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第433話

Author: かおる
雅臣は眉間にわずかに皺を寄せた。

「彼女の居場所を送れ。

俺が迎えに行く」

さらに一時間後。

ようやく雅臣は星を連れ戻してきた。

薄い唇が開き、低く命じる。

「誠、警備と受付には自分から退職届を出させろ」

「承知しました」

誠が下がろうとしたとき、女の涼やかな声が静かに響いた。

「神谷さん、無関係な社員に当たり散らすことはないでしょう?」

星の瞳にはかすかな笑みが宿っていたが、その微笑は決して目元まで届いていなかった。

「私を神谷グループに入れるなと命じたのは、神谷さんご自身のはず。

彼女たちはただ、その指示に従っただけよ」

そう言って、そばに立つ岬を見やる。

「そうでしょう、倉田秘書?」

岬の顔は蒼白になり、声も出なかった。

確かに以前、星が訪ねてきたとき、社長自ら彼女を二度と入れるなと命じた。

しかも今回は、星が来ることを事前に知らされてもいなかった。

理屈の上では、彼女の判断に間違いはなかったのだ。

――ただ、態度がよくなかっただけで。

雅臣は数秒の沈黙ののち、淡々と告げた。

「これからは、星が来たらまず俺に報告しろ」

「承知しました」

誠が答え、退出しようとしたとき、星が呼び止めた。

「必要ないわ」

その声は淡々として、感情の揺れを一切感じさせなかった。

「もう二度と神谷グループには来ないもの」

清子が訪れたときには、通達すら要らずに受付は通した。

だが雅臣が彼女と清子を分け隔てするのは、いつものこと。

星はとうに慣れていた。

そんなやり取りを見て、勇は内心で鼻白み、小声でつぶやいた。

「くだらない」

声は大きくなかったが、聞き逃すほどでもない。

星が振り返った。

「今、何て言った?」

勇は皮肉を込めて言い放った。

「俺の言うことが間違ってるか?

神谷グループが歓迎してないのは分かりきってる。

なら来る前に雅臣に電話して、段取りをつけてもらえばいいだけだろ。

それをせずに押しかけたくせに、勝手に帰って、結局は雅臣にわざわざ迎えに来させる――どれだけ大げさなんだよ」

星は静かに問い返す。

「じゃあ山田さんの考えでは、追い出されても図々しく居座るのが正しいってこと?」

ふっと笑みを浮かべる。

「それは大げさじゃなくて、下品って言うのよ。

そういえばさっき山田さん、犬と誰かは立
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