Masuk
「お姉ちゃんのこと、知ってるでしょ。彼女は昔から、自分のことより人のことばかり考える人なのよ」その言葉に、哲也はもうボロボロと涙を流していた。「気づくべきだったんだ。もっと早く……柚が、金のために俺を捨てるような女なわけないって」「だから言ったでしょ。美咲はろくな女じゃないって」明里のその言葉を聞くと、哲也はテーブルを強く殴りつけた。「すぐに石井をここに連れてこさせよう」さすがは社長の哲也だ。たくさんの部下を動員して、あっという間に弘樹を連れてこさせた。弘樹はチンピラみたいな男で、連れてこられたときはひどく慌てていた。「な、なんだよお前ら!言っとくけど、俺には大物の後ろ盾がいるんだからな!」哲也は問答無用で弘樹を殴りつけた。「言え!美咲に頼まれて殺し屋を雇ったんだろ!」弘樹はもちろん認めるつもりはないようだ。「なんのこと?さっぱり意味が分からない」でも、その目の泳ぎ方が、彼と美咲が知り合いであることをはっきりと物語っていた。「そうか。じゃあ、分かるまで痛みつけてやれ!」哲也の部下たちが弘樹を何度も何度も殴りつけると、彼はすぐに命乞いを始めた。「分かった、話す!話すからもうやめてくれ!頼む!」部下たちが手を離すと、弘樹は這うようにして言った。「美咲に頼まれたんだ!彼女の親友を車でひき殺すようにって!」やっぱり、美咲の仕業だったんだ。その瞬間、明里の瞳に、燃えるような憎しみが宿った。一方、哲也もその事実に耐え切れず自分を強く殴った。「なんてことだ!柚を殺したのが美咲だったのに、俺は、ここ何年もあいつと付き合っていたなんて……」「もういい。自分を責めるのは、全部終わってからにして」明里の目つきが鋭く変わった。「今すぐあの女に電話して。ここに呼び出してちょうだい」哲也が電話をかけると、美咲は案の定、いそいそとやってきた。「哲也、どうしたの?もしかして、私に会いたくなっちゃった?」美咲は来るなり哲也の胸に飛びつこうとした。でも、哲也は彼女を容赦なく床に突き飛ばした。「哲也、なにするの!」美咲が信じられないという顔で叫んだ。すると、明里が口を開いた。「このアバズレ!」彼女はまっすぐ美咲に近づくと、その頬を何度も、何度も平手で打ちつけた。「哲也、助けて!」明里は美咲の髪を掴みあげた。「助け
一方で、明里と哲也は、見るからに辛そうだった。とくに明里は、憎悪で我を忘れそうなほどだ。もし加害者の運転手が今目の前に現れたら、彼女はためらわずに刺しにかかるだろう。「でも調べてみたんだけど、加害者の運転手は柚とは面識がなかった。たぶん、誰かに雇われて柚を狙ったんだ。その運転手の妻の口座に振り込んだ人も調べたけど、これも柚とは無関係の人物だった」「見せて」哲也が言い終えると、明里はわずかに眉をひそめた。「石井弘樹(いしい ひろき)」明里はその名前を静かにつぶやいた。明里がまだその名前にピンと来ていないいっぽうで、私はすぐに気づいた。弘樹って、前に美咲が付き合ってた、浮気したっていうあの元カレじゃない?それに気が付くと、私は信じられない思いで目を見開いて、存在しないはずの涙を流した。ってことは、美咲は私を裏切って、彼氏を奪おうとしただけじゃない。私を殺した張本人だったんだ。私は言葉にならないほどの衝撃を受けた。今すぐにでも声を張り上げて、私を殺したのは美咲だって、明里と哲也に伝えたかった。でも、いくら叫んでも、二人に私の声は届かない。あとはもう、明里が弘樹という名前に気づいてくれるのを祈るしかなかった。幸い、明里は少し考えこんだあと、はっと目を見開いた。「これって、美咲の元カレじゃない?」「美咲?」哲也は信じられないというふうに言った。「美咲は、今まで誰とも付き合ったことないって俺に言ってたけど」明里は鼻で笑った。「付き合ったことない?哲也さん、人が言ったことなんでも信じるのね。私が知ってるだけでも、彼女は3人以上と付き合っていたけど。しかもこの石井って人が彼女の初カレで、そいつが浮気したことが原因で二人が別れたはず。まさか、まだつながりがあったなんて」そう話すうちに、明里の目に憎しみの色が浮かんだ。「これで全部わかったよ。あなたのせいで、お姉ちゃんは死んだのよ!」「どういうことだ!」哲也はわけがわからないという顔で明里を見た。「美咲があなたを好きになったのが原因よ!彼女はあなたとお姉ちゃんを仲違いさせようとしたけど、お姉ちゃんは乗らなかった。だから人を雇って轢き殺したのよ。そうすれば、あなたと一緒になれると思ったんでしょうね」さすがは私の妹。頭が切れる。ほとんどすべてを言い当
