Share

第334話

Author: 一燈月
バン!

「今、誰と結婚するつもりだと言った!」

白髪交じりで、鋭い眼光を放つ栄知が、力任せに圭介の背中を杖で打ち据えた。凄まじい音が響く。老いてなお、その威厳は衰えていない。

圭介は顔色一つ変えずに答えた。

「高宮小夜です」

「何の利益ももたらさず、家柄も平凡以下の女だぞ。遊びなら目をつぶってやるが、まさか本気で迎え入れるつもりか!」

バン!

再び杖が振り下ろされる。

圭介は背筋を伸ばし、微動だにしない。ただ一言だけを返した。

「俺の結婚は俺が決めます。利益の交換材料にするつもりはありません。今日ここで打ち殺されようとも、俺は彼女がいいです」

「自分が決めるだと?」

栄知は冷笑し、杖で床を重く突いた。

「いいだろう。お前は以前、家業を継ぐのを先延ばしにして、コンピューター学科とやらを学びたいと言っていたな。夢を追いかけたいと。

選択肢をやろう。夢か、女か。自分で選べ!」

圭介が沈黙すると、栄知は鼻で笑った。

「時間はやる。霊堂へ行き、先祖の位牌の前で頭を冷やして考えろ!」

霊堂の中、蝋燭の火が明るく揺らめいている。

座布団は撤去され、圭介は冷たい床に直
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter
Comments (1)
goodnovel comment avatar
もちむぎ玄米
今頃?!小夜への愛を自覚した?! 今までの執着は何だったんだ?! 無自覚、無意識で小夜を冷酷に残酷に精神実験までやって痛ぶり続けたということなのか?! 青山の手も潰して!! チャンチャラ可笑しいわ!苦笑 糞クズ狂人サイコパス圭介さん、貴方は死ぬまで絶対に!小夜からの本当の愛は得られません!! 圭介、お前のせいで、小夜の輝くはずだった人生はめちゃくちゃ!にされたんだよ! 青山と幸せになるばすだったのに!! お前には絶対に!地獄に堕ちて永遠に地獄を彷徨いながら生きてほしいわ!!怒
VIEW ALL COMMENTS

Latest chapter

  • 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった   第452話

    小夜は、長い間、我に返ることができなかった。 これは単なる冒険漫画なんかじゃない。ここに綴られているのは、小夜の人生そのものだった。彼女と圭介の過去をなぞり、立場を逆転させた物語。彼女の過去のすべての悲劇が、この漫画の中では救済されていたのだ。 それは現実であり、同時に現実ではない。 現実と違う部分はすべて、あの男の「こうあってほしかった」という切実な願いだった。激しく求めながら深く悔い、悔いながらもまた求める。あの人自身の不器用な生き方のように、初めから終わりまで矛盾だらけだった。 読み終えた小夜の心に残ったのは、荒涼とした虚無感だけだった。 どんな感情を抱けばいいのかもわからないまま、小夜はページを閉じようとして、何気なくさらに下へスクロールした。そして、ぴたりと手が止まった。あの墜落のコマで終わりではなかったのだ。 数日前、あの惨劇の宴の前夜に、本当の最後の更新がされていた。 …… 翼が砕け散る。 小さなロボットは、暗い空から墜ちていった。 すさまじい勢いで海面に叩きつけられ、水面に映っていた美しい月を粉々に砕いて、夜の闇に染まった黒い海に呑まれ、深海へと沈んでいく。 冷たい波間に揺られながらロボットは見た。粉々に砕けた月が、揺れる海面で再び一つに姿を結んでいくのを。その瞬間――はっと悟ったのだ。 月は、ずっと自分のそばにいたということに。 ひとりきりで眠る夜も、月の光はいつも自分を優しく照らしていた。過酷な冒険で傷だらけになったブリキの身体を、まばゆいほどに包み込んでいた。たとえ厚い雨雲が空を遮った夜でも、必ずどこかから一筋の月光がこぼれ落ちてきていた。 空の月を追いかけ、月を摘みたいと狂おしく焦がれ続けた長い道のりの中で、月はずっと傍にいてくれたのだ。自分は最初から――月に、深く愛されていたのだと。 けれど、気づくのがあまりにも遅すぎた。 ロボットはどこまでも深海へと沈んでいく。完全な暗闇に呑まれる、その最期の瞬間。海面で揺らめく月光がふいに集まり、ひとりの女の輪郭を結んだ。顔はおぼろげだが、その髪にはレモンの花がいっぱいに飾られている。ロボットは最後の力を振り絞り、月光に向かって、月を追い続けた生涯で一番伝えたかった言葉を口にした。 それは、ロボットがずっと、月に伝えたかった言葉

