Share

備えておきましょう

Author: 影畑凛星
last update publish date: 2026-07-15 06:40:44

 『昨日、電話に出た男は誰だ』

 短い一文を見つめたまま、美月は動けなかった。

「どうして……」

 拓也は浮気をしていた。

 離婚すると言ったのも自分だ。

 それなのに、どうして蒼真のことばかり気にするのだろう。

「返信は不要です」

 蒼真は落ち着いた口調で言った。

「ですが、このメッセージも削除せず残しておいてください」

「はい……」

 美月はスマートフォンをバッグへしまう。

 その手は、まだ少し震えていた。

「美月さん」

 蒼真が穏やかに声を掛ける。

「一つ、ご相談があります」

「何でしょうか」

「ご主人は、今後も直接連絡を取ろうとしてくる可能性があります」

 美月は静かにうなずいた。

 電話。

 メッセージ。

 職場への押しかけ。

Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 妊娠中に夫が浮気。お腹の子を守るため離婚を決意したら御曹司に溺愛されました   少しずつ戻る

     久しぶりの出勤の日。 美月は鏡の前で、エプロン姿の自分を見ていた。「……よし」 働くのは、ほんの二時間だけ。 それでも少し緊張する。 以前は毎日のように着ていた服なのに、ずいぶん久しぶりに感じた。 カフェの前まで蒼真に送ってもらう。「終わる頃に迎えに来ます」「ありがとうございます」「無理はしないでください」「はい」 美月は車を降りた。 ドアを開けると、店長がすぐに気付く。「あら~! 来たわね!」「今日からまたお願いします」 美月が頭を下げる。「こちらこそよ~。でも二時間だからね? 張り切って勝手に残業とか絶対ダメ!」「しませんよ」「美月ちゃんは信用ならないのよ~。頑張りすぎるから」 店長に笑われ、美月も笑った。 最初は、簡単な仕事だけだった。 テーブルを整える。 注文を取る。 料理を運ぶ。 混み始める前の時間なので、慌ただしさもない。「いらっしゃいませ」 自然に声が出た。 客が帰ったテーブルを片付けながら、美月は店内を見回す。 知っている景色だった。 ここでずっと働いていた。 拓也の妻になる前からではない。 それでも、自分が自分として過ごしてきた場所だ。「美月ちゃん」「はい?」「座って」「まだ大丈夫です」「ダーメ。休憩!」 店長に強制的に椅子へ座らされる。「まだ一時間も経ってませんよ?」「だから何よ。今日は復帰初日なの」 水を渡され、美月は苦笑した。「ありがとうございます」「どう? しんどくない?」「大丈夫です」 美月は店内を眺める。

  • 妊娠中に夫が浮気。お腹の子を守るため離婚を決意したら御曹司に溺愛されました   変わらない日常

     カフェへ顔を出してから、美月の気持ちは少し軽くなっていた。 拓也のことが解決したわけではない。 離婚調停も続いている。 それでも、部屋の中で不安ばかり考えているより、知っている人と話した方がずっといい。 数日後。 美月は店長へ電話を掛けた。「もしもし、店長?」『美月ちゃ~ん。どうしたの?』「あの……少しだけ、お店に戻れないかなと思って」『戻るって、お仕事?』「はい。でも、前みたいには無理なので、短い時間だけ」 電話の向こうで店長が少し黙る。『先生には聞いた?』「次の健診で相談しようと思ってます」『じゃあ、まずそれからよ~。アタシが勝手に働かせて何かあったら嫌だもの』「はい」『でも、戻りたいって思ってくれたのは嬉しいわ』 美月は笑った。「私も、また働きたいです」『じゃあ焦らないこと! お店は逃げないんだから』「分かりました」 通話を終える。 自分の予定が一つ増えた。 たったそれだけなのに嬉しかった。 次の健診の日。 美月は医師に体調を伝え、仕事について相談した。「体調を見ながら、無理のない範囲でなら構いませんよ」「本当ですか?」「ただし、長時間立ちっぱなしにならないこと。具合が悪ければすぐ休んでください」「はい」 美月は何度も頷いた。 診察を終え、待合室へ戻る。 受付の近くを通ったところで、以前対応してくれた職員と目が合った。「朝倉さん」「はい」「先日以降、ご主人がこちらへ来られたことはありません」「あ……ありがとうございます」 美月はほっと

  • 妊娠中に夫が浮気。お腹の子を守るため離婚を決意したら御曹司に溺愛されました   まだ夫だから

     拓也はスマートフォンの検索結果を何度も読み返していた。 別居中。 離婚調停中。 妊娠中。 出生届。 戸籍。 検索する言葉を少しずつ変える。「……やっぱり、俺の子なんだよな」 美月はまだ自分の妻だ。 その事実だけで、拓也は安心した。 離婚が成立していない以上、全部の関係が切れたわけではない。「だったら、急ぐ必要ないじゃん」 拓也はベビーベッドを見る。 美月は帰らないと言った。 赤ちゃんをここで育てるつもりもないと言った。 けれど、今すぐ離婚できるわけではない。 それなら待てばいい。 出産まで。 その後まで。「ずっと会わせないなんて無理だろ」 拓也はそう結論づけた。 その頃。 美月はカフェから帰る車の中にいた。「久しぶりに楽しかったです」「そうですか」「店長、全然変わってなくて」 美月は笑う。「体調が落ち着いたら、少しずつ戻れたらいいなって思いました」「いいと思います」 蒼真の返事は短い。 それでも美月には十分だった。 拓也のことばかり考えて過ごしたくない。 調停がある。 病院もある。 警察にも相談している。 けれど、それだけが自分の生活ではない。 カフェにも戻りたい。 子どもが生まれた後のことも、自分で考えたい。 少しずつ。 拓也とは関係のない予定を増やしていきたかった。 数日後。 藤崎との打ち合わせで、美月は前回のメールについて話していた。「拓也、あのあと何か言っていましたか?」

