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第2話

Author: 蛍川るい
暁人は、私が気持ちを揺らがせたと思ったのか、嬉しそうに荷物をまとめながら言った。「あの子の様子、見に行ってみようか」

私は一瞬ためらった。でも、拒まなかった。

知りたかったのだ。真実を。

あんなに優しかった暁人が、なぜ私を裏切ったのか。

彼が車を走らせて連れて行ってくれたのは、市内で最近できたばかりの高級マンションだった。

ここに住める人は、みんな経済的に余裕がある人たちだ。

玄関のチャイムを鳴らすと、女が出てきた。

写真で見たままの顔――妖艶な雰囲気をまとったその女は、ドアを開けると同時に暁人を見つめた。その視線には、偽りのない想いが滲んでいた。

私も、かつて何度もあの目で暁人を見つめてきた。それは、愛する人にだけ向けられる眼差しだった。

そして、彼女の隣にいたのが――祐くん。本当に素直で、見た目も愛らしい子だった。暁人の姿を見ると、隠そうともせず目を輝かせた。

だが、彼が何か言う前に、暁人はわざとらしく咳払いした。

「祐くん、おじさんだよ。最近ママの言うことちゃんと聞いてるか?」

祐くんは渋々「おじさん」と呼びながら、私を敵意のこもった目で睨んできた。

部屋に入ると、私は何気なく室内を見渡した。すぐに息を呑んだ。

家具の配置、カーテンの色、インテリアのセンス――どれも私たちの家とそっくりだった。いや、暁人の「好み」そのままだった。

もう、見て見ぬふりはできなかった。私の知らないところで、彼は外に「家族」を作っていた。

なんて、皮肉な話。

祐くんはどう見ても暁人に懐いていた。二人で遊んでいる姿からは、血のつながりを疑いたくなるほどの親密さが滲んでいた。

私は、思わず自分のお腹をそっと撫でた。本来なら、ここにいたのは私の子だったはずなのに。

なのに今、それは他人のものになっている。

「あなたが朝倉さんね? 桐生さんって、本当に子供好きなのよ」

女――高瀬彩夏(たかせ あやか)はにこりと笑いながら、明らかに挑発する目を向けてきた。

自分こそが「本命」だと言わんばかりに。

家に帰る途中、私はずっと現実感を失っていた。

その間、暁人は饒舌にあの子のことを褒めちぎっていた。

「なあ、あの子、本当にかわいいだろ?しかも母子家庭なんだ。俺たちで育てたら、実の子と変わらないって。

いっそ、あの子を引き取らないか?

あれくらいの年なら、俺たちが優しくすれば、実の母親のことなんてすぐ忘れるさ」

そう言いながらも、彼は私の顔色を伺うように声を潜めた。

「……もし、俺たちの最初の子が流産してなかったら、ちょうどあれくらいだったろうな」

最初の子ども――その言葉に、私の心はかすかに動いた。

あの頃、彼はちょうど起業したばかりで、私も一緒に走り回っていた。

若くて、自分が妊娠してるなんて気づかなかった。体調が悪いのは、ただの疲れかと思っていた。

そしてその子は、私の無知と無理が祟って、守れなかった。

私は手元の診断書を見つめた。

あの子が生きていれば、今ちょうど五歳のはずだった。

そう思った瞬間、私は無意識にその紙を握りしめていた。

私が、我が子を失って泣いていたとき。暁人は、別の女との「家族」を笑顔で迎えていたのかもしれない。

さっき見た、あの子と暁人の親しげな様子が頭をよぎって、胸が痛くてたまらなかった。

そして彼が何度目かの「引き取り」の話を口にしたとき、私はついに堪えきれなくなった。

「……もういい。あの子を養子にするなんて、絶対に嫌。そんなの絶対に認めない」

突然の怒りに、暁人は面食らったように目を見開いた。

少しの沈黙のあと、彼は苦笑して言った。

「……わかった。君が嫌なら、それでいいよ」

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