LOGIN「枝織、またお前のせいで進行が遅れた。今日の式は中止だ」 18回目の結婚式。 私の婚約者である周防陽向(すおう ひなた)は、呆れ果てた目で私、橘枝織(たちばな しおり)を見下ろした。 「俺が完璧主義だって知っているだろう?なぜ言われた通りのタイミングで動けないんだ。 次にリズムを乱したら、いっそお前の親友に花嫁を代わってもらうからな」 彼が私を測る絶対の基準にしているのは、時間に異常なほど正確な私の親友、須藤咲良(すどう さくら)だ。 仕事終わりに待ち合わせ場所へ向かうのが彼女より1分遅れれば、陽向は私を置いて咲良を車に乗せて走り去っていく。 恋人たちの記念日、予約したレストランに入るのが数歩遅れれば、私のためのディナーの席に咲良を座らせる。 休日の旅行で空港の待ち合わせに20秒遅刻しただけで、私の搭乗券を容赦なくキャンセルし、咲良と二人きりで旅立った。 そして、私たちの結婚式でさえも。 彼はこれまで17回も式を途中でキャンセルし、そのたびに私の代わりに咲良を祭壇に立たせて、理想の式の流れを演じさせてきたのだ。 18回目こそは成功させよう。 私は会場の至る所に秒数を正確に刻む時計を配置し、毎晩徹夜で200回以上も進行のタイミングを練習した。 それなのに。 誓いの予定時刻より10秒早く、咲良が横から食い気味に「誓います」と叫んだのだ。 会場中に仕掛けた無数の時計が、正確な時間を知らせるアラームを一斉に鳴らしているのに、陽向はそれを完全に無視して私を睨みつけた。 「18回目もキャンセルだ」 ああ、やっと分かった。 不完全だったのは私のリズムなんかじゃない。 彼にとって、花嫁が咲良じゃないことこそが一番の不完全だったのだ。 なら、その完璧主義、私が叶えてあげる。 陽向は再び優しく咲良の手を取った。 「ほら、見てろ。俺たちがもう一度、完璧な手本を見せてやる」 その姿に、私は張り詰めていた糸が切れたように笑みをこぼした。 そして二人の薬指に、そっと結婚指輪をはめてあげる。 「手本なんていらないわ。二人とも、末永くお幸せにね」 さて、完璧な彼と時間厳守の親友。 お似合いのカップルを置いて、私は私の自由な人生を始めよう。
View More翌朝、仕事に行こうと玄関のドアを開けた瞬間、ドンッという鈍い感触があった。どうやら陽向は、昨夜から一晩中ずっと私のドアの前に座り込んでいたらしい。ドアがぶつかった衝撃でハッと目を覚ました彼は、慌てて立ち上がろうとした。しかし、氷点下の寒さで一晩中冷やされた体は完全に硬直しており、何度か無様に立ち上がろうと足掻いた末に、結局ドサリと床に崩れ落ちた。彼は這うようにして体を壁際へずらし、私のために道を開けた。そんな彼の惨めな姿を、私は見下ろした。「一晩中ここに座り込んでいれば、私が罪悪感を抱いてあなたを許すとでも思ったの?」その言葉に、彼はまるで火の粉を浴びたように激しく首を横に振った。「ちが、違うんだ……!ただ、贖罪がしたくて。俺が君にどれだけ酷いことをしたかは分かってる。でもせめて、償うチャンスだけでも俺に……」彼の言いたいことは痛いほど分かった。彼は私を手放したくないのだ。過去の過ちを今更謝罪して、無理やり穴埋めをすることで、どうにかしてこの致命的なひび割れを修復できると信じている。でも、私はもうそんな茶番に付き合う気はなかった。過去の痛みは、記憶の底で静かに腐らせておくべきだ。いつまでも目の前でちらつかれて、「あなたはこんなに傷ついたんだ」と古傷を抉られ続けるのはご免だった。歩き出す直前、私はちらりと彼を一瞥し、ふと微笑んでみせた。「……今夜10時。プラザ通りにあるレストランに来て。もし遅刻せずに来られたら、チャンスをあげるわ」その瞬間、陽向の死んだような目にパッと強烈な光が宿った。