千景は子どもを無事に連れ出すことができた。西也も結局は折れるしかなかった。子どもを手元に残しておきたかったが、自分の命のほうが大事だった。千景は子どもを抱きかかえ、少し離れた黒いリムジンに乗り込んだ。修はまだケガが治っていなくて、顔色も悪い。それでも子どもを見た瞬間、目の奥に色とりどりの光が差し込んだ。修はすぐに千景の腕から子どもを受け取ると、しっかりと抱きしめた。「暁、暁......」修は興奮を隠せない声で何度も呼び、子どもの額にキスをした。「暁、パパだよ、本当のパパだよ」修の目からは熱い涙がこぼれ落ち、体も震えていた。暁もその様子に引き込まれたのか、唇を震わせて今にも泣き出しそうになりながら、「パパ」と呼びかけた。修は暁に「パパ」と呼ばれた瞬間、嬉しさで胸がいっぱいになった。「パパはここだよ、暁。ずっと側にいる、ごめんな、今まで一緒にいられなくて。お前が自分の子どもだって知ったのも、やっとなんだ。本当に悪かった。全部パパが悪いんだ。ママとの関係をダメにしたのも俺で、それがなければ、三人でバラバラになることもなかった......」千景はその様子を見つめ、目に複雑な感情を浮かべた。そして「お前たち親子の時間を邪魔する気はない。俺はここで失礼するよ」と言った。車のドアを開けて降りようとしたところ、修が呼び止める。「待ってくれ」「何かまだ用があるのか?」「ありがとう」「礼はいらないさ。どうせお前の息子だ」千景はそう言って車を降りていった。修は暁をしっかりと抱きしめ、いつまでも手放そうとしなかった。......雅子はノラと約束した場所に向かった。彼女は分厚い書類の束を抱えている。これらは全てノラに確認してもらう必要がある書類だ。会社の裏側をコントロールしているのはノラだけど、毎回会う場所は違っていた。誰かに見つからないようにするためだ。雅子は体に盗聴器を仕込まれており、すべての行動が修と千景に監視されていた。ふたりは雅子を利用して、ノラをおびき出し、そのままノラを捕まえるつもりだ。雅子はとても怯えていて、落ち着かずに周囲を見回した。そのとき、少し離れたところから人影が公園へと歩いてくるのが見えた。雅子の心臓はドクンと大きく鳴る。ノラは頭が切れるから、もしも正体がバレたら終わりだ
曜の失踪はすぐに発覚した。この件がノラの仕業だというのは誰の目にも明らかだった。修は人を密かに使って雅子を捕らえた。雅子は全てが完璧だと思っていたが、結局、最後には正体がバレてしまった。修は自ら尋問し、雅子は床にひざまずいて泣きながら必死に許しを請う。だが追及の末、ついに雅子はノラとの全ての取引を白状した。ノラと雅子の関係は非常に深く、雅子はまだ使い道がある。修は雅子を利用してノラをおびき寄せることを決め、彼女を一旦解放した。雅子の証言をもとに、修はノラの痕跡をたどっていく。一方、千景はこっそり西也の家に忍び込み、子どもを連れ出そうとした。しかし部屋に入るや否や、黒服の男たちに取り囲まれる。西也が拳銃を持って現れた。「冴島、こんにちは。こそこそ何をしているんだ?」千景は冷静に返す。「子どもに会いに来たんだ」「子どもに会いに?......そうか、会えたか?」「遠藤、若子が行方不明なんだ。お前は探したのか?」「もちろんだ!」西也はすっかり取り乱していた。「ここ数日、ほとんど眠れていない。毎晩ずっと探しているし、子どもの世話までしてる。でもそっちは?何をしてた?」「俺も若子を探している」「そうか?じゃあ何で子どもを盗もうとする?冴島、俺にバレないと思ったか?お前が子どもを連れて行こうとしたの、分かってるぞ」千景はまっすぐに答えた。「お前の言う通りだ。俺は子どもを連れて行くつもりだった。ずっとここに置いておくわけにはいかない」「ダメだ!」西也は銃を向けて近づく。「子どもはここに残せ。お前もここに残れ」千景は眉をひそめた。「本気で俺を殺すつもりか?」「冴島、ずっとお前を消したかった。今日こそいい機会だ。ここでお前を始末しても誰にもバレない。お前が若子を探してる途中で桜井ノラに殺された―そういうことにすればいいだけだ。はは、全部あいつのせいにするのは簡単だからな」千景は冷ややかに言う。「やっぱり陰湿だな、遠藤。若子がお前を好きにならないのも当然だ」西也の顔から笑みが消え、怒りの光が宿る。「ふざけるな、死ぬ直前までよく喋るじゃないか!」その時、突然携帯の着信音が鳴る。西也はポケットから携帯を取り出す。「......もしもし」電話の向こ
