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3話. 接近禁止

Author: YuIm
last update publish date: 2026-11-04 13:28:47

翌日の夕方、妹が訪ねてきた。

両手にレジ袋を1つずつ提げ、玄関の前に立っていた。

「お母さんから。味噌汁と、じゃこの佃煮と、しその葉の漬物」

狭い流し台の上に、保存容器を3つ、順に並べた。

紗奈の冷蔵庫を開けると、入っていたのは水と豆腐半丁だけだった。

妹が舌打ちした。

「お姉ちゃん、こんな生活してたら倒れるよ」

「ありがとう」

「お母さんには?」

「幼稚園に行ったこと? 言ってない」

「それでいいよ。まだ言わないほうが」

紗奈はご飯をよそい、クッションの上に置いた盆に載せた。

26平米ほどのワンルームには食卓がなく、床に並んで座って食べるしかなかった。

妹は来るたびに狭いと言ったが、紗奈にはこれで十分だった。

ご飯と味噌の匂いが、たちまち狭い部屋に満ちた。

妹が味噌汁をひと口すすり、ベッド脇の引き出しを見た。

中古家具店で3,000円で買ったものだ。

いちばん下の段の取っ手だけが、ひどく擦り減っていた。

「昨日、また開けたでしょ」

紗奈は答える代わりに箸を置いた。

引き出しを開け、透明なファイルを3つ取り出した。

「見てほしいものがあるの」

書類の束を床に広げた。

妹が味噌汁の椀を脇に寄せ、書類のほうへ体を向けた。

「これ、全部何?」

「5年分の書類」

紗奈は最初の1枚を手に取った。

上部に『保護命令決定書』という表題が印刷されていた。

日付の横には、家庭裁判所の公印がかすかに残っていた。

「離婚が確定して、すぐこれが出たの。接近禁止」

「接近禁止って、誰が誰に?」

「私が悠真に。お義母さんの側から申し立てたの」

妹の箸が盆の上に落ちた。

箸が盆に当たる乾いた音が、狭いワンルームに響いた。

「お姉ちゃんが、子どもにとって危険だっていうの? 何を根拠に?」

「産後うつの治療記録と、医師の所見を添えてあった」

紗奈は書類の縁を指でなぞった。

5年来の癖だった。

薄くなった紙の一角が、指先に引っかかった。

「保護命令の有効期間は最長3年。その3年間、悠真に近づいちゃいけなかった」

「3年も……」

妹の声が沈んだ。

窓の外には、薄暗くなった路地が見えていた。

「近づくだけじゃない。連絡も、贈り物も、幼稚園の近くへ行くのも。全部」

紗奈は書類の中の一文を指さした。

『乳児に危害を及ぼすおそれ』と印字されていた。

「これが、所見書に書いてあった言葉。自傷および乳児への加害のおそれ」

「お姉ちゃんが? 悠真に?」

「そう判断されたから、保護命令が出たの」

紗奈の指が書類の上をたどった。

初めてその文言を読んだ日、裁判所の廊下のベンチに崩れるように座り込んだ。

足から力が抜けて、30分も立ち上がれなかった。

妹は奪うように書類を取り、読んだ。

法律用語の間を目がさまよい、それから紗奈を見た。

「3年たったら?」

「保護命令は終わる。だから昨日、幼稚園に行けたの」

「だったら、もう会えるんじゃないの?」

「ううん」

紗奈の返事は短かった。

「面会交流の制限が、別にあるから」

2つ目のファイルから、決定書を取り出した。

『面会交流に関する審判前の保全処分決定』の印が押されていた。

紗奈は床に書類を広げ、肝心の文言を指で示した。

インクのにじんだ箇所を避け、そのすぐ下の条項を指した。

「この制限は、保護命令とは別。監護者が決まった直後に、これも出されたの」

「近づいちゃいけないっていうのは解けたのに、会うのはまだだめってこと?」

「うん。監護者を変えないなら、面会交流を別に申し立てなきゃいけない。でも、その制限があるから」

「つまり、子どもに会うには監護者を変えるか、制限を解いてもらうか」

「そう」

妹が書類を床に置いた。

ため息をのみ込むように、唇をきゅっと結んだ。

「変えられないの?」

「変えようとしたよ」

紗奈は3つ目のファイルを開いた。

申立てを退けた審判書が、時系列に沿って収められていた。

古いものから順に並び、どの書面にも紗奈が蛍光ペンで線を引いた箇所があった。

『申立てを却下する』という文言に、線が引かれていた。

「保護命令が終わってすぐ、監護者の変更を申し立てた。却下された」

「どうして?」

「証拠不十分。今の養育環境に問題はないって」

妹が膝の上で拳を握った。

手の甲の血管が浮き上がった。

味噌汁が冷めていった。

「半年後に、もう1度出した。それも却下」

「……」

「面会交流を広げてほしいって申立ても、一緒に出した。それも却下」

紗奈の声には感情がなかった。

暗記した文章を読んでいるように、乾いていた。

床に置かれた味噌汁の椀からは、もう湯気が消えていた。

「弁護士のお金は?」

「最初に30万円払った。次からは法律扶助を申請したけど、収入の基準に引っかかったの」

「どのくらい?」

「給料が、基準より少し上だった。中小企業でも正社員だから、基準を超えてた。それで、自分で書類を出した」

「1人で?」

「1人で」

紗奈の目が、床に広げた書類をたどった。

1年目、2年目、3年目。

保護命令が終わった直後から続いた却下の記録が、紙の山になっていた。

妹が紗奈の手を握った。

紗奈の指先は冷たかった。

書類をなぞり続けて硬くなった、人差し指のたこに触れた。

「今度は、違うやり方ができる?」

「あのときの看護師さんに、話を聞けないかと思ってるの」

「看護師さんって?」

「あとで話す。まだ、確かめなきゃいけないことがあるから」

妹はうなずいた。

もっと聞きたそうだったが、こらえていた。

紗奈は書類を順に集めた。

離婚判決書、保護命令の決定書、監護者指定、面会交流の制限、そして却下の審判書が2通。

5年分の時間が、紙の上に並んでいた。

離婚から最後の却下まで。全部合わせても、50枚に満たなかった。

角を揃え、ファイルに収めた。

最後の却下の審判書の上で、紗奈の指が止まった。

妹が紗奈を見ていた。

「3年は接近禁止。残りの2年は、却下」

紗奈はゆっくりとファイルに手のひらを重ね、書類を閉じた。

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