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第5話 陽性反応、お借りします

Author: 6jay
last update publish date: 2026-09-17 22:01:53

産婦人科の予約は翌日だというのに、私は一晩で遺言を3度書き直した。

最初は『一ノ瀬律を信じるな』。2度目は『私のブランドだけは守って』。3度目には、もう全財産で海外逃亡用の航空券を買ってくれと書いた。

朝8時、律がドアをノックした。

「生きてるか?」

「法律上は」

布団から顔だけ出すと、彼がカーテンを開ける。降り注いだ朝日に、私は枕をかぶった。

「病院に行く前に、方針を決めるぞ」

「本当のことを言う」

「黒瀬怜司と結婚するのか?」

「海外へ逃げる」

「カードを使った瞬間、秘書室に便名まで割れるな」

「なんで人のおばあさまの手口にそんなに詳しいの?」

「20年見てるから」

律が水を1杯渡してくれた。

「本人の同意なしに診察はできない。今日は俺が止める」

「そのあとは?」

「時間を稼いで、抜け道を探そう」

「高勝率の弁護士にしては、曖昧な答えね」

「責任を取ると言ってるのに、依頼人がすぐ自白したがる」

「依頼人じゃないんだけど」

「報酬は、まだもらってないな」

妙な言い方だったけれど、問い詰める余裕はなかった。

病院には祖母と母、秘書までついてきた。待合室には、丸いおなかをなでる夫婦が座っている。

重いのがおなかではなく良心なのは、私だけだ。

看護師に名前を呼ばれると、律が先に立った。

「今日は受診しません」

祖母の顔がこわばる。

「ここまで来て、何を言っているの?」

「紗奈が望んでいません。初期は精神的な安定も大切です」

「それは専門医が判断することでしょう」

「診察を受けるかどうかは、本人が決めることです」

低いけれど、きっぱりした声だった。祖母にそう言える人は、うちでもほとんどいない。

周りの視線が集まり、母が祖母の腕に触れた。

「お義母さん、今日は帰りましょう。紗奈、顔が真っ白です」

白いのは罪悪感のせいだけど、私はすぐ律にもたれた。

「少し、めまいが……」

彼が腰を支える。演技だとわかっているのに、体から先に力が抜けた。

祖母は不満そうに引き下がった。

「1週間だけ待ちます。その代わり、自宅で使った検査薬を見せなさい」

「捨てちゃいました」

「写真もないの?」

「びっくりして、それどころじゃ……」

「なら、もう1度やりなさい」

律が口を挟んだ。

「会長」

「診察は嫌、確認したものもない。私は何を信じればいいの?」

返す言葉がなかった。結局、今夜までに結果を見せると約束して、ようやく病院を出た。

帰りの車で、母は妊婦にいい食べ物の一覧を12件も送ってきた。祖母は秘書に、次に予約できる日を確認している。

律が私のスマホを裏返した。

「罪悪感に耐えられなくなって自白したら、さらに大事故になる」

「もう家族が赤ちゃんの靴下まで選んでそうなんだけど」

「だから早く出口を探す。泣きながら突っ込んでも、あるのは出口じゃなく壁だ」

正論だから、なおさら腹が立つ。

離れに着くと、靴もそこそこにバスルームへ逃げ込み、親友の水野美緒に電話した。妊娠12週の美緒は、話を全部聞いてもしばらく無言だった。

『つまり、私の陽性反応を貸せと?』

「うん。写真を撮るだけ」

『今、おなかの子に蹴られた。ママ、そいつとは縁を切れって』

「1度だけ助けて」

『律は何て?』

「結婚するって」

電話の向こうで、美緒が妙な笑い方をした。

『あいつ、救助要請を結婚式の招待状だと思ったのね』

1時間後。カフェのトイレで、美緒が新品の検査薬を使った。私は扉の外で、罪人みたいに待った。

「この友情、今日トイレで尊厳を失ったわ」

席へ戻ると、美緒は私のアイスコーヒーを取り上げ、温かいミルクを押しつけた。

「演技は細部が大事。カフェインがぶ飲みしてるのをおばあさまに見つかったら、私の尿が無駄になるでしょ」

「この騒動でいちばんプロなの、美緒だよ」

「女優じゃなくて被害者だけどね」

美緒はレシートの裏に『今回限り』と書き、私にサインまでさせた。

それから、密封したチャック袋を差し出す。

「写真を撮ったら、すぐ捨てて。現物を見せろって言われたら、あんたの人生ごと捨てなさい」

「愛してる」

「私はあんたより、律が気の毒」

「なんでみんな律の味方なの?」

「20年あんたに耐えたのよ。配偶者適性試験は、とっくに満点」

私は袋をバッグに入れた。そのとき、美緒の視線が私の肩越しに動く。

「紗奈。こっそり出てきたのよね?」

「うん」

「じゃあ、あの男はなんで裁判官みたいな顔で立ってるの?」

ゆっくり振り向いた。

カフェの入口に、律がいた。いつからいたのか。視線は、私のバッグからのぞくチャック袋に釘づけだった。

彼が1歩近づく。

「紗奈」

いつもより低い声。

「おまえ、本当に妊娠したのか?」

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  • 妊娠したと嘘をついたら、男友達に結婚を迫られました   第25話 彼氏の正式契約書

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