ノラの声には、どうしようもないほどの憎しみがこもっていた。曜は驚きに息を呑む。「桜井くん、君は僕が本当の父親だと知ってて、それでこんなに憎んでいるのか?......それとも、最初から知ってて、わざと俺に近づいたのか?」ノラは高らかに笑い出した。「ははははは......やっと気づいたんですね。やっぱり鈍いですよ。そうです、僕はずっと前から知ってました。わざと近づいたんです。最初から、あなたが父親だって知ってましたから」曜は痛みと絶望に目を閉じた。「君は......俺に復讐しに来たんだな。俺を殺して母の仇を取るつもりなんだ。君の母が死んだのは全部俺のせいだと思っているのか?」「違いますよ。お父さん一人だけじゃ足りません。あなたの息子も、息子の嫁も、孫も、あなたの母親も、妻も―みんな地獄を見せます。全員に苦しんでもらいます。あなたの家族、誰一人幸せにはさせません」曜は、ノラの言葉に何かを感じ取った。「光莉が撃たれたのも......君の仕業なのか?」「やっと気づいたんですか?遅すぎますよ」曜の怒りは頂点に達した。「お前......文句があるなら俺だけにしろ!俺が憎いなら殺せばいい!なんで家族まで巻き込む必要があるんだ!」「どうしてでしょうね?」ノラはニヤリと笑い、低くしゃがみ込む。「藤沢さん、母さんだって何も悪くなかったんです。なのに誰も彼女のために正義を求めてくれなかった。だから僕がやるんです。母さんが受けた苦しみ、僕が受けた痛み、全部―あなたとあなたの家族で千倍にして返してもらいます。父さんの息子はずっと幸せに暮らして、僕は隠し子として地獄みたいな毎日だった。なぜ僕だけがあんなに惨めな思いをしなきゃいけなかったんですか!」曜は何も言い返せなかった。ノラのしたことは絶対に許せなかった。でも、彼がどんな思いで生きてきたかを思うと、胸の奥に罪悪感が広がる。「桜井くん、もう俺は君の手の中にいる。殺したいなら殺せばいい。もしそれで君の気が晴れるなら、好きにすればいい。だからお願いだ、家族だけは―家族だけは傷つけないでくれ」「本当にそう思いますか?そう言われると、逆に家族を苦しめたくなりますね。あなたは息子さんや奥さんを大事にしているくせに、僕の母のことはどうでもよかったんですね!」「じゃあ、君はどうし
曜はうつむき、跪いているノラの姿を見て胸が締めつけられた。痛みが込み上げて、思わず目をぎゅっと閉じる。何か言いたかったけど、言葉が出てこない。ノラは墓石に向かって、声を絞り出す。「お母さん、どうして死ぬまで僕に本当の父親を教えてくれなかったんですか。僕が恨むのが怖かったんですか?僕は確かに恨んだこともありました。でも、今は僕一人だけです。もし本当の父親が見つかるなら、きっと怒るかもしれませんけど、きっと許せると思うんです。だって......だって父親が僕を認めてくれたら、それだけでいいからです」曜はその言葉を聞き、目を開けた。目の奥に希望の光が浮かび、ついに感情が抑えきれなくなった。「桜井くん......実は、俺が君の父親なんだ」ノラは振り返り、驚愕のまなざしで曜を見た。「......何て言いました?」曜は膝をついてノラの手をぎゅっと握りしめる。「俺が君の本当の父親だ。ごめん、今までずっと黙ってて」「本当の父親......?どうして......なんで叔父さんなんです?あなたは僕の叔父さんだったはずなのに......」ノラは信じられないという表情。「桜井くん、あの日、橋のところで君の財布の写真を見たときから、ずっともしかしてと思ってた。だからこっそり親子鑑定をしたんだ。結果、やっぱり君は俺の息子だった。だから、俺は君を『養子』として迎えたんだ。本当は血の繋がった息子なのに......ずっと怖くて、君に嫌われたらどうしようと思って言い出せなかった。でもさっき君が、父親を許せるって言ってくれて......今言わなかったら、俺は本当に最低な男になると思ったんだ」ノラは驚きで動けず、ふらふらと立ち上がった。「......まさか、本当に僕の父さんだったなんて......」曜も立ち上がって言う。「桜井くん、今からでも君に償いたい。できることは全部する。母さんのこと、本当にごめん。俺は、彼女が妊娠していたなんて知らなかった。知っていれば、絶対に放っておくはずがなかったんだ」「本当ですか?全部本当なんですか?」「桜井くん、嘘なんかつかないよ」ノラはそっと墓石を撫でる。「お母さん、聞いてますか?僕、ついに本当の父親を見つけたんですよ。ずっとあなたが隠してきた男の人は、やっぱりこの人だったんですね。どうし
