声のした方を振り返ってみると、三人組のうちの一人に陽川は腕を掴まれていた。 やはり、陽川に普段のような覇気はなくて、オドオドとした様子。 いつもならあんな事されたら容赦しないくせに、今は振りほどくような仕草もみせない。不安気な表情でただただ掴まれている自らの右腕を眺めているだけだ。「なんか喋ってみろよー。ストリー検定、段位持ちの俺が、一発で見抜いてみせるからよー」 半笑いで、その男が言うと、周りの二人も同調するようにニタニタと笑う。「そうだ。なんか喋ってみろよ」「アポトーシスさんの覇気にビビってちびってんじゃねえの?」 一見して腹立たしい光景だけれど、俺はどうして良いものか分からずにその場に立ち尽くしていた。 陽川に俺は否定された。絶好宣言をされた。 そんな俺が陽川を助けて良いものかと。 むしろ、今ここで助けた事でさらに余計な反感を買ってしまうかもしれない。 ただでさえよくわからない状況なのに、下手に動くべきではないと考えてしまった。 そう、考えたら動くことが出来なかった。「……お前にとって、ストリーとは────推しとは、なんだ?」 俺の背後からそんな声がして、先ほどまであくびをしていたとは思えない、キリッとした顔の吉岡が陽川と三人組の間に割って入った。「はあ?なんだよお前。お前に用はないからさっさと散れよ!」「そ、そうだ」「どけよ!」 陽川の手を掴んでいる男もといアポトーシスさんが威嚇のように怒鳴り散らすが、吉岡はそれを意にも介さない。 吉岡は陽川の事を掴んでいるアポトーシスさんの手を掴み、そして振り払った。「……けんちゃん」 「お前っ!何すんだよ!?」 振り払われた側のアポトーシスさんはガナリ声を上げ、吉岡に歩み寄る。「推しって言うのはさ、とても尊いもので、傷つけたりするもんじゃねえよな?愛でて愛でて、決して見返りは求めない。俺はそう思うんだよ。同推しを持つものとして、お前はどう思う?」 怯む様子は全く見せずに、吉岡は理路整然と言葉を並び立てる。 吉岡が何を言っているのかが俺にはよくわからなかったけれど、三人組がたじろいでいるのはわかった。 三人組はそれぞれ顔を見合わせ、何か言いたげな様子。 陽川の腕を掴んだ男、もといアポトーシスさんは一歩前に出て口をワナワナと動かすが、うまく言葉が出てこないようだった
四人連れ立って向かった校門前には、人だかりが出来ていた。 近くに来てみると、教室で見ていた時より圧迫感を感じる。 近所で見たことがある制服もあれば、見たことがない制服。はたまたは私服姿で年上と思われる人の姿もあった。 一人余すことなく男であり、みなが何かを探すようにキョロキョロと校内を眺めるようにしている。 はたから見れば異様な光景だろうな。 怯えた様子の陽川を不思議に思いながらも、吉岡と二人で背中で庇うようにして歩いた。 その途中、連れ立ってやってきていたと思われる二人組の会話が耳についた。「ストリーちゃん。どこにいるんだろうな」 やはりこの人だかりは、噂通りストリーを探しに来ている群衆のようだ。 少なく見積もって四十人以上はいそうだ。 しかし、陽川がストリーを探しにきた群衆に怯えているのかがよくわからない。 普段の陽川なら、『邪魔よ。私とエマの通り道を開けなさい!』とバッサリ切り捨ててしまいそうなものだが。 なんなら、通り抜けるだけに収まらず、『ここは天下の往来よ!邪魔だから散りなさい!』と威嚇して追い払ってしまうまである。 天下の往来ならば彼らが
