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第2話

Author: 夜茉莉
このとき、明人のスマホが専用の着信音を鳴らした。

彼は私を一瞥して、気まずそうに寝室へ駆け込み、電話に出た。

私は画面から目を離せず、五分前に佳菜が上げたインスタの投稿を凝視していた。

投稿の内容は――

【大好きな明人さんは、また私の好きな花で部屋いっぱいにしてくれるの】

写真の広い病室は色とりどりの花で溢れ、温かく飾られた室内を見て、思わず嫉妬が込み上げる。

私が初めて妊娠して中絶のために闇クリニックから出てきた時、明人がくれたあの花も、同じ種類だった。

もしかして、あの一輪は、彼が私に適当に渡しただけのものだったのかもしれない。

私は感動して涙を流し、世界で一番優しい人に出会えたと思った。

だが現実は、私がどうでもいい存在であることを突きつけた。

明人が電話を終えて出てくると、ためらいの表情を浮かべていたが、結局冷たい声で言った。

「恵美子、その子は残せない。病院の方でも、まだお前の血が必要だってさ」

そして自分の無情さに気づいたかのように、彼は私を抱きしめ、私が拒めなかったいつもの口調で言った。

「信じてくれ、今回で最後だ。この間が終わって体が回復したら、一生懸命働いて、必ずお前に家を作ってやる、いいか、恵美子?」

私は苦笑を浮かべ、目に涙を溜めた。

だが彼には分からない――これから私は、もう二度と子どもを孕めないかもしれないということを。

「わかった。明人、あなたの言う通りにするわ」

深夜、私はスマホを開き、海外にいる先生にメッセージを送った。

【先生、先日お話しされたプロジェクト、参加します】

翌朝、目を覚ますと明人の姿は既になくなっていた。

居間の古びたテーブルの上には、彼が用意した牛乳が置かれている。

七年経っても、あの人は私が牛乳アレルギーだということを覚えていない。

そのとき、スマホにまたメッセージが届いた。

【恵美子、自分で中絶していけ。今日は付き合ってる暇がない。終わったら迎えに行く】

私は画面を見つめながら、ふと明人との出会いを思い出した。

七年前、道端で酔いつぶれていた彼を拾って家で介抱した。

彼が目を覚ましたとき、どういうわけか私の血液型を知り、私を救世主のように見つめたのだ。

「恵美子、お前だけが俺を救えるんだ。俺、金もない、病気なんだ、助けてくれないか?」

若いころ、胸に秘めていた想いがついに晴れるかもしれないと、私は快く承諾した。

だがそれがすべて、明人が計画した巧妙な罠だったとは知らなかった。

スマホにまた佳菜からの写真が届く。

明人が忙しく歩く背中の写真だ。

【恵美子さん、先生が言うにはあと一週間で完治するって。明人さんがあんたと別れる時、あんまり泣かないでね!】

静かにメッセージを読み終えると、ファーストクラスの航空券を自分で一枚予約した。

以前の私なら、一度にこんな大金を使うなんて考えられなかった。

七年間、昼夜を問わず配達員の仕事を続け、少しのお金も躊躇して使わなかった。服だって人の残り物を着ていた。

いつか彼の病状が抑えられなくなったときに、治療費を出せるように――そう思って貯めていたのだ。

そう考えると、胸の中の酸っぱさがどんどん広がり、やがて消えていった。

病院に着き、医者が妊婦健診の紙を見て口を開いた。

「お嬢さん、本当にいいですか?今回中絶すると、将来もうママになれないかもしれませんよ」

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