Mag-log in夫の小寺翔太(こてら しょうた)は、いつもまとわりついてくる幼なじみを、ずっと疎ましく思っていた。 私、小寺理乃(こてら りの)のために、その幼なじみ、奥島悠実(おくしま ゆうみ)との連絡すら絶ってくれたほどだった。 それなのに、目が覚めると、私は悠実と身体が入れ替わっていた。 翔太に相談しなくちゃ。でも、悠実の姿のままでは、門前払いされてしまうかもしれない。 頭の中で何通りもの説明の仕方を考えてから、私は翔太との家を訪ねた。 玄関のドアを開けた翔太は、私を見るなり眉をひそめ、慌てて扉を閉めると、無理やり外へ押し出そうとした。 私は悠実じゃない。そう説明しようとした瞬間、翔太が、ぎゅっと私を抱きしめた。 「なんでここに来たんだ?さては、この2日間、俺のことが恋しくてたまらなかったんだろ」
view more帰国してからも、翔太は諦めなかった。小寺グループの強大な影響力を使い、街じゅうの広告ビジョンに私へのプロポーズ動画を流して、私が振り向いてくれるのを祈り続けた。晃司は、彼の実家のツテを使って、翔太が国外で女性を不法に連れ去った事件を世間に広めた。その間、私の名前も身元も、すべて完璧に伏せられた。翔太の愚かな行いがもとで、小寺グループの株価は暴落し、資金繰りも完全に行き詰まった。株は大量に売り浴びせられたうえ、今度は敵対的な買い集めに遭い、激しいマネーゲームの末に、巨大なグループはあっけなく経営破綻した。翔太の邸宅は抵当に入った。差し押さえの担当者が家を引き取りに訪れたとき、薄暗い地下室で虫の息になっている悠実を見つけ、救出した。悠実は翔太を告訴した。殺人未遂をはじめとする罪に問われ、翔太には長期の実刑判決が下ることになった。すべてを聞き終えても、私の胸に湧いたのは、ほんの少しの感慨だけだった。それでも、もう全部終わったのだ。半年後、晃司と私が共同でデザインした「煌めき」シリーズが、世界的なファッションランキングで1位に輝いた。授賞式の日、晃司は私の手を引いて、栄誉ある壇上へと上がっていった。受賞スピーチを終え、壇を降りようとしたとき、晃司が突然、私を引き止めた。彼は片膝をついて、片手にはスタッフから受け取った真っ赤な薔薇の花束を、もう片方の手にはまばゆいダイヤの指輪を差し出した。私は、呆然と立ち尽くした。晃司はまっすぐに私を見つめ、やさしく澄んだ声で言った。「理乃、ずっとずっと前から、君が好きだった。これからの人生を、君と一緒に歩いていきたい。俺と、結婚してくれませんか?」「受けて!」「結婚しちゃえ!」こらえきれずに、大粒の涙がこぼれた。私はうなずいて、そっと手を差し出した。「はい。喜んで」晃司は、世界でいちばん大切な宝物を手に入れたように、私をひょいと抱き上げ、嬉しそうにくるくると回った。プロポーズのあと、私たちは幸せな結婚式の準備を始めた。研究所の同僚たちも喜んで加わってくれて、招待状から披露宴の会場まで、花束のひとつひとつ、小物の配置のひとつひとつに至るまで、すべてが丹念に、美しくデザインされた。かつて晃司をからかっていた、あのヨーロッパ人の同僚が、彼を肘でつついて、またフランス語で言った。
彼にきっぱりと諦めさせるには、嘘をつくしかなかった。「この人は、私の婚約者よ。もうすぐ結婚するの。だから、二度と私たちの邪魔をしないで!」翔太は、崩れ落ちるように叫んだ。「そんなはずないッ!理乃、俺は信じない。俺たち、あんなに愛し合ってたじゃないか!ああああっ!」晃司は後のことを、駆けつけた警察とボディガードに任せた。そして、かけがえのない宝物を守るようにそっと私を抱き上げ、周りの目から隠すように、しっかりと包み込んでくれた。私は彼の胸に顔をうずめた。ようやく安全を実感できて、たまらず声を上げて泣いた。晃司は私を、ふたりで暮らす家に連れ帰った。ベッドにやさしく下ろすと、その脇に片膝をつき、心配そうに私の顔を覗き込んだ。「理乃、もういいんだ。泣かなくていい。大丈夫……全部、終わったから」しゃくり上げながら、私は尋ねる。「先輩……私が連れ去られたって、どうしてわかったんですか?」その話になると、晃司の顔に怒りがにじんだ。「いつもお昼を一緒に食べる約束だっただろ?君が出ていってしばらくして、何が食べたいかメッセージを送ったのに、返事がなかった。ちょっと心配になって、入口まで見に行ったんだ。そしたら、君のデザイン画が全部、地面に散らばってた。何かよくないことが起きたんだって、すぐにわかったよ。それで、ツテを頼って調べたら、君の元夫が連れ去ったってすぐにわかった」晃司が、私の頭をそっと撫でてくれる。「でも、もう大丈夫だ」私は顔を上げ、おそるおそる尋ねた。「先輩……知ってしまったんですよね。彼のこと……」「ああ。でもいいんだ。過去のない人間なんて、いないさ」やっぱり、春風のように穏やかでやさしい先輩だった。涙を拭って、私は深くうなずいた。「そうですよね。全部、もう終わったこと。ありがとうございます、先輩」ふと、晃司が口を開く。「さっき言ったこと、本当なのか?」「……え?」「婚約者って」真剣なまなざしが、私を見つめる。その瞳には、いつも私に向けられてきた、深くあたたかい想いが宿っていた。私は、耳まで真っ赤になった。「ち、違います。あれは、あの人に諦めさせて、二度と付きまとわれないように、わざと言っただけで……」「そうか」晃司の顔が、少しずつ近づいてくる。「君