「哲也さん、今から少しだけ会えないかな?」前の哲也の態度を考えると、明里の声に少し緊張の色のがあった。「明里、また何か企んでるんだろ」哲也はそう言って電話を切ろうとした。でも、明里の言葉に彼の手が止まった。「お姉ちゃんが死んだなんて信じてないんでしょ?私たちが嘘ついてると思ってるんでしょ?だったら会ってよ。死亡診断書、見せてあげるから」哲也は、しばらく黙っていた。どれくらい時間が経ったか、私にも分からない。やがて、彼がひとこと「わかった」と答えた。結局、哲也は会いに来てくれた。二人が待ち合わせたのはアパートの下にあるカフェだった。今回は哲也が一人で現れた。明里から、彼だけに話しておかなければならないことがあると聞かされていたので。「これがお姉ちゃんの死亡診断書。三年前、交通事故でなくなったの」明里は、それを哲也に差し出した。哲也はそれを受け取った。死亡診断書に書かれた私の名前を見て、彼はようやく信じてくれたみたいだ。とたんに哲也の手が震え、唇を微かにぴくつらせながら言った。「柚は本当に、もう……」そんな哲也の姿を見て、私は胸が痛んだ。彼を裏切ったのに、私が本当にいなくなったと知って、彼は未だにこんなにも悲しんでしまうなんて。「うん」そう言って、明里と哲也は二人とも目に涙を滲ませた。「それで、今日の要件はなんだ?」哲也は気持ちをなんとか立て直して、そう尋ねた。「この防犯カメラの映像を見て。お姉ちゃんが事故に遭った時の、現場の映像なの」スマホを受け取った哲也の目に、車が私を目がけて故意に突っ込んでくる映像がはっきりと映っていた。「なんだよ、誰が柚をこんな目に!」哲也は、絞り出すように叫んだ。「あなたに連絡したのは調べて欲しかったからよ。この運転手、お姉ちゃんとは何の接点もなかったはず。なのに、こんなことをするなんて考えられない。これはきっとただの事故じゃないと思うの。それに、あの運転手は精神的に問題があったわけでもない。だから、きっと誰かに頼まれたんだと思う」明里の言葉を聞いて、哲也は少し考え込んだ。やがて、こう言った。「わかった。運転手のことは調べる。でも勘違いするな。これで柚を許したわけじゃない。君も、これをネタに俺から何かを得ようとか考えるなよ」「分かってる、そんなことする
「お姉ちゃん、どうして教えてくれなかったの!」明里は泣きながらそう言った。きれいな顔をくしゃくしゃにして、それはこれ以上ないってくらい悲しそうな顔だった。だから明里、教えたくなかったわけじゃないの。本当に、どうしても言えなかったのよ。あの時もし教えてたら、あなたはきっと大学を辞めて、私の治療費のために働きに行ったんじゃない。もう助からない私のために、あなたにそんな馬鹿な真似は絶対にさせられなかったの。実は、交通事故は予想外のことだったんだ。だって、私はもう末期の胃がんで、助かる見込みなんてなかったから、生きようっていう気力がもうなかった。だから、持ってたお金は全部口座に入れて、明里のこれからの学費にしてもらおうと思ってたの。なのに、明里はあのお金を全然使わなかった。毎日お酒に溺れて自分を麻痺して、成績はがた落ちになってしまった。大学を卒業した今は、単発のバイトをしてはお酒を飲む毎日。あんなに行きたがっていた大学院も、結局受験すらしなかった。この状況を変えてあげたい。でも、私にはどうすることもできない。私はずっとそばにいるってことすら、大好きな妹に伝えられないんだから。もし話すことができたらな……そしたら、もうくよくよしないで、自分の人生をちゃんといきなさいって、絶対に言うのに。ひとしきり泣いた後、明里はなんだかすっきりした顔になった。きっと、私がどうして病気のことを黙っていたか、分かってくれたんだろう。「お姉ちゃんが胃がんだったことを隠してたのは分かった。事故があった日、お姉ちゃんはアパートの前にいた。診断書をもらったのは事故の2週間前、だからお姉ちゃんはきっと自分で死のうとしたわけじゃない。でもあの日、近くの商店街はセールで、近所の人はほとんどそっちに行ってたはず。あんな時間に、あんな広い道で暴走運転なんて普通するかな?それで、お姉ちゃんにぶつかるなんて……」明里は、ついに冷静さを取り戻したみたいで、私の事故はただの偶然じゃないって疑い始めた。実を言うと、私自身も変だと思ってたんだ。だってあの日、私はただ普通に道を歩いてただけ。それなのに、いきなり車に突っ込まれたんだから。事故の後、運転手は逮捕されて、うっかりだったって証言したらしいけど……私はそうは思わない。あんな広い道で、そんなうっか