放課後になっても滝沢の席には荷物は取り残されたまま。本人が戻って来ることは無かった。 あいつは、どうしてしまったんだろうか。 滝沢に連絡を取るべくスマホを開くと、目的とは違う人物からメッセージが一件届いていた。『陽葵の学校にストリーが居るんだってな!こっちでも噂になってる』 メッセージの送り主は笹川秋人。 既に昨日の出来事が他県の高校まで情報が拡散されてしまっているようだった。 しかし、不可解だったのはその後に続く文字列だ。『でもさ、それってある意味ニセモノなんだよ。 だって、本物は俺の側にいるから』 全くもって意味不明だった。 何をもって、何を
チャイムが鳴っていたけど、俺は急がなかった。ゆっくりと歩いて、教室へ戻った。 当然次の授業は遅刻だった。 誰にも気が付かれないように、後ろのドアからこっそりと入ろうとしたのだけれど、授業中の独特な静寂はそれを許してはくれなかった。 ドアを開けた途端、クラス中の視線が一斉に俺の方を向いた。 なのに不思議と焦りもしなかったし、なぜか俺は落ち着いていた。 クラスを見回す余裕すらあった。 英語担当の女性教師は怒ることはなく、遅れた理由を英語で説明しろと言ってきた。 だけど、現状をうまく英語で答える事が出来なかった。というか、バカ正直に話す気にもなれなかった。 俺に会話のバトンが渡され、少しの沈黙の後、わざと演技じみた口調で「I 've a stomach ache」と誤魔化すように腹を抑えながら答えた。 それを聞いた女性教師は、不満顔ながらもため息をひとつついた後、早く自席に着くようにと促してきた。一つお辞儀をしてみせる。 そうやって女性教師から許しを得た瞬間に、何も面白いことは起こらないと興味を失ったのだろう。俺に注がれていたクラスメイト達の視線は一瞬にして霧散した。 俺は一つの空席を通り越して、クラス内でもう一つの空席である自分の席に着いた。 そう。俺の隣の席は空席だったのだ。 滝沢は戻っていなかった。 変に勘ぐられても面倒くさいからあえてそっちを見ないように、開いた窓の外に目を向けた。 校庭では上級生が嫌々とランニングをさせられている所だった。 こうして座っているより、俺も走った方が少しは気持ちも晴れるのかもしれないな。今だったら手を抜かずしっかり走ってやるのに。 窓から吹き込んだ穏やかな風。少し暖気を帯びた風がふわりと体に当たる。 肘を少し擦りむいてしまっていたから、ヒリヒリと痛んだ。 だけど、なんとなく肘の傷の具合確認することはしなかった。 その代わりにこんな事を考えていた。 滝沢はいつもこんな思いをしていたのだなと思い知った。 しかも傷だらけの中で滝行ならぬ雨行を決行させたのはこの俺だ。 しかも滝沢の場合は顔を含む全身だからな……俺の痛みとはきっと、比べ物にもならないだろう。 今更ながら反省の念が湧いてくる。今度、改めて謝らせてもらおう。きっと滝沢は嫌がるだろうけど。「何してたんだよ。姫を連れてったと思
一週間前と言ったら、ちょうど滝沢が謹慎処分を言い渡された頃。 それと同時に、俺と滝沢の親交が始まった時期でもある。 平和台駅辺りで目撃されたとの事だけど、あの付近で一週間前くらいに滝沢と会った事は会っただろうか?「あっ」 あの時だ。一つだけ思い当たる事があった。あれは、滝沢が携帯ショップから逃げてきて、俺に助けを求めてきた時だ。 確かに俺は一週間前、滝沢と会っていた。「ふーん。やっぱり、思い当たる節があるんだ」「まあな。たしかに一週間くらい前、俺と滝沢は平和台で会ったよ。でもな、……キスをしていたなんてことはありえない。俺と滝沢はそんな関係じゃないからな。なんせ滝沢は────」 慌てて言葉を停めた。もう少しで失言をするところだった。「『なんせ滝沢は────』なによ?」 追い詰めるように陽川は俺側に一歩踏みこんだ。 ただせさえ陽川は圧が強いのに……少し心拍数が上昇したようで、緊張感を覚える。「滝沢はあんなんだけど、美人の部類だろ。