LOGINマルグリットは婚約を破棄されてしまう。 婚約していた騎士のロベールが出世したため、家柄が釣り合わなくなったから、という、しごくまっとうな理由だ。 もう男など信じられないと落ち込むマルグリットの前に現れたのはレオン。白騎士の称号を持つ青年騎士だ。 自分を捨てたロベールよりはるかに地位の高い人物から差し伸べられた手に戸惑いつつ、交流を深めていくマルグリット。 そんな二人の前に、次々とトラブルが降りかかる。 さらに、婚約者を奪ったはずの伯爵令嬢まで接近してきて……。
View More天国と地獄を同じ日のうちに味わうなんて、滅多にない経験だと思う。
膝の上においた手を、私はぎゅっと握りしめた。
そうしないと、顔を覆って泣き出してしまいそうだったから。
「さらばだ。もう会うこともないだろう」
席を立ったロベールが、そんな私を一瞥して応接室を出て行った。
「ああ……マルグリット……」
見守っていた母が背中から抱きしめてくれる。
「大丈夫。大丈夫よ。仕方がないことなんだから……」
私は呟いた。
自分に言い聞かせるように。
騎士にとって結婚というのは家と家との結びつきだ。ごく幼少の頃に私とロベールの婚約したのには、家柄が釣り合うからという以上の理由はなかった。
それは事実だけれど、私は彼を好もしく思っていたし、彼も私を大切に扱ってくれていた。
新年や季節の祭のさいには、互いに手紙や贈り物をしていたし、このまま一、二年のうちには婚姻し、幸福な家庭を築けるものだと漠然と思っていたのだ。
今日、ロベールの口から婚約の破棄を告げられるその瞬間まで。
「たしかに、仕方のないことではあるが……」
ぎり、と、父が奥歯をかみしめる。
そりゃあ悔しいよね。私もだよ、お父さん。
婚約破棄の理由は、ロベールが出世したことだ。
ただの騎士から、十四騎士の一人に。
軍隊のことはよく判らないんだけど、お父さんたち普通の騎士を何人か束ねるような地位なんだって。
爵位持ちの貴族まで、あと階ひとつってところらしい。
わざわざ報告にきてくれた彼を、私も父も母も手放しで祝福した。
大出世だもの。
十四騎士なんて、誰でもなれるようなものじゃない。ほとんどの騎士は騎士のまま現役を退く。
おそらく父だってそうだろう。
それが二十歳で抜擢されたんだから、無邪気に喜んでしまった。
次にくる言葉を考えもせず。
「ヴァンサン家とルグラン家は釣り合わなくなるから、婚約を解消する」
とね。
それはその通り。
十四騎士家となったヴァンサンと、普通の騎士家であるルグランでは家柄が合わないよ。
だけど十年だよ?
私が七歳、ロベールが十歳のときから、ずっと互いを大切に思い、愛を育んできたんじゃなかったの?
