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妊娠したと嘘をついたら、男友達に結婚を迫られました
妊娠したと嘘をついたら、男友達に結婚を迫られました
Author: 6jay

第1話 妊娠しました

Author: 6jay
last update publish date: 2026-09-17 22:00:30

「今週の土曜日、黒瀬専務と夕食を取りなさい」

祖母が箸を置いた音は小さかった。でも、その効力は取締役会の決議より強い。

私は味噌汁に浮かぶわかめを、箸の先でぐるぐる巻いた。誕生日でもないのに、好物の鯛の塩焼きまで並んでいる。嫌な予感はしていた。我が家のごちそうは、お祝いより重大発表前の口封じに使われることのほうが多い。

「嫌です」

「理由は」

「好きじゃないから」

「結婚してから好きになればいい」

「気持ちって、あとから貼れる付箋なの?」

向かいに座る兄が、グラスで口元を隠した。母がテーブルの下で私の足首を小突く。警告だ。もう一度ふざけたら、次はすねに来る。

上条雅子会長は、孫娘の恋愛も系列会社の人事と同じように処理する。まず通告。反発すれば異動。

「土曜日の食事に出ないなら、『午後4時』の担当を外します」

箸の先から、わかめが落ちた。

『午後4時』は、私が4年かけて育てたホテルのスイーツブランドだ。名前もメニューも、包装用リボンの幅まで、私が決めていないものなんてない。

うちの食卓はいつだってこう。料理は温かいうちに出るのに、私の意見は冷めきってからようやく受け付けられる。

私は箸を置き、祖母を正面から見た。

「公私混同はやめてください」

「後継者の結婚は公的な問題です」

「継がないって言いましたよね」

「その主張、カードの支払いのたびに変わるようだけれど」

兄がとうとううつむき、肩を震わせた。私はそのすねを蹴った。

黒瀬怜司は、条件だけ見れば文句のつけようがない男だった。黒瀬グループの後継者。アメリカの名門大学卒。雑誌の表紙を飾れる顔。

欠点は、人間まで買収候補企業のように査定すること。

前回の食事で、彼は私にこう聞いた。

『結婚後も、お仕事は趣味として続けるおつもりですか?』

あの場でフォークを手の甲に突き立てなかった。それだけで私は、十分立派な社会人だと思う。

「お見合いはしません」

「では、付き合っている男性を連れてきなさい」

「……男性?」

「いないの?」

いない。

先月紹介された男は、私の看板ケーキを3口食べたあと、炭水化物の危険性を講義し始めた。その前の男は、母親が決めた嫁の起床時刻が午前5時半だと言った。私は6時に別れた。

私の人生にいる男なんて、20年来の幼なじみ、一ノ瀬律くらいだ。

昨夜も午前2時に電話してきて、自宅玄関の暗証番号を聞いてきた。先月、酔った律の代わりに私が変更したのだから、本人より私が正確に覚えていてもおかしくない。

「いないなら、土曜日の予定は決まりです」

追い詰められた人間は、普段なら選ばない材料を生地に入れる。

問題は、私が選んだのがベーキングパウダーではなく、爆薬だったことだ。

私はテーブルに手をついた。

「私、妊娠しました」

静寂。

兄が水を噴いた。母は口を開けたまま。祖母でさえ、きっかり1度まばたきをした。

言った私まで遅れて驚き、口をふさいだ。でも、爆弾はもう食卓の真ん中に落ちていた。

「……何ですって?」

ようやく母が声を出した。

「妊娠したの。だから、お見合いはできません」

祖母の目が細くなった。

「父親は誰?」

名前を1つ挙げればよかった。二度と会わない外国の俳優でも、地球の裏側に住む架空の男でも。

なのに、パニックになった頭に浮かんだのは、いちばん見慣れた顔だった。

私が何かやらかすたび、まずため息をついて、それでも最後まで後始末をしてくれる男。

「一ノ瀬律、です」

今度は兄がむせた。

「あの律くん? あんたたち、きょうだいみたいなものだって!」

母が叫ぶと、祖母が冷たく言った。

「最近のきょうだいは、子どもまで作るの?」

「そういう意味じゃ……」

言い訳する間もなく、祖母がスマホを手に取った。

「いいでしょう。今すぐ呼びなさい」

「今ですか?」

「私の孫娘を妊娠させた男が、この時間に忙しい理由でも?」

心臓が足首まで落ちた。

私はテーブルの下にスマホを隠し、律にメッセージを送った。

[緊急。うちに呼ばれると思う]

[あんたの子を妊娠したって嘘ついた]

[来たら絶対否定して。私がおかしくなったって言って。私を捨てて生き延びて]

既読はつかない。

それから10分。母は出産予定日を計算しようとし、兄はいつから律を男として見ていたのかと取り調べを始めた。まだ存在すらしない子どもの、おなかの中での呼び名が3つも出た。

私の嘘は、生まれる前から戸籍まで作られそうな勢いだった。

ようやくインターホンが鳴った。

「会長。一ノ瀬律弁護士がお見えです」

ダイニングの扉が開く。

律は仕事帰りの黒いスーツ姿だった。緩めたネクタイ。片手には、私が送ったメッセージを表示したスマホ。

目が合った。

私は口だけ動かした。

助けて。

律は私の顔を1度見て、食卓を囲む家族を見渡した。

それから私を見ずに、祖母の前へ歩いていった。

止める間もなかった。

彼は、その場で片膝をついた。

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