  • 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった   第451話

    赤いシルクハットをかぶった、ころんと丸い小さなブリキのロボット。ある賭けがきっかけで、「空に浮かぶお月様を摘み取ってみせる」と大見得を切り、えっへんと胸を張って家を飛び出した。それが、世界を巡る冒険の旅の始まりだった。 旅の途中、ロボットはたくさんの人と出会い、彼らに降りかかる不幸を知った。そして英雄のように現れては、出会った人々を苦しみから救っていく。家族からの虐待、愛する者からの裏切り、そして別離…… 描かれている数々の苦難を、小夜は嫌というほど知っていた。 漫画の中で救われる人々は、すべて彼女自身の過去の影だったのだ。空から降ってきた小さなロボットは、暗い部屋に閉じ込められ、飢えと暴力にさらされている少女を助け出し、食事も与えずに殴りつける身内を追い払った。 そして長い間そばに寄り添い、新しく温かい家が少女を受け入れるのを見届けてから、またえっへんと胸を張って去っていく。 去り行く背中に、少女は心から祈った。 ――あなたならきっと、お月様を摘み取れるわ。 また別の場所で、ロボットは家の者に無理やり花嫁輿に押し込まれた娘に出会った。輿のそばを通りかかった時、中から声にならない泣き声と、助けを求める気配を感じ取ったのだ。ロボットは婚礼の場に乗り込むと、命と金を賭けた大勝負の末、二十億円で娘の自由を買い取った。 自由になった娘は、心から祈った。 ――あなたならきっと、お月様を摘み取れるわ。 やがてロボットは、ある古い城の前を通りかかった。城の主に道を尋ね、立ち去ろうとした時、地の底から女の泣き叫ぶ声が聞こえた。迷うことなく地下牢へ飛び込むと、そこには冷たい鎖で繋がれた女がいた。 ロボットは女の悲痛な声に応え、城の主を打ち倒して、彼女を暗い地下から連れ出した。 光を浴びた女は、ロボットの冷たいブリキの身体にそっと口づけをし、心から祈った。 ――あなたならきっと、お月様を摘み取れるわ。 そしてロボットは、一人の美しい顔立ちの男に出会った。男は言った。 「俺はある女を愛して、結婚した。だが、彼女の心には別の男がいる。それが憎い。けれど、どうしても手放したくはない。そして何より……俺のこの愛を、彼女に知られたくはないんだ」 さすがの小さなロボットにも、どうしたらいいかわからなかった。 今度ばかり