  • 妊娠中に夫が浮気。お腹の子を守るため離婚を決意したら御曹司に溺愛されました   勝手に決めないで

     美月はスマートフォンの画面を閉じた。「美月ちゃん?」 店長が顔を覗き込む。「どうしたの?」「……拓也が、また藤崎先生に連絡したみたいです」「あの男?」「はい」 美月は迷った末、届いた写真を見せた。 誰もいない部屋に置かれた、新しいベビーベッド。 店長の眉間に皺が寄る。「何よ、これ」「赤ちゃんのために用意したって」「はあ?」 店長は画面をさらに見る。『ここは今も俺と美月の家です』「……怖っ」 ぽつりと漏らした。 美月も、もう一度写真を見る。「私、帰るなんて一度も言ってないんです」「そうでしょうね」「離婚したいって、何回も伝えてるのに」 調停でも伝えた。 藤崎からも伝えている。 それでも拓也は、自分と子どもが帰ってくる前提で準備を続けている。「なんだか……私の知らないところで、私の人生を勝手に決められてるみたいで」 美月は唇を噛んだ。「嫌です」 店長は美月の前に水を置いた。「じゃあ、嫌って言っときなさい」「……はい」「先生通してね。直接は絶対ダメよ~?」「分かってます」 美月は藤崎へ電話を掛けた。『メール、確認されましたか?』「はい」 美月ははっきり答えた。「藤崎先生。拓也に伝えてください」『はい』「私はあの家には戻りません」 一度、息を吸う。「ベビーベッドも、私が頼んだものじゃありません。赤ちゃんをあそこで育てるつもりもありません」『分かりました』「それから……」 美月は写真を見る。「『夫婦の家』だとも思っていません」 以前なら、ここまで言うことをためら

  • 妊娠中に夫が浮気。お腹の子を守るため離婚を決意したら御曹司に溺愛されました   夫婦の家

     翌朝。 美月はカフェの店長から届いたメッセージを眺めていた。『体調どう~? 無理は禁物よ~。顔見せられそうな時だけでいいからね♡』 思わず少し笑う。 最近は病院と調停、それに拓也のことで、気持ちが休まらない日が続いていた。 けれど、今日は体調も悪くない。「……行ってみようかな」 以前のように働くわけではない。 ただ少し顔を出すだけ。 美月は店長へ返信した。 昼過ぎ。 蒼真に送ってもらい、美月は久しぶりにカフェの前へ立った。「帰りも迎えに来ます」「大丈夫ですよ。電車で――」「迎えに来ます」 美月は一瞬黙ってから笑った。「じゃあ、お願いします」「はい」 車を見送り、店へ入る。 ドアベルが鳴った瞬間。「美月ちゃーん!」 店長がカウンターの奥から飛び出してきた。「ちょっと、顔見せなさいよ~!」「元気ですよ」「元気でも心配するのがアタシなの!」 久しぶりの調子に、美月は笑ってしまう。「すみません」「謝らない! そこ、前から変わってないわね~」「あ……」「まあいいわ。座って座って。今日はお客様なんだから」 店長に促され、いつもの席へ座る。 知っている店内。 コーヒーの香り。 食器の音。 それだけで、少し肩の力が抜けた。「やっぱり、ここ落ち着きます」「でしょう? 美月ちゃんの帰る場所は一個じゃないのよ~」「……はい」 美月は小さく笑った。 拓也から送られてきた写真を思い出す。『帰ってきても困らないように準備しています』 あの家だけが、自分の帰る場

  • 妊娠中に夫が浮気。お腹の子を守るため離婚を決意したら御曹司に溺愛されました   戻れない場所

     三回目の調停から数日。 拓也は、美月の住む建物へ行っていなかった。 警察に言われた通りだった。 近くで待たない。 様子を見に行かない。 直接連絡もしない。「ちゃんと守ってるじゃん」 拓也は一人で呟く。 それなのに、美月からは何の連絡もない。 調停でも離婚の意思は変わらなかった。「なんでだよ……」 テーブルの上には、求人情報を表示したスマートフォンが置かれている。 何件か応募した。 面接も受けた。 まだ採用は決まっていない。 美月が戻ってきた時のために、仕事も探している。 家の中も片付けた。 赤ちゃんのものまで用意し始めた。 自分なりに変わろうとしている。「見たら分かるのにな」 そこで拓也は顔を上げた。 美月は、今の家を見ていない。 だから知らないのだ。 自分がどれだけ準備しているのか。 赤ちゃんを迎えるつもりでいることも。 以前とは違うことも。「写真なら……」 スマートフォンを手に取る。 けれど、美月へ直接送れば、また警察や弁護士に何か言われる。「藤崎に送ればいいのか」 拓也は少し考えた。 弁護士を通せと言われている。 なら、弁護士を通せばいい。 自分はきちんと決まりを守っている。 拓也は赤ちゃん用品を置いた棚を撮影した。 ガーゼハンカチ。 小さな靴下。 ぬいぐるみ。 その隣には、まだ空いた場所がたくさんある。 続いて洗面所。 美月が以前使っていた場所に置いた、新しい歯ブラシ。 シャンプーや洗顔料。 最後に、美月の服が残っている収納。

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status