幽世の狩人~不死の少女と妖魔狩りの少年~

幽世の狩人~不死の少女と妖魔狩りの少年~

last updateLast Updated : 2026-10-04
By:  千王石ハクトUpdated just now
Language: Japanese
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 妖魔の肉を喰らうことしか、妖魔に勝つ術はない。それが、この世界の掟。  それを成した者こそが、狩人である。だが、妖魔の肉は人の身を蝕んでいく……。  そんな狩人の名家を継ぐ少年、『雷業春香』。彼が暮らす街に、大陸から留学生が来るのだという。  留学生の少女は、『リズ・ユヤデオナ』。迎えに行った春香は、帰路、父が死に至る病に斃れたと知る。  同時に、街へと妖魔の群れが襲い掛かる。父が消えた。街は壊滅せしめられた。家宝も奪われた。  誰も、何も、残っていなかった。ただ一つ、春香の守るべきは、リズだけだ。  雷霆轟く、宿命を貫く剣戟ダークファンタジー。そして、二人の少し歪な愛情が、世界の歪みを砕く物語。

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Chapter 1

#1 瑠璃色の瞳

「俺とお前なら、最強になれる」

春の風が木々を揺らす中、弟は兄の言葉を聞いていた。紅玉のような瞳で、兄の銀朱の瞳が向かう先を見る。どこまでも青い空が、葉の隙間から覗いている。

「師匠だって超えられる。妖魔だって龍だって狩れる、最強の狩人に、だ。だろ、春香はるか」

春香と呼ばれた弟は、まだそう大きな肉体をしていない。まだ数えで十一なのだ。

「だが、兄上。大陸に行くんだろう? 武者修行だとか……」

岩の家に並んで腰かける二人。兄の銀髪と、弟の黒髪。

「四年もすれば帰ってくるって。そんときゃ手紙を送る。港で出迎えてくれよ」

兄の名は、鷹眼たかめ。その名に違わぬ鋭い瞳が、再び弟と見える時。二人の夢は、終わる。

◆

鶏の朝鳴きが屋敷に響いた。薄明の空の下で、男たちが動き出す。庭の井戸の周りに集えば、褌姿の彼らは、

「若様、おはようございます!」

と頭を下げて叫んだ。

「ああ、おはよう」

若様。その名を雷業らいごう春香という。彼もまた、褌だけだ。男たちにも負けず劣らず、筋肉質な五尺八寸の体を明るくなり始めた空の下に晒している。肉体から滴り落ちる水はそのままに、縁側へと向かう。

「しかし、若様は早起きでいらっしゃいますな。流石、雷業家の跡取りというだけのことはある」

「お世辞はいい。水浴びを済ませろよ」

総髪の春香は縁側に置かれた手拭いを取り、体を拭き始めた。桃の花が散って、板の上に落ちる。

すっかり水滴を拭った彼は、足の裏を拭いてから縁側に上がる。座敷に入ると、老婆が待っていた。

「朝餉の用意が出来ておりますよ」

「ありがとう。腰の様子はどうだ?」

「ご当主の手配してくださった薬がよく効いております。ご心配なさらず」

腰の曲がった老婆に連れられ、春香は奥座敷へ。既に配膳も終わり、コの字に膳が並んでいた。春香は、上座の斜め前に着く。

「父上、おはようございます」

「うむ」

父、春成はるなり。息子と同じ、紅玉のような瞳と夜の色をした黒髪だ。が、両頬には鱗めいたものが浮かんでいる。そこから首を這い、胸元にまで伸びる。ただの紋様ではなく、死期の近いことを告げる、狩人にとっての砂時計だ。