俺になんか興味ないさ。どちらかと言えば俺って、女子受けはしない顔だろ?そのくらいは自覚しているさ」 言っていて少し悲しくなった。 自らを下げて、なんとか誤魔化す虚しさよ。「桐生くんって自己評価低いんだね。そこまで蔑む程じゃないと思うよ。良くも悪くも普通。兎にも角にも普通。それが桐生くんよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」 きっと陽川は俺に気を使ってくれた。卑下する姿を哀れんでくれたのだろう。しかし、本人は褒めているつもりなのかもしれないが、それは決して褒め言葉ではないと思う。「……まあ、あれだ。普通だったとしても滝沢は俺に興味なんてないさ。きっと、何かの見間違いだな」「その言い分だと、滝沢さん側が桐生くんに興味を示せば事が起こるってことよね?」「……まあ、そうなるな」 これって逆に陽川の確証バイアスを強めていないか? 口のうまさでは陽川の方が俺より一枚も二枚も上手だって事か。 このままでは、滝沢との偽の目撃情報が真実になってしまう。 考えろ。考えろ。なんか使えそうな心理学は無かったか……? いやまて……そんな事をするまでもない。 逆を証明すれば良いだけじゃないか。 滝沢が、俺に興味がないのじゃなくて、俺が滝沢に興味がない事にすれば良いんだ。「ってことは、滝沢さんとあなたが付き合ってい
廊下を走り抜けて階段を昇り、たどり着いた場所は、今朝滝沢と訪れたばかりの屋上へと続く踊り場だ。 極力、第三者に話を聞かれる可能性の低い場所を考えたら、やはりここしか思い浮かばなかった。「ちょっと、桐生君、離して!」 足を止めた途端、陽川は腕を強く降って、俺の手を振りほどいた。「こんな所に連れてきてどうするつもり……?」 猛獣のような視線が俺を射抜く。陽川の声色は落ち着いていたものの、静かに怒気をはらんだものだった。 だけど、俺の言い分も聞いて欲しい。なんせ、今後の学生生活にも関わってくる事なのだ。 一時は静観しようとも考えたけれど、勘違いをそのまま放置していたら、俺はおろか、滝沢すらも後ろ指をさされながら苦しい生活を送らざるを得なくなる。 なんとしても勘違いを否定した上で、理解をしてもらう必要がある。 さもなくば目も向けられない学生生活まっしぐらだ。横島先生の不敵な笑みも脳裏をよぎる。「どうもこうもないさ。正しい事実を理解してもらおうと思ってな。勘違いされたままじゃあ、困るからさ」 「それなら教室で、みんなが聞いている前で堂々と話せば良かったじゃない」 陽川の言っていることは正しい。 しかし────あの場で俺が何を話そうとクラスメイトは俺の話を信じようとはしなかっただろう。 人間ってのはだいたいが、自分にとって都合のいいほうか、関係のない事なら面白いと思った方を真実だと思い込もうとする。 そう言った心理的要素を、心理学用語で確証バイアスと言う。 あの恋愛心理学書にもそう書いてあった。思い込もうとする人の心は厄介だ。 噂話に尾ひれ背ヒレがついて拡散していく。 そうなってしまっては後の祭り。そうなる前に元を断つ。 仮に噂話になってしまっても、陽川と昨日までの元通りの関係を築けていれば、次第に噂は立ち消えとなるだろう。「クラスメイトなんてどうでもいいさ。せっかく仲良くなれた陽川に勘違いをしてほしくなくてさ」「なによそれ……早い話、言い訳を聞いてほしいってだけだよね?」 陽川は自らの右手の肘を左手で掴み、少し身を捩った。 人が人を拒絶する時に見せるポーズだ。「陽川がそう思うのなら、それで構わないさ。とにかく俺は、包み隠さずに事実だけを話す。後は陽川が判断してくれ」「……」 睨め回すように俺のつま先から頭の先までを順