釣り合わないっていっても、貴族と平民ほど離れてるわけじゃない。
この程度の身分差の夫婦など、いくらでもいる。
「だが、平の騎士の娘を娶ったところで出世には役立たないと思ったのだろうな」
ふんと父が鼻息を荒くした。
驚愕から怒りへと変わったようである。
「ヴァンサンの小倅など、こちらから願い下げだ。メグ、気にすることないからな。父さんがもっと良い相手を探してきてやる」
愛称で呼び、父が笑った。
そう簡単にはいかないだろう。捨てられた女、という悪評はたぶんあっという間に社交界に広がる。
傷物扱いだ。
わざわざ娶りたいなんて家は、トゥルーン王国に百五十もある騎士家のなかでもいくつあることか。
「殿方は、もう当分いいです」
我ながら情けない顔で返した。
一生大切にするとか、君の明るさに癒やされるとか、この剣は君を守るためにあるとか言ってたくせにね。出世と私を天秤に乗せたら、前者がどーんと沈んで、私は簡単に振り落とされてしまう。
殿方にとって、出世というのはそれほど大切なことなんだろうけど。
女の立場が、あまりにも軽すぎるよ。
※※※※
さて、あらためて、私の名はマルグリット・ルグラン。
ルグラン家の長女だ。
兄と弟がいるので、どっちかが騎士家を継ぐだろう。
私は普通にお嫁に行くのだろうと思っていたが、このていたらくだ。
このまま冷や飯食いの行かず後家になってしまう可能性がでてきた。にもかかわらず、積極的に嫁ぎ先を探してもらう気にもなれないというね。
「おねいちゃん。げんきない?」
はあああ、と、ため息をついた私を、小さな女の子が心配そうに見上げる。
おっと、いかんいかん。
子供たちの前では常に笑顔だ。
「元気いっぱいだよ。チロル」
むんと力こぶを作って見せたあと、頭を撫でてやる。
王都コーヴの一角にある託児所。
週に四日、私はここで奉仕活動をおこなっている。
こういうのも騎士や貴族の子女の義務なのだ。
教会を手伝ったり、病院を手伝ったり、学校を手伝ったり、人それぞれだけど、私が託児所を奉仕先に選んだのは、将来子供が生まれたときに役立つかなーなんて、ちょっとした邪心もあったんだよね。
だからバチがあたったのかもしれない。
「げんきなそうなの」
「お姉ちゃん、フラれちゃったんだよぉ」
チロルはまだちっちゃいんで言葉の意味も分からないだろうから、笑いながら適当なことをいっておく。
「なんだと! 豆ぐりっとがフラれた!」
「まん丸ぐりっとが!」
耳ざとく聞きつけて、悪ガキどもが駆け寄ってきた。
「こら! てきとうなあだ名で呼ぶな!」
たしかに私は、人様よりちょっと背が低いし、人様よりちょびっとだけ太ってるけどさ。
人の身体的な特徴をあげつらってはいけません。
叱ってやると、比較的年長の子が胸を反らす。
「心配すんな! 豆ぐりっとは、オレが嫁にもらってやる!!」
どーんと胸を叩いたりして。
「はいはい。マルコが大人になったらね」
託児所にいるのは平民の子供たちだ。
これはこれで身分違いなんだよね。
なんか、めんどくさい世の中だよなぁ。
「どうしてロベールっていうか、ルメキア帝国は要塞を捨てたんでしょう? 籠もって戦った方が良くないです?」「一番の理由は、意味がないからだな」 私の疑問にレオンが答えてくれる。 セルリア要塞の司令室。 白の軍とマルグリットイレギュラーズは、普通に無血で再奪取に成功した。 まあ、成功もなにも一度も干戈を交えてないんだけどね。 普通に入城しただけ。「意味がないんですか? レオ」「セルリアは対ルメキア帝国用の要塞なんだ。北からの攻撃に対してこそ力を発揮する」 南から攻められた場合は十全に性能を活かすことが難しい。 もちろん無力ということはないのだけれど、バリスタやカタパルトなんかは北向きに設置しているし、射撃用の窓も南側は少ない。 高い城壁があるからそう簡単には陥落はしないだろうけど、出撃拠点として以外の使用法はあんまりないんだそうだ。「防御設備を改装して対トゥラーン用にすることは可能だけどな。一日二日でどうにかなるもんじゃないよ」「なるほど」 思わず大きく頷いちゃった。 