美咲も、自分が私の代わりだってわかってるはず。でも、それでも彼女は哲也のそばにいるんだ。その瞬間、私もいろいろ悟ったような気がした。美咲が昔、私に哲也と別れるよう言ってきたのは、本当に私のことを思ってくれてたのかな。なにか、よこしまな考えがあったんじゃないのかな?きっと、私がまだ哲也と付き合ってた頃から、もう彼のことが好きだったんだ。それに気づくと私は急に胸が苦しくなった。だって、美咲は私の一番の親友だったから。そんな親友に裏切られるなんて、つらすぎる。今までの私の真心は、全部なんだったんだろうって思ってしまうほど。でも、今の私に何ができるっていうの?ただ宙に浮いてるだけの、幽霊なんだから。美咲のところに駆け寄って、「私を裏切ったの?」なんて、聞けるわけもないし。哲也は、もうここにいるつもりはないみたい。車を走らせて立ち去ろうとしていた。それを見て、私は思わず、後を追いかけたくなった。なんでだろう自分でもわからない。多分哲也のことがまだ諦めきれていないからだろう。もう、私は死んじゃったっていうのに。それでも、彼がどんな場所で、どんなふうに暮らしているのか見てみたかった。でもその時、明里が出てきた。どうやらさっきの哲也と美咲の親密そうな様子を、彼女はちょうど見ちゃったみたい。明里が綺麗な眉をひそめた。「なんで哲也さんが美咲と?美咲ってお姉ちゃんと一番仲が良かったはずなのに。なんでお姉ちゃんの元カレなんかと一緒にいるの?」明里は、どうにも納得がいかない、という顔をしていた。この様子だともうお酒は抜けているようだ。さっき哲也と大げんかしたんだし、あれだけ時間がたてば、さすがに酔いもさめてしまうわけだ。そして彼女は首をかしげながら家に帰っていた。「一体どうなってるのよ?」と、ぶつぶつ独り言を言いながら。明里は昔から賢い子だったから。こんなに悩んでいるってことは、なにかおかしいって気づき始めてるんだろうな。もちろん、美咲がおかしいのは私もわかってた。でも、それはただ親友の彼氏を好きになったってだけ。あとはまあ、人を見る目がなかった、私が悪かったって思うしかない。でも明里は、そうは思ってないみたい。私は彼女について、家の中に入った。明里の独り言が聞こえてくる。「お姉ちゃんが文句を言ってたのを覚えてる
この辺りは古いアパートで、お金持ちなんてほとんどいない。哲也は見るからにお金持ちそうな格好だし、高級車に乗っているから、どう見たってここの住民じゃなさそうだった。そう思ったのか、女性二人は顔を見合わせると、大げさにぶんぶんと首を振った。「いや、なんでもないです」そして、二人はそう言うと、そそくさと走り去っていった。ここの人たちは噂好きで、普段は威勢もいいけど、哲也みたいにいかにもお金持ちという感じの人を前にすると、逆に怖気づいてしまうようだ。結局なにも聞き出せず、哲也はイライラして、顔を冷やしてくれていた美咲の手を振り払った。美咲はそんな扱いに慣れている様子で、笑いながら言った。「哲也、まさか明里の言うことを信じてるの?柚がほんとに大変なことになったとか、本気で思ってるわけ?言っとくけど、柚の性格を考えたら、あなたを裏切ったくらいだし、今頃どっかの社長と旅行でもしてるに決まってるよ。もしかしたらM国かS市にでもいるんじゃない?あなたのことを思い出してムカついたから、明里に頼んでこんなイタズラさせてるのよ、きっと」美咲のそのいかにもあざとい言い方を聞いて、私は一瞬、彼女がまったく知らない人のように思えてしまった。昔、私たちは親友だった。哲也のことで気まずくなってしまったけど、それでも私は、美咲が私のことを思って忠告してくれているんだと信じてた。でも、今はもうそうは思えない。彼女は、私が思っていたような、いつでも私の味方でいてくれる美咲じゃなかったのかもしれない。彼女は私の幸せなんて願っていなかった。それどころか哲也の前で私の悪口ばかり言っている。たとえ哲也と私が別れてもう3年も経とうとしていても、彼女はまだ私の過去を蒸し返しているのだ。美咲は哲也の地雷がどこにあるのかよくわかっているようだ。彼女に煽られて、哲也の顔色はたちまち険しくなった。「美咲、君の言うとおりだ。あの姉妹はどっちもろくでもないやつだ。さっきも明里が女だからって大目に見てやるんじゃなかった」哲也が怒り出したのを見て、美咲は口の端をかすかに上げ、そっと彼の手を取った。「哲也、私がそばにいるから。なにがあっても、絶対に一緒にいてあげるからね」美咲はそう言ってキスをすると、二人は車の中で体を寄せ合った。私はすぐそばで、信じられない思いでその