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第5話

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宗盛キャピタルについての記事が出ると、世間はすぐに大騒ぎとなった。

世間の関心が高まる一方、篠のもとには宗盛キャピタルから一通の手紙が届いていた。【記事の詳細について、一度話し合いの場を設けたい】という内容だった。

スタッフに案内され、柔らかい絨毯が敷かれた長い廊下を進む。重厚なドアの前までくると、スタッフは立ち止まった。

部屋の中には一人の女性が立っていた。

その顔を見た瞬間、篠の頭は一瞬で真っ白になる。

菖蒲だったのだ。

「松尾さん、はじめまして」菖蒲は篠に近づいてきて、手を差し出した。「自己紹介させていただきますね。宗盛キャピタルの久保菖蒲です」

篠はなんとか手を伸ばし、その手を握る。

「あなたが……どうしてここに?」

菖蒲は優雅に微笑んだ。「そんなに驚くことですか?宗盛キャピタルの本当のオーナーが宗介だと知っていて、わざと彼に近づいたんでしょう?あんなに彼を追いかけ回して、結婚まで持っていったのも、全部内部情報を探るためだったんじゃないんですか?」

あまりにも侮辱的な言葉に、篠は思わず拳を握りしめた。爪が食い込む痛みで、なんとか理性を保つ。

「そんなこと、考えたこともありません」

「まっ、そんなことはどうでもいいんですけどね」菖蒲は全く気にしていない様子だ。「ただ、あなたがちょっと可哀想になっただけなんです。女のプライドを全部捨てて男を追いかけたのに、結局は結婚式当日にゴミみたいに捨てられるなんて」

菖蒲は唇の端を吊り上げて笑う。「女は、やっぱり自分から追っちゃいけないんですよ?昔、宗介は私に猛アタックしてきました。告白もプロポーズも、全部彼から。だって、『こういうことは男がするものだ。好きな女にそんなことはさせられない』って、彼は言ってましたから」

こういった言葉は、宗介を追いかけると決めてから、色々な人から何度も言われてきた。

もう聞き飽きて、慣れたはずだった。だが、菖蒲本人から言われると、今までにないほどの屈辱と悲しみがこみ上げてくる。それでも篠はすぐに気持ちを立て直し、まっすぐに菖蒲を見つめ返した。

「好きな人を勇気を出して追いかけることが、馬鹿にされるようなことだとは思いません」篠の声はいつも通りだったが、かすかに震えている。「それにあなたこそ、人の恋愛に口出ししてくるなんて、その方がどうかと思いますけど?」

一瞬にして菖蒲の目つきが冷たくなったが、すぐにまた笑みが戻る。

「さすが敏腕記者。肝が据わっていますね」菖蒲は立ち上がると、ゆっくりと部屋の反対側へ歩いていった。「でも、その余裕はいつまで続きますかね?」

菖蒲が壁のスイッチにそっと触れると、壁の一部が音もなく横にスライドした。そこはマジックミラーになっていて、隣の広い部屋の様子がまる見えで、中の声も聞こえてきた。

「さすがは宗介だな。裏社会から足を洗って長いのに、こんな簡単に街の権力者をがらりと変えちまうなんてさ。そんなこと、ここにいる誰も真似できないぞ」少し聞き覚えのある男の声だ。

「それより、聞いたぜ?松尾さん、結婚式で使うはずだったジュエリーとかドレス、全部売り払っちまったんだろ?お前に式をすっぽかされたから、よほど腹が立ったんだろうな。で、結局結婚すんのか?」そう話しているのは、洲際グループの御曹司だった。

少しの沈黙の後、宗介の声が聞こえてきた。

「するさ。しばらくしたらな」

「まだ別れないのかよ?」洲際グループの御曹司は呆れたような声を出す。「宗介、悪いけど言わせてもらうぜ。もうやめとけって。お前は久保さんが好きなんだろ?だったらこの機会に、松尾さんとはきっぱり終わりにしろよ。

お前の親父さんが久保さんを気に入らないで、もう何年経ってると思ってるんだ?お前がもっと強く出れば、親父さんだっていずれは折れてくれるはず。なのに、なんでわざわざ松尾さんを巻き込むんだよ?彼女は真面目に記者をやってるだけで、お前とは住む世界が違うんだから」

篠は、指先まで血の気が引いていくのを感じた。平然とこちらを見ている菖蒲の横顔を見て、この状況が仕組まれたものだと悟る。

「結婚するのに、篠は最高の相手なんだよ」壁の向こうから、宗介の冷静で、感情のこもらない声が聞こえてきた。「家柄もいいし、性格も穏やか。それに自分の立場をわかっているから、増田家の嫁としても完璧だ。そして何より、俺に好意を持ってくれている」

宗介は一息おいてから、続けた。「それに俺は、結婚なんていうもので菖蒲を縛りたくない。彼女には自由に生きてほしいんだ」

その瞬間、篠の頭の中で何かが崩れ落ちていく音がした。

激しい耳鳴りがして、目の前が真っ暗になる。立っているのがやっとだ。

宗介の何気ないその一言で、篠の淡い期待はすべて打ち砕かれたのだった。

もうそれ以上、この場所にいることはできなかった篠は、その場から逃げ出す。

静まり返った長い廊下を駆け抜け、レストランの入口から外へと飛び出した。ようやく足を止めたものの、目の奥は焼けるように痛い。なのに、涙は一滴も流れなかった。

その時、バッグの中でスマホがけたたましく震えた。篠は無意識に電話に出る。すると、英樹の焦った声が耳元で響いた。

「松尾!今どこにいる?さっき宗盛キャピタルが公式声明を出したぞ!君の記事はデータソースが不確かで、悪意のある憶測だって、全面的に否定してきた!法的措置も検討するそうだ!」
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