LOGIN次の離婚訴訟の期日を前に、美月は藤崎と打ち合わせをしていた。
『先方は、現在は問題となる接触をしていないことや、仕事を継続していることなどを挙げ、婚姻関係の修復は可能だと主張しています』
「……はい」
『朝倉さんの離婚意思について、改めて確認しておきたいのですが』
「変わってません」
答えはすぐに出た。
「離婚したいです」
『分かりました』
「拓也が今、前よりちゃんとしてることは悪いことじゃないと思うんです」
美月は少し考えてから続けた。
「でも、それで私が戻らなきゃいけないわけじゃないですよね」
『もちろんです』
「もう一度一緒に暮らして、変わったかどうか確かめてみようとも思いません」
以前なら、相手が努力していると聞けば、自分も応えなければならないような気がしたかもしれない。
けれど今は違う。
拓也がどう生きるかは、拓也自身の問題
次の離婚訴訟の期日を前に、美月は藤崎と打ち合わせをしていた。『先方は、現在は問題となる接触をしていないことや、仕事を継続していることなどを挙げ、婚姻関係の修復は可能だと主張しています』「……はい」『朝倉さんの離婚意思について、改めて確認しておきたいのですが』「変わってません」 答えはすぐに出た。「離婚したいです」『分かりました』「拓也が今、前よりちゃんとしてることは悪いことじゃないと思うんです」 美月は少し考えてから続けた。「でも、それで私が戻らなきゃいけないわけじゃないですよね」『もちろんです』「もう一度一緒に暮らして、変わったかどうか確かめてみようとも思いません」 以前なら、相手が努力していると聞けば、自分も応えなければならないような気がしたかもしれない。 けれど今は違う。 拓也がどう生きるかは、拓也自身の問題だ。「私はもう、拓也の妻として暮らしたくないです」 言葉にしても、迷いはなかった。 ◇ 期日当日。 美月は藤崎とともに裁判所へ向かった。 これまで何度も同じような場所へ来ているのに、緊張には慣れない。 それでも今日は、以前とは少し違った。 自分がどうしたいのか、もう分かっている。 拓也を説得したいわけではない。 理解してもらわなければ離婚できないとも思っていない。 ただ、終わらせたい。 そのために来た。 ◇ 一方、拓也は弁護士と打ち合わせをしていた。「美月はまだ離婚したいって言ってるんですか?」『はい。相手方の意思に変更はありません』「俺、もう何もしてませんよね」『現在、代理人を通さない接触は確認されていません』「仕事もちゃんと行ってます」『はい』
拓也は、次の面会について弁護士に相談した。「この前、問題なかったんだから、また会えますよね?」『次回については先方と協議します。初回が問題なく終了したことはこちらにとっても話を進めやすい事情です』「今度はもう少し長くできますか?」『希望としては伝えられます。ただ、最初から大幅な変更を求めるより、まず継続して交流できる形を整える方がいいでしょう』「……分かりました」 以前なら、そこで不満をぶつけていたかもしれない。 けれど拓也は頷いた。 約束を守れば次につながる。 実際、一度は赤ちゃんに会えたのだ。「離婚しても、こういうのは続けられるんですよね?」『もちろん、離婚したからといって親子関係がなくなるわけではありません』「じゃあ、俺はずっと父親なんですよね」『はい』 その答えに安心したはずなのに、妙な違和感が残った。「美月が再婚しても?」『再婚しただけで、あなたとの親子関係が当然になくなるわけではありません』 拓也は眉を寄せた。「……再婚?」『今は仮定の話です』「九条とですか?」『特定の誰かについて申し上げたわけではありません』「でも、離婚したら再婚できるってことですよね」『法的にはそうです』 拓也は黙り込んだ。 今まで、離婚した後の美月について具体的に考えたことがなかった。 離婚を求められても、最後には戻ってくると思っていたからだ。 けれど本当に離婚したら。 美月は自分の妻ではなくなる。 誰と暮らしても、自分には止められない。 そして赤ちゃんも、その家で育つ。「……」『朝倉さん?』「いえ」 拓也は首を振った。「次の面会のこと、お願
面会を終えてからも、拓也はその時の感触を何度も思い出していた。 腕の中に収まった、小さな身体。 途中で泣かれてしまったけれど、それさえ嫌ではなかった。 次はもっと上手に抱ける。 少しずつ慣れていけばいい。 父親としてできることを増やしていけばいい。 けれど、そのたびに弁護士から言われた言葉も蘇る。 ――父親であり続けることと、美月の夫であり続けることは別。「……なんでだよ」 拓也には、どうしても納得できなかった。 子供がいる。 自分は父親で、美月は母親だ。 それなら三人は家族ではないのか。 離れて暮らしている今の方が、おかしいのではないのか。 ◇ 数日後、離婚訴訟について弁護士との打ち合わせがあった。 机の上には、美月側から提出された書面が置かれていた。『相手方は、離婚の意思に変更はないと改めて主張しています』「それは知ってます」『今回、これまでの経緯についても、かなり具体的に整理されています』 拓也は渡された書面へ目を落とした。 不貞。 別居後の連絡。 カフェへの訪問。 美月の居場所を確認するために後を追ったこと。 サービスアパート付近での行動。 警察から注意を受けたこと。 会社への接触。 一つずつ、日付とともに並んでいる。「でも、これ、前の話ですよね」『そうですね』「俺、もうやってないです」『現在は代理人を通じて連絡していることも、こちらから主張しています』「だったら、それでいいじゃないですか」『現在問題を起こしていないという事情は主張できます。ただ、相手方は、これまでの経緯によって婚姻関係が破綻したと主張しています』「だから、俺は変わったって――」『朝
