ノラは車を運転しながら、曜を乗せて住まいを後にした。曜は、ノラが連れてきた場所が辺り一面人気のない場所で、ぽつんと一軒だけの小さな家だと気づく。ここは、外灯すらないほどの寂しい土地だった。「桜井くん、なんでこんな場所に家があるんだ?」「ここ、すごく静かなんです。僕、気に入ってます」「静かなのはいいが......周りに何もないじゃないか。前からここに住んでたのか?」「叔父さん、ここは僕がたまに気分転換したいときだけ来てるんです。それに車があれば、どこへ行くにも便利ですから」しばらく車に揺られても、曜が窓から見ても、ほかの家は一軒も見えない。その静けさが、かえって妙に不安だった。やがて、車が止まった。ここには灯りがあったが、どう見ても街灯ではない。「叔父さん、降りてください。僕の母はすぐそこにいます」曜は車を降りて、二人で花を抱えながら小道を進んだ。曜は周りを見回した。真っ暗な夜風が吹き抜け、もの寂しい雰囲気。数分歩くと、ぽつんと墓石が一つだけ建っていた。その墓はとても簡素で、文字も曲がっている。周囲には灯りがともっていたが、ほかの墓はどこにもない。雑草だけが生い茂っていた。ここは、どう見ても普通の墓地じゃない。誰かのためだけに作られたような場所だった。「叔父さん、僕の母はここに眠っています」ノラは花を墓前にそっと置いた。「お母さん、会いに来ましたよ。今日は少し遅くなってごめんなさい、ちょっと用事があってね。でも、今日は友だちも連れてきました」ノラは振り返り、曜を見つめた。「叔父さん、僕の母に挨拶してください」曜は胸が詰まるような気持ちで、荒れた墓石を見つめた。花を供えながら、息苦しさに思わず胸を押さえる。墓碑には「桜井里枝」と彫られていて、その横には「長男、桜井ノラ、建之」という小さな文字が刻まれていた。「叔父さん、どうしたんですか?何も言わないんですね」「桜井くん、どうしてお母さんはこんな場所に?」「ここが一番静かなんです。母さん、静かなのが好きだったから。もし公営の墓地なんかに埋めたら、母さんは絶対嫌がったと思うんです」「でも、ここって本当に人を埋葬してもいいのか?」「どうしてダメなんですか?」ノラは微笑んで言った。「この土地、全部僕
修はなんとか感情を抑え込み、ドアの方を見て声をかけた。「誰か、来てくれ」すぐにボディーガードが入ってきた。「総裁、ご用でしょうか?」「父に連絡を取れ。急ぎで話したいことがある。すぐにここへ来るよう伝えてくれ」「かしこまりました」ボディーガードは急いで部屋を出て行き、しばらくして戻ってきた。「総裁、社長の電話がつながりません」「つながらない?」ボディーガードはうなずく。「はい、電源が切られているようです」「引き続きかけろ。会社にも家にも電話して、とにかく見つけ出せ」修の胸に、不安がこみ上げてくる。......曜はゆっくりと目を開けた。ほのかな花の香りが漂っている。ベッドから体を起こして振り向くと、少し離れた場所に、とても精巧な彫刻のあるお香立てが見えた。そこから、煙がゆるやかに立ち昇っている。頭がぼんやりして、見慣れない部屋を見回す。ベッドを降りて、周囲を確認する。ここは、どこだ?ちょうどそのとき、ドアが開き、ノラが入ってきた。「叔父さん、目が覚めたんですね」「桜井くん......ここはどこだ?俺たち、食事してなかったか?」たしか、一緒に夕食を食べていたはずだった。その時、病院から電話がかかってきて、「修がまた危ない」と言われ、急いで向かおうとした。でも、急に目眩がして、気が付いたらこの部屋にいた。「叔父さん、確かに一緒にご飯を食べてたんですよ。でも、叔父さんが急に倒れたので、僕がここまで運んだんです」「でも、ここは俺の家じゃないな。どこなんだ?」「ここは僕の家です。狭いですけど、叔父さんには我慢してもらうしかないです」「なるほど」曜は部屋を見回して言った。「ここは僕が買った部屋ですよ」「......桜井くん、君はまだ十九歳だろ?どうやって部屋を買ったんだ?」「叔父さん、僕はまだ十九歳ですけど、お金はちゃんとあります。叔父さんが思うより、俺は稼いでるんですよ」ノラはテーブルの上に行って、水を一杯注いで持ってきた。「叔父さん、水でも飲んでください」曜はそのコップを受け取ると、ふと何かを思い出した。「そうだ、病院から電話があったんだ。修がまた運ばれたって......今何時だ?」ポケットを探すが、スマホが見当たらない。「
