風水が良く、路加様が療養するのに適しているとおっしゃっておりまして……一時的にこちらでお過ごしいただくことになりました……ゲストルームの準備はすでに進めておりますので……」

亜夕美は冷たい声で彼の言葉を遮った。「私の荷物は?」

執事は彼女の手が届かない距離まで後ずさりした。「……物置部屋にございます」

亜夕美が物置部屋に向かった。執事は彼女の意図が読めず、使用人を呼んで後を追わせ、自分は階下へ降りて将臣に知らせに行った。

庭では、路加の周りに人が集まり慰めるフリをしながら、したり顔で将臣に耳打ちしていた。

「あの亜夕美って子、何様のつもりなんだよ?路加に手を上げるなんて。刑務所で一年過ごしても、まだ改心してないみたいだな」

「所詮は成り上がりの芸能人で、品も教養もなく、目先のことにしか興味がないのね。路加と将臣は幼なじみで、しかも一緒なる間柄なのに。最初からあの子の出る幕なんてなかったのよ」

「はぁ、将臣はもう離婚すべきだよ。お父様もいなくなった今、路加との関係を邪魔する人はもういないんだから……」

聞き飽きたその言葉に将臣はこれまでなら適当に受け流してきた。だが、今はなぜか胸の奥にいら立ちが渦巻く。

「もういい、今日はこれで解散だ」将臣はそう言うと椅子を蹴飛ばした。

その剣呑な表情に口を開きかけた誰もが沈黙し、路加に慰めの言葉をかけながら去っていった。

人がいなくなると、路加の忍んだすすり泣きがやけに耳に障った。

「今日の件は亜夕美が悪い。あとでちゃんと話をしておく」将臣は眉間を押さえ、路加の腫れた頬を見つめた。「湯川に頼んで医者を呼ぼう」

路加は軽く首を振った。「私が悪いの。もし私が亜夕美さんのように健康だったら、将臣に迷惑をかけずに済むのに。亜夕美さんは私たちの関係を誤解しているだけよ。私のことはいいから、彼女のところに行ってあげて」

その健気さに将臣は胸を打たれた。「本当にお前は……いつもそうだ。なのに亜夕美は身の程知らずだ……」

将臣は路加の腫れた頬を見れば見るほど、腹立たしさが込み上げてきた。そして脩太に向かって言った。「路加おばさんのこと頼んだぞ。ママと話してくる。本当にひどいママだ!」

――路加の代わりに刑務所に入ったからといって、俺がなんでも許すとでも思っているのか?

騒ぐにしても場所をわきまえろ!

脩太は小さく頷き、路加の手を引いた。階段を駆け上がる父親を見て、小さな口を尖らせ不満を漏らした。「ママはなんであんな乱暴なんだろう。路加おばさんが俺のママだったらよかったのに」

路加は優しく脩太の頬をつねった。「そんなこと言っちゃダメよ。パパとママはまだ離婚してないんだから……」

脩太の瞳が輝いた。――じゃあパパとママを離婚させればいいじゃん!

脩太は亜夕美という母親に心底うんざりしていた。いつもガミガミうるさくて、あれもダメこれもダメ。そして説教ばかり。

――ママなんて刑務所から出てこなければよかったのに。戻ってきてすぐ路加おばさんをいじめるなんて、最低だよ!

二階にて。

亜夕美は物置部屋の前に立ちすくみ、無造作に積み上げられた自分の荷物を見つめた。指先には力を込め、爪が掌に食い込んだ。

どこまでも悲しく、滑稽だった。

すべてを投げ打って将臣の妻になったあの日、この荷物のように捨てられ埃を被る運命はすでに決まっていたのだ。

自業自得だ。

すべては自分が招いたことなのだ。

背後の足音が聞こえる。誰が来たのかは分かっていたが、振り返る気も起きなかった。

将臣は荒々しい怒りを隠さず階段を駆け上がってきたが、物置部屋に積まれた荷物を見た途端、その怒りが一瞬消えた。

いつ、こんな風に彼女の荷物を追いやったのか、もう思い出せもしない。

だが、そんなことはどうでもいい。

「どれも古くなったものばかりだ。欲しいものがあれば新しいのを買えばいい」将臣が言い終わらないうちに、亜夕美は彼の声など耳に入っていない様子で、黙々と荷物を探り始めた。

「何を探してるんだ?使用人に探させたらいい」将臣は眉をひそめる。

亜夕美は応えなかった。

将臣の我慢の限界に達し、低い声で言った。「……今日迎えに行けなかったことを怒ってるのは分かるが、今日のお前は限度を超えてるぞ。帰ってきてから、俺と脩太に優しい言葉のひとつもない。その死人みたいな顔を見せに帰ってきたのか?」

ガタガタッ……!

