予想通り、動画にはレストランでの出来事が記録されていた。 映像では、修が西也の手を振り払っただけで、全く力を入れていない様子がはっきりと映っていた。そして、その瞬間、西也がわざと自分で後ろに倒れ、背中を壁にぶつけたことも明確に記録されていた。 さらに映像には、修の背後に若子が現れるのを見て、西也がわざと転倒したように振る舞い、若子に誤解させようとしているのが見て取れた。そして、若子が修を非難している間、西也は彼に向かって挑発的な笑みを浮かべていた。 その笑みは、あからさまに狡猾で得意げなものだった。 映像を見た西也の心臓は激しく鼓動し、思わず眉間に皺を寄せた。 ―この藤沢、なんてしつこいやつだ! だが、焦ってばかりではいけない。もし若子がこのメッセージを見てしまったら、一気にすべてが台無しになるだろう。 一度はメッセージを削除して、この件がなかったことにしようと考えたが、すぐに思い直した。 修のような男は、必ずどこかで若子に直接この件を伝えようとするだろう。仮に若子のメッセージを削除したとしても、修側のデータまでは消せない。それがバレれば、かえって若子の信頼を失う可能性が高い。 少しの間、混乱していた西也だったが、深呼吸をして冷静さを取り戻した。 「落ち着け、今これを見つけたのは俺だ。少なくとも若子より先に知ることができたんだから、まだ主導権はある」 そう自分に言い聞かせ、メッセージを再び未読状態に戻した。 その後、彼は若子の部屋に戻り、スマホを元の場所にそっと置いてから部屋を後にした。 若子が目を覚ました時、すでに昼近くになっていた。彼女は空腹を感じ、時計を見て慌ててベッドを飛び出した。身支度を整えた後、リビングへ向かう途中で家の使用人から、西也が自室にいると聞いた。 若子はその足で西也の部屋へ向かい、ノックをした。 「西也、いるの?」 しかし、中からは何の反応もなかった。 心配になった若子は、ドアを開けて中に入った。すると、部屋の中で西也がティッシュを手に持ちながら涙を拭っているのが目に入った。 若子は眉をひそめ、急いで彼の元へ駆け寄った。 「西也、どうしたの?何があったの?それともまた頭が痛いの?」 彼は急いで顔をそらし、ティッシュを隠そうとした。 「何でもないよ。心配するな。
「若子、まず約束してほしいんだ。俺が何を言っても、もし怒ったとしても、俺のことを見捨てないでくれないか?絶対に俺を離れないでほしい。俺、もう分かってるんだ。間違ってたし、ずっと罪悪感に苛まれてる」 「西也、早く話して。何があったの?」 若子は不安を隠せなかった。西也が何か悪いことをしたのではないかというよりも、その悩みを一人で抱え込んで、体調を崩してしまうことの方が心配だった。 西也はティッシュで涙を拭い、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。 「昨日、レストランで藤沢と口論になったんだ」 若子は軽く頷いた。 「分かってるわ。それはあなたのせいじゃないでしょう?あの人は前からあなたを挑発してくるじゃない。以前だって喧嘩になったこともあるし、私、あなたが悪いなんて思ってないわ。自分を責めないで」 「違うんだ。俺は責められるべきなんだ」 西也は深く息をついてから続けた。 「若子、とにかく俺の話を最後まで聞いてくれないか?」 「分かったわ。ゆっくり話して」 「昨日、食事が終わった後、お前が少し席を外しただろう?それから藤沢の隣にいた女もいなくなって、俺と藤沢だけになったんだ」 西也は記憶を振り返るように言葉を選びながら話した。 「その時、藤沢が俺をじっと見てきたんだ。あの妙な目つきで、まるで俺が気に入らないって顔でさ。それから、俺たち言い争いになった。彼の言葉の端々に含まれていたんだ。『お前は若子を奪っただけだ』とか、『若子は結局俺のものだ』とか。はっきりそう言ったわけじゃないけど、そんなニュアンスだった」 若子は西也の手をそっと握りながら言った。 「分かるわ、彼がどんな人かも、どんなことを言いそうかも。そんなことを聞けば、誰だって腹が立つものよ」 「俺も、我慢できなかった」 西也は苦しそうな顔で続けた。 「すごく腹が立って......だからつい、藤沢に詰め寄ったんだ。言い合いになって、手を出しそうになった。若子、本当にごめん。こんなこと、許されないよな」 「西也、それは仕方ないことよ。彼は人を怒らせるのが上手だから。私だって以前、彼に手を出しそうになったことがあるもの。だから、あなたがそうなったって責めたりしないわ」 若子は穏やかな声で語りかけた。怒りや挑発に反応してしまうのは人間として当然のことだと
