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第336話

Author: かおる
清子の表情が一瞬こわばったが、すぐに笑みを取り戻した。

「どうしてそんなことを。

翔太くんは嘘ついたりするような子じゃないわ」

彼女は翔太を見下ろし、優しい笑みを浮かべる。

「だから、星野さんももっと翔太くんを信じてあげて」

ほんの一言で矛先を再び星へと向ける。

母から冷たくあしらわれて傷ついていた翔太の心は、その一言で癒やされた。

母に突き放された痛みを、清子の言葉があっさりと覆す。

赤くなった目を潤ませながら、翔太は清子の胸に飛び込んだ。

「清子おばさん、あの悪ガキが僕をいじめたんだ」

清子は翔太の髪をなで、優しく声をかける。

小さな子どもを手のひらで転がすのなど、彼女にとって造作もない。

そして星に視線を投げた。

「星野さん、あなたと雅臣が離婚しても、翔太くんがあなたの息子であることに変わりはない。

だからどうか、もっと翔太くんを気にかけてあげて」

味方がそばにいることで、翔太の態度は明らかに強気になった。

「清子おばさん、どうしてここに?」

「お父さんから聞いたのよ。

もうすぐ幼稚園で発表会があるんだってね。

外国語の発表会でしょう?」

翔太はうなずき、少し沈んだ声で答えた。

「おばさんに頼んだんだけど、英語はできても、それ以外は苦手だって言われたんだ」

英語は母国語に次ぐ必須言語。

翔太のように小さいころから英才教育を受けてきた子どもは、母国語と同時に英語も習得している。

名門幼稚園に入るには面接があり、英語ができなければ入園を拒否される。

だから園児の大半は英語を得意としていた。

だが今回の発表会で求められているのは、英語以外の外国語。

翔太は英語・F国語・S国語の三か国語を話せる。

特にS国語が得意だった。

けれど雨音はS国語を知らない。

父の雅臣は話せるが、神谷グループの社長が幼稚園の発表会に出るなどあり得ない。

「実は私、S国語が得意なの。

星野さんが一緒に出られないなら、私が代わりに出てあげるわ」

清子がにっこりと微笑む。

そのときになって、翔太は母の存在を思い出した。

母に視線を向ける。

――高校も卒業していない母。

英語を少し話せるだけでも不思議なくらい。

S国語なんてできるはずがない。

「ママに外国語なんてできるわけないじゃないか。

一緒に出られるわけない」

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