「兄様、森の様子はいかがでしたか?」

父の鱗が、また増えていることに顔を背けるしかなかった春香は、向かいにいる妹の夏目にそう問われた。琥珀色の目と、銀色の髪は隣の母によく似ている。

「下らん妖魔と会った。一撃で殺せる、大したことのないやつだ」

今日の献立は、麦飯に、蕗の薹の味噌汁。あとは魚の干物と漬物だ。

「いただきます」

合掌して、春香は箸を執った。

「今日、件の留学生が来る」

春成が、ずっしりとした声で言った。

「歴史学者を目指す少女、でしたか」

春香の確認に、父はそっと頷く。

「身の回りの世話はさせるが、春香、お前が近くにいろ」

「俺が、ですか」

父の真っ赤な瞳が、ちらりと春香の体に向けられる。

「お前も今年で十五だ。女を知るには、十分な頃合いだろう」

「しかし、俺は……」

「二年前のことか?」

その声音がいつも以上に質量を持っていて、春香はそれ以上の言葉を発せられなかった。

「いつまでも引きずるな。我々は狩人。迷えば、死ぬぞ」

「……はい」

銀髪の母に、春香は助けを求めるような視線を送る。だが、彼女は何も言わずに食事をしていた。

「それと、鷹眼より手紙が届いている」

鷹眼、と兄の名前が出た時、春香の表情は花が咲いたように明るくなった。

「南の港に、あと一月二月もした頃に戻るとのことだ。会いに行ってもよかろう。世界が如何に広いかを知るに、いい機会だからな」

それから食器の擦れる音ばかりが響いた。だが、春香の顔には確かな高揚があった。

(兄上に会える)

そう思いながら、麦飯を掻き込む。

(また、一緒に稽古ができる!)

自然と、箸も速く動く。大陸から渡ってきた時計は、十五分の時を刻んだ。

「留学生の出迎えは、春香、お前が行け。なるたけ早く、な」

使用人が膳を片付ける中、春成が指示を下した。

「では、家来を幾人か連れて行きたいのですが」

「構わん。好きにしろ」

春成が席を立ったのを見て、朝餉の時間に終わりが来たことを春香は悟った。

私室に戻り、灰色の袴を穿く。黒い羽織を着る。左腰には、真っ赤な鞘で包まれた打刀と脇差を差す。

(留学生……リズ、と言ったか)

玄関に向かい、大陸からやってきたブーツというものを履いた。

(恥ずかしい様は、見せられんな)

庭の厩まで向かう。小鳥の鳴き声や葉の擦れる音は、ここに届くこともない。春香ら狩人を補佐する侍たちが、エイヤ、セイと声を挙げて稽古に励んでいるのだ。そんな彼らに呼び掛けるため、春香はスーッと息を吸った。

「留学生を迎えに行くぞ! 先に着いた三人を連れて行ってやる!」

そう声を響かせれば、上裸の男衆がわっと駆け寄ってくる。わたくしが、いや某が、と言いつつ、まるで雪崩のように厩の前で積み重なった。春香の溜息に、皆失笑するのであった。

さて、四人と四頭は、この雷天らいてんの街から、北西へと進む。速歩の馬上で、侍の一人がこう言った。

「若様も、どんな美人さんが来るのかってドキドキしてるんじゃあないですか?」

「やめてくれ、そういうことではないんだ」

二年前。春香は喪失を経験した。まだ、前を向けそうにはない。

木々の並ぶ街道を抜け、港町へ。山から見下せるだけが全ての、小さな町だ。だが、既に、真っ黒な蒸気船が桟橋の横につけてあった。

「おっと、もう着いてるようですな。急ぎましょう、若」

トトットトッ、と地面を蹴る音を聞きながら、春香は斜面を下った。

木と漆喰の町を進んでいると、汽笛の音を聞きつけて外に出る町民の姿があった。

「なんだい、あのお船は……」

昼時の蕎麦屋から、そんな呟きも聞こえてくる。桟橋に至れば、最早ない。

丁度、舷梯を下る少女がいた。赤い着物に、白い袴、白い帯だ。春香は、その顔をじっと見つめてしまった。金を編み込んだような、肩ほどまでの金髪に、空でも敵わないほどに青く大きな瞳。手綱を握る手に、自然と力が籠る。