考えてみれば当たり前の話だよね。維持する意味があんまりないや。「お金かかりますしね」 しみったれとことを言うのは、大金持ちのイヴォンヌである。「要塞機能の維持なんて、それ専用の予算を組んでおこなうものですもの。セルリアの地に、そうまでして守る価値はありませんわ」 トゥラーン王国に取っては、ここを抜かれるとだいぶしんどい。でもルメキア帝国からみたら辺境も良いところで、べつに守るべき都市が近くにあるわけじゃない。 ルメキア帝国の要塞であるコロンより南なんて、実際どうでも良いって感覚なんだろう。「じゃあ、セルリア要塞を奪い返したことで、私たちの目標は達成ですか?」 ここで終われば無血勝利だ。 期待を込めて訊いてみる。「そうできれば良いけど、要塞守備兵がまるっと連れて行かれてしまったからな。助け出さないと」 ぼりぼりと頭を掻くレオン。「言われてみれば、人っ子ひとりいませんでしたものね」 守備兵がひとり残らず殺された、なんてわけがない。 ここでの行軍で敗走してくる味方のも出会ってない。 であれば、みんな捕虜として連れて行かれたって結論になってしまうのだ。 そしてどこの国でも同じだろうけど、捕虜の扱いなんて酷いものだからね。早く助け出してあげないと。「ト
あー、やっぱり陥落してるんだろうねー。 はっきりと肉眼で捉えられたセルリア要塞は、各所から黒煙が立ち上っていて激戦の爪痕も生々しい感じだ。「すぐに攻めかかるんですか? レオ」「陥落した直後であるなら、たしかに今がチャンスではあるんだが」 やや歯切れの悪いレオンのセリフである。「保留付きですか?」「なんだか煙がわざとらしく見えてな」 うーむとうなる。 わざとらしいとはなんぞや?「陥落直後だぞ、いまなら簡単に再奪取できるぞ、さあかかってこいって言ってるような雰囲気というか」「罠ってことですか?」「自信があるわけじゃない。ただなんとなく「悪い感じ」がする。それだけなんだけどな」 腕を組むレオン。 私には判らないけれど、歴戦の将軍である彼にそなわった嗅覚のようなものなのだろうか。「本隊の接近に先立って、ちょっと調べた方がいいかもしれませんわね」 イヴォンヌが馬を寄せてきた。 彼女はマルグリットイレギュラーズの軍師だけど、すでに全軍の大軍師って風格である。「斥候を出すか。しかしそれも読まれてる気がするなぁ」「ロベール・ヴァンサンが相手だと仮定すれば、まず読まれていますわね。なので、彼の知らない戦力を用いますわ」 にっとイヴォンヌが唇の端を持ち上げる。 彼女の前に、リットたち数人がすっと現れる。音もなくね。 ていうか、いつからそこにいたの? ぜんぜん気づかなかったよ。「彼らは正規の軍人ではありませんわ。だからこそできることもありますの」「紛れること、か。相変わらず恐ろしい人だ。貴女は」「え? え? どういうことですか? ちゃんと説明してくださいよ」 なんか邪悪な笑みで話し合う二人に、私は割り込んだ。 仲間はずれ、ダメです。「リットたちは普通の村人なのよ、メグ」「そりゃそうですよ。普通の村人なんですから」 幼い頃から厳しい訓練をしてきたわけじゃない。騎士としての教育を受けているわけでもない。 どこにでもいる普通の人……。「あっ」「そういうこと、町にいても街道にいても森にいても、べつにだれも不審に思わないわ」 イヴォンヌがマルグリットイレギュラーズの面々に施した訓練は、とにかく普通に振る舞うことだった。 ちなみに意識すればするほど、普通に振る舞うって難しかったらしい。「もしかしてリットたちの情