その時、積み上げられた箱が崩れ、中から数々のトロフィーが転がり出た。埃が舞い、光が霞む。

将臣は反射的に埃まみれになった空間から後ずさる。亜夕美は身をかがめて一つ拾い上げ、そっと埃を払った。

【最優秀女優賞】その金色の文字だけが、薄暗い部屋の中で確かに光っていた。

残りのトロフィーはすでに割れていた。

ガラクタ扱い?

今は確かにガラクタだ。

亜夕美の心と同じように。粉々に砕けて、もう元に戻らない。

将臣が口を開いた。「修理させよう。トロフィーなんて修理できなくても新しく作らせればいい。何個でも欲しいだけ作らせるよ」

そう言いながらスマホを取り出そうとした。

「いらない」亜夕美はトロフィーを手から離した。最後のトロフィーも床に落ち、粉々に砕けた。

「壊れたものは、汚れた男と同じ。捨てるしかないのよ」亜夕美の冷め切った声に、将臣の胸の奥で何かが崩れた。

「亜夕美!」

亜夕美は初めて真っすぐ将臣を見た。10歳のあの日、孤児院の片隅で見上げたあの高貴な少年と初めて出会った。

その後、亜夕美は抜群の容姿で芸能界に入った。必死に努力してキャリアを積み、人気絶頂期に将臣からプロポーズされた。

当時、それは神様からのプレゼントだと思っていた。長年の片思いが実を結び、キャリアを全て捨て、彼と一緒になった。この人を愛さなくなる日が来るとは夢にも思わなかった。

「将臣さん、離婚しましょう」亜夕美は淡々と言った。「冗談じゃないわよ」

「……離婚?」将臣の顔がみるみる紅潮し、怒りが爆発した。

亜夕美を睨みつけ言い放った。「お前はこの家で俺に養われて生きてきたんだ。離婚して、贅沢な生活ができるとでも思ってるのか?離婚なんて言える立場じゃないだろ?!」

将臣はさらに軽蔑を込めた言い方でつづけた。「刑務所で一年過ごして賢くなったな。離婚で脅すなんて。……やめておけ。離婚したってお前一人じゃ生きていけない。『辰川夫人』の座が欲しい女なんて、星の数ほどいるんだから、今の自分の状況をありがたく思え!」

亜夕美はその言葉に心底からの嫌悪を感じ、顔色がみるみる蒼白していった。

――これが何年も愛してきた男の正体。なんて卑劣な人間なのか!

将臣は急に蒼白になった亜夕美の顔を見て、彼女が怯えたと思い込んだ。いつものように飴とムチ作戦を使い、彼女の頬に手を伸ばした。

「亜夕美、わがままいうな。いいか?俺と離婚して、お前は食べていけるのか?あの孤児院の院長の治療費は誰が払うんだ?」

亜夕美は将臣の手を軽蔑を込めて払いのけた。「そんな心配いらないわ」

将臣の作戦は失敗に終わる。彼は顔を引きつらせて、怒りに肩を震わせた。「好きにしろ。お前が俺に泣きついて戻ってくるのを楽しみに待ってるぞ」
Continúa leyendo este libro gratis
Escanea el código para descargar la App

Último capítulo

  • 夫と子を捨てた女、離婚後に世界の頂点に立つ   第 104 話

    話しているうちに、亜夕美はすでに静樹の車椅子を押して動き始めていた。その瞬間、背後から将臣の凍りつくような声が響く。「――お前、出て行けるもんならやってみろよ!」亜夕美は聞こえないふりをして、空港スタッフを呼んで先導を頼み、そのまま医務室へと向かった。菜実は碧唯の手を握って、不安そうに後を追いかける。「亜夕美ぃ!」VIPラウンジ内は一気に静まり返った。もともと静かな空間だったが、今や空気は凍りつき、全員がそっと将臣の様子をうかがっていた。将臣は、頬にくっきりと平手の痕をつけたまま立ち尽くし、全身から嵐の前の静けさのような重苦しい空気をまとっている。路加が反射的に将臣の腕に手を添え、