「離婚」という言葉を聞いた途端、翔太は血相を変えて叫んだ。「離婚なんてしてない!理乃、あんなのは偽物だ。俺は認めてない!悠実も、あのときお前と身体を入れ替えた奴も、俺がきっちり罰しておいた。信じられないなら、これを見てくれ」言葉と同時に、彼は慌ててスマホを取り出した。画面には、大量の監視カメラの映像が保存されている。適当に開いた1本には、悠実が電流を流されて苦しむ映像が映っていた。彼女は見る影もなく痩せ細り、そのくぼんだ目には、生きようとする意志のかけらも残っていなかった。映像を見終えて、翔太への嫌悪が、さらに募っていった。「翔太。これが全部自分のせいじゃないって、本気で言うつもり?あなたが悠実を好き勝手させていなければ、私たちの結婚生活が破綻することなんてなかったはずよ」私は、1語ずつ区切るように言った。「あなたこそが、諸悪の根源よ!」私が言葉を重ねるたび、翔太の顔からすうっと血の気が引いていく。言い終えて、彼の腕を冷ややかに振り払って立ち去ろうとしたが、強くつかまれて動けなかった。翔太は、私の前にひざまずいた。「理乃!すまない、俺が悪かった。不倫なんて、するんじゃなかった」彼の目が、みるみる赤く充血し、涙ぐんでいく。「頼む、一緒に帰ろう。あいつらのことも、過去のことも全部忘れて、もう一度だけ、最初からやり直させてくれないか?なあ……」「嫌よ。あなたとは行かない」私は、しがみついてくる腕を冷ややかに振り払った。けれど少し進んだところで、背後から強く抱きすくめられた。口と鼻に、薬品の匂いがするハンカチが押し当てられる。抵抗する間もなく、私の意識は深い闇へと落ちていった。途切れる寸前、うわごとのような翔太の声が耳元で聞こえた。「理乃……お前は、俺から離れちゃだめなんだ」目を覚ますと、そこはホテルの1室だった。傍らには、見張るように翔太が座っている。意識のない私を連れて、すぐに国外へ連れ出せるはずがない。私は部屋の隅に縮こまって、声を張り上げた。「翔太、正気なの?こんなの不法監禁よ!ここはあなたの好き勝手できる場所じゃない、今すぐ帰して!」翔太は、水を注いだコップを差し出してきた。「いいから、もう叫ぶなよ。このフロアは全部俺の手の者だ。誰にも見つかりっこない。頼むから、おとな
嬉しさのあまり、私は自分の顔をまじまじと見つめ、何度も頬に触れた。喜びの涙があふれる。私は、本当に自由になったのだ。ちょうどそのとき、空港のアナウンスが流れた。「790便をご利用のお客様は、お早めにご搭乗ください」スマホには、翔太からの着信が数えきれないほど入っていた。きっと、もう気づいたのだろう。手紙も読んだに違いない。私は彼の連絡先を残らずブロックして、自分の夢を追いかけはじめた。世界的に名の知れたウィーンのデザイン研究所が、私の才能に目を留め、デザイナーとして迎えたいと声をかけてくれたことがあった。けれど、翔太のそばを離れたくなくて、私はその誘いを断った。それから3年。研究所は今もなお、私に手を差し伸べてくれていた。私は迷わず承諾し、海外転出届も出した。ウィーンに降り立つと、研究所から迎えのスタッフが来てくれることになっていた。けれど、いくら待っても、ネームボードを掲げた人は見当たらない。そのとき、後ろから誰かが私の肩を軽く叩いた。振り向いた私は、思わず固まってしまった。「やあ、久しぶり」黒いロングコートに身を包んだ相楽晃司(さがら こうじ)が、微笑みながら私を見ていた。「先輩!お久しぶりです。どうして先輩が?」驚きと嬉しさで、声が弾んだ。晃司は手を伸ばして、私のスーツケースを受け取る。「決まってるだろ。我らが誇る天才デザイナー、理乃様をお迎えに上がったんだよ」私は思わず足を止めた。「先輩も、研究所にいらっしゃるんですか?うそ、嬉しいです!」晃司は私の頭をぽんぽんと撫でた。「行こう。ビールさんを待たせちゃ悪い」ビールは、私たちデザイナー全員の師匠であり、研究所をたったひとりで立ち上げた人でもある。穏やかで小柄なドイツ人のおじいさんで、かしこまらなくていい、みんな気軽に「ビール」と呼んでくれ、と言ってくれている。ビールや他のデザイナーたちとの顔合わせは、とても楽しいものだった。それが済むと、私は家探しを始めた。その最中、晃司がふと言った。ルームメイトが出ていったから、寝室がひとつ空いている。嫌でなければ、とりあえずそこに住めばいい。家賃のことは、気にしなくていいから、と。翔太のもとを去ったとき、私は何も持ち出さなかった。今は懐が寂しくて、大した額は出せない。私は感謝を込めてう
Rebyu