ノラは車を運転しながら、曜を乗せて住まいを後にした。曜は、ノラが連れてきた場所が辺り一面人気のない場所で、ぽつんと一軒だけの小さな家だと気づく。ここは、外灯すらないほどの寂しい土地だった。「桜井くん、なんでこんな場所に家があるんだ?」「ここ、すごく静かなんです。僕、気に入ってます」「静かなのはいいが......周りに何もないじゃないか。前からここに住んでたのか?」「叔父さん、ここは僕がたまに気分転換したいときだけ来てるんです。それに車があれば、どこへ行くにも便利ですから」しばらく車に揺られても、曜が窓から見ても、ほかの家は一軒も見えない。その静けさが、かえって妙に不安だった。やがて、車が止まった。ここには灯りがあったが、どう見ても街灯ではない。「叔父さん、降りてください。僕の母はすぐそこにいます」曜は車を降りて、二人で花を抱えながら小道を進んだ。曜は周りを見回した。真っ暗な夜風が吹き抜け、もの寂しい雰囲気。数分歩くと、ぽつんと墓石が一つだけ建っていた。その墓はとても簡素で、文字も曲がっている。周囲には灯りがともっていたが、ほかの墓はどこにもない。雑草だけが生い茂っていた。ここは、どう見ても普通の墓地じゃない。誰かのためだけに作られたような場所だった。「叔父さん、僕の母はここに眠っています」ノラは花を墓前にそっと置いた。「お母さん、会いに来ましたよ。今日は少し遅くなってごめんなさい、ちょっと用事があってね。でも、今日は友だちも連れてきました」ノラは振り返り、曜を見つめた。「叔父さん、僕の母に挨拶してください」曜は胸が詰まるような気持ちで、荒れた墓石を見つめた。花を供えながら、息苦しさに思わず胸を押さえる。墓碑には「桜井里枝」と彫られていて、その横には「長男、桜井ノラ、建之」という小さな文字が刻まれていた。「叔父さん、どうしたんですか?何も言わないんですね」「桜井くん、どうしてお母さんはこんな場所に?」「ここが一番静かなんです。母さん、静かなのが好きだったから。もし公営の墓地なんかに埋めたら、母さんは絶対嫌がったと思うんです」「でも、ここって本当に人を埋葬してもいいのか?」「どうしてダメなんですか?」ノラは微笑んで言った。「この土地、全部僕
修はなんとか感情を抑え込み、ドアの方を見て声をかけた。「誰か、来てくれ」すぐにボディーガードが入ってきた。「総裁、ご用でしょうか?」「父に連絡を取れ。急ぎで話したいことがある。すぐにここへ来るよう伝えてくれ」「かしこまりました」ボディーガードは急いで部屋を出て行き、しばらくして戻ってきた。「総裁、社長の電話がつながりません」「つながらない?」ボディーガードはうなずく。「はい、電源が切られているようです」「引き続きかけろ。会社にも家にも電話して、とにかく見つけ出せ」修の胸に、不安がこみ上げてくる。......曜はゆっくりと目を開けた。ほのかな花の香りが漂っている。ベッドから体を起こして振り向くと、少し離れた場所に、とても精巧な彫刻のあるお香立てが見えた。そこから、煙がゆるやかに立ち昇っている。頭がぼんやりして、見慣れない部屋を見回す。ベッドを降りて、周囲を確認する。ここは、どこだ?ちょうどそのとき、ドアが開き、ノラが入ってきた。「叔父さん、目が覚めたんですね」「桜井くん......ここはどこだ?俺たち、食事してなかったか?」たしか、一緒に夕食を食べていたはずだった。その時、病院から電話がかかってきて、「修がまた危ない」と言われ、急いで向かおうとした。でも、急に目眩がして、気が付いたらこの部屋にいた。「叔父さん、確かに一緒にご飯を食べてたんですよ。でも、叔父さんが急に倒れたので、僕がここまで運んだんです」「でも、ここは俺の家じゃないな。どこなんだ?」「ここは僕の家です。狭いですけど、叔父さんには我慢してもらうしかないです」「なるほど」曜は部屋を見回して言った。「ここは僕が買った部屋ですよ」「......桜井くん、君はまだ十九歳だろ?どうやって部屋を買ったんだ?」「叔父さん、僕はまだ十九歳ですけど、お金はちゃんとあります。叔父さんが思うより、俺は稼いでるんですよ」ノラはテーブルの上に行って、水を一杯注いで持ってきた。「叔父さん、水でも飲んでください」曜はそのコップを受け取ると、ふと何かを思い出した。「そうだ、病院から電話があったんだ。修がまた運ばれたって......今何時だ?」ポケットを探すが、スマホが見当たらない。「