  • 夫と子を捨てた女、離婚後に世界の頂点に立つ   第 103 話

    将臣の拳はすでに振り下ろされていて、もう引き返せる状態ではなかった。亜夕美に止められたからといって、やめるつもりもなかった。むしろ、余計に苛立ちが募っていた。だからこそ、その拳は一切の加減なしで、静樹の顔面に叩き込まれた。静樹の左頬はたちまち腫れ上がり、唇の端も切れて、鮮血が流れ出す。その血は彼の蒼白な顔に滴り、ひときわ目を引く痛々しさを放っている。その場にいた由紀子と菜実が同時に駆け寄り、路加も席から立ち上がった。だが、誰よりも早く動いたのは亜夕美だった。将臣が手を出したその瞬間、亜夕美はすでに二人の間に割って入っていた。手に持っていたコップはいつの間にか放り出され、無意識のうちに

  • 夫と子を捨てた女、離婚後に世界の頂点に立つ   第 102 話

    路加は嫉妬に満ちた目で亜夕美の顔を睨みつけた。――こんなにしつこく付きまとってくる女だとは。あの時刑務所で徹底的に潰しておくべきだった!路加は冷静を装って将臣に尋ねる。「将臣、娘さんはどうして亜夕美さんのことをママって呼ぶのかしら?もしかして、密かに佐武社長と付き合ってたんじゃないの?」路加は口元を手で覆い、うっかり口を滑らせたふうを装って取り繕った。「そんなはずないか、亜夕美さんは出所したばかりだし、普段外にも出ないって聞いたし……昔からの知り合いなのかもね?」その言葉が終わるや否や、将臣は立ち上がり、大股で向かい側へと歩いていった。静樹がちょうどコップを唇に運ぼうとした瞬間、目の前

  • 夫と子を捨てた女、離婚後に世界の頂点に立つ   第 101 話

    路加は何か言いかけて、すぐに口を閉じた。路加はもう悟っていた――このクソガキ、演技が上手すぎる!普通の家の子ならまだしも、よりによって静樹の娘だなんて!将臣ですら静樹に対しては下手に出ざるを得ないのだから、路加にとっては到底逆らえる相手ではなかった。静樹は「そうか」とだけ言い、始終一度も路加の方を見ることすらなく、将臣にだけ向かって言った。「自分の連れくらいちゃんと管理したらどうだ?まるで暴れ犬だな。見境なく噛みついて、みっともないぞ」将臣は冷笑した。「おいおい、俺に説教はやめてくれよ。もし本当に俺のことを思ってるなら、俺の妻を家に返してくれないか。お前の下で働く人間なんて腐るほどい

  • 夫と子を捨てた女、離婚後に世界の頂点に立つ   第 100 話

    ましてや隣には静樹がいた。将臣は淡々と口を開いた。「離婚したといっても、まだ諸々やるべき手続きは残ってるし、まだ正式に俺から世間に公表したわけでもない。だから形式上は君はまだ辰川将臣の妻だ。外では他人と適切な距離を保つべきだぞ」「頭おかしいんじゃないの」亜夕美はぼそっと呟き、それ以上は関わりたくない様子で静樹に向き直る。「私たちはラウンジに行きましょう」「頭がおかしい」という一言は静樹にもはっきりと聞こえた。静樹はニンマリ顔が止まらない。そしてその次に聞こえた「私たち」という言葉。静樹の心は浮かれて天まで昇ってしまいそうだった。亜夕美が将臣の目の前で「私たち」と言ったのは、先ほど将臣が言

  • 夫と子を捨てた女、離婚後に世界の頂点に立つ   第 99 話

    三人が空港に到着すると、亜夕美は真っ先に車から降り、静樹に感謝の言葉を伝えようとした。振り返ると、ボディーガードが静樹を車から降ろしているところだった。亜夕美は恐縮しながら言った。「ここまでで結構です。わざわざ降りる必要はありません」碧唯がトコトコと走り寄って亜夕美の手を握り、首をかしげながら明るい声で言った。「ママ、知らなかったの?パパと私、ママと同じ飛行機なんだよ」「そうなの……」亜夕美は二人が一緒の便に乗ることを初めて知った。「由紀子さんは?」静樹が答える。「もう搭乗口に向かってる」「そうなんですね」ボディーガードが静樹たちの荷物を受け取りカートに載せていると、静樹は自

Más capítulos
Explora y lee buenas novelas gratis
Acceso gratuito a una gran cantidad de buenas novelas en la app GoodNovel. Descarga los libros que te gusten y léelos donde y cuando quieras.
Lee libros gratis en la app
ESCANEA EL CÓDIGO PARA LEER EN LA APP
DMCA.com Protection Status