若子は昨日の自分の態度を思い返していた。あの時、彼女は修を非難し、彼が何も悪くない素振りを見せたにも関わらず、信じようとはしなかった。修が嘘をついているに違いないと思い込んでいたのだ。 だって、西也が嘘をつくはずがない。西也は雅子のように狡猾で計算高い人間ではない―少なくともそう信じていた。 しかし今、西也が自ら口にした言葉は、彼女のその信念を覆すものだった。彼は、わざと転倒して修を陥れようとしたのだ。 若子の頭の中は混乱していた。西也に対する認識がぐらつき、衝撃を受けていた。 こんな行為、直接的な暴力以上に陰湿で卑怯だと感じた。暴力なら罰を受けることもあるが、陰謀による陥れは、被害者だけが苦しむ結果になる。 若子自身、かつてこうした陰湿な手段で傷つけられた経験がある。その時の感情がよみがえり、西也に対して知らず知らず距離を感じてしまっていた。 ―失った記憶が、人柄までも変えてしまうの? 西也は、彼女が手を引いたのを感じ、胸にぽっかりと穴が開いたような虚しさに襲われた。慌てて言葉を重ねる。 「本当にごめん......自分が間違ってたのは分かってる。昨日の夜もずっと眠れなくて、このことばかり考えてた。でも......でもあの時、本当に頭にきてたんだ。藤沢が俺を挑発して、笑いものにして、挙句に『お前は弱い、無能だ』って言ったんだ。お前に守られてるだけだって―俺のプライドをズタズタにされた」 「彼が......そんなことを言ったの?」 若子は驚きを隠せなかった。もしそれが本当なら、修の挑発はあまりにも酷い。 西也は黙って頷いた。 「そうなんだ」 若子は唇を噛みしめ、ため息をついた。 「だったら、私に言えば良かったのよ。私が彼を叱りつけてやるわ。彼がどう傷つけたか、同じように返してやったっていい。でも、私に言わずに、そんな陰険なことをするなんて......西也、私は怒ってるのよ。ただ修を陥れたからじゃない。もっと......あなたに失望したから」 若子の声は穏やかだったが、その目には深い失望が浮かんでいた。それが西也には何よりも辛かった。 若子にとって、西也はこれまで誠実で堂々とした存在だった。彼の行動には常に正当性があり、何があっても正々堂々としていると思っていた。それなのに、彼がこんな卑劣な手段を取るなんて
若子は西也の行動について改めて考え直していた。人間というのは複雑な存在で、誰だって一時的に邪念に囚われることがある。きっと西也もその時は怒りに我を忘れてしまったのだろう。 それに、西也がもし本当に陰険で狡猾な人間なら、こんなにも早く自分の過ちを正直に告白するだろうか?彼が自ら認めたということは、自分の行動に後悔と罪悪感を抱いている証拠だ。 過ちそのものは恐れるべきことではない。恐れるべきは、過ちに気づいても改めないことだ。だが、西也は自分の非を認め、すぐに改めようとしている。それを考えると、若子の中にあった怒りは少しずつ和らいでいった。 若子は深い溜息をつき、静かに言った。 「分かったわ」 「じゃあ......俺のこと、許してくれたのか?」 西也は不安そうに尋ねる。 若子は少し考えてから答えた。 「完全に消化するには時間が必要ね。今までのあなたのイメージと全然違うから、混乱してるの」 「若子、俺を離れるつもりじゃないだろうな?」 それが彼の一番の恐怖だった。 「離れないわ。大丈夫、そんなことで態度を変えたりしないから。あなたがその時どれだけ腹が立っていたか、私は理解してるわ。それに、ちゃんと自分の間違いを認めたんだから、まだやり直せる。そもそも、あの状況は修が挑発したからでしょ?元は彼が仕掛けたことよ」 若子の言葉に、西也はようやく安心したように息を吐いた。 「若子、俺......藤沢に謝るよ」 「それは必要ないわ」若子はすぐに答えた。 「確かにあなたにも非はあるけど、修だって全く責任がないわけじゃない。どうせ彼が謝るわけもないし、この件は私が話をつけるわ。あなたが出ると、また彼に付け込まれるかもしれないから」 若子はこの問題の発端が自分にあることを理解していた。だから、自分が解決するべきだと思っていたのだ。 「若子、ありがとう。俺を分かってくれて本当に嬉しいよ。俺、もう二度とこんなことはしない。絶対に」 西也は、彼女が自分を理解してくれていると分かると、改めて深く感謝の念を抱いた。 若子は彼の肩に手を置いて、軽く叩きながら言った。 「いいのよ。大切なのは、過ちに気づいて改めること。誰だって失敗するんだから」 彼がまだ涙をこぼしているのを見て、若子はティッシュを取り出し、そっと彼の涙
