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第3話

Auteur: くらげ
強い雨が階段に打ちつけていた。

図書館の入口で雨宿りをしていたけれど、吹き込んでくる雨で靴のつま先はもうすっかり濡れている。

電話越しに聞いた。

「傘、茉白に貸したの?」

数秒、返事がなかった。

『熱あるんだよ。あのまま濡らすわけにいかないだろ』

「じゃあ、私は?」

『待っててって言ったじゃん』

「10分って言ったよね」

『道が混んでるんだよ』

スマホの画面を見る。

理玖から『今行く』と連絡が来てから、もう42分経っていた。

「理玖、図書館もう閉まるよ」

電話の向こうで、疲れきった声が返ってくる。

『一花、そういう言い方やめて。今日ずっとあちこち動き回ってて、俺も疲れてるんだよ。とりあえず雨に当たらないところで待ってて。もうすぐ着くから』

小さく息を吐いた。

「もう来なくていい」

『今度は何?』

「自分で帰る」

『この雨の中、どうやって?』

「走る」

すぐに声色が変わった。

『一花、やめろ。絶対走るなよ』

そのまま電話を切った。

図書館から寮までは、それほど遠くない。

走れば10分もかからない。

前は、こんなふうに雨の中を走って帰る必要なんてなかった。

理玖はいつもバッグに折りたたみ傘を入れていた。

雨に濡れると頭が痛くなるだろ、と言って。

なのに今日は、茉白には熱があるから濡らせないらしい。

シャワーを浴びて部屋へ戻ると、スマホには10件以上の着信が残っていた。

その直後、理玖からボイスメッセージが届く。

『開けて』

ドアを開けると、理玖が立っていた。

片手には風邪薬と、持ち帰りの卵雑炊。

髪は雨に濡れていた。

理玖は上着を脱ぐと、そのまま私の肩に掛ける。

「待ってろって言っただろ」

タオルで髪を拭きながら答えた。

「来なかったじゃん」

「来ただろ」

「遅かったよ」

理玖は何か言いかけたけれど、結局何も返さなかった。

テーブルに雑炊を置く。

「とりあえず食えよ」

「いらない」

「夜、パン1個しか食べてないだろ」

思わず顔を上げた。

「それは覚えてるんだ」

「当たり前だろ」

「じゃあ、私が三つ葉嫌いなのは?」

理玖が容器のふたを開ける。

湯気の向こうに、細かく刻まれた三つ葉が浮いていた。

それを見て、眉間に皺が寄る。

「店で入れたんだろ。そこまで見てなかった」

「別にいいよ」

スプーンを取り、三つ葉だけを少しずつふたの上へよけていく。

しばらくして、理玖が声を落とした。

「そんなふうにされたら、俺がずっと一花を雑に扱ってるみたいじゃん」

手が止まった。

「してないと思ってるの?」

理玖はテーブルに手をついた。

「最近、一花のこと後回しにしてたのは分かってる。茉白も実行委員になったばかりで、分かんないことが多いから、少し手伝ってるだけだよ。でも一花は違うだろ」

「何が違うの?」

理玖が私を見る。

「俺たち、子どもの頃からずっと一緒じゃん。俺がどういうやつか、一花なら分かってるだろ。ほかのやつにはちゃんと説明しなきゃ伝わらなくても、一花にはそんなのいらないと思ってた」

思わず笑った。

「そっか」

「何?」

「だから私は、傘もいらないし、温かいごはんもいらないし、ちゃんと言葉にしてもらう必要もないんだ」

理玖の表情が変わる。

「一花」

私はスプーンを置いた。

「もう帰って」

「薬を飲むのを見届けたら帰る」

そう言って薬を開けると、袋の中からみかん味の飴を1つ取り出した。

子どもの頃、薬が苦手だった私のために、理玖はいつも錠剤を小さく割ってくれた。飲み終わると、必ず飴をくれた。

差し出されたそれを見ても、手は伸びなかった。

「もう、その味好きじゃない」

理玖の手が止まる。

「一番好きだったじゃん」

「昔はね」

しばらく私を見ていた理玖が、眉を寄せた。

「なんでいちいち、そんな言い方するんだよ」

「別に。ほんとのこと言ってるだけ」

「じゃあ俺も言うけど」

理玖は飴をテーブルに置いた。

「今の一花、好きじゃない」

部屋の中が静かになった。

少しして、理玖がさっきより低い声で続ける。

「妬くのも、怒るのも別にいいよ。そういうのなら、いくらでも付き合うし、機嫌だって取る。でも、わざと俺から離れようとすんなよ」

「わざとじゃなかったら?」

理玖が言葉を止めた。

私はまっすぐ目を見る。

「本当に、離れたいって思ってるんだとしたら?」

数秒たって、理玖が小さく笑った。

「一花が?俺から離れられるわけないだろ」

何度も聞いた言葉だった。

前なら、それを聞くだけで安心できた。

今は、逃げたくなる。

私は薬を手に取った。

「飲むから、もう帰って」

理玖は動かない。

「明日の朝、迎えに来る」

「いい」

「来るから」

「理玖、もう来なくていいよ」

しばらく私を見つめたあと、理玖はいつものように頭を撫でた。

「寝たら少し落ち着くって」

そのまま振り返ったところで、スマホの画面が明るくなる。

茉白からだった。

『理玖、またちょっと熱上がってきたかも。帰りに体温計買ってきてもらえる?』

理玖は画面を見て、すぐに返した。

『待ってて』

……

国際交流センターで、留学担当の職員がパソコンから顔を上げた。

「一花さん、繰り上げになった留学プログラムの参加手続き、もう出したんですね?」

私はうなずいた。

「はい」

「ずいぶん急ですね。大丈夫ですか?」

もう一度うなずく。

「急に繰り上げの連絡が来て、今日中に最終書類を出す必要があったので」

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