  • 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった   第450話

    夜が更けていた。 泣き疲れてうとうとと眠りに落ちた樹は、小さな手で小夜の黒い喪服の裾をきつく握りしめたままだった。青白い頬には、まだ生々しい涙の跡が残っている。 残った力を振り絞って樹をベッドへ運び、後回しにしていた葬儀の事後処理に取りかかろうとした。だが、裾を握る小さな指がびくともしない。悪い夢でも見ているのか、樹は目を閉じたままぽろぽろと涙をこぼし、かすかに唇を動かした。 「パパ、ママ……いかないで」 その姿にしばらく黙り込んだ後、小夜はパソコンを手元に引き寄せた。樹に裾を握らせたまま、ベッドのヘッドボードにもたれかかり、彰から送られてきたファイルをひとつずつ開いていく。 すべて、遺言に関する書類だった。 この時初めて知った。圭介が、かなり前から遺言書を用意していたことを。彼の死後、彼名義のすべての事業と株式は小夜に帰属し、樹の取り分も成人までは彼女が管理・代行する。 つまり今の小夜は、長谷川グループ本社において、筆頭株主として絶大な議決権を握っている。 病院で目覚めた時に、彰が傍にいたのもそれが理由だった。圭介亡き今、彼が最も信を置き、グループ内でも大きな発言力を持つ彰が、小夜を全力で支え、新体制の座を盤石にする――それが圭介の遺した絶対の指示だった。今後、彰に対する直接の指揮権は彼女に移る。 まるで、自分の死を見越していたかのようだった。 あの男は、すべての道筋を完璧に整えていた。受け入れさえすれば、小夜は何の障害もなく巨大な権力を手にし、これまでの立場を根底から覆すことができる。 本当の意味で、誰も手出しできない権力者になれる。 だが同時に、それを受け入れれば、小夜は生涯「長谷川家」に縛られることになる。何をしようと、どこへ行こうと、「長谷川夫人」の肩書は二度と外せない。頭の先からつま先まで、圭介の影が一生刻まれ続けるのだ。 あの男は死んでなお、こんなにも鮮やかに、自分の人生に居座り続けている。どこまでも、頑固で恐ろしい人だ。 何と言えばいいのかわからなかった。喪服の裾を握りしめたまま不安げに眠る樹の髪をそっと撫で、小夜は再び画面に目を落とした。遺言書に添付された、すべての個人資産ファイルを順に追っていく。 ――ポインタが、見覚えのあるアカウント名の上で止まった。 【夢路】 この名前に

  • 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった   第449話

    ――私は今、ここで何をしているのだろう。 ――圭介の、葬儀に出ている? あれほど強く、すべてを手中に収めていたあの男が、こうして冷たい土の下に眠っているだなんて……まるで、悪い冗談だ。 白い花が、静かに墓前へと供えられていく。 黒い喪服の小夜が、白い花を手に墓前に佇む――その姿は一枚の写真に切り取られ、「圭介が七年もの間、密かに結婚していた」という衝撃の事実と共に、一夜にして世間を駆け巡り、大騒ぎとなっていた。 だが、当事者であるはずの小夜は、何も感じていなかった。 葬儀を終え、再発行したSIMカードを挿したスマホの電源を入れると、大量の通知が画面を埋め尽くした。その中には、離婚申請が取り下げられたという通知もあった。小夜がひそかに国外へ出た翌日、圭介が自ら手を回して撤回させたものだった。 ――もう、どうでもいいことだ。 圭介が、もうこの世にいないのだから。 車窓を流れ去る景色をぼんやりと眺めながら、小夜はふと思い出した。つい少し前、あの男と何度も激しく言い争ったこと。感情の抑えが利かなくなり、「死んでしまえ」と口走ったこと。――まさか、それが本当になるなんて。 ――私はただ、自由がほしかっただけだ。誰かを死なせたかったわけじゃない。なのにどうして、物事はいつも望みとは逆の方へ転がっていくのだろう。 ――今、私は本当に、自由になったのだ。 ――笑って喜ぶはずだった。なのにどうして、声ひとつ出ないのだろう。 ――すべての声が消えてしまったようだ。 …… 夕暮れ時。車が長谷川邸に到着した。 ついてこようとする彰を手で制し、小夜は深く息を吸い込んだ。そして、かつて七年を過ごした――ひどく馴染み深いはずなのに、今はどこかよそよそしく感じられる邸宅へと足を踏み入れた。 家政婦の千代が、赤く腫らした目で出迎えてくれた。 「奥様……」 小夜は静かに首を振り、彼女の言葉を遮った。階段をゆっくりと上がり、樹の部屋の前で足を止める。 そっとドアを開ける。 中は暗かった。明かりはついていない。 耳を澄ますと、ごく小さな、押し殺したような泣き声が聞こえてきた。小夜は部屋に入り、背中で静かにドアを閉めた。闇がいっそう濃くなる。 記憶を頼りに、手探りで常夜灯のスイッチを入れる。 淡いオレンジ色の