若子は自分が昨夜ずっと報告を読んでいたことを話した瞬間に後悔した。 ―しまった、余計なことを言っちゃった。これじゃ、西也に昨夜ずっと起きていたことを知られちゃう。絶対にまた心配させるわ...... 案の定、西也の目が変わった。 「つまり......お前が今朝起きられなかったのは、昨夜一睡もしないで俺のために資料を調べてたからか?それも、お腹に赤ちゃんがいるのに......そんなに俺のことを考えてくれてたなんて」 西也の目には、また涙が浮かび始めていた。 若子は慌てて、彼をなだめようと言葉を続けた。 「西也、大丈夫だから。あなたも以前、私が辛いときに一晩中付き合ってくれたでしょう?あなたも私にたくさんしてくれたわ。それに、確かに昨夜遅くまで起きてたけど、今日は遅くまで寝てたし、睡眠はちゃんと取ったから、心配しないで」 しかし、西也は頭を垂れて、自分を責めるような口調で言った。 「でも、俺は今、何も覚えていない。藤沢が言ったことは本当だ。今の俺は情けない男で、お前に守られてばかりだ」 その言葉には、自分を責める感情がありながらも、修への憤りが見え隠れしていた。 若子はすぐに否定した。 「そんなこと言わないで。西也、こうしましょう。資料を見せるから、あなたも考えてみて」 西也は頷いた。 「分かった。まずは見てみるよ」 若子はテーブルに置いてあったノートパソコンを開き、自分のメールアカウントにログインして資料を表示した。 「これが全部だけど......英語、大丈夫かしら?」 画面を見た西也は少し考え、しっかりと頷いた。 「分かる。英語は覚えてる」 「それなら良かった」若子は微笑んで言った。 「それにしても、知識や技能を覚えてるって素晴らしいことよ。この施設では、そういう記憶さえ失った人たちも治療してるって書いてあったわ。それを考えると、あなたは彼らよりずっと状態がいいのよ」 西也はその言葉に少しほっとしたように微笑み、優しい声で返した。 「お前がそう言うなら、なんだか自信が湧いてきたよ。ありがとう。じゃあ、これをじっくり読んでみるから、お前は食事をして。朝ご飯を抜いたんだろ?」 若子は頷いて立ち上がった。 「分かった。何か食べてくる。でも赤ちゃんがいるから、食べないわけにはいかないも
若子の頭の中では、動画の映像が何度も何度も再生されていた。彼女は目を閉じると、頭が痛み始め、心臓が早鐘のように鼓動するのを感じた。 何も言わずにいる彼女に焦れた修が、電話越しに不安そうな声で言った。 「若子、どうした?俺の話、聞いてるか?」 若子はゆっくりと目を開け、冷静な口調で答えた。 「聞いてるわ」 「若子、もういい加減に遠藤を離れろ。どこに行くかはお前の自由だけど、とにかくあいつとはもう一緒にいるな。お前がどんな理由で結婚したのか知らないけど、すぐに離婚するべきだ。あいつみたいな......」 「修」若子は彼の言葉を遮った。 「私と西也のことは、私が決めるわ。あなたが口を挟むことじゃない。それじゃ、もう切るわね」 修は彼女の返答に驚き、信じられないような口調で言った。 「お前、本当に事の重大さが分かってるのか?動画をちゃんと見たのか?」 「見たわ」若子は冷静に言った。 「西也が何をしたのか、全部分かってる」 「分かってるなら、あいつから離れるべきだろう!あいつが俺を陥れたんだぞ。お前が一緒にいるべき人間じゃない。それに......俺、お前に叩かれて、顔が赤く腫れたんだぞ。全く後悔してないのか?」 若子は淡々と返した。 「叩いたのは、私が悪かったと思ってるわ。私も誤解してた。それは謝る。でもね、あなたにも非があるわ。あれはあなたが彼を怒らせたから起きたことでしょう?」 「俺が怒らせたからって、あいつが俺を陰湿に陥れるのが正しいってことか?」 「彼を刺激して怒らせたからと言って、彼があなたと殴り合うのが正しいわけじゃないでしょ?それに、あなたも知ってるはずよね?彼の今の状態を。西也は今、あなたと争えるような状態じゃない。それを分かっていながら、わざと彼を怒らせた。以前、私に約束したじゃない。彼をいじめないって」 修は憤然と返した。 「俺がいついじめたって言うんだ?俺が言ったのはただの事実だ!」 「事実って、何を言ったの?」若子は声を荒げて尋ねた。 「彼が弱いとか、私に守られてるとか、そんなこと?」 修は言い返す間もなく、少し躊躇った後で言った。 「そうか......お前、もう全部聞いてるのか」 若子は修の言葉を聞き、深く息を吸った。 「やっぱり、そう言ったのね」 そ
「じゃあ、私があなたの味方をすると思ってるの?」若子は静かに言った。 「修、あなたも分かってるはずよ。それはあり得ないわ」 「つまり、あいつが何をやっても許すってことか?もしあいつが俺を殺したらどうする?それでも許すのか?」 「彼はあなたを殺したりしない」若子は淡々と返した。 「そんな大げさなことを言わないで」 「若子、お前って本当に偏ってるよな」修は怒りをあらわにした。 「遠藤が俺を卑怯にも陥れたっていうのに、こんなにも冷静で、しかもあいつの肩を持つなんて......俺、本当にお前にはがっかりだよ!遠藤なんて陰険で小賢しい小人物だ!お前だって真実を知ったはずなのに、それでもあいつをかばうのか!」 「彼を小人物呼ばわりしないで!」若子は鋭い声で修の言葉を遮った。 