啓介side
その後の結城との食事は、三田へのインタビューがメインで仕事の打ち合わせの話は全くしないまま終わった。店を出ると時刻は九時半を表示している。
「高柳、このあともう一軒どうだ?三田さんも一緒にどう?」
「え、あ、私は……。」
結城に誘われた三田は、俺がどうするかで決めようと思っているらしく困ったように俺に視線を送ってくる。いつもなら付き合うところだが、今日の俺はそれどころではなかった。頭の中は、佳奈のことでいっぱいだった。
「すみません。今日はこれで失礼します。三田は好きにしてくれていいぞ。」
「それなら、私も今日はこれで……。」
三田は残念そうな顔をしてから、結城の誘いを断った。俺は一刻も早く家に帰りたかったが、三田を一人で帰らせるのも悪いと思い駅までの道を一緒に歩いた。
「今日はありがとう。突然悪かったな。」
店を出てから少し元気がなさそうに俯きがちな三田が気になり、声を掛ける。すると、はっとしたようにこちらを見てから、いつもの様子で恐縮しながら答えた。
「あ、いえ、全然。私は大したことしていないので。」
佳奈side「坂本ちゃん?何が言いたいんだい?」彼の声や仕草には、僅かな動揺が混ざっていた。私は、自分の考えが正しいことを確信した。「葉山さんが、私を信頼して担当の変更を希望して下さったように、私も葉山さんのことを尊敬していたということです。先生の作品は、どれもチェックしており、他の人には分からない小さなクセも把握しているつもりです。今回の写真、被写 体の男性が綺麗に映るように、少しだけ男性の周りの背景をぼかしていますよね?これは、先生の初期の作品に見られた手法です。それに、夜の道で撮られた写真なのに男性側だけ鮮明です。」沈黙が、重い空気となって二人の間に横たわった。私は、葉山の目を真っ直ぐに見つめた。「夫は一般人です。もちろん、素材の提供も許可していません。この写真は、先生ご自身の意思で作られたのですか?それとも依頼だったんですか?どちらにせよ、勝手に素材を使うことは今後の先生の活動に影響します。教えてください。」しばらくの沈黙のあとに、葉山は重い口を開いた。諦めと感心がない交ぜになったような表情だった。「さすが坂本ちゃんだね。僕が見込んでいただけのことはある。確かに、これは僕が作ったものだ。」「やっぱり
佳奈side十日の午前十一時。私が指定したファミレスの一番端の席に座り、葉山と向かい合っていた。ドリンクバーにも遠く、モーニングも終わった時間帯で店内は閑散とし、あたりには誰もいなく、店内はほぼ貸し切り状態だった。この静けさが、これから話す内容の重さを際立たせていた。「この前は本当にごめんね。お酒が回ったみたいで、坂本ちゃんに失礼なことをしたね。それで今日はどうしたの?」写真に隠された真実と言うのは、最近匿名で私のところにメールが送られてくるようになったんです。そのメールには、毎回画像も添付されていて……これなのですが。」私は、啓介と女性が親密そうに歩く、昨夜送られてきたばかりの一枚の写真を見せた。葉山は、画面に視線を落とすと、ほんの一瞬のわずかな時間だけ表情を固めていた。「そう、なんだ。恋人同士?なんか訳がありそうな感じの写真だね。」彼は感情を押し殺すように、淡々とした口調で感想を述べる。「ええ。この写真なんですが写っている男性は、私の夫です。」その言葉に、葉山は一瞬目を泳がせた。「そうなんだ。こんな写真が送られてきたら気になってしょうがないね。それで元気がなくて話を聞いてほしかったのか?」葉山は、困ったような顔をしながら注文したオレンジ
佳奈side「あのさ……坂本ちゃん、この前はごめん!俺、酔っぱらったみたいで。変なことしていない?」あの夜から数日後、用事があり葉山に電話をすると、電話の最後に少しためらいながら葉山が謝ってきた。彼の声は、必死で後悔しているように聞こえた。「いえ……。肩を組んでキスしようとしてきただけです。」「それ、問題じゃん!何、『いえ……。』とか言っているの。ごめん、本当にごめん。何かお詫びさせて。」「お詫びは結構です。」「え、待って。それって会社に訴えるとかそういう感じで言ってる?ごめん、本当にごめん。どうしたらいいかな?」私のそっけない返事に葉山は焦りを隠せないようだった。「大丈夫です。訴えるとかそんなことは考えていません。でも、そうですね……それなら、今度の打ち合わせ後に少しお話を聞いてもらいたいことがあるのですが。仕事以外の話なので、出来れば社外がいいです。」「分かった。俺の事務所来る?と、言っても事務所兼自宅だけど。」葉山は独身。この前のこともあるし、仕事場とは言え、
