FAZER LOGINあっという間に五日が過ぎ、パーティーの日になった。
「香織お嬢様、本当によくお似合いです。会場にいる全員がお嬢様に目を奪われるでしょう!」
「そうかしら?」
華やかな青いドレスに身を包み、長い黒髪を結い上げた香織は、行きつけの美容院の店長――鏑木壮太(かぶらぎそうた)の手を取り、彼の車へと向かっていた。
「あなたの腕がいいのよ、いつも感謝しているわ」
「それはこちらのほうですよ、お嬢様。お嬢様の父君には感謝してもしきれません」
壮太は優雅に香織をエスコートし、車のドアを開けた。
香織が黒のSUVの後部座席に乗り込むと、壮太が運転席に座った。
「あなたが運転してくれるのね」
「安物の車で申し訳ありません」
「そんなことないわよ」
九条や羽川に劣るとはいえ、人気美容院を経営する彼もかなり稼いでいるはずだ。成功してもなお、父親への恩を忘れることなく、謙虚な彼に香織は好印象を抱いた。
「ところで、今から向かわれるパーティーは一体どのような会なのですか?」
運転中の壮太が香織に尋ねた。
「亮太の愛人の妊娠祝いのパーティーよ」
「あ、愛人……!?妊娠……!?」
壮太は驚いて咳き込んだ。
「あ、これ内緒ね?一応近しい人しか呼んでないパーティーだから」
「は、はい……お嬢様……」
壮太は香織が平気な顔でそのようなことを口にしているのが信じられなかった。
愛人の妊娠に、何故そんなにも平然としていられるのか。もし自分が香織の立場だったらきっと正気を失っていただろう。
それに香織は学生時代から亮太を深く愛していたはず。そんな彼女が愛人と子供の存在を知ってもなお、毅然とした態度でいるのだ。驚かないほうがおかしいだろう。
壮太は香織のそのようなところが父である忠嗣にそっくりだと思った。彼も妻の不倫を知ったとき、取り乱すことなく冷静だった。
壮太は香織より七つ年上で、三十を過ぎている。香織のことは昔から見てきていた。
壮太にとって彼女は大恩人の娘であり、少し年の離れた妹のような存在だった。だからこそ、心配だった。
「お嬢様、会場に着きました」
「もう?やっぱり車移動だと楽ね」
「羽川家の夫人が電車やバスで移動しているほうがおかしいんですよ……」
「あら、それはたしかにその通りね」
香織は笑っていたが、壮太の不安はいつまでたっても拭えなかった。
壮太の手を取って車から降りた香織は、彼の様子がおかしいことに気が付いた。
「どうしてそんな顔をしているの?」
「俺は……そのような会にお嬢様を一人で参加させることが心配で……」
「あら、壮太ったら、忘れたの?」
香織が壮太を名前で呼ぶのは久しぶりだった。彼が開業し、客となってからはずっと店長と呼んでいたからだ。
「私はあの九条忠嗣の娘よ。そう簡単にやられるタマじゃないわ」
「お嬢様……」
香織は父親のことが好きではなかったが、彼が仕事面においてどれだけ素晴らしい人だったかをよく知っていた。実際、彼は壮太を始めとする多くの人から慕われていた。
「俺は終わるまでここで待ってますよ。帰りたくなったらいつでもここへ戻ってきてください」
「ええ、ありがとう」
一度壮太と別れた香織は、パーティーが行われるホテルの中へ入った。
「……たかだか愛人の妊娠のために、こんな高級ホテルを予約するなんてね」
バカバカしくて笑いが出そうになった。
パーティー会場へ入ると、香織は人々の視線を一斉に集めた。
「ねぇ、あれって……羽川夫人じゃない?」
「どうしてここにいるんだ……今日は日菜乃さんの妊娠祝いのパーティーのはずだろう?」
ざわめく会場。
そして、香織の視線の先には――
「な、何故お前がここにいるんだ!!!」
ドレスアップした日菜乃と、スーツ姿の亮太が立っていた。そしてその横には彼らの娘である朱里もいた。
怒声を上げる亮太に、香織はニッコリと笑い返した。
「あら、子供がいる前であまり大きな声は出すものではありませんわよ?」