「確かに西也は間違ったことをした。でもね、あなたが私に動画を送る前に、西也は自分から私に全部話してくれたの!だから、私は動画を見て気づいたんじゃない。彼自身が事実を認めてくれたのよ」 「何だって?」修は驚きのあまり声を張り上げた。 「あいつが自分で認めたっていうのか?」 「そうよ」若子ははっきりと答えた。 「西也は自分の間違いを認めたし、私は確かに怒ったわ。でも冷静に考えれば、これだってあなたにだって責任があることよ」 電話の向こうで修は長い沈黙を続けた。どうしても信じられなかった。 「あいつがそんなことを認めたなんて......」 真っ先に頭をよぎったのは、若子が自分を騙そうとしているのではないかという疑念だった。西也を庇うための口実じゃないのか?しかし、若子の性格を知っている修は、彼女がそんな風に嘘をつく人間ではないことも分かっていた。 ―じゃあ、本当に遠藤の奴が先に告白したってことなのか? だが、なぜわざわざ若子が動画を見る前に打ち明けたのか。修の頭の中で疑問が渦巻いていた。 ―あいつ、もしかしてレストランに監視カメラがあるのを思い出して、先に手を打ったんじゃないか? 真相はどうであれ、修には一つの事実だけがはっきりしていた。 ―遠藤はうまく立ち回った。 「修、この件はこれで終わりにしましょう」若子は淡々と言った。 「誰が正しいか間違っているかはもういいわ。これ以上この話題でお互いを責め合うのは無意味よ。それじゃ、
「男なら正直に教えて」光莉は鋭い視線で言い放った。 「若子が修と離婚してから遠藤西也と結婚するまでの速さ、不自然にも程があるわ。それに西也の父親があなただなんて、ますます普通じゃない」 光莉がここに来た理由には、修の存在がある。昨日、修が彼女のもとを訪ね、いくつかの話をしていった。その内容を受けて、光莉は若子と直接話すことをせず、まずこの問題の根本にいると感じた高峯に会いに来たのだ。 高峯は軽く頷いた。 「その通りだ。昔からお前は頭が良い、物事の本質をすぐに見抜く。それにしても、どうしてお前が藤沢曜なんかと結婚したのか、不思議で仕方がないよ。いや、分かったぞ。きっと俺に傷つけられて人生に絶望したんだろう?」 光莉の目が細められ、その冷たい視線には容赦がなかった。 「私が一生の中で最も後悔してるのは、曜と結婚したことなんかじゃないわ」 言葉を少し切って、鋭い口調で続けた。 「30年前に、金の匂いしかしない冷血で無情な男についていったこと。今思い出しても吐き気がするわ。若かったせいで何も分からなかった、愚かだったとしか言いようがないわね。でも、その経験には感謝してるわよ。人生の教訓を得たもの」 高峯は膝に置いていた手をゆっくりと握りしめた。光莉の皮肉めいた視線を受けながらも、かすかに鼻で笑うと、こう返した。 「その『豊富な経験』、藤沢には話したのか?もし知ったら......」 「知ったらどうだっていうの?」光莉は高峯の言葉を遮り、冷ややかに言い放った。 「私が気にすると思う?だったらどうぞ、彼に教えてあげたら?私が結婚する前にお前と関係があったって」 高峯はその言葉に一瞬沈黙した。 光莉はテーブルの上の水を一口飲み、音を立ててカップを置くと、高峯を睨みつけた。 「遠藤高峯、そんなことで私を脅せると思うなんて、本当に私を甘く見てるわね。私、そんなこと全然気にしてないわよ」 高峯はその言葉に少し肩をすくめ、穏やかな笑みを浮かべながら言った。 「でも結局、こうしてお前は俺に会いに来たじゃないか。前の嫁のために」 「私が簡単に扱える人間だと思わないで」光莉の声には冷たい鋭さがあった。 「私の人脈は広いのよ、知ってるでしょう?雲天グループが最近手掛けた大きなプロジェクト、資金調達が必要らしいじゃない。それ
「正直......ね」 修はその言葉に、自嘲するような笑みを浮かべた。 「俺は、お前が思ってるほど正直じゃない。昔......妻に嘘をついたことがある。別の女と会うために、『出張だ』なんて言って......それでも、まだ俺は『いい男』か?」 侑子は、かぶりを振った。 「修......それでも、私は信じてる。きっと事情があったんだよ。男には男の都合があるもん」 「侑子、お前......俺を美化しすぎてる。事情なんて関係ない。ただのクズだったんだ、俺は」 「違う。私にとって、修はいつだって『正しい人』なの。たとえ浮気しても、別の女のところに行っても、それはきっと理由がある。私は、どんなときでもあんたを許す。だって私は、あんたの物語のヒロインになりたいから。 ......どんなに卑怯でも、どんなに残酷でも、私は修を肯定する。修が望むなら、私は『都合のいい女』でいられる」 ―男が他の女と関係を持つのは、よくある話。 修ほどの男ならなおさら。金もあって、見た目もよくて、若い。女が群がってくるのは当然。 