面会当日、美月は約束の時間より少し早く施設へ入った。 赤ちゃんを預ける前に、もう一度流れを確認する。 拓也とは顔を合わせない。 面会は三十分。 第三者が同席し、赤ちゃんを施設の外へ連れ出すことはできない。写真も贈り物も、今回はなし。「何かあったら、すぐに終わりにしてもらえますか?」「もちろんです」 担当者の返事を聞き、美月は赤ちゃんを預けた。 不安がないわけではない。 それでも、ここまで条件を整えたのは、この子と父親との関係をどうするか考えるためだった。 美月は別室へ移動し、時計を見た。 ◇ 拓也は十分前に到着した。「よろしくお願いします」 普段よりも丁寧に頭を下げる。 今日は絶対に失敗したくなかった。 案内された部屋へ入り、待っていると、やがて担当者に抱かれた赤ちゃんがやって来た。 写真で何度も見た顔。 けれど、本物は思っていたよりずっと小さかった。「……ちっちゃ」 思わず漏れた声に、担当者が微笑む。「抱っこされますか?」「いいんですか?」「こちらで支え方をお伝えしますね」 拓也は緊張したまま腕を差し出した。 首を支える位置を教えられ、ゆっくりと赤ちゃんを受け取る。 軽いと思っていた。 けれど腕の中に収まった小さな身体は、想像以上に存在感があった。「俺だよ」 赤ちゃんは目を閉じている。「お父さんだよ」 返事などあるはずもない。 それでも拓也は笑った。 やっと会えた。 写真ではない。 本当に、自分の腕の中にいる。 途中で赤ちゃんがぐずり始めると、拓也は慌てた。「え、どうしたんですか?」「大丈夫ですよ。少し姿勢を変えてみましょう
最初の調停から数日後、藤崎から連絡があった。『先方から、初回の面会について具体的な提案が来ています』 美月は赤ちゃんを抱いたまま、ソファに腰を下ろした。「もう、ですか?」『先日の話し合いで、将来的な面会を全面的に拒否する意向ではないと確認できたので、まず一度、短時間から試せないかという提案です』「どんな条件ですか?」『三十分程度。第三者が同席し、朝倉さんとご主人は顔を合わせない。お子さんを施設の外へ連れ出さない。写真撮影については、朝倉さんの了承がなければ行わない。まずはその程度から、という内容です』 美月は黙った。 以前に聞いた条件と、それほど変わらない。 拓也自身も、自分に会うことは求めていない。 それでも、すぐに「はい」とは言えなかった。「断ったら、どうなりますか?」『話し合いは続きます。今回の提案を受けなければ、ただちに何かが決まるわけではありません』「……そうですよね」『急いで返事をする必要もありません。考えてからで大丈夫です』「少し考えます」 美月は電話を切った。 ◇ その日の夕方、母が夕食を持ってやって来た。「これ、冷凍できるから。食べられない分はそのまま入れちゃって」「ありがとう」「ちゃんと食べてる?」「食べてるよ」「ならいいけど」 母はそれ以上言わず、眠っている赤ちゃんを覗き込んだ。 美月はしばらく迷ってから口を開いた。「拓也が、この子に会いたいって言ってる話、したよね」「うん」「三十分だけ、誰かに立ち会ってもらって会わせるっていう話が出てるの」 母の表情が少し曇った。「美月はどうしたいの?」「分かんない」 それが正直な答えだった。「会わせたいわけじゃない。でも、絶対に会わせたくないって
面会交流の調停に向けて、藤崎との打ち合わせが行われた。 美月は赤ちゃんを母に預け、久しぶりに法律事務所を訪れていた。「私、ずっと会わせたくないってわけじゃないんです」『はい』「ただ、今はまだ小さいし……それに、拓也が怖いのは変わってなくて」 藤崎は美月の話を遮らず、手元の書類へ書き留めていく。『では、その二つは分けて考えましょう。お子さんとご主人との交流を将来的にどうするかということと、朝倉さん自身がご主人と接触したくないということです』「分けられるんですか?」『方法は検討できます。仮に面会を行うことになっても、朝倉さんが直接ご主人にお子さんを引き渡す必要がない形を求めることはできます』 それを聞いて、美月は少し考えた。「第三者にお願いするとか?」『そうですね。場所や時間、受け渡しの方法なども含めて話し合えます』「……それなら」 言いかけて、やめた。 まだ決めなくていい。 以前の自分なら、相手が望んでいるのだから少しくらい、と考えてしまったかもしれない。 けれど今は、自分が納得してから答えたい。「調停では、今はまだ決められないって言ってもいいですか?」『もちろんです。その理由も含めて話しましょう』 美月は頷いた。 ◇ 一方、拓也も弁護士と打ち合わせをしていた。『まず、希望する面会の内容を具体的にしておきましょう』「普通に会いたいです」『その“普通”が人によって違いますから、時間や頻度などを考える必要があります』「じゃあ……最初は一時間くらいでいいです」『頻度は?』「毎週」 弁護士が顔を上げた。『お子さんはまだ生まれたばかりです。最初から毎週一時間という希望を出すより、まずはお子さんの生活へ