が、まずは挨拶をしなければならない。彼は下馬し、手綱を引きながら彼女へと近づいた。

「雷天より参った、雷業春香だ」

「リズ・ユヤデオナです。よろしくお願いします」

リズと名乗った少女は、そっと握手を求める。応じた春香はその手の小ささに、かつての恋を重ねてしまった。

「馬に乗ったことは?」

内心は隠して、彼はリズに尋ねる。

「手綱を握ったことは、ありません」

「そうか。なら乗るといい」

リズを腕の中に納めるような恰好で、彼は馬の腹を蹴った。

「荷物はないのか?」

「今晩、船便が届くそうです」

街の中を抜けていると、リズの金髪は耳目を自然と集めていた。

「その、春香、さん? は既に狩人としてお仕事を?」

「ああ。父の妖魔狩りを手伝うことがある」

「凄いんですね、私と年が変わらないのに……」

馬の列は森の中に入る。

「東方語が随分と上手いようだが」

木漏れ日を受けながら、春香はそう口にした。

「歴史家の卵ですから。広く歴史を学ぶには、広く言語を理解しなければならないんですよ」

「博聞強記、か……」

道程の四分の三を過ぎた頃。太陽も傾いている。開けた泉に立ち寄り、馬に水を飲ませていた。

「歴史家というのは、何をするんだ」

冷水に触れるリズへ、春香は上から尋ねる。

「時に、人は歴史を歪めようとします。それを防ぐために、多くの記録を読み込み、真実を見つけ出す。そういう仕事です」

「随分と重い使命なのだな」

そう彼が呟くように言った時、後方の茂みでガサガサと音がした。と思えば、腐乱した犬の死体のようなものが、飛び掛かってくるのだ。

「きゃあっ!」

リズが声を挙げた刹那、春香は振り向き様に刀を一閃。斬り捨てた。その刃には、稲妻が走っている。

「妖魔か。気づかなかった」

「あ、あれが妖魔なんですね……」

リズは震える声を出す。振り返った春香は、彼女の体が馬にへばりついているのを認めた。

「怪我はないか」

「は、はい。妖魔というのは、確か──」

「──死骸に魂が入り込んだ、怪物。安心しろ、狩人がいる限り、誰も傷つけさせはしない」

脚ががくがくと笑っている彼女を、春香の腕が馬に乗せる。

「急ごう。また出るやも──」

そこで、進行方向の東から激しい蹄の音が響いてきた。

春香も、侍たちも、黙って刀を抜いた。何奴か、と思いながら息を潜める彼らは、すぐにその正体を知る。

「伝令、でんれーいっ!」

森から飛び出すなり、馬を操っていた侍が叫んだ。

「若様! 春成様が、お斃れに!」

「……何?」

刀を納めることも忘れ、春香は低い声で問う。

「敵か、妖魔か⁉」

彼がそう問いを重ねる間に、伝令の侍は跪いていた。

「……病でございます」

病、の三音で彼は全てを理解する。

「幽世竈食かくりよへぐいの病……!」

狩人なら避けられぬ、致命の病。そう、春成は、死んだ。

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#1 瑠璃色の瞳
「俺とお前なら、最強になれる」 春の風が木々を揺らす中、弟は兄の言葉を聞いていた。紅玉のような瞳で、兄の銀朱の瞳が向かう先を見る。どこまでも青い空が、葉の隙間から覗いている。 「師匠だって超えられる。妖魔だって龍だって狩れる、最強の狩人に、だ。だろ、春香」 春香と呼ばれた弟は、まだそう大きな肉体をしていない。まだ数えで十一なのだ。 「だが、兄上。大陸に行くんだろう? 武者修行だとか……」 岩の家に並んで腰かける二人。兄の銀髪と、弟の黒髪。 「四年もすれば帰ってくるって。そんときゃ手紙を送る。港で出迎えてくれよ」 兄の名は、鷹眼。その名に違わぬ鋭い瞳が、再び弟と見える時。二人の夢は、終わる。 ◆ 鶏の朝鳴きが屋敷に響いた。薄明の空の下で、男たちが動き出す。庭の井戸の周りに集えば、褌姿の彼らは、 「若様、おはようございます!」 と頭を下げて叫んだ。 「ああ、おはよう」 若様。その名を雷業春香という。彼もまた、褌だけだ。男たちにも負けず劣らず、筋肉質な五尺八寸の体を明るくなり始めた空の下に晒している。