香織は焦って部屋にあった長い棒を手に取った。威嚇するように男を見下ろす。そんな彼女を、男は嘲笑うように口角を上げた。「九条グループのお嬢様が……そんな物騒なもの持ってんじゃねえよ」「あなたが何をするかわからないから」「おいおい、こっちは両手足を縛られてるんだぜ?何の抵抗もできない無害な人間に暴力振るうってのか?」無害だなんて、どの口が言うのか。少なくとも先に無礼を働いたのは彼の方だ。「ここは一体どこなの?どうやったら出れるの?」「俺から情報を得たいなら、まずはその武器を下ろせ。そうしたら言えることは話してやる」「言えること……?」全ては言えないというのか。棒を持つ香織の手に力がこもった。「私が聞いたことは全部答えてもらうわよ?言える言えないなんて関係ないわ」香織は男の前で棒をかまえた。「九条グループのお嬢様は暴力的だな……俺の話もちょっとくらいは聞いてくれよ」「……」「まずはその棒を下ろせ……話はそれからだ……」このままではいつまで経っても何の情報も得られないままだ。香織は男の要望に応じることを決め、そっと棒を下ろした。床にカランッという音と共に、彼女の手から完全に離れた。「武器を捨てたわよ。さぁ、知ってることは全て話してもらうわ」「知ってることと言っても……俺はほとんど何も知らない」「ちょっと、何よそれ」男は手足を縛られたまま答えた。何も知らないとは一体どういうことか。「首謀者の顔くらいは知っているでしょう?」「いや、それすら何も……俺はただバイトでここまで来ただけだからな」「バイトですって……?」香織は眉をひそめた。「あぁ、知り合いから割のいい仕事があるからやらないかって誘われたんだ。ちょうど金に困ってたし……ただの警備員だって聞いてたのに、こんな仕事だとはな……」男は気まずそうに顔を背けた。その表情を見るに、嘘をついているわけではなさそうだ。「桜庭柚果――さっきの女のことは知っているの?」「いや、全く初対面だ。それにアイツ、桜庭って名前だったのか?持ってた身分証には川島って書いてたけど」「……何ですって?」川島とは一体誰のことか。彼女は間違いなく桜庭柚果なわけで。初対面のときも間違いなくそう名乗っていたし、社員たちからも桜庭さんと呼ばれていた。香織の脳裏に、朗らかに笑う柚果の顔が浮かび上がった。しか
香織は部屋の中で一人、退屈な時間を過ごしていた。(もう丸一日が経つのね……お父さんや有真さんが不審に思っているかも……)二人に余計な心配をかけたくなかった。何より、永遠にこの場所から出られないのだけは御免だ。香織は思い切った行動に出ることを決めた。「――すみません、どなたかいらっしゃいますか?」香織は固く閉ざされた扉に向かって声をかけた。聞こえているのかいないのか、わからない。しかし、こうでもしなければ永遠に外へは出れないだろう。香織は切羽詰まったように大声を上げた。「すみません、緊急事態なんです!どなたか、いらっしゃいませんか!」彼女は扉に向かって叫び続けた。それからしばらくして、ガチャリと鍵が開く音と同時に、固く閉ざされていたはずの扉が開いた。外から姿を現したのは、昨日柚果と共に部屋へ入ってきた見知らぬ男だった。「………………何だ?」「――えいっ!!!」香織は扉の陰に潜み、男が入ってきた瞬間を狙って棒で思いきり頭を殴った。「うぐッ――!」頭を殴られた男は床に倒れ込んだ。香織はそんな彼をじっと見下ろした。「……意識を失っているようね」衝撃で彼は一時的に気絶していた。目覚めるまでの間、香織は男を部屋にあった電気コードで手足を縛った。そのままの姿で目覚めてしまえば、女の香織は彼に勝つことができない。何の考えも無しに暴力を振るうほど彼女は馬鹿ではない。「何か持ってないかしら……スマホとか……」香織は彼のポケットの中に手を入れるが、脱出に使えそうなものは何も入っていなかった。「扉が開いているわ……あそこから外へ出られるかも……」香織は男を一人置き去りにし、開いた扉から外へ出た。家の中は案外狭く、部屋も三つほどしかなかった。香織を閉じ込めていた部屋、キッチン、そしてつい最近まで誰かが暮らしていた痕跡が色濃く残るリビング。それらを全て通り、香織は出口を探した。「きっとここが玄関ね……このドアが開けば外に出られるわ……!」香織は外に続く扉を強い力で押してみるが、ビクともしなかった。まるで外側から何者かが押さえつけているかのように動かない。(嘘でしょう……?)肝心の玄関の扉は、部屋と同じように固く閉ざされていて開かなかった。香織はショックを隠しきれなかったが、一度倒れている男の元へ戻った。部屋の中を歩き回り、何とか脱出する方法が
