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第 3 話

Auteur: 江上開花
二人は険悪な雰囲気のまま別れた。

結婚してから初めてだった。亜夕美は喧嘩をしても折れることなく自分の気持ちを押し通した。

将臣は亜夕美に見せびらかすかのように、さっき帰した友人たちを呼び戻し、祝宴の続きを始めた。

彼の頭にあったのは、「どうせ亜夕美のことだ、きっと我慢できずに飛び出してきて、暴れ回るだろう」という予想だ。

いつものように。

しかし深夜になっても、彼女の姿は見えなかった。

亜夕美はゲストルームでシャワーを浴びるとすぐ眠りについた。

――翌日。

刑務所での生活習慣が染みついた体は、朝六時には自然と目が覚める。

亜夕美は慣れた手つきで布団を整え、ふと我に返る。「そうだった、私はもう出所したんだった」

自嘲気味に首を振り、顔を洗って一階へ下りる。

一階では使用人たちが忙しく朝の支度をしていたが、亜夕美を見るなり、どこか気まずそうな顔をした。

そこへ執事が玄関から入ってきた。亜夕美は色褪せた洗いざらしの服を着ていた。やせ細り、顔色は蒼白。けれどその美しさは損なわわれることなく、むしろ長年太陽の光を浴びていない儚く病的な魅力さえ漂わせていた。

執事はすぐに立ち去ろうとしたが、亜夕美はすでに彼の存在に気づいていた。「車の鍵をちょうだい」

執事はしぶしぶ一番安い車の鍵を持ってきて渡す際にぽつりと口にした。「旦那様とお坊ちゃまは八時に朝食を召し上がります。奥様が今お出かけになられたら、お二人のお食事のご用意は間に合いますでしょうか?」

亜夕美は鍵をひったくると、大股で外に出た。「作りたい人が作ればいいじゃない」

その一分後、車のエンジン音が遠ざかっていった。

執事は遠ざかる車を見送った後、すぐに辰川家当主である将臣の父親に電話をかけ、亜夕美が出所したことを報告した。

リビングに戻ると、ちょうど将臣が階段を下りてきた。

「誰が出かけたんだ?」

二日酔いのイライラ顔で、冷気をまとっている。

執事は彼の様子をうかがいながら、「奥様でございます」と答えた。

「どこに?」将臣の表情が一気に暗くなる。

「それは……申しておりませんでした」

将臣はソファにドカッと腰を下ろし、こめかみを抑えながら苛立ちを抑える。

昨夜遅くまで騒いでいたのに、亜夕美は結局最後まで現れなかった。友人たちは亜夕美のことを「聞き分けがよくなった」などと言っていたが、なぜか将臣の中では苛立ちが消えなかった。

何かが自分の手から離れていくような感覚。

亜夕美はまさに道端の雑草で、いくら除草したところで根を断ち切れないような根性を持っている。

亜夕美は本当にそんなに簡単におとなしくなるのか?

将臣の瞳に、冷たい氷のような光が差した。

答えは、否だ。

家族のために朝食を作るでもなく、息子の面倒を見るでもなく、一言も残さず出ていく――やはり、昨日は亜夕美を甘やかしてしまったようだ。

その頃、亜夕美は法律事務所を訪れていた。

事務所を出てきた時、手には新しい離婚届が2部。自分のサインを済ませた後、一通を別宅へ、もう一通を将臣の会社へ送った。

彼がどこにいようと、確実に届くように。

亜夕美は道路脇に立ち、行き交う車を眺めながら、弁護士の言葉を思い出していた。

「……本当に子供の親権を争わないおつもりですか?息子さんはまだ小さく、善悪の判断がつきません。きっと周囲の影響を受けているだけでしょう。何を言ってもあなたの実のお子さんです。母親を愛さない子供なんて、いませんよ。もう少し時間をかけて向き合ってから決めてはいかがでしょうか」

一組の母娘が横を通りかかった。小さな子供は「ママ、ママ」と母親にしがみついている。亜夕美の視線は自然とその親子を追っていた。

脩太がよちよち歩きを始めた頃、よく亜夕美の足にしがみついて、「ママ、ママ」と甘えていた。ちょっとでも亜夕美の姿が見えないと、すぐに泣いていた。

脩太もかつては亜夕美に懐いていた。それがいつからこんな風に変わってしまったのだろう。

彼女にはわからなかった。

過去の記憶を掘り返し、誰かの罪を理由にして自分を責め続けるような愚かな真似は、もうやめたかった。

弁護士の言葉に、ひとつだけ間違いがあるとすれば――この世には、母親を愛さない子供もいるのだ。

「……亜夕美?」

背後から驚いたような声がした。振り返ると、花柄シャツにサングラスを頭にかけた若者が立っていた。どこか複雑な表情で彼女を見つめている。「本当に君なのか?どうしちゃったんだよ、そんな姿で……」