肉体から滴り落ちる水はそのままに、縁側へと向かう。 「しかし、若様は早起きでいらっしゃいますな。流石、雷業家の跡取りというだけのことはある」 「お世辞はいい。水浴びを済ませろよ」 総髪の春香は縁側に置かれた手拭いを取り、体を拭き始めた。桃の花が散って、板の上に落ちる。 すっかり水滴を拭った彼は、足の裏を拭いてから縁側に上がる。座敷に入ると、老婆が待っていた。 「朝餉の用意が出来ておりますよ」 「ありがとう。腰の様子はどうだ?」 「ご当主の手配してくださった薬がよく効いております。ご心配なさらず」 腰の曲がった老婆に連れられ、春香は奥座敷へ。既に配膳も終わり、コの字に膳が並んでいた。春香は、上座の斜め前に着く。 「父上、おはようございます」 「うむ」 父、春成。息子と同じ、紅玉のような瞳と夜の色をした黒髪だ。が、両頬には鱗めいたものが浮かんでいる。そこから首を這い、胸元にまで伸びる。ただの紋様ではなく、死期の近いことを告げる、狩人にとっての砂時計だ。 「兄様、森の様子はいかがでしたか?」 父の鱗が、また増えていることに顔を背けるしかなかった春香は、向
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 その日も、雨が降っていた。水入れを待つ田の間を、二人の来訪者が歩く。濡れそぼった、黒い羽織と赤い着物。「春香さん、私……」 赤い着物のリズが、がくりと膝をついた。「ああ、休まなければ、ならないな……」 応える春香の声も、途切れ途切れだ。別に、飯がなかった訳ではない。魚も獣も、そこら中にいる。だが、燃える故郷を見ると、何も喉を通らなくなるのだ。 春香はリズを背負い、一歩、また一歩と進む。バシャン、と水溜まりを踏み抜く。そこで、彼も崩れた。「駄目だ、俺は、進まなくては──」 少しずつ、意識が手の届かない所へ行こうとしている。転げ落ちたリズは、もう俯いたまま固まっている。「私たち、これじゃ……」 終わりか、と二人はどうしようもない諦めを抱き、動かなくなった。それから、暫く。「なんだ、行き倒れか?」 そんな声が、降ってきた。二人が顔を上げると、深草色の羽織に傘を差す、茶髪の男が立っていた。「もう少し頑張れよ、飯くらいなら食わせてやる」 そう言って、男はリズに手を差し伸べた。背中には長巻。体格は春香と変わらない。目の色は、錆びた銅の色、緑青だ。 リズを担ぎ上げた男は、今度は春香を引き起こす。「兄ちゃんには歩いてもらうが、いいか?」「……ああ、俺は狩人だ。自分の足で歩く義務がある」「硬い奴だぜ」 そう言って、男は二人を先導する。春香は今にも折れてしまいそうな脚でそれを追い、やがて簡素な屋敷に辿り着いた。「おかえりなさいませ、頸創様」 頸創と呼ばれた男は、リズを使用人に預ける。「飯、二人分だ。ありものでいいから、何か食わせてやってくれ。風呂は──」「先程夜番の者が入ったため、沸いております」「ならそれでいい。座敷に布団を二組頼む」「かしこまりました」 使用人の女は駆け出した。「風呂入れよ、風邪をひいちまうからな」 そう促され、二人は体を温めた。 春香は頸創の、リズは奉公人の着物を借りて、一階の座敷の一つで膳を前にした。「で、なんで雷業様がこんな所にいるんだよ」 麦飯、干物。豆腐の味噌汁、漬物。久しぶりのまともな食事だ。春香はがっつきそうになる己の心を抑え、受け答えをしようとする。「あ、いい。食ってからでいい」「……すまない。それでは、いただく」 そっと、彼は合掌する。「いただきます」 麦飯は冷
