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第2話

Autor: 米菓子11
午後、俺は結衣の会社へ向かった。

オフィスビルのエレベーターに乗り込むと、見覚えのある人が後から乗ってきた。

昨夜、レストランで結衣と一緒にいた男だ。

男は俺の顔を見るなり、愛想のいい笑みを浮かべて手を差し出してきた。

「もしかして、結衣さんの旦那さんですか?初めまして、アシスタントの柊悠真です」

初対面とは思えないほど馴れ馴れしく、悪びれる様子もない堂々とした振る舞いだった。

彼が目的の階のボタンを押して俺の隣に並んだ時、彼のスマホが鳴った。

「結衣さんのことですか?ああ、彼女はお昼なんて食べませんよ。コーヒーだけで済ませるのがいつもの癖ですから」

わざわざ俺に聞こえるような声で電話の相手にそう告げると、柊は通話を切り、ニヤリと笑ってこちらを見た。

「旦那さん、今日は結衣さんとランチですか?」

エレベーターの扉が開く。俺は彼の言葉を無視して廊下に出た。

社長室に入ると、結衣は書類の山に埋もれるようにしてパソコンに向かっており、顔を上げようともしなかった。

俺は持ってきた保温ランチジャーをデスクの空いたスペースに置いた。

「昼飯、まともに食べてないんだろう?」

「んー……忙しいと、どうしても忘れちゃって」

そこへ、柊が「書類の確認お願いします」とノックもそこそこに入ってきた。

彼はデスクの上に置かれたランチジャーに目を留めると、大げさな声を上げた。

「うわ、旦那さんマメですねー!結衣さんがこの前『美味しい豚の角煮が食べたい』って言ってたから、わざわざ作ってきてくれたんですね」

パソコンから目を離さない結衣が食べやすいように、おかずの容器から角煮を一つ摘まみ上げて彼女のご飯に乗せてやろうとしていた俺の箸が、宙でピタリと止まった。

結衣は俺の様子にも気づかず、黙々と自分の箸を動かし続けている。

柊が部屋を出て行き、社長室には再び俺と結衣の二人だけになった。

「あいつ……随分とお前のことを理解してるんだな」

「え?」

「柊だよ。お前が昼食を抜くことも、コーヒーしか飲まないことも知っていた」

結衣はカチャリと箸を置いた。

「健人、彼は私のアシスタントよ。上司の仕事のルーティンを把握するのも、彼の仕事のうちでしょ?」

「……そうか?」

「もう、また変なこと考えてるんでしょ?私の心にはあなたしかいないのに」

彼女はわざとらしくため息をつくと、また視線を落として食事を再開した。

その日の夜。

結衣は夜の十時を過ぎても書斎にこもり、仕事の続きをしていた。

俺がカットしたフルーツを皿に盛って書斎へ入った時、彼女のスマホの画面が光った。

ポップアップの通知。柊からのメッセージで、彼自身の自撮り写真が添付されていた。

結衣は俺の目の前で、慌てたようにスマホを裏返し、画面を伏せてデスクに置いた。

「……会社の人から」

「何も聞いてないよ」

俺はフルーツの皿をデスクの端に置き、静かに書斎を出た。

ドアノブに手を掛けたまま、俺は2秒だけ立ち止まった。

背後から、俺を引き止める声は聞こえなかった。

日曜日。

結衣の提案で、すっぽかされた結婚記念日のやり直しをすることになった。

二人が向かったのは――あの日、俺が記念日のために予約し、彼女が別の男と座っていたあのレストランだった。

店に入った途端、案内役のギャルソンが愛想良く微笑みかけてきた。

「岡崎社長、いらっしゃいませ。本日もいつものお席でよろしいでしょうか?」

案内されたのは、窓際にある奥から二番目のテーブル席。

どうやら彼女は、俺に隠れてこの店に何度も足を運び、すっかり顔馴染みになっていたらしい。

向かい合わせに座り、俺は彼女の隣にある空の椅子に視線をやった。

「ここ、誰か別の人間と来たことがあるのか?」

テーブルのピッチャーからグラスに水を注ごうとしていた結衣の手が、一瞬だけピタリと止まる。

「……クライアントの接待で使ったことがあるのよ。どうして?」

「いや、いい席だなって思っただけだ」

やがてコース料理が進み、メインの肉料理が運ばれてきた。

化粧室から戻ってきた結衣は、手慣れた様子でナイフとフォークを使い、自分の分の肉を一口大に切り分け始めた。

「結衣。最近、俺たちの間に誰か別の人間が入り込んでいるような気がしないか?」

肉を切り分けていた彼女の手が、今度は半拍ほど長く止まった。

しかし、すぐに何事もなかったかのようにナイフを動かし始める。

「誰かって?どうして急にそんなこと言うの?」

「いや、ちょっと思っただけだ」

彼女は切り分けた肉にソースを絡め、静かに自分の口へと運んだ。

店を出た直後、結衣のスマホの画面が光った。

彼女は俺から少し体を逸らしてメッセージを返していたが、俺の視界の端にその画面が映り込んだ。

柊からのメッセージだった。

【結衣さん、また明日】

彼女はそれに対して、可愛らしいキャラクターのスタンプを一つ返した。

そしてスマホをロックすると、自然な動作で俺の右手を握ってきた。

「さ、帰ろっか」

俺は彼女に手を引かれるまま歩き出し、繋がれた二人の手をじっと見下ろした。

街灯の光がアスファルトを照らし、二つの影が前後に伸びている。

ふと、18歳の時に初めて彼女から手を繋いできた日のことを思い出した。

あの時、俺が目を閉じて彼女の肌に触れると、心の中には俺の顔だけが溢れんばかりに満ちていた。

俺は静かに目を閉じ、繋いだ手から彼女の手首へと指を滑らせた。

――二つの顔は、まだそこにあった。

一つは俺。もう一つは柊。

どちらの顔が勝るわけでもなく、境界線は残酷なほどきっちりと、半分ずつのままだった。

俺の足が止まったことに気づき、結衣が振り返った。

「どうしたの?歩かないの?」

「……いや、行こう」

俺が再び歩き出すと、彼女は俺の指に自分の指を絡め、さらに強く手を握りしめてきた。

昔と何も変わらない、ごく自然な、愛情に満ちた握り方だった。

だが、俺には分かっていた。

もう何もかもが、決定的に違ってしまっているということが。

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