彼は信じられないというように、私の顔を凝視した。私はそれ以上何も言わず、彼に背を向けて職場へと歩き出した。今日だけは、私の背中にあの疎ましい影がまとわりついてくることはなかった。充実した仕事の時間は、あっという間に過ぎ去っていった。今日一日、陽向の姿を一度も見かけることはなかったが、彼が今頃どれほど必死になって自分の身なりを整えているか、容易に想像がついた。砂漠で長く喉の渇きに苦しんだ人間は、オアシスを見つけた瞬間、ひどく貪欲になるものだ。……まるで、完璧な結婚式のために、毎晩徹夜で誓いの言葉のタイミングを練習し続けていたかつての私のように。もう少しだけ努力すれば、あとほんの少しだけ
それからの日々、私は彼を完全に空気として扱った。いつも通りに仕事へ行き、休日は散歩を楽しみ、職場の同僚たちとの食事会にも参加した。唯一変わったことと言えば、常に私の背後に、一定の距離を保った「影」が憑きまとっていることくらいだ。最初はただ黙って私の生活を遠くから見つめているだけだった。それが次第に、恋人たちのイベントの日にはこっそり玄関の前に花束を置き、私の誕生日にはケーキを届けるようになった。そのうち、私に向かって勝手に話しかけてくるようになった。今日見かけた面白い出来事や、異国での生活で困ったことなどを、一人でブツブツと語りかけてくる。私が一度も返事をしなくても、彼は疲れた様子も見せず、むしろこの奇妙な関係に一人で満足しているようだった。――そして、私たちが付き合って8年目になるはずの、記念日のこと。その日、空からは大粒の雪が舞い落ちていた。陽向が初めて、自分から私の部屋のドアをノックした。ドアを開けると、彼はひどく怯えたような、それでいて期待を隠しきれない目をして立っていた。「枝織、今日が何の日か……覚えてる?今日は……俺たちの、8周年の記念日なんだ」私は腕を組み、冷ややかな視線で彼を見据えた。「私たちがもう別れたってことは、はっきりと覚えているわ」陽向は慌てて首を横に振った。「違うんだ、無理に復縁してくれって言ってるわけじゃない!ただ……君がこの見知らぬ異国の街で一人で半年も暮らして、故郷の味が恋しくなっているんじゃないかと思って……君が好きだった故郷の料理を作ったんだ。それに、昔君が好きだって言ってた甘い果実酒も手に入れたから……」「今はもう、好きじゃないわ」私は彼の言葉を冷たく遮った。「そ、そうか!ならすぐに別のものに替えてくるよ!君が今好きなものはなんだ?今すぐ買いに行くから!」必死にご機嫌を取ろうとするその滑稽な姿に、私は静かに首を横に振った。「私はお酒そのものが嫌いなの。それに、酔っ払うのはもっと嫌い。……どうしてか、分かる?」私の問いかけに、陽向はポカンと迷子のような顔をした。だが、無意識の不安からか、その顔色がサッと青ざめていく。「泥酔して足元もおぼつかない時、唯一頼りたかった相手に、非情にも家の外へ閉め出されるのが大嫌いだからよ。……あの冬
結局、陽向は咲良を無情にも追い出した。結婚式にタダ飯を食いに来た厚かましい親戚たちもろとも、すべての関係を完全に絶ち切ったらしい。彼は私の行方を探るため、親族に連絡を取ろうとしたそうだ。しかし、数年前からすでに連絡先が変わっており、まったく繋がらなかったはずだ。結婚式のドタキャンが3年続いた頃から、親族たちは私が恥をかくような場を避けるため、式の案内状を一切受け取らなくなっていたのだから。……その恥をかかせていた「元凶」である彼自身も含めて、完全に見限られていたということだ。次に陽向は、私が勤めていた会社へ向かったという。だが、そこで聞かされたのは「橘はすでに退職して別の会社へ移りました」という絶望的な事実だった。通常なら1ヶ月はかかるはずの引き継ぎ期間すら放棄し、高額な違約金を自腹で支払ってまで、私は逃げるように会社を去っていたのだ。