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 春香は、一人になった。頸創が茂みに隠れながら、灰鋸龍の反対側に移動したのだ。翼のある前脚には、鋸のような形状をした、細長い爪が生えている。 それが、灰鋸龍と呼ばれる所以だ。爪から滴り落ちた毒液が、足元の草花を瞬時に枯らす。春香は静かに唾を呑み込んだ。喰らえば、生きられぬ。 何丈あるか、という尾は一歩進むごとに木の幹を打ち、メシリ、と細やかな苦しみの声を上げさせる。 向こうの茂みで、頸創が手を挙げた。俺に合わせろ──別れる直前、彼はそう春香に言っていた。 ガサッ、と二人は同時に茂みを出た。途端、龍の野太い咆哮が響く。ビリビリと、木の幹でさえ震える。 まず、爪は頸創を狙った。彼は鞘を捨てながら素早く跳躍。風の龍絶を纏った刃を、背中へと突き立てる。暴れた灰鋸龍に振りほどかれ、彼の体は宙に踊る。「春香!」「あいわかった!」 春香の肉体が、雷を帯びる。刹那、彼は龍を挟んで反対側に移動していた。次いで、龍の首からどっと血が溢れた。その刃は、赤い血を滴らせている。(俺でさえ視認できない高速移動! これが雷業家の天津震電流ってわけか!) 風の力で落下を緩やかにしつつ、頸創は彼の速度に驚嘆した。 そして、春香の体はまだ止まらない。切り抜けたと同時に、右足を軸として反転。左足で踏み込み、またも斬撃を浴びせた。一瞬のうちに、真向切り、一文字切り、逆袈裟切りの三連撃だ。 水風船を割ったような勢いで、灰鋸龍の首から血が飛び散る。内臓まで突き刺さるような悲鳴を上げながら、龍は爪を振り上げる。 機敏にも後ろに跳んだ春香は、眼前で地面がひっくり返されるのを目撃した。その抉ることの深さ、長さは彼の身長にも等しい。 それが、ズドンズドンと叩きつけられた。春香の体は徐々に後退し、茂みの中へと追いやられる。背中が木にぶつかる。しまった、と思うのも束の間。真っ直ぐ、爪が突き出された。 龍絶の力を身に纏わせ、縮地にも似た速度で龍の下を駆け抜ける。今しがた離れた木の幹は、一撃を以て圧し折られていた。 頸創が戻ってくる。鞘を捨てつつ長巻を横に構え、体を地面と
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#6 狩人として
 鎌風屋敷、母屋の二階。春香とリズは、老婆に案内されて寝室へとやってきた。 「お布団は、ご自由にお使いくださいませ」  押し入れがある。開けば布団もある。とりあえず、春香は窓際で腰を下ろした。 「それでは、ごゆるりと」  それだけ言って、老婆は一階へと降りた。 「東の家って、こんな感じなんですねぇ」  リズは畳の目を頻りに撫でていた。 「畳が気になるか?」「はい。言葉しか知らなくて……こういうものなんですね」  その様がどこか滑稽で、春香はほんの僅かに顔を綻ばせる。が、結跏趺坐の姿勢──両足を腿に乗せる胡坐に姿勢を変え、息を整えた。 「どうしたんですか?」「座禅だ。心を落ち着けたい。少し、胸がざわつくんだ」「……教えてもらっていいですか?」  リズは彼の前に座りながら、問う。 「足を腿に乗せるんだ。辛いなら、片方だけでもいい」  ググッ、とリズは手で足を持ち上げ、どうにか片側を腿に置く、半跏趺坐の姿勢をとる。 「で、できました……」「目は少し開いて、斜め下を見る」  彼女はその指示に従って、畳を見つめた。 「そのまま、全身の力を抜くんだ。そうすれば、いい……」  春香の意識は、心の奥底へと沈んでいく。血煙に濡れそぼったような心も、こうすれば綺麗になると思っていた。だが、沈めば沈むほど、血の臭いが濃くなる。&nbs
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#7 弑逆の朝
 明くる日。風呂桶をひっくり返したような雨が降っていた。その中、二人の狩人は弔慕丘を上る。どちらも黒い羽織に黒い草履だ。 「御魂絶はないのか」  春香は、墓の間を通りながら頸創に尋ねた。 「ミタマダチ……ああ、誰でも不死を殺せるってあれか。ねえよ。あれは、金じゃ買えねえんだ」  円匙片手に丘の頂上に来た二人は、鎌風家の墓を回り、後ろに立つ。そこだけは、まだ新しい土で覆われている。  その中に、円匙を突き立てる。ザクッ、と土を掘り返し、横に積み上げていく。風が木々を揺らすのにも似た雨音の中で、二人は粗末な棺桶を目にした。無数の呪符が貼りつけられ、特に蓋との接合部には重点的に配置されていた。 「……顔を見ていいか」  頸創が呟く。 「殺せなくなるぞ。墓の上から終わらせよう」  春香の言葉に応え、彼は背中の長巻をすらりと抜く。両手で握られた長い柄の先、白刃が雨粒を斬り裂く。  だが、動くことはなかった。 「無理だ」  だらん、と長巻の切っ先が下がる。 「俺には……できない」  その彼を、春香は責められなかった。父親だ。血を分けた肉親だ。それを刺し殺せ、と言われてできるはずもない。事実、己は恋人の一人も殺せなかったのだから。  そこで、ガタッと棺桶が揺れる。 「そうか、まだ生きていたか」  春香もそのまま刀を抜いた。次いで、棺桶の蓋が上へと吹き飛ばされる。現れたのは、鱗の生えた男。その