だからきっと、悪いのはあの女だ。 修が離婚したのは、あの女のせい。彼女がちゃんとしていなかったから。忠実に、女らしくしていなかったから。 いや、それどころか、彼女は最初から不誠実だった。遠藤とくっついて、子どもまで作っておいて、また修を誘惑するなんて― 最低。 そんな女に、修を取られてたまるか。 ふざけないでよ。 そんな節操のない女が、修に相応しいわけないでしょ。 あの女、汚れてる。 男に非なんかない。悪いのは、いつだって女。 男が女を傷つける?それも当然。なのに戻ってきてやるなら、それは女に「恩赦」を与えるようなもんよ。 なのに、拒むなんて......バカじゃないの? 修には、侑子の様子がどこかおかしく見えた。 こんな支離滅裂なことを口にするなんて―正直、理性を失ってるとしか思えなかった。 ......そんなこと、本気で思ってるのか? 彼女は本当に俺のことを「愛してる」からこうなってるのか? それとも、ただ感情に呑まれてるだけなのか。 修は手を伸ばして、侑子の額にそっと触れた。 熱はなかった。体温は平常通り。 たぶん― それだけ、彼女は傷ついて、絶望して、心が限
「ごめん......全部俺が悪かった。こんなふうに泣かせて、本当に......」 修はそう言って、侑子を見つめた。けれど、侑子は首を横に振る。 「病院なんて、もういいの。行きたくないの......今は......ただ、修にそばにいてほしいだけ。 修......お願い......私を抱きしめて。ずっと待ってたの、修が帰ってくるのを......毎日毎日......でも、来なくて......ずっと怖かった......」 ぽろぽろと涙をこぼしながら、侑子は息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。 修は胸が締め付けられる思いで、そっと彼女を引き寄せた。そしてベッドに横たわり、彼女の頭を胸元に抱き寄せた。 「ごめんな、侑子......」 その声には深い後悔がにじんでいた。 彼の体からは、強いアルコールの匂いがした。かなり酒を飲んでいたらしい。 「ねえ、修......さっき心臓が痛くて、薬を飲もうとしたんだけど......飲みたくなくて、もう......このまま死んじゃってもいいかなって......そう思っちゃったの......」 「そんなこと、二度と言うな......!」 修はすぐに言葉を返した。 「そんなふうに思うなんて......それは俺の心を抉るようなもんだ。絶対に生きてほしい。お前の手術のために、ちゃんと適合する心臓を探してみせるから。そしたら、健康になれる」 「......修」 侑子はまた涙をこぼしながら、彼を見つめた。 「私も、生きたいよ......ちゃんと。だから......薬、飲んだの。死んだら、修が悲しむから。迷惑かけたくないから......私は、修を愛してるから。だから......負担にはなりたくないの。 修......安心して。私は、ずっと修の味方だから。何があっても、私の中で一番大事なのは、いつだって修だよ......」 修は深く息を吐いた。 「......侑子、俺はお前にどうしたらいい? たとえば......もし、俺が一生、お前を愛せなかったら?」 「それでもいいの」 侑子は微笑みながら言った。 「私が愛してる。それだけで十分だよ。いらないって言っても、私は愛を少しずつ分けるから。修が苦しいとき、そばにいてあげるだけでいい。それが私の幸せなの」 「私、修のこと、大好き....
―だめだ、絶対に死んじゃいけない。 震える手で薬をかき集めた侑子は、床に落ちた錠剤をそのまま手に取り、汚れなんて気にもせず、口の中に放り込んだ。ごくん、と無理やり飲み下す。 少しずつ、薬が効いてきた。 呼吸が落ち着き、心臓の痛みも引いていく。ベッドに戻った彼女は、天井をぼんやりと見つめながら呟いた。 「私は、絶対に死なない......何があっても生きてやる。修......私は、生きてあんたを手に入れるの。あの女なんかに渡してたまるもんか。 夫もいて、子どももいるのに、まだ修を誘惑するなんて......あの女、ほんとに最低。 修を危険に晒して、さらにまた奪おうとするなんて、どこまで浅ましいのよ。 どうせ母親も同じような女だったんでしょ。ろくでもない母親に育てられて、男と乱れて......下品でだらしない血を引いてるんだわ」 そのとき― 廊下から声が聞こえた。 「藤沢様、お帰りなさいませ」 侑子の目がパッと見開かれた。足音が、こちらへ近づいてくる。 彼女はすぐに反応した。肩紐をぐいと引きちぎるように外し、白く滑らかな肩と谷間を露わにする。 乱れた服のままベッドに横たわり、まるで酷く傷ついた花のように、儚く、美しく、哀しさを帯びた姿を演出する。 修が部屋に入ってきたとき、目に飛び込んできたのは、床一面に転がった薬、そしてベッドに横たわる侑子の姿だった。 