彼が追いつけるはずがない。陽向は国内をあてもなく探し回り、過去の己の愚かさを悔やみ続けるしかなかった。――その頃、私は海外の新しい職場で無事に仕事をスタートさせていた。ヘッドハンティングでの転職だったため、給与が跳ね上がった分、仕事量も格段に増えた。けれど、毎日が楽しくて仕方なかった。陽向のそばでじっと耐え忍んだ7年間は、どれほど頑張っても一度も結婚式に辿り着くことはなかった。だが仕事は違う。自分の努力がダイレクトに結果に繋がり、正当な評価として返ってくるのだ。理不尽なダメ出しに怯える必要も、自分を押し殺してまで誰かに媚びる必要もない。ただ全身全霊で、自分自身の幸せのために戦えばいい。それから2ヶ月が過ぎた、ある夜のこと。見知らぬ番号からかかってきた電話に出ると、受話器の向こうから思いがけない声が聞こえた。「……枝織、君なのか?」陽向の声だった。以前よりずっと掠れていて、まるで壊れ物を扱うかのように、ひどく怯えたような、慎重で優しいトーンだった。私が無言でいると、彼は堰を切ったように一方的に話し始めた。「俺が悪かった、枝織。本当に……俺が間違っていた。完璧主義なんかにこだわって、君の気持ちを少しも考えてやれなかった。君の大切なものを、咲良なんかに譲るべきじゃなかったんだ!この2ヶ月、死ぬほど後悔したよ。もう完璧な結婚式なんていらない。君が戻って
陽向はスマホを握りしめ、咲良に「枝織に連絡を取ってくれ」と急かした。しかし、私はすでに彼らに関わるすべての人間をブロックしており、彼が私に繋がる手段は完全に絶たれていた。彼が慌ててタクシーでアパートへ駆け戻ると、そこにはさらなる絶望が待っていた。部屋の中にあったはずの私の荷物が、すべて綺麗に消え去っていたのだ。まるで最初から、私という人間がこの部屋に存在していなかったかのように。そこへアパートの大家がやって来て、不思議そうに声をかけた。「下のゴミ捨て場にあった大量のゴミ、あんたたちが捨てたのかい?ずいぶん高価そうなものがたくさんあったから、清掃業者にはまだ持っていかせないでおいたんだ。どうしたんだい、カップル喧嘩でもしたのか?」陽向は歯を食いしばって何も答えず、狂ったように階段を駆け下りた。そして、ゴミ捨て場に無造作に放り込まれている、私がかつて宝物のように大切にしていた品々の山を目の当たりにした。何着ものワンピース、いくつものアクセサリー。どれもすべて、彼が「完璧な彼女」の基準に合わせて自ら選び、私に買い与えたものだった。あの頃の私は、渡されるたびに嬉しそうに微笑み、彼を心から信頼しきった瞳で見つめていた。彼がどんな趣味のものを押し付けてきても、「すごく気に入ったわ」と答えて。そして言われた通りに身につけ、彼が嫌うデザインのものには二度と触れなかった。だが今、彼の押し付けた思いも、身勝手なルールも、すべて生ゴミと一緒にゴミ袋に詰め込まれている。ここに至ってようやく、陽向ははっきりと悟ったのだ。私、橘枝織が、本気で彼を切り捨てたのだという事実を。ちょうどその時、後を追ってきた咲良がゴミ捨て場に現れた。散乱したゴミの山を見て、彼女は少しの驚きと、わざとらしいほどの同情を交えた声を出した。「えっ、どういうこと?これ、全部枝織ちゃんがすごく大事にしてたものじゃない!全部捨てちゃうなんて……枝織ちゃん、まだ陽向くんに怒ってるのかな?」陽向はうなだれたまま、力なく呟いた。「……そんなはずはない。枝織が俺と別れるはずなんてないんだ。あいつはあんなに長く俺を待っていたんだ。もしかしたら、あとたった一回だけで、完璧な結婚式を挙げられたかもしれないのに……」咲良の目の中に一瞬だけ計算高
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