  • 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった   第448話

    ――ただ……小夜はスマホに短い文字を打ち込み、傍らにいる彰に見せた。【どうしてこんなに早く火葬したの?通夜も安置も、まだだったんじゃないの?】いくらなんでも、早すぎる。数日前にローマで事件が起きた後、彼女は気を失った。次に目を覚ました時には、すでに国内の病院に戻っていた。彰の話によれば、コルシオの残党が引き続き彼らを狙ってくる危険があり、海外は敵の縄張りであるため、ヘリコプターを手配して最短ルートで帰国したのだという。今日退院してここにやって来たのは、最後にもう一度だけ、圭介の顔を見たいと思ったからだった。だが到着して聞かされたのは、遺体はすでに荼毘に付されたという残酷な事実だった。「旦那様のお父様のご意向です。旦那様のお母様のお耳に入る前にできる限り早く葬儀を終わらせ、この事態を速やかに収束させたいと、そうお考えのようです」彰は静かに説明した。小夜は口を噤んだ。――そうか。佳乃はまだこのことを知らないのか。当然、今回の葬儀にも出席しないだろう。……だが、これほど重大な事実をいつまでも隠し通せるはずがない。ましてや、彼女がお腹を痛めて産んだ息子なのだから。とはいえ、長谷川家を揺るがす異常事態だ。それも仕方のないことなのかもしれない。心の中で深くため息をつきながら、彼女は向き直った。黒い喪服の裾を翻し、純白の骨壺を胸に抱いて、火葬場の外へと大股で歩き出す。だが、外に出た瞬間。無数のカメラのレンズが、一斉に彼女へと向けられた。強烈なフラッシュが目を刺す。思わず目を閉じて顔を背けた瞬間、小夜は無意識に胸の骨壺を強くかばっていた。心の中に、強烈な怒りが沸き起こる。――ハイエナのようなマスコミども。こんな場所にまで嗅ぎつけてくるなんて!「高宮さん!あなたが長谷川代表と結婚して七年になるという噂は事実ですか!」「先日の海外での暴動事件で、あなたと長谷川代表の姿が撮影されています!拉致された妻を助けるために現場へ向かったと言われていますが、その『妻』とはあなたのことなのですか!」「高宮さん、長谷川代表がこれまで結婚の事実を隠していた理由を教えてください!」「以前、相沢家で隠し子のスキャンダルが出た際、長谷川代表は相沢家を強く支持し、多額の株式を譲渡するという派手な行動に出ました。あれは婚姻

  • 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった   第447話

    「小夜」意識の底で、聞き覚えのある声がこだました。うっすらと目を開けると、目に刺さるような白い光が飛び込み、風にそよぐカーテンが視界に揺れる。そこは病室のベッドの上だった。小夜は、自分が意識を取り戻したことを悟った。ゆっくりと身を起こし、辺りを見回した。声の主はいない。部屋には自分一人だった。混濁した記憶が、少しずつ輪郭を取り戻していく。――そうだ。――圭介と一緒に、パーティーに出たのだ。――そして、銃声が鳴った。指が静かに握り込まれ、真っ白なシーツにくしゃりとシワが寄る。思い出した。――たくさんの血。どれだけ手で押さえても、指の隙間から溢れ出て止まらない血。――指先の下で、彼の体温が失われていった。不意に、病室のドアが開いた。「奥様、お気がつかれましたか」入ってくるなり、ベッドの上でぼんやりと座っている小夜を見て、彰は足早に近づいてきた。「どこか、お辛いところはございませんか」そう言いながら、彼はナースコールを押す。小夜はゆっくりと首を振った。奇妙だった。何も感じないのだ。悲しくない。苦しくもない。嬉しくもない。ただ、すべてが現実ではないような、ひどくぼんやりとした感覚がある。目に映るものも、耳に入る音も、薄い水の膜を一枚隔てているようだった。なにもかもが、ひどく滲んでいる。――そうだ、意識を失う直前、フランシスと彰が見えた。――圭介は、助かったのだろうか。口を開いて、聞こうとした。「あ……っ」しかし、喉から漏れ出たのは、かすれ壊れたうめき声だけだった。小夜は凍りついた。しばらくして、ようやく理解した。声が、出ない。言葉の出し方を忘れてしまったかのように。胸の奥が、重く息苦しく塞がっていく。彰もすぐに異変を察した。ナースコールの応答すら待たず、自ら病室を飛び出して医者を連れてきた。診察を終えた医者は、静かに首を振った。「心因性の失声です。薬では改善しません。ご本人の中で整理がついて、心のつかえがほどけるのを待つしかないでしょう。感情に大きな波を起こさないよう安静にしていれば、いずれ自然と声は戻るでしょう」医者が去った後、病室に重い沈黙が降りた。はじめは少し取り乱していた小夜も、今は不気味なほど静かだった。声を出そうとする衝動を諦め

