LOGIN3通目のLINEは翌朝、洗面所で歯を磨きながら見た。
【陽翔にも会いたい。それだけは本当だ】
本当だ、という言葉をこの人はいつもいちばん嘘くさいところで、念を押すように使う。
神崎が代表を務める会社との、初めての打ち合わせは思ったより、ずっと事務的だった。画面越しに現れたのは担当者だという若い女性で、代表者本人は最後まで出てこなかった。匿名性の配慮、登壇の形式、謝礼の金額。淡々と条件が並んでいく。「代表はいつもこういった実務はほとんど現場に任せていまして」「そうなんですね」「ただ、美咲さんの発信については代表自身が以前から注目していたと聞いています」その一言に少しだけ、引っかかった。以前から。どれくらい前から、という質問はなんとなく、口に出せなかった。
翌朝、昨夜の返信を読み返すと、「今度、書きますね」という自分の言葉が、小さな約束として残っていた。まる子さんへの返信を送ってから、数日が経った。その「いいこと」の答えを私は思いがけない形で、少しずつ、受け取ることになった。1つではなく、いくつもの小さな出来事が重なるようにして。……それからの3カ月、私は事務の試用期間を終え、寄稿の締切を守りながら、陽翔との生活を崩さない働き方をひとつずつ覚えた。大きな逆転は起きなかった。ただ、その積み重ねで、仕事は私たちの生活の土台になり始めていた。「結城さん、そろそろ、契約社員への切り替え、検討してもらえませんか」
崇が地方の実家へ戻ったことは、養育費の連絡先変更として、弁護士経由で知らされた。新しい住所と振込元口座。それだけが書かれた、短い事務連絡だった。見送りの言葉も労いの感傷も何もなかった。崇という人が私の人生の画面から、静かにフェードアウトしていく。かつて、あれほど大きく私の世界を占めていた人がいまは事務連絡の1行に収まっている。香織については、代理人を通じて私と陽翔、勤務先へ接触しないと回答があったあと、誰からも情報は入ってこなかった。行き先を告げずに独りで街を出た。それだけが私の知る最後の事実だ。寂しさがまったくないと言えば、嘘になる。姉妹として過ごした時間は確かに存在した。でもその寂しさはもう、私の日常を揺らす強さを持っていない。ただ、静かに心の奥のほうにしまっておける種類の感情だった。
翌朝、その投稿はすでに、崇のアカウントの外まで広がっていた。前夜に保存した文面は変わっていない。プロフィール写真には、少し痩せた崇の殊勝な顔が使われていた。短い投稿なのに、拡散だけが先に走った。コメント欄にはすでに何百件もの反応がついていた。【元夫、ちゃんと反省してるじゃん】【珍しいね、こういう素直な謝罪】【美咲さんとのこともしかして仲直りできるのかな】その最後の一文に私は静かに画面を閉じた。仲直り、という言葉の軽さに少しだけ、めまいがした。
画面に写っていたのは、2本の線が出た妊娠検査薬と、白いタオルだけだった。撮影日も、持ち主の名前もない。【これで崇さんに責任を取らせられるよね】私の返事を待たず、香織は続けた。【お姉ちゃんからも、逃げるなって言って】子どもができたかもしれない。その可能性まで、崇をつなぎ止める札として使っている。腹の底に、冷たい怒りがたまった。私は画像を保存し、念のため画像検索にかけた。数秒
崇が会社を辞めたと知ったのは、本人からのメッセージだった。【今日、退職届を出した】【全部、なくなった】添付も説明もなかった。会社が受理したのか、退職日がいつなのか、私には確認できない。それでも、崇が自分で「辞める」と書いた事実は残る。離婚届と同じだ。紙へ名前を書いた事実だけが、戻れない形で残る。