忠嗣は警察へ連絡を入れたが、警察はすぐには動かなかった。「しばらくは様子を見てください」「ちょっと、どうしてですか!娘が行方不明だっていうのに」近くにある警察署を訪れた有真は、署内で声を荒らげた。「娘さん、既に成人しているんでしょう?子供でもないんですから……」「あの子はそういうことをする子では……」「二十五歳の女性なら、親に無断で外泊することだってありますよ。普段実家で暮らしているならなおさら。たまには親から離れたいとも思うでしょう」警察官は有真の言葉を遮った。彼は事の重大さを捉えていないようだった。「ですが……」「それにしてもあなた、ずいぶん若いですね?二十五歳の娘がいるって言ってましたけど……ということは、十歳で産んだんですか?」警察官はニヤニヤ笑いながら有真に尋ねた。「……香織さんは私の夫の連れ子です。血は繋がっていません」有真はこれ以上は何を言っても無駄だと思い、そのまま警察署を立ち去った。あまりにも無礼な警察官の態度に、我慢の限界だった。「私も香織さんを探そうかな……日中は時間があるし……」今日はちょうど何の予定もない。忠嗣は外せない用事で捜索には加われないから……そう思っていたそのとき、有真はある人物とたまたま遭遇した。「……あれ?あなたはもしかして、福本さん?」「……あなたは、香織の……」偶然、出会ったのは前に九条邸を訪れた福本礼音だった。「はい、継母の九条有真です」有真は軽く自己紹介をした。礼音は有真から後ろにある警察署に視線を移した。たった今、彼女がここから出てくるところを目撃していた。「……こんなところに何の用で?」「あぁ、それは……」有真は他人である礼音に言うべきか悩んだが、彼なら何か知っているかもしれないと思い、説明した。「実は、香織さんがいなくなってしまったんです」「……何だと?」礼音は眉間にシワを寄せた。香織がいなくなったとは一体どういうことか。「それはいつからですか?」「昨日からです。香織さんから友達の家に泊まると連絡が入ったのですが……電話をかけても一向に繋がらなくて」「……」礼音は平静を装っていたが、内心気が気ではなかった。「……事件の香りがしますね」「ええ、私もそう思います。ですが、警察はあてになりません」彼の言葉に、有真は頷いた。二人とも、ちょうど同じ考えが頭
二人が部屋から出て行ったのを確認すると、香織はそっと起き上がった。「行ったみたいね……」部屋の扉に手をかけてみるが、どれだけ押してもうんともすんともしなかった。どうやら再び閉じ込められてしまったようだ。こんなことになるんなら、二人が入ったあのときに殴ってでも強引に外へ出るべきだったかな。しかし、犯人が二人だと確定しているわけではないため、その行為は危険だった。(どうすればここから出られるのかしら……)それに、柚果の言うあの方とは一体誰なのか。どのような目的で、私をここに監禁しているのか。皆目見当もつかない。「私、拉致監禁されるほど誰かの恨みを買ったのかしら……」考えても全くわからなかった。前世では当然、このようなことはなかった。ドアも窓も開かないし、スマホも無いから外へ連絡を取る手段もない。香織の目の前が絶望で暗く染まっていった。「あーもう、誰か助けて!」その叫びは誰にも届かないまま、消えていった。***その頃、有真と忠嗣はあまりにも遅い香織の帰宅を不審に思っていた。「香織は……まだ帰ってこないのか?」「ええ、旦那様。一応香織さんから連絡はあったのですが……」有真の元には、香織から帰宅が遅くなるという連絡が入っていた。そして、今日は友人の家に泊まって行くということも。しかし、有真と忠嗣はそのメッセージを不審に感じていた。「香織が急に外泊するだなんて……今までそんなことは一度も無かったというのに……」香織は昔から真面目で、朝帰りなんてしたこともなかった。そのせいで今、九条邸の空気はピリピリしていた。「……もしかすると、香織さんの身に何かあったのではないでしょうか」「……」有真の言葉に、忠嗣は黙り込んだ。彼もまた、娘の異変を感じ取っていたようだ。「だって明らかに変ではありませんか。電話をかけてみても、繋がらないんですよ?」「……そうだな」有真は香織のスマートフォンに何度も電話をかけたが、昨日からずっと繋がらないままだ。以前の香織ならともかく、今の彼女が有真からの電話を無視するとは考えにくい。「さっき会社に連絡してみたのですが、出社していないそうです。無断欠勤なんてするような人ではないというのに」「……」明らかに異様ともいえる事態だった。忠嗣はポケットから自身のスマホを取り出した。「……今、九条家の者で周辺を捜