「......!」 修の顔が一気に青ざめた。 彼はすぐにベッドへ駆け寄り、侑子を力強く抱きしめる。必死に肩を揺らしながら、名前を呼びかけた。 「侑子!おい、しっかりしてくれ! 侑子っ!」 その目には、深い不安と焦りが浮かんでいた。今すぐ病院に運ばなければ、と口を開きかけたそのとき― 侑子がゆっくりと目を開けた。 「修......やっと、帰ってきてくれたのね。待ってたのよ、どれだけ待ったか......」 彼女のその姿は、まるで何年も帰ってこなかった恋人を待ち続けた人のようだった。 「......ああ、帰ってきたよ、侑子。ごめん、どうしたんだ?具合、悪いのか?」 修の視線が薬へと移った。これはまさか― 「薬、ちゃんと飲んだか?」 「うん......飲んだよ。でも、手が滑って、薬を落としちゃって......全部撒いちゃった
夜の闇が別荘を包み込み、部屋の中には重く沈んだ空気が漂っていた。 侑子はベッドの上で身体を丸め、震えていた。涙は糸の切れた真珠のように頬をつたって流れ、すすり泣きの声が部屋の隅々まで響きわたる。空気さえも、彼女の悲しみに染まっていくかのようだった。 その顔は、かつての輝きを完全に失っていた。まるで枯れかけた花のように、白く、弱々しく、力を失っている。赤く腫れた目元は、血に染まった宝石のように痛々しく、深い怒りと絶望を滲ませていた。 乱れた黒髪が頬の両側にかかり、生気をなくした滝のように見えた。 「なんで......修、なんでまだ帰ってこないの......? 私が代わりでもいい......せめて、少しでも優しくしてくれたら......それだけでよかったのに...... 松本さんに会って、それで戻ってこなくなったの......?まさか......彼女と......?」 心の奥で燃え上がる怒りが、侑子の顔を歪ませる。 裏切られた痛み。置いていかれた悲しみ。それらが一気に押し寄せてきて、彼女の心を粉々に打ち砕いていく。 胸に湧き上がる憎しみは、もうどうしようもなかった。 「なんで......なんで彼女なのよ......あの女、もう別の男と結婚して、子どもまで産んでるのに! 修......そんな女のどこがいいの!?あんな体、汚れてるだけじゃない!」 彼女の痛みと怒りは、やがて真っ黒な闇となり、侑子をその中心へと引きずり込んでいく。 部屋の中の空気はまるで墓場のように重く、息をすることさえ苦しくなる。 「なんでよ......どうして私を選ばなかったの......なんで私が、あんたみたいな男を、好きになっちゃったのよ」 愛してる男の心に、浮かんでいるのはただ一人―松本若子。 その名を思い浮かべるたび、胸が引き裂かれるように痛んだ。 今の彼女の目には、修は裏切り者でしかなく、彼女の心を何度も何度も殺す「加害者」だった。 そして、若子は......下劣で、汚らわしくて、恥を知らない女。 そんな思いに囚われて、彼女の心はもう、まともでいられなかった。 過去にも何度か恋はしてきた。彼氏だっていた。 けれど、どれもこんなふうに心をかき乱されるような恋じゃなかった。 ―今までの恋なんて、全部偽物だったんだ
若子はその場を追いかけたくてたまらなかった。けれど、足はまるで鉛を詰められたように重くて、動くことができなかった。 ―ダメだ。私はもう、修を追いかけちゃいけない。 彼との関係は、もう終わったんだから。 彼には山田さんがいる。もう自分とは終わっている。だったら、いっそ嫌われて、憎まれたままでもいい。 その方が、きっと彼のためになる。 そんな思いで立ち尽くしていた若子の背後から、ふわりと誰かが彼女を抱きしめた。 「若子......信じてくれてありがとう。俺を信じてくれて、本当に......ありがとう」 西也の声だった。 最終的に、若子は彼の言葉を選んだ。それだけで彼の中に、確かな勝利の実感が湧いてきた。 その口元には、ふっと得意げな笑みが浮かんでいた。 ―藤沢、お前は俺に勝てない。 俺は若子を傷つけたりしなかった。ずっと彼女のそばにいて、支えてきたんだ。暗闇の中で手を差し伸べてきたのは、この俺だ。 それに比べて、お前はずっと彼女を泣かせてきたじゃないか。 だが― 若子はその腕を、ギュッと掴んで無理やりほどいた。 「西也......本当に......本当にボディーガードを連れて、銃まで持って修のところに行ったの?本当に......傷つけるつもりだったの?正直に話して」 さっき、修にあんなふうに言ったのも、完全に信じてなかったわけじゃない。 もう修を信じるか信じないかは、正直どうでもよくなっていた。彼には侑子がいて、子どもまでいる。今さら自分が何を言ったところで、どうにもならない。 西也の呼吸が乱れた。肩がわずかに震え、若子の肩を強く掴む。 「若子、俺のこと信じてないのか?......まさか、あいつの方を信じてるのか?」 さっきまで自分を選んでくれたと思っていたのに、まるで手のひらを返されたような気がして、胸の奥がずきりと痛んだ。 「西也......お願いだから、本当のことを言って。本当に銃を持って行ったの?」 二人のうち、どちらかが嘘をついている。でも、どっちなのか、若子にはもうわからなかった。考えれば考えるほど、混乱するだけだった。 「......銃は、持って行った。けど、それは俺のボディーガードが持ってたやつで、護身用なんだ。アメリカじゃ銃の携帯は普通だし、もし危険な目に遭った