「お前は簡単に言うけどな、どうして遠藤が子どもに手を出さないって言い切れる?お前はあいつが俺に何をしたか知ってるのか?何度も俺を殺そうとしたんだぞ。そんな奴が俺の息子に優しくできるとでも?」修は千景を突き飛ばし、力なくベッドの端に倒れ込んだ。千景は慌てて修を支えながら言った。「遠藤がろくでもないのは分かってる。でも、暁はお前だけじゃない、若子の子でもある。彼が本当に若子を手に入れたいなら、絶対に子どもを傷つけたりしない」「だけど、もし......」「もし奴が本当に子どもに手を出したら!」千景はすぐさま言い返す。「お前が言うまでもない、俺がこの手であいつを八つ裂きにしてやる。そのときは命を懸けてでも償わせる!」「ははっ、命を懸けるだと?お前にそんなことができるのか?」修は皮肉っぽく笑った。千景は修をベッドに座らせ、落ち着かせる。「今はとにかく、映像を全部見ろ」そして、そのまま後ろを向き、部屋を出て行こうとした。修はすぐに呼び止めた。「どこに行くつもりだ?」千景はドアの前で立ち止まり、振り返って言った。「お前の息子を探しに行く。必ず連れ戻す」「待て!」修が呼び止める。「何だ?もしまだ俺を責めたいなら、それは時間の無駄だぞ」「もう責めても意味がない。とにかく、遠藤のところには行くな」「心配しないのか?お前は自分の子どもが危険かもしれないのに?」「心配に決まってる」修は言った。「だが、今すぐ遠藤のところに行ったら、奴はきっと警戒する。今は俺が暁の父親だと知られてはいけない。知られたら、絶対に返してくれなくなる」千景は少し考えてからうなずいた。「確かに、お前の言う通りだ。暁は絶対に俺が連れ戻す。必ず安全に取り返してみせる」修は何も答えず、ただPCの監視映像をじっと見続けた。独り言のように呟く。「俺の父さんはあいつを養子として認めていた。あいつはずっと俺たちの身近に潜んでいたんだ......」「お前は自分の父親が今回の件に関与してると思うか?」千景は聞いた。「手術室の前でお前の父親に会ったとき、心からお前を心配していたようだった。たぶん、何も知らないはずだ。でも用心のために、子どもは彼に預けなかった」「俺にも分からない。多分父さんは知らないと思うけど、用心して騒ぎ
誰かを愛するって、本当に苦しいことだ。特に、その愛に気づかないまま手放してしまい、失ってからようやく自分の想いに気づいたとき―もう、すべては手遅れなんだ。どれだけ悔やんでも、もう取り戻せない。でも、起きてしまったことは変えられない。いくら苦しんでも、どうにもならない。「冴島、お前は何をまだここにいる?俺を笑いに来たのか?さっさと出ていけ!若子に伝えておけ、絶対に許さない。俺は必ず彼女と決着をつける。暁は俺の子だ。絶対に引き取って、家に連れて帰る!」修の心の中は、激しい憎しみで満ちていた。「藤沢、俺だって若子を探したい。でも今、どこにいるのか分からない。だからこそお前のところに来たんだ」修は固まった。「どういう意味だ?」「お前、本気で俺が自慢しに来たと思ってるのか?違う。若子がいなくなったから、お前を頼ってきたんだ。前にも一度お前を訪ねたけど、その時はお前が手術中だった。今ようやく目覚めてくれたから言う。これから話すことは、暁がお前の息子だってことより、もっと重大なことだ」「......若子がいなくなった?いつから?」修は苦しそうに体を起こし、必死で千景を見つめた。どれだけ若子に冷たくされ、どんなに傷つけられても、彼女がいなくなったと聞けば、どうしても心配にならずにはいられなかった。千景は言った。「ノートパソコンを用意してくれ」ポケットからUSBメモリを取り出す。「これの中身を見てくれれば分かる。若子は今、とても危険な状況だ。お前にはすべてを知ってほしい。俺たちで一緒に彼女を見つけよう」千景の真剣な表情に、嘘は感じられなかった。若子がいなくなったと聞いた瞬間から、修の中に焦りが広がる。「誰か、ノートパソコンを持ってこい!」すぐにボディーガードがノートパソコンを持ってきた。病室の小さなテーブルが準備され、パソコンが置かれると、千景はUSBを差し込み、モニターに監視カメラの映像を映し出した。画面の中で、ノラが銃で脅しながら、若子を連れ去っていく。そして、暁はその場に置き去りにされ、何度も「ママ!」と泣き叫んでいた。修の指は止めどなく震えていた。怒りと恐怖が心臓を打ちのめし、どうしようもない無力感が襲いかかる。ただ映像を見ることしかできず、何もできない。あの時、若