  • 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった   第294話

    空一面に雪が舞っていた。曲がりくねった山道の脇に、一台の黒いオフロード車が停まっている。航は助手席にぐったりと寄りかかり、浅く荒い息を繰り返していた。頭は割れるように痛み、意識も朦朧としている。それでも彼は眉をひそめ、小夜が差し出した携帯酸素缶を押し戻した。「ちょ、ちょっと待って。慣れっから」小夜はダウンジャケットに身を包み、高度計を一瞥して呆れたように言った。「もう結構高いわよ。ここまで我慢したんだから、もう十分でしょ」それでも航は意地を張って耐えようとする。小夜はこれ以上言い合う気になれず、強引に酸素マスクを彼の口元に押し当て、酸素を吸わせた。一口吸っただけで、

  • 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった   第297話

    何もかもが言い出しにくかった。どう切り出そうか迷っていると、スマホが震えた。慌てて取り出すと、芽衣からだった……小夜は青山に目配せをしてから電話に出た。「小夜、頼まれてた件だけど、分かったわよ。あの相沢若葉と長谷川圭介のことだけど、正式な婚約者じゃないわ。子供の頃に親同士が何気なく口にした許嫁ってだけで、正式な婚約式もしてないし、これまで二人が付き合ってるって公言されたこともないみたい。ただ、確証はないけどね。二人とも一緒に留学してるわけだし、帰国する頃には関係が公認されるかもしれないけど」式も挙げていないし、関係も公認されていない。小夜の心の中で荒れ狂っていた感情

  • 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった   第289話

    「ちょっと待って、すぐ終わるから」シャワーを浴びた小夜は、髪を拭きながら少し声を張り上げて答えた。急かされているのが分かり、彼女は動作を速めた。サービスエリアで買った軽くて動きやすいピンクと黒のウィンドブレーカーに着替え、髪を適当に拭いてドアを開ける。「行こう」ドアの前に立っていた航は、彼女を見て呆気にとられた。「髪、濡れたままじゃん」「平気よ、先に買い物行きましょ」「だめだって。外は雨だし、熱下がったばっかだろ。これから向かう聖地への道は、今までと比べもんにならないくらい過酷なんだぞ。ここでまた風邪引いて倒れたら、全部パーだぜ?」航の強い主張に負け、小夜は部屋に戻

  • 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった   第298話

    仏教学院は、四方を深い山々に囲まれていた。谷間には、金色の屋根と朱色の壁を持つ僧房が、斜面に沿って段々に立ち並び、実に壮観な眺めだ。石段を登っていくと、朱色の衣をまとった参拝者たちが、彼女の脇を足早に通り過ぎていく。小道には読経の声が絶え間なく響き渡り、僧房の前を通り過ぎるたびに、どこからともなく漂う線香の香りが鼻をくすぐる。ふと見上げれば、数羽のハゲワシが巨大な翼を広げ、甲高い鳴き声を上げて空を横切り、ある山頂へと飛んでいくのが見えた。まるで仏の国にいるようでありながら、人間界の営みも感じる不思議な場所だ。小夜は石段に立ち、飛び去る鳥を目で追っていた。しばらく立ち

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status