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4話. 弁当

作者: YuIm
last update 公開日: 2026-11-04 13:28:51

月曜の朝、紗奈はオフィスのドアを開けた。

総務課の机には、週末の間にたまった書類が山になっていた。

「水原さん、3階の複合機、また壊れたそうです」

席につく間もなく、同僚が声をかけてきた。

「修理を手配します」

「それと、金曜日に荷物が2つ届いてます。受け取りのサインが必要で」

「わかりました」

「あ、それから課長が、今月の消耗品の予算をまとめてほしいって」

「いつまでですか?」

「水曜日まで」

紗奈はメモに、やることを書き出した。

複合機の修理、荷物の受け取り、消耗品の予算、月末の精算。

書き終えると、メモが1枚埋まっていた。

モニターの横に貼り、終わった項目に線を引きながら片づけていった。

修理業者に電話をかけ、日程を決めた。

最短でも、翌週の火曜日の午前中だった。

使用禁止の貼り紙を印刷して3階に貼り、4階へ上がっての給湯室の浄水器フィルターも確認した。

もう10時を過ぎていた。

机のコーヒーは冷めていた。

ひと口飲んで、受話器を取った。

顧客対応の電話が鳴った。

「お電話ありがとうございます。ご用件をお伺いいたします」

「商品が届いて1週間なんですけど、返品できますか?」

「はい、承ります。注文番号を教えていただけますか?」

「JP-0408-0917です」

紗奈は番号をシステムに入力しながら、相手の話をメモした。

不満の内容を整理し、返品の手順を案内して、電話を切った。

すぐに次の電話が入った。

「交換を頼んだ商品、いつ届くんですか? もう5日目なんですけど」

「確認いたします。少々お待ちください」

配送システムを調べると、まだ出荷前だった。

「物流センターの都合で遅れております。明日までに発送の手配をいたします」

「明日ですか? 早くしてくださいよ」

「申し訳ございません。できる限り急いで手配いたします」

電話を切り、内線で物流課へ連絡した。

担当者が席を外していたので、隣の席の社員に伝えた。

「物流課の木村主任がご不在なので、出荷の件をお伝えいただけますか」

「はい、メモを残しておきます」

昼休みになった。

同僚たちが社員食堂へ向かう間に、紗奈は席でスマホを取り出した。

給与明細が届いていた。

手取り20万9,000円。

厚生年金、健康保険、所得税、住民税。

控除の項目を、1つずつ確かめた。

毎月見ている数字なのに、癖のように確認してしまう。

スマホを伏せて置いた。

家賃と管理費、保険料、交通費、通信費、日用品代。

1つずつ引いていくと、余裕と呼べるお金は残らなかった。

食費を1日1,000円以内に抑え、昼は社員食堂で済ませて、ようやく月に3万円貯められる。

コンビニ弁当が日常になったのは、そのためだった。

弁護士費用を用意するには、10か月。

前に払った30万円を返すのには、1年かかった。

返している間に申立ては却下され、お金も時間も宙へ投げ捨てたようなものだった。

(それでも、貯めなきゃ)

紗奈はスマホをバッグにしまい、食堂へ向かった。

同僚たちの間に座り、ご飯を食べた。

「水原さん、週末は何してたんですか?」

「家にいました」

「いつも家にばっかりじゃだめですよ。金曜、飲み会なんです。一緒に行きましょうよ」

「考えておきます」

「毎回、考えるだけじゃないですか。今度こそ一緒に行きましょう」

紗奈はご飯を噛みながら、うなずいた。

口角だけを上げた笑みだった。

「水原さん、彼氏はいないんですか?」

「いません」

「誰か紹介しましょうか? うちの夫の同僚に、いい人がいて――」

「大丈夫です。ありがとうございます」

紗奈は食器を持って立ち上がった。

子どもがいるとは言わなかった。

会社には、紗奈の過去を知る人はいなかった。

午後も電話は途切れなかった。

苦情の受け付け、配送の問い合わせ、交換の依頼。

1件終われば、次の電話が待っていた。

退勤時刻を過ぎても、物流課から返事がなかった。

紗奈は自分で配送システムを開き、出荷状況を確認してから顧客へメッセージを送った。

オフィスには、紗奈だけが残っていた。

蛍光灯が1本、ちらついていた。

メモを見た。

6つの仕事のうち5つに線が引かれていて、最後の1つは明日に回した。

パソコンを落とし、バッグを持った。

ビルを出ると、4月の夕風がブラウスの隙間に入り込んだ。

空は紫色に染まっていた。

地下鉄の駅へ向かう途中、コンビニの看板に明かりがともっていた。

ドアを開けて入り、弁当の棚の前に立った。

チキンマヨ弁当350円、焼肉弁当400円。

チキンマヨを手に取った。

50円安い海苔巻きもあったが、今日だけは弁当にした。

レジに置くと、アルバイトの店員がバーコードを読み取った。

「350円です。温めますか?」

「はい」

「レシートはご利用ですか?」

「いりません」

電子レンジが動いている間、紗奈は窓の外を見た。

仕事帰りの人たちが通り過ぎていった。

子どもと手をつないで歩く親が見えた。

子どもは何かをねだりながら、親の腕を引っ張っていた。

紗奈の視線が、そこで止まった。

ピー。

弁当を受け取り、イートインの席についた。

フィルムを剥がし、割り箸を出した。

ご飯をひと口、口に運んだ。

味噌汁を作る気力すらない日が、増えていた。

昨日、妹が持ってきたおかずは、今朝で食べきった。

明日からはまた、海苔巻きかおにぎりに戻るつもりだった。

箸を持ったまま、スマホに目が向いた。

テーブルに伏せて置いた画面が、通知で明るくなっていた。

5年前、新生児室で撮ったロック画面の写真。

握りこぶしより小さな手が、紗奈の人差し指を握っていた。

弁当の上で止まっていた箸が、下がった。

紗奈はスマホを手に取った。

画面の中の赤ちゃんの顔を、親指でなぞった。

幼稚園の前を走っていた子の顔と重なって、けれど重ならなかった。

5年は、顔が変わるのに十分な時間だった。

紗奈が覚えている悠真は、3キロの生まれたばかりの赤ちゃんだけだった。

コンビニの蛍光灯の下で、弁当が冷めていった。

紗奈はスマホを置けないまま、ロック画面を見つめていた。

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