若子はしばらく黙って考え込んだ。そして、ゆっくり顔を上げて修を見つめた。 「でも......あのとき、あなたは本気で西也が死ねばいいって思ってた。私に、西也の心臓を桜井さんにあげるようにって、同意を求めたよね」 西也の口元がぐいっと吊り上がる。得意げな笑みを浮かべて、ほっと息をついた。 ―若子は俺のことを信じてくれたんだ。 藤沢修、お前なんかに勝ち目あると思った? 前には桜井雅子、今度は山田侑子。お前がこれまでやってきたこと、どれを取っても正当化できないし、言い逃れもできない。 その一方で、俺は若子にとっての理想の男だ。お前が俺に勝てる要素、どこにある? 若子の言葉は、修の胸を鋭く突き刺した。 「若子......それは......昔のことだ。もう何年も前の話だよ。それと今は別だ。あれはあれ、これはこれなんだ」 「でも、あなたは確かにそうした。確かに―あのとき、あなたは西也に死んでほしいと思ってた。これは事実でしょ?」 修は口をつぐむ。否定できるはずもなかった。あの頃、西也のことを心の底から憎んでいた。そして、雅子が心臓移植を必要としていたタイミングで、西也が倒れた。 これは「チャンス」だと思ってしまった。雅子を助けるには、西也の心臓を......その考えが頭をよぎったことを、否定なんてできない。 ―自分の中の醜い部分。もし誰もがそれを晒されたら、きっと誰も「人間らしく」なんて言えなくなる。 「若子......あれは、あのときの話だ。彼の命が消えかけてたから、俺は......ああ言った。けど、俺は手を下してない。殺してもないし、傷つけてもない。常識的に、そうするのが正しいと思っただけなんだ」 「常識、ね......」 若子はその言葉を聞いて、吐き気がしそうになった。 「修......あなたにとって、西也の治療を諦めることが『常識』なの? だったらもう、これ以上言わなくていいよ。きっと、あなたの心のどこかが後ろめたかったんでしょ?だから西也があなたの元を訪ねてきたとき、勝手に『殺しに来た』って思ったんじゃない?」 「......」 修はふらりと数歩、後ろに下がった。 何もかもが空っぽになったようだった。胸の中から、心臓ごと引き抜かれたかのように。 若子からの言葉。何度も、何度も突き刺さっ
若子のその言葉は、どちらにも肩入れしない「中立」なものだった。 誰が正しいのか、彼女にはわからなかった。だって、その場にいなかったから。修の言い分も、西也の言い分も、どちらも聞いてみれば筋が通っているように思える。 ただ、どちらも誤解していただけだったら―そう願わずにはいられなかった。 西也は修のことを誤解していて、修も西也の護衛が武器を持っていたことで、逆に西也を疑った。ふたりの関係はもともと悪くて、敵意に満ちていた。だから、極端な判断をしてしまったとしても不思議じゃない。 「こいつは本当にやったんだ。侑子まで捕まえて、あと少しで殺されるところだったんだぞ」 修の声には怒りと悔しさが滲んでいた。 だけど、若子の中でその言葉は、ただの「誤解」に聞こえてしまった。 彼女にとっては、現場にいなかった以上、どちらかを一方的に信じることはできなかった。 それでも―自分の命をかけてくれた修の言葉を、疑ってしまっている自分に、彼はきっと傷ついている。 離婚してしまった今、彼女はもう修の味方ではない。 かつてなら、迷わず彼を信じていたはずなのに。 「濡れ衣だ!」西也が激しく声を上げた。「若子、こいつの言うこと信じるな!こいつは嘘をついてる!それに、もし俺が本当に殺すつもりだったら、こいつなんて今こうして立ってられないだろ?あの時、屋敷に彼は一人だった。俺が殺そうと思えば、簡単にできた。でも、やらなかった!」 「それは、お前が油断してたからだ。俺が隙を見て銃を奪い返して、逆転したから助かっただけだ。あのままじゃ、俺も侑子も、確実に殺されてた。お前が死体を処理してしまえば、誰にもバレなかったはずだ」 「お前、よくもそんなでたらめ言いやがって!」 西也は怒りを抑えきれず、若子に向き直った。「若子、お願いだ、信じてくれ。俺がどんな人間か、お前ならわかってるだろ?こいつこそ、俺を殺そうとした張本人だ!」 「お前、忘れたのか?前に俺が事故に遭った時、こいつも含めて全員が、お前に俺の臓器を提供しろって迫ったんだぞ?こいつなんて、俺に早く死ねって言ってたようなもんじゃないか!」 西也は、思い出という武器で切り込んできた。 彼の言葉は、若子の心に鋭く突き刺さる。 あの時―病院で、全員が彼女に迫っていた。西也の命を見捨てて、誰か