——

10分後。

カフェにて。

窓際の席で、亜夕美は久富旭(ひさとみ あさひ)から差し出された飲み物を受け取る。

柔らかな香りが漂う個室で、旭は亜夕美を上から下までしげしげと眺め、どこか怒り混じりに言った。「全部捨てて辰川将臣のところに行ったんじゃなかったっけ?……どうやら、セレブ妻も楽じゃないみたいだな」

旭は亜夕美の最初のマネージャーだった。当時、二人は彼女がデビュー間もない頃から一緒に働き、同士でもあり親友でもあった。

亜夕美は旭に嘘をつく気はなかったし、笑われるのも怖くなかった。「ええ、楽じゃなかったわ。だから離婚するつもり」

旭は驚いてカップをひっくり返しそうになった。「え?マジか?やっと目が覚めたのか?いつ離婚するんだ?戻ってくる気はあるか?ちょうどいい脚本があるんだ、君にピッタリだと思ってる」

旭は今すぐにでも亜夕美と仕事をする気だ。

当時、亜夕美が仕事を捨てて将臣と一緒になった時、旭はぶつけようのない怒りを抱えていた。亜夕美に対して仕事を続けるよう幾度も説得した。

こんな逸材が、恋愛に溺れるなんてもったいないと思っていた。

亜夕美は驚きながらも、やや困惑した様子で言った。「でも、もう何年も芸能界を離れていたし、今は実力のある新人がたくさんいるのよ。きっと期待外れになると思うよ」

「何を言ってるんだ!」旭は本気でムッとしていた。「森野亜夕美はかつて映画『月にいちばん近い場所』で最優秀女優賞を獲ったんだぞ?その後二本の主演ドラマも大ヒットして、あのときは間違いなくトップスターだった!あの男に騙されてなきゃ、今頃伝説になってた!君が復帰する気さえあれば、間違いなく多くの芸能事務所がこぞって君を欲しがるって!」

旭のあまりの勢いに、亜夕美はつい笑ってしまい、心のもやが少し晴れた。

「そんな風に言ってくれるなら、やってみようかな」亜夕美は役者という仕事が好きだった。あの時、夢と将臣のどちらかを選ぶならと問われ、将臣を選んだ。

――もう二度と、誰かのために自分を捨てたりしない。

旭は早速行動に移し、すぐに脚本を亜夕美に渡した。そのまま二人は昼まで脚本についての議論に没頭したが、旭が電話で呼び出しを受けため、一旦解散となった。

「まるで昔に戻ったみたいだな。二人でがむしゃらに夢を追いかけてたあの頃にね」旭は感慨深げに言った。「亜夕美、いいか。できる女にとって男なんてただの足かせだ。君は一人でも十分輝ける逸材なんだ」

亜夕美は感謝の気持ちで胸がいっぱいだった。「ありがとうね、旭さん」

彼女は十分に理解していた。芸能界は次々と新人が現れる世界。過去の栄光もつかの間のものに過ぎないことを。

今この年齢で若い子たちと並んで張り合うなんて……正直、自信はなかった。旭にとっても、大きなリスクとプレッシャーを伴うことなるはずだ。

かつて、亜夕美が将臣と一緒になるとなった時、事務所と揉めた経緯があった。その時は将臣が多額の違約金を支払ったものの、事務所とは遺恨が残った形となっていた。

亜夕美の目にうっすら涙がにじんだのを見て、旭もたまらなくなり、彼女の肩をたたいた。多くは語らなかったが、それだけで十分だった。

「会社ことは任せて。君はいい知らせを待っててくれ」

「うん、わかった」

旭は大人としての距離感を保ち、亜夕美の私生活には深入りしなかった。

亜夕美はぼんやりと旭の後ろ姿を見送っていた。そこへスマホが鳴る。

スマホの画面に表示された名前を見て、ささやかな笑みがすっと消えた。

通話ボタンをタップすると、耳をつんざくような怒声が飛び込んできた。「お前、今どこにいるんだ!?」――将臣からだった。
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