南を守るのはアザリア要塞で、北を守る砦がセルリア要塞という。 なんでどっちも花の名前なんだろうって昔から思ってたんだよね。 もうちょっと格好いい勇ましい名前をつければ良いのに。「何代前だかの王妃が名付けたらしいぞ。さすがに花の名前はどうかって意見もあったんだけど、名前で戦うわけではなかろうって却下されたそうだ」 馬を並べたレオンが説明してくれる。 並足で、まるで散策みたいだけどセルリア要塞へと向かって進軍中だ。 ロベールが寝返ったのはルメキア帝国。これは予想の範囲内だけど、最悪の事態ではある。 セルリアの防御をかためる必要がある。今すぐにでも。と、レオンが国王陛下に強く強く進言し、白の軍とマルグリットイレギュラーズが防衛を担当することになった。 直奏の権限を行使までしての進言だったから、温厚な陛下でもさすがにまずい状況なんだろうって思ったんじゃないかな。「レオン卿。ざっくりと方針を決めてしまいましょう」 レオンをはさんで私の反対側に馬を寄せてきたイヴォンヌが言った。 いやいや、馬上で作戦会議って。 余裕なさ過ぎるでしょう。 そんなに焦ってるなら、馬を早足にしたらいいじゃんね。「メグ、行軍の速度を上げると兵たちの負担が増えるんだ。そして宿場にいる時間はちゃんと休息にあてたほうが良い」 私の内心を読んだのか、ちらっとこちらを見てレオンが笑う。 そういうものなのだろうか。「到着してすぐに戦わないといけない状況、というのに備えないといけないのよ、メグ」 とは、大軍師イヴォンヌの言葉だ。 現地に行ってからゆっくり作戦を立てる余裕はないかもしれない。だから道々に方針だけでも決めておくのが吉なんだってさ。「なるほど、よろしくお願いします」 なんかいごいなあとは思ったけど、私にはちょっと難しいので丸投げすることにしました。よきにはからえっていうバカ殿さまムーブである。旗頭はそれで良いんだ、なんて笑いながらレオンが言う。「セルリア要塞がすでに陥落してしまって、味方が追撃されている場合だな」「救援と逆撃のプランを立てますわ。検討してくださいな」「了解だ」 なんか不穏当な話をしてるし。 セルリアが陥落してる可能性があるってことかしら。 最悪の事態を想定しているってことなんだろうけど、やだなあ。※※※※ コーヴから七日。
チーズケーキを平らげ、コーヒーを飲んだレオンが満足の吐息をついた。「ああ、この一杯のために生きてるな」 おおげさである。 私たちのなじみの店である『アルブル』。 レオンはここのケーキがとても、とてもとてもお気に入りだ。「メグの作るケーキを除けば、世界で最も美味いといって過言ではあるまい」「うん、大変に過言だと思います」 私は菓子職人でもなんでもない。行儀見習いの一環としてお菓子作りも学んだだけ。 その師匠が『アルプル』の店主であるベルトランというだけの話だ。 当たり前だけど、私よれベルトランの作るケーキの方がずっと美味しい。プロと素人を比べる方がおかしいってもんである。「いや、そんなことはないぞ。前にな、『アルブル』のケーキと『リシェス』のケーキ、両方を叔母さんのところに届けさせたことがあったんだ」「謎の職権濫用をしないでくださいよ」 そりゃああんた、国に四人しかいない将軍のひとり、白騎士からお願いされたら、配達なんかやってない『リシェス』だって、下町の居酒屋みたいに「はい! 喜んで!」って応えるでしょうよ。 託児所の子供たちに食べさせるなんてふざけてんのかって思ったとしても、ニコニコ笑うでしょうとも。 間違いなく、厄介な客に見込まれちゃったなあって思ってるよ。 そもそも『リシェス』が客層として考えているのは、貧しい庶民ではない。良いとか悪いとかの話ではなくてね、経営戦略の話。「いや、ちょっと確かめてみたくてな。子供たちの意見の方が率直だろうし」「なにをやっているのですか、あなたは……」 私のニセ恋人の知的好奇心は、いったいどっちの方角を向いているのだろう。「子供たちは『アルブル』のケーキの方を好んだぞ」 自慢げに胸を反らす白騎士さま。 世紀の大発見をしたぜって顔をしているけど。 べつに託児所でなくても同じ結果になったと思うよ。『リシェス』の都会的で軽やかで、そして繊細な味を子供たちが理解できるわけがない。 悪口ではなくてね。 なんっていうのかな、歳をとると好みって変わっていくでしょ? こってりどっしりとしたものより、さらりと食べられる後味すっきりのものへ。 年配の人とか顕著だよね。「そりゃあ子供たちは、はっきり甘いものの方が好きですよ。ケーキだけじゃなくて、普通の食事だって同じで