修の声は驚くほど冷静だった。西也のように感情をむき出しにすることもなく、彼の言葉には一分の隙もなかった。 どこか、堂々として見えた。 その落ち着いた姿を見て、若子はふと、疲れを覚えた。 修と西也の喧嘩なんて、これが初めてじゃない。もう何度もあった。前なんて、レストランで暴れて警察沙汰になったことすらある。 どちらの肩を持とうと、結局ふたりの間の確執は終わらない。今回の乱闘だって、どうせこれが最後にはならない。 「修、西也、あなたたちもう大人でしょ?自分の行動には自分で責任持ちなよ」 若子の声には、明らかに苛立ちが混じっていた。 「また喧嘩して、これで何回目?私はもう知らない。どっちが先に手を出したとか、正直もうどうでもいい。やりたきゃ好きに殴り合えば?先に殴った方が、もう一発食らう。それでチャラにしなよ。私はあなたたちの母親じゃないの。毎回毎回、警察に駆けつけて後始末して......そんなの、もうごめんだから!」 西也は口を開けかけたが、若子の鋭い一言でぐっと黙り込んだ。 なにか言いたそうな顔をしていたけれど、その勢いはすっかり削がれてしまった。 彼の視線は自然と修に向き、そこに溜まった怒りの矛先をぶつけるように、じろりとにらみつけた。 ―でも、今回、若子は西也をかばわなかった。 修はそれを見逃さなかった。彼にとっては、これが逃せないチャンスだった。 「若子」 修が一歩前に出て、静かに言った。 「なんで俺の話は聞かない?どうして俺が西也を殴ったのか、その理由を考えてくれたことある?」 「藤沢、また話を捏造するつもりか?」 西也がすかさず口を挟んだ。 「捏造?お前、ビビってるのか?若子に話されるのが、そんなに怖いか?」 修は口元だけで笑って、続けた。 「お前、若子には言わないつもりだったんだろ?......あの夜、お前がどんな風に俺の家に乗り込んできたか。銃を持った連中を引き連れて、俺のこめかみに銃口突きつけたよな」 「な―」 若子が目を見開いた。 「西也......それ、本当なの?」 西也は眉をひそめて、必死に否定する。 「若子、違う!誤解だ、そんなことするわけない。確かに何人か連れて行ったけど、それは俺のボディーガードだよ。あくまで護衛で、武力を使うつもりなんてなか
修にとって、若子が西也を責める姿を見るのは、これが初めてだった。 彼は腕を組みながら二人を見つめ、目の奥に一瞬だけ安堵の色を浮かべた。 ―もしこれが昔だったら、若子は絶対に真っ先に西也をかばってた。 でも、今は違う。彼女は西也を守らなかった。 それだけで、少しだけ救われた気がした。 だけど同時に、不安の方が大きかった。 若子が西也をかばわなかったのは、ヴィンセントの存在があったからだ。 11年も一緒に過ごしてきた自分との関係すら壊して、西也をかばった若子が―たった数日で、ヴィンセントのために西也すら突き放すようになった。 それが、何より恐ろしかった。 ヴィンセントはまるで強引に入り込んでくる侵略者のように、既存の人間関係を簡単に壊してしまう。 「若子、お前......俺のこと、責めてるのか?」 西也の声は震え、目を見開いて彼女を見た。 「責めてるかって?ええ、そうよ。責めてるわ」 若子は疲れた表情で言った。ほんとは、こんなこと言いたくなかった。 でも、どうしても感情を抑えきれなかった。 物事がここまでぐちゃぐちゃになって、それでも「全部お前のためだ」なんて顔して、どんどん余計なことをして、混乱ばかりで、結局一番迷惑を被るのは若子だった。 「若子、あのときはお前が危ないって思って......電話で問い詰めるわけにはいかないだろ?もしそばに誰かいたらって思ったら......だから俺は、こっそり探しに行っただけで......俺だって、お前が心配だったんだ。理解してくれよ......それに、お前が夜に出かけたとき、俺には行き先がわからなかった。考えられるのは藤沢だけだった。そして実際、お前は彼に会ってた。お前の失踪は直接彼のせいじゃないかもしれないけど、彼と会ってなければ、そんなことにはならなかったんだ!」 「あなたが心配してくれてたのはわかってる。でも、自分のミスを正当化しないでよ!」 若子の声が一段と強くなった。 「西也......あなたといると、ほんと疲れる」 「......っ」 その一言が、西也の胸に深く突き刺さった。 「ミス」とか「疲れる」なんて―若子の口から、そんな言葉が自分に向けて出てくるなんて、思ってもいなかった。 彼は信じられないような表情で、ただ彼女を見つめるしか