松尾篠(まつお しの)はクラブの片隅で、薄暗い照明の下で騒ぐ男女を眺めながら、自分でもどうかしていると思っていた。こうなったのも、とある噂がきっかけだった。「増田家と松尾家の結婚が延期になったのは、元恋人が何者かに拉致されたため、増田社長は自分の結婚式が控えていたにも関わらず、その女性を助けに行ったから」その噂を確かめるためだけに、篠ははるばる江川市までやって来たのだ。だが、増田宗介(ますだ そうすけ)といえば、あの増田家の御曹司で、経済誌の表紙を飾り、チャリティーパーティーではスピーチを任されるほどの人物。そんな彼が、本当にこんな場所へ現れるのだろうか?篠が帰ろうと、グラスをテーブルに置いたその瞬間――バンッ!けたたましい音を立てて、入り口の扉が激しく弾き開けられたのだ。そのまま店内になだれ込んできたのは、ひどく殴られた様子の、血まみれの男たちだった。「増田!お前は十何年も前に裏社会からは足を洗ったはずじゃねえのか!それなのに、たかが女ひとりのためにこっちに戻ってくるわけじゃねえだろうな?」宗介はドアの前に立ち、彼らを冷たく見下ろしながら言った。「戻りたいわけないだろ?もうあんな血なまぐさい生活からは足を洗って、真っ当に生きてくって決めたからな。でも、お前たちは菖蒲が俺の女だったと知っていながら手を出した。それは、俺をこっちに引き戻したいってことじゃないのか?」目の前の宗介は、篠の知っている男とはあまりにも違っていた。クラブは静まり返っているはずなのに、篠の耳鳴りは止まらない。「あの女は俺たちの決まりを破りやがったうえに、3つも俺たちのシノギを潰しやがった」リーダー格の男は痛みに顔を歪めながら叫ぶ。「増田。あんな女に加担しやがって。女ひとりのためにここまで大事にして、お前の婚約者の耳に入るのが怖くねえのか?」しかし、宗介は答えることはなく、無表情に手を上げた。すると、彼の後ろに控えていた男たちが前に出てきたと思ったら、すぐに鈍い音が数回響き、騒ぎはあっという間に終わった。「こいつらを菖蒲のところに連れて行け。あいつに処分させろ」宗介はチンピラから視線を外しながら、そう命じた。宗介が立ち去ろうと背を向けた瞬間、隅の方に宗介の目線が止まる。篠は宗介が自分に気づいたのだと思った。しかしその瞬間、宗介の隣
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