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第304話

Auteur: 三佐咲美
あの仕切りの水槽は、普通の水槽よりもずっと分厚く作られている。

慎一は椅子を掴み、思いきり水槽に叩きつけた。掌はジンジンと痺れる。けれど、水槽の中で金魚たちが慌てふためくばかりで、肝心の水槽は微動だにしない。

彼はさらに強く、破壊するまで止まらぬ勢いで椅子を振り下ろした。

一回、また一回……

ついに水槽の一部が砕け、水流が勢いよく溢れ出して、私の足元を濡らした。

私はもう何も気にしていられず、着ていた上着で床に跳ね回る金魚たちを包み込み、急いで洗面所へと駆け込んだ。洗面器に水を張り、金魚たちをそっと移す。

あの金魚たちを救うことは、まるで自分自身を救うことのようだった。

金魚たちが洗面器の中で泳ぎ始めたのを見て、私はようやく肩の力を抜いた。

だが、次の瞬間、大きな手が現れ、私の洗面器ごと金魚と水をトイレに流し込んだ!

慎一はそのまま、無言で流すボタンを押した。

私は呆然と口を開け、怒りがこみ上げてきた。

結局、この小さな命たちも救えなかったのか。

私は慎一を見上げ、「ひどい!命をそんなふうに軽んじていいの?」と叫んだ。「私が育てていた魚なのに!」

彼は冷たく鼻で笑い、震える手を背中に隠した。さっきの衝撃で掌が切れていたのだろう。でも、私の目にはもう映らない。ただ、あの小さな命たちのことだけが頭にこびりついていた。

「その魚を海苑の別荘まで持って行きたいのか?それとも、康平の奴に見せて、思い出させてやりたいのか?」

舌が絡まり、何も返せなかった。

彼と生命について語ることなど、無意味だった。彼は人の命すら、どうでもいい顔をしているのだから。魚の命など尚更だ。

あの金魚たちも、私と同じだ。どこにも属せず、自分ではどうしようもない運命の中にいる。

私はうつむき、もう何も言う気がなくなった。慎一は私の脇をすり抜け、淡々と運転手に命じる。

「これ、全部片付けろ。元の跡は一切残すな」

運転手は素早く頷き、私は止めることもできず、ただ悔しさとやるせなさが心に残る。

全部壊してしまえばいい。私がここに来たことも、何もかもなかったことにできる。

慎一の後ろ姿を遠くから追いかけ、しばらく待って運転手が戻ってきた。車が再び走り出したとき、私はもう死人のように、じっと座席にもたれ、誰とも一言も話さなかった。

その後は、流れるように物事が進んでい
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