啓介side佳奈が突然オフィスに訪れたかと思ったら、「距離を置こう」と言って、俺の話もろくに聞かずに去って行った。ミーティングルームの扉が閉まっても、その場から動けなかった。最近は、俺が親密そうに女性と過ごす写真が佳奈の元へ送られてきているようで、そのことに疲弊したらしい。(なんだ、あの写真は。悪戯にしては度が過ぎる。それに俺は、怪しまれることは一切していないというのに)俺の横顔や笑っている顔ははっきりと映っているのに、女性の顔はいつも分からない角度で撮られている。しかし、髪型や体型から同一人物にも見え、そして、その女性はどことなく後姿が秘書の美山に似ていた。その事実に、俺の胸には鉛のような重い疑念が横たわっていた。ぼんやりとしていると、疑惑の人物である美山がノックもなしに俺の元へ訪れてきた。「社長、今大丈夫ですか?なんだか少し疲れた顔をされていますが。」「大丈夫だ。なにかあったか?」「いえ、社長のことが心配になりまして」美山は距離こそは近いものの、仕事はしっかりと行っている。美山に似ているからと言って、何の証拠もないまま勝手に決めつけるのは問題だと思い、俺はそれ以上踏み込めずにいた。だが、今の意味深な発言と、このままでは佳奈との関係が修復できないことを感じ、誤解の種
佳奈side「こう何枚も女性との写真を見ると、気分が滅入るわ……もう嫌だ。」匿名者からのメールが届くたびに、啓介の「嘘だ」という言葉を信じたい気持ちと、写真が語る現実との間で私は完全に疲弊していた。思い立った私は、啓介に「話がある」と電話をし、彼のオフィスを訪ねた。秘書の美山に案内されガラス張りのミーティングルームへ通される。「お仕事中ごめんなさい。私たち、距離をおきましょう。」入ってすぐに、私はそう告げた。喉の奥がカラカラに乾き、声が震える。啓介は驚愕の表情で立ち上がり私の元へ駆け寄ってきた。「佳奈、待ってくれ!何度も言ったけど、あれは全部でたらめで嘘だ。誰かの悪意によるものなんだ!」「でも、こんなに続いていて、おかしいと思わない?私には、もう調べる気力もないし、頻繁に写真を見るのはもう嫌なの。疲れてしまったわ。」私は、啓介の手を払い、一歩後ずさりした。「ちょっと考え直してくれ。おかしいと思う。だからこそ、話し合おう!」引き留める啓介には目もくれず、私はチラリとガラス張りになっているミーティングルームからオフィスの様子を見た。防音でこちらの会話は
佳奈side「え……何これ?」会社宛てのメールに、匿名のフリーアドレスから、一枚の写真が添付されて送られてきた。夜の繁華街を少し抜けた薄暗い道で一組の男女が並んで歩いている写真だった。男性は、間違いなく啓介だ。そして、女性の顔は分からないが、胸辺りの長さの緩く巻いた髪の女性は、この前啓介の隣にいた美山に似ている気がした。最も心を乱したのは、その場所だった。この先は、ラブホテルが立ち並ぶことで知られているエリアで、女性が啓介の肩に頭をもたれて甘えているように見える仕草は、これからこの先にある『休憩所』に立ち入ろうとするのではないかという、親密な雰囲気を漂わせていた。「なんでこんな写真を、一体だれが送ってきたというの?」動揺を隠せないまま、私はすぐにスマホで写真を撮り、啓介に送りつけると、ものの数十秒で電話がかかってきた。「今の何?この写真はなんだ!」啓介の声は明らかに動揺していた。「私が知りたいくらいよ。フリーアドレスから送られてきたの。女性は分からないけれど、男性はあなたよね?」「……俺に似ている、だけどこんなことはしていないし身に覚えがない。誰かが悪戯で作ったフェイク画像だ