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 数日過ぎた、夜。春香は風呂に入っていた。 (雷天の一件は、奉行所に伝えた)  妖魔の群れが襲い掛かったこと、守護する狩人も侍もいないこと。故に、行商であっても立ち入るべきでないこと。頸創の幼馴染の奉行が、手早く文書にして公表してくれた、と彼は聞いていた。  それを、新聞という形で知る。辻斬りの記事の隣に、載っていた。 (瓦版とは違うのか?)  この風呂を沸かしているという、瓦斯というものもよくわからない。燃える気体だというが、そんなものを流通させるのは危険ではないのか、と彼は頸創に問うたことがある。 「俺に聞くなよ、生き字引じゃねえんだ」  リズにも訊いた。 「石炭という鉱石を熱で分解して取り出した、燃える気体なんです。大陸では、もうすぐ一般家庭にも供給されるらしいですよ」  と言っていた。 (進んでいるのだな、大陸は……)  高窓から夜空を見上げる。よく晴れて、星々が煌めいていた。 「春香さーん!」  脱衣所からリズの可憐な声が聞こえてくる。 「着替え、置きましたよー!」「ああ、助かる!」  ジーッ、という甲高い虫の音が聞こえてくる。網戸から入ってくるのだ。 (俺は、生きている)  雷天を駆けた時の、妖魔の数々。亡骸の数々。邪気が満ちれば、それも妖魔となるのだろう。何の罪もなかった、無辜の民が。  ザバリ、と風呂釜から出る。筋肉質な体は、湯の雫を滴らせながら脱衣
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#9 妖刀握るは、無辜の民
 東に昇った太陽。風を切る音。白刃が、池の横で振るわれていた。傍には縁側。書斎がある。 「おはようございます、春香さん」  縁側に出たリズが、柔らかに挨拶した。手を止めた春香が、長く息を吐く。 「あまり寝ていないようだが」「わかります?」  リズの目は、少し充血していた。 「勉強も大事だが……体を壊しては元も子もないぞ」「そういう春香さんだって、夜明け前には起きてる、っておばあさんが言ってましたよ」「俺はいいんだ。慣れているからな」  くすり、彼女が笑う。 「頸創さんは、今日も奉行所ですか?」「ああ。妖刀の解析が中々進まないらしい」  話しつつ、上裸の春香は納刀する。チン、と鯉口が鳴った。縁側に置いておいた手拭いを拾い上げ、母屋の裏へと向かう。  特に用もないリズが、その後ろを歩く。 「狩人の武器は、龍の骨でできていると読んだことがあります」「ああ。鋼では気を伝えられないからな。龍の骨を切り出し、刃をつけている」「それに、かなり重いんですよね。五十キロはある、って」「きろ……西方の単位だったな。こちらでは十五貫、と表現している。常人の子供くらいはあるな」  歩いている筈の春香を、リズは速足で追いかける。 「そんなに重い武器、持っていて疲れないんですか?」  手押しポンプの下に桶を配置し、彼は水を入れ始める。 「そうだな……リズ、こっちへ」  手招きさ
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#10 命と明日を天秤に
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last updateLast Updated : 2026-08-27
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