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第18話

Author: 匿名
和也の瞳に焦点が徐々に定まり、顔に生気が戻ってきた。

「彼はどう言っていた?」

「明朝九時にカフェで詳しく話すよう申し付けました」

酔いが残る体で一夜を過ごした折原は浅い眠りに苛まれ、七時には目を覚ました。身繕いを済ませると、そのまま指定されたカフェへ向かった。

約束の九時、相手は現れた。

流暢な日本語を話すロシア人――アルという名の男だ。

礼儀正しく握手を交わすと、すぐに本題に入った。

「妻を探せるというのは本当か?」

「ええ。ただし、まずはお二人が出会った経緯と、彼女が失踪した経緯を詳細に話していただきたい」

和也は唯との出会いから別れまで、些細な情景まで語り尽くした。アルはしばし沈黙し、口を開いた。

「奥様は『外部からの攻略者』です。システムを携え、この世界で任務を遂行し、あなたが攻略対象だった」

「任務完了後、この世界に残ることを選んだが、あなたの裏切りを知って去った」

詳細な説明に、和也はまるで霧の中に放り込まれたような表情で聞き入っていた。長い間咀嚼してから問う。

「どうして断言できる?そんな人々が存在する証拠は?」

「私自身が同じ経験をしたからです」

「では……どうすればいい?」

「資金援助を頂き、一ヶ月あれば研究を完成させます」

和也は男の顔をじっと見つめ、低い声で答えた。「返事は明朝だ」

その夜、ベッドの中で何度も寝返りを打つ。『システムを伴う転移』など聞いたこともない荒唐無稽な話だ。以前なら「茶番劇か?」と嘲笑っていただろう。だが唯が痕跡もなく消えた事実だけは紛れもない。

もし彼女に会えるなら――非現実などどうでもよかった。

夜明けを待たず、和也はアルに連絡した。

【信じる。毎日資金を振り込む。ただし一ヶ月以内に結果を出せ】

協力を始めて二十六日目、研究が突破口を迎えた。

和也はすぐさまアルの研究所へ駆けつけた。

「奥様が消えた場所へ向かってください」

ためらわずクジラ湾へ向かう途中、アルの声に躊躇が混じった。

「海辺が転移地点なら……海中に飛び込む必要があるかもしれません」

「もちろん信じるかは――」

「飛ぶ」

和也が遮り、断言した。

冷たい海水が全身を包み込む。彼は賭けに出た。真実なら唯を探せる。偽りなら海の底へ沈むだけだ。

耳孔に塩水が流れ込み、呼吸が阻まれる。もがく手を掴む者は
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