目を覚ますと、香織は知らない場所にいた。(ここはどこ……?)見知らぬ天井がぼんやりとした視界に入る。小さな部屋の床に、彼女は倒れるようにして寝ていた。体をそっと起こすと、頭がズキズキと痛んだ。やっぱり飲みすぎたようだ。香織は痛む頭をそっと手で押さえた。二日酔いしたかのように気分が悪かった。「誰もいない……のかな……?」何とか立ち上がると、部屋の中を見渡した。香織のほかに人はいなさそうだった。部屋にはベッドやテレビ、テーブルなどがあり、誰かが暮らしている形跡が残っていた。それらの状況から、考えられる可能性は一つ。「ここはもしかして……桜庭さんの部屋かしら?」飲み会からの記憶が随分曖昧だったが、最後に柚果の顔を見たことだけは覚えている。彼女が家まで送ってくれている途中に倒れたはずだから……「倒れた私を、桜庭さんが運んでくれたのね……」愚かにも、彼女は今の状況を理解できていなかった。部屋の扉へ向かった香織は、ドアノブに手をかけた。しかし、固く閉ざされていて開かない。どうやら外側から鍵をかけられているようだった。なら、外へ連絡しようと思いポケットの中に手を入れてみるも――「あれ?スマホが無いわ……」何故か彼女の体からはスマホも財布も無くなっていた。たしかにいつも同じポケットに入れているはずなのに。「一体何が起きているというの?」部屋の窓に手をかけてみるが、こちらもまた扉と同じように開かなかった。つまり、彼女はこの部屋に閉じ込められてしまったということだ。「どうして……」一体誰がこんなことを。いや、考えなくてもわかることだった。犯人としてあり得るのは一人だけだったから。「外にも連絡できないんじゃ……永遠にここから出られないわ……」時刻は既に夜の十時。この時間まで何の連絡も無しに帰らないだなんて、きっと両親が心配しているだろう。焦って部屋の中をウロウロしていたそのとき、外から足音がした。「……誰か、来る」香織は即座に床に寝転がって目を閉じた。自分が連れてこられたときのように、寝ているフリをした。それからしばらくして、部屋の扉が開いた。誰かが中に入ってきたようだ。目を閉じているため誰かはわからないが、聞こえてくる足音は二つ。つまり、彼女を誘拐した犯人は少なくとも二人いるということだ。一人ならともかく、か弱い女性が二人を相手にす
飲み会が終わり、社員たちはそれぞれ帰路についた。(ちょっと飲みすぎたかな……何だか頭がクラクラする……)居酒屋を出た香織は、朦朧とする意識の中で何とか立っていた。さほど飲んでいないはずなのに、どうしてこうも具合が悪いのだろうか。彼女は思わず頭を手で押さえた。久々に酒を飲んだせいか。「九条さん、大丈夫?」「……はい、平気です」心配そうにこちらを見つめる同僚に、香織は平静を装って言葉を返した。本当は全然平気ではなかったが、彼らに余計な心配をかけるわけにはいかない。「せんぱぁい……何かフラフラする……」明らかに飲みすぎている希美は、女性社員に肩を支えられて何とか立っていた。「……大丈夫でしょうか?」「ああ、いつものことだから心配しないで。彼女は私が家まで送って行くし」なら安心――と言いかけたそのとき、後ろから鈴の鳴るような穏やかな声が割って入った。「――なら、九条さんは私が家まで送っていくわ」「……!」振り返ると、立っていたのは柚果だった。「桜庭さんが送ってくれるなら安心ね!九条さんはちょっと体調が悪そうだから……」「い、いえ……私は平気です……」香織は慌てて両手を横に振った。「だけど、九条さん……」柚果が彼女に手を伸ばした。何をする気か、香織は恐怖で動くことができなかった。伸ばされた彼女の手は、優しく香織の頬を両手で包み込んだ。「――とっても、顔色が悪いわ……」「……そ、そう見えますか?」柚果は心配そうな顔で香織を見つめているが、その瞳の奥には何の感情も感じられなかった。気のせいだろうか、何だか彼女が全くの別人であるかのように見える。「そうよ、九条さん。途中で倒れでもしたら大変だわ。桜庭さんに送っていってもらうべきよ」「……いえ、そこまで迷惑をかけるわけには」「九条さん、あなたに何かあったら社長に合わせる顔が無いわ。私たちのためにも……提案を受け入れてほしいわ」「……」そう言われてしまえば、香織は柚果に送ってもらうほかなかった。「さぁ、行きましょう。九条さん」「……はい」香織は大人しく柚果について行った。二人は間隔を空けて横並びで九条邸までの道を歩いた。その隙間が、今の二人の距離感を表しているかのようだった。柚果は笑みを零しながら口を開いた。「九条さん、ちょっと飲みすぎちゃったみたいだね」「……いえ







