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第138話

Author: かおる
「――私が、あなたの死を望んでいた?」

星は、翔太の言葉に眉をひそめた。

「そんなこと、誰が言ったの?

小林さんかしら」

「星!」

雅臣の声が低く響く。

「何でもかんでも清子のせいにするな」

星は面倒くさそうに片眉を上げ、冷ややかに言った。

「清子の名が出ると、すぐに取り乱すのね。

まるでやましい関係ですって自らアピールしているみたい」

「何を言っている!」

雅臣の顔に怒気が走る。

「私がでたらめを言った?」

星の声は冷ややかに澄んでいた。

「アレルギーを起こした時、そこにいたのは限られた人間だけ。

その翔太が私と怜くんが、死を望んでいたなんて言い出す理由は一つしかないわ」

視線を向け、口元に皮肉な笑みを浮かべる。

「まさか、あんたが吹き込んだの?

お母さんとあの子は、あなたを助けず、死ねばいいと思っていたって」

雅臣はわずかに眉を動かし、翔太へ視線を向けた。

「翔太......それ、誰から聞いたんだ?」

その問いに、清子の背筋が強張った。

これまでは何度も「言っちゃダメ」と念を押してきた。

心臓が早鐘を打つ。

雅臣に知られれば、二度と信じてもらえない――

翔太は唇を尖らせ、むっと言い放った。

「自分で聞いたんだ!

苦しかったけど、完全に気を失ってたわけじゃない。

だから聞こえたんだよ!」

その言葉に、清子は胸をなで下ろした。

「よかった......言わなかった」

翔太は母を睨みつける。

「話をそらすな!

僕が聞いたことは、本当なんだろ!」

その瞬間、星の視線は清子を射抜いた。

――怯えたように目を伏せ、安堵の吐息を漏らす姿。

やはり、と確信する。

「嘘だ!」

怜が前に出て声を張った。

「星野おばさんはスプレーで翔太くんを助けた!

みんな見てたじゃないか!」

「嘘つき!」

翔太が叫ぶ。

「あの薬なんて効かない!

とっくに捨てたんだ!

本当は医者が助けるべきだった!」

その姿を見つめる星の胸に、失望すら湧かなかった。

ただ、冷たく、麻痺した感覚だけが広がる。

――この子の人格はもう歪んでしまった。

今さら言葉を尽くすだけ無駄。

切り捨てるしかない。

「雅臣」

星の声は静かだった。

「怜くんは翔太を救った。

それを殺そうとしたとまで言う子に、あなたは何も言わないの
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