もし、この出所不明の妊娠報告書とDNA鑑定の結果だけなら、修の心にはまだ少しだけ疑いが残っていたかもしれない。だが、今こうして千景がはっきりと「暁はお前の息子だ」と告げたことで、そのわずかな疑念も一瞬で消えていった。残ったのは、果てしない痛みだけだった。修はかつて、暁が自分の息子だったらどうなるんだろう、と想像したことがある。もしかしたら、暁が本当に自分の息子かもしれない―そんな淡い希望を抱いたこともあった。けれど、若子との間に起きたすべてのことを思い出すと、修は怖くなった。もし自分の思い違いだったら―もし、またひとりよがりだったら、どうしたらいいのか分からなかった。アメリカで偶然再会したあのとき。三人でレストランのテーブルを囲みながら、修は目の前で西也と暁がまるで本当の親子のように並ぶ姿を見ていた。その瞬間、修の中に浮かんだ第一印象は「若子は西也との間に子どもを作ったんだ」ということだった。若子はあのとき、何も否定しなかった。修はそれを彼女が認めた証拠だと思い込み、それ以来ずっと暁は西也の息子だと信じ込んできた。修はこれまで暁と接してきた時間を思い出した。暁が幼い声で自分を「パパ」と呼んだときも。きっと子どもだから、意味も分からず適当に呼んだんだろう―そう思っていた。でも、今になって「パパ」というその言葉が、まるで運命を決める呪いみたいに聞こえた。本当に自分が父親だったなんて。修の体はまるで重い石の塊になったみたいに動かなくなった。顔色は真っ青に変わり、唇はひび割れ、額には冷たい汗がにじみ出る。ひと呼吸ごとに、胸の奥を針が何本も突き刺すような痛みが走った。「なぜだ......若子、どうして最初から教えてくれなかった?」千景が口を開いた。「なぜ彼女が黙っていたのか―お前だって、本当は分かってるんじゃないのか?噂によれば、お前は他の女のために彼女と離婚したんだろう?離婚しようってときに、自分が妊娠したなんて伝えられるか?」「それでも、俺に言うべきだった!」修は頭を上げて叫ぶように吠えた。「もし言ってくれていたら、絶対に離婚なんてしなかった!」「ははっ」千景は突然笑った。「修、お前、まさかこの全てを若子のせいにしようとしてるのか?若子は、そんなに自分のプライドを捨
千景の目に、一瞬だけ疑念が浮かぶ。足元に投げつけられた紙を拾い上げ、中身を見た瞬間、彼の眉間が深く寄る。「......これ、どこで手に入れたんだ?」「逆に聞きたいね」修は冷たい笑みを浮かべる。「冴島、お前が裏で何か仕組んで、若子の名前を使って俺にこれを送りつけたんじゃないのか?」千景はますます困惑していく。ふと、ベッドサイドの上に郵送袋が置いてあることに気づく。それを手に取って、差出人を確認し、さらに手元の報告書を見比べる。「......これ、絶対に若子が送ったんじゃない」「じゃあ、誰が送ったんだ?彼女は今どこにいる?何度電話しても出ないんだ。伝えてくれ、俺は若子に会いたい。ちゃんと話がしたい。特に暁のこと......あの子が本当に遠藤の息子なのか、それとも俺の子なのか、はっきりさせたい。俺自身で親子鑑定をやる!」修はもう、封筒の中身が本物かどうかも気にしていなかった。自分の目で確かめない限り、信じられない。ずっと暁は西也の子だと思い込んでいた。けど、この妊娠報告書が本物なら―時期的にも、離婚前に若子はすでに妊娠していた。しかも、あの頃はまだ西也と知り合いですらなかった。もしこの報告が本当なら、暁の年齢も自分が思っていたより二ヶ月は大きい。何度も失望させられてきた修は、簡単に希望を持つことを恐れていた。すべての事実が分かるまでは、何も信じたくなかった。「もうやめておけ」千景は報告書を元の封筒に戻し、脇に置いた。「何だと?」修はじっと千景をにらみつける。「俺に指図する気か?」「違う。俺は事実を言ってるだけだ。親子鑑定なんて必要ない。暁は間違いなくお前の息子だ。遠藤の子じゃない」「......なんだと?」修は歯を食いしばりながら、一語一語しぼり出す。「もう一度言ってみろ」「何度でも言うさ。藤沢、これは俺が送ったんじゃないし、若子でもない。でも、一つだけ本当のことがある。お前と暁は、正真正銘の親子だ」修はベッドの上で、顔をぐしゃぐしゃに歪めた。深く眉をひそめ、額には汗が浮かび、唇は震えている。信じられなさと怒りが交錯し、ただただ呆然とするしかなかった。真っ白な壁がまるで牢屋のように、意識の中でぐるぐると響く。